ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

律法と信仰

2012-11-09 12:32:22 | 今日の聖句
今日の聖句  ローマの信徒への手紙7章7節~8節

律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。
たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。
ところが罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。
律法がなければ罪は死んでいるのです。


昨晩読んだ「ローマの信徒への手紙」第7章、中見出し「内在する罪の問題」の中の聖句です。
実は7章も難しくてほとんど理解できませんでしたが、一応、この箇所を載せます。

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以下は私が今の能力で考えた解釈です。

律法とは神とイスラエルの民との間に交わされた契約(掟)です。
時が進み、イエスの時代になると律法学者やファリサイ派の人々は、律法を守っていれば善き人で
律法を守らない人が罪人であると考え、自分たちは善き人だと傲慢になり、信仰薄くなっていました。

イエスは「わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われて、
律法を守れないがために「罪人」として排除された人々を神の国に招こうとしました。
そして掟のなかでの第1番は「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」であり
第2は「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」であると言われました。

パウロはそれを受けて、律法を守る人が救われるのではなく(律法を守ることも大切だが)ただ神を信じる
その信仰によってのみ人は義人(善き人)とされ、神の国に招かれる、と説いているのだと思います。
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私の教会、美竹教会のホームページです。



  <アオゲラ(♀)>

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