ゆうゆうの教会便り

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キュリエ・エレイソン(主よ憐みたまえ)

2012-11-11 21:44:36 | 説教
今日の聖句は昨日の続き 「ローマの信徒への手紙第9章」からです。

11節~12節
自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。

18節
このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者を頑なにされるのです。

19節
ところで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのだろうか。
だれが神の御心に逆らうことができようか」
人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。
造られた物が作った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。


今日の聖句は長くて飛び飛びになりましたが、実は9章を読んで、私もパウロが指摘した感慨、神様がそうなさって
いるのなら、何故、なお私たちが責められるのか、という疑問を持ったのです。

ところで、今日11日の礼拝説教はテキストは「マタイによる福音書15章21節~28節」テーマは「神の憐れみ」でした。
病気の娘を癒してもらったカナンの女性の話です。

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説教の中では「神の自由な憐れみ」ということで、神と人間の関係において主権は神にある、神の憐れみの行為は
全く神から出るもので、神が決められるものである、神を人間に仕える召使いとしてはいけない、
例えばご利益宗教においては、これこれのことを叶えてください、そのために私はこれこれをあなたに差し上げます、
と神を人間の召使いにしている、ということが話されました。

そして、神の自由な憐みということで「ローマの信徒への手紙」9章11節の聖句が引用されました。
(昨晩読んだ私はすぐにピンときました!  (^-^)

カナンの女性は神様の主権をしっかりと受入れ納得しながらも、なお神の憐れみを乞い願ったのです。
この女性の篤い信仰、神を信じ切って、神の憐れみを信じてひれ伏して願った信仰をイエスは喜ばれ、その娘の病を癒しました。
私たち一人一人が信じきることが神にとっての喜びです、キュリエ・エレイソン「主よ憐みたまえ」と祈り続けましょう!
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私が疑問を持った「ローマの信徒への手紙」第9章もそのように理解するようですね。





   <ソウシチョウ(相思鳥)>
    姿も鳴き声も綺麗な外来種の鳥です。
    篭脱けやペット業者による遺棄(放鳥)によって野生化し増えています



今日の説教では「神の沈黙」「神の救いの計画」についても話されました。
美竹教会のホームページに説教全文が掲載されています、よろしかったら是非お読みください。
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