前の晩、眠るのが遅くなって聖書を読まずに寝てしまい、昨日はブログアップをさぼりました。 m(_ _)m
今日の聖句は「ローマの信徒への手紙」13章からです。
13章1節
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。 神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。
ここを読んだ時の感想は「へぇ? そうなの~?」というものでした。
今の権力者は政治家を筆頭に、決して”神に由来した”とも”神によって立てられた”とも思えず”権威に従うべき”とは思えないからです。
さて、旧約聖書を読むと「油を注がれて・・・・」という記述がよく出てきます。
旧約時代の権威者は祭司や預言者も王も皆「油注ぎ」を受けてその地位につきました。
「油を注ぐ」ということは神の霊によって任命され、その職務につく者となることの象徴的な意味があるようです。
ユダの初代の王様サウルや、その後のダビデ王は預言者サムエルによって、次の王ソロモンは祭司ツァドクと
預言者ナタンによってと油を注がれたと書かれています。
「油注がれた者」(メシア)は王を象徴するようになり、バビロン捕囚で王国滅亡後は、理想的な王の出現を期待して
メシア(救世主)が待望されるようになりました。
新約聖書においては、十字架にかけられ、復活したイエスが真のメシア(キリスト)だと(使徒ペテロによって)告白されて
イエスをメシアとする初代教会の信仰が始まりました。
パウロが13章1節で支配者への従順を説いた、その支配者とは「メシア的・自己犠牲的な王」を思い描いていたのだと思います。
自国の民を忘れ徒に党利党略(私利私欲も混じった?)に走ることの多い現代の政治家とは違うのですね~ (^^;)
<アカハラ> スズメ目ツグミ科ツグミ属に分類される鳥で、
古くは、茶耶/鳥(チャジナイ)と呼ばれていました。
パウロはローマ皇帝によって紀元後60年ころ処刑された、と言われています。
今日の聖句は「ローマの信徒への手紙」13章からです。
13章1節
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。 神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。
ここを読んだ時の感想は「へぇ? そうなの~?」というものでした。
今の権力者は政治家を筆頭に、決して”神に由来した”とも”神によって立てられた”とも思えず”権威に従うべき”とは思えないからです。
さて、旧約聖書を読むと「油を注がれて・・・・」という記述がよく出てきます。
旧約時代の権威者は祭司や預言者も王も皆「油注ぎ」を受けてその地位につきました。
「油を注ぐ」ということは神の霊によって任命され、その職務につく者となることの象徴的な意味があるようです。
ユダの初代の王様サウルや、その後のダビデ王は預言者サムエルによって、次の王ソロモンは祭司ツァドクと
預言者ナタンによってと油を注がれたと書かれています。
「油注がれた者」(メシア)は王を象徴するようになり、バビロン捕囚で王国滅亡後は、理想的な王の出現を期待して
メシア(救世主)が待望されるようになりました。
新約聖書においては、十字架にかけられ、復活したイエスが真のメシア(キリスト)だと(使徒ペテロによって)告白されて
イエスをメシアとする初代教会の信仰が始まりました。
パウロが13章1節で支配者への従順を説いた、その支配者とは「メシア的・自己犠牲的な王」を思い描いていたのだと思います。
自国の民を忘れ徒に党利党略(私利私欲も混じった?)に走ることの多い現代の政治家とは違うのですね~ (^^;)
<アカハラ> スズメ目ツグミ科ツグミ属に分類される鳥で、
古くは、茶耶/鳥(チャジナイ)と呼ばれていました。
パウロはローマ皇帝によって紀元後60年ころ処刑された、と言われています。