さて、エルサレムが滅ぼされてからは一転して回復の預言をするエゼキエルでした。
「枯れた骨の復活」の幻も、絶望した捕囚の民に大いなる希望を与えたそうです。
ただビックリして面白がっていただけの私の聖書の読み方を大いに反省しました。 m(_ _)m
さらにエゼキエルは「新しい神殿の幻」を見せられ、エルサレム神殿再建の設計図を示し、捕囚の民が
エルサレムに帰還後形成されるべき新しい宗教共同体のプログラムも示されました。
そのようにして、後のユダヤ教の基礎を築いたとして、彼は「ユダヤ教の父」と言われているそうです。
エゼキエル書もいよいよ最後の方になりました。
40章から48章まではエゼキエルが見せられた、再建されるべき「第二のエルサレム神殿」の説明です。
この文章がまた分かり難くて、貧弱な私の想像力では神殿の具体的イメージがさっぱり湧きません。
お手上げです! 困ったときのネット頼み。 ありましたよ~ エルサレムの神殿の画像です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/31/d683b919d3deb03f8a46dcb020b9572a.jpg)
エルサレム神殿には、第一神殿、第二神殿、ヘロデ神殿があるそうです。
エルサレム第二神殿は、ソロモンが建設した第一神殿の同じ場所に、紀元前515年にバビロン捕囚から戻ってきたイスラエルの民が
ゼルバベルの指揮で再建した神殿です。 エゼキエルが幻で見せられたのはこの第二神殿ですね、きっと。
ゼルバベルの建設した第二神殿は規模も小さく、みすぼらしいも のだったので、後にヘロデ大王が大規模な改修荘厳工事を行いました。
この改修はきわめて大規模なものだったのですが、第三神殿とは言 いません。 枢要な本体部分には手を付けなかったためです。
イエス時代 の神殿はそのヘロデの改修になる第二神殿です
この時代の神殿の模型を、ケセン語訳聖書で知られる山浦玄嗣(やまうら はるつぐ)先生が、作られました。
製作期間100日。 縮尺400分の1。 90cm×120cm。ソロモン回廊や王者の回廊を構成する列柱の数だけでも685本あるそうです。
荷造り用の紙ひもで作り上げられたそうです。
(以上の解説と画像はブログ「シスターのつぶやき」様から転載させていただきました、ありがとうございます。)
40章「新しい神殿の幻」 6節~
彼は東の方に向いている門を入った。
その石段を上って、門の敷居を測ると奥行きは一竿、つまり最初の敷居の奥行は一竿であった。 そして、控えの間の奥行も
間口も一竿、控えの間と控えの間の感覚は五アンマであり、廊門を内側に抜けるところにある門の敷居の奥行は一竿であった。
廊門の奥行を測ると、八アンマで、そこには厚さ二アンマの脇柱があり、それが内側の廊門であった。
東の方に向いている門の控えの間は、通路の両側に三つずつあった。
三つの部屋は同じ寸法であり、それに両側の脇柱も同じ寸法であった、
門の入り口の幅を測ると、十アンマで、門全体の幅は十三アンマであった。
それぞれの控えの間にある仕切りの暑さは一アンマ、向こう側の仕切りも一アンマであった。 ・・・・・以下、延々、延々と設計図が続きます。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
昨日の礼拝後、美竹教会では教会員Aさんの「証し」がなされました。
入院、手術を通して強められたAさんの信仰がヒシヒシと感じられる「証し」でした。
教会の兄弟姉妹の「証し」をお聞きするたび、自分の傲慢で生意気な心根を反省致します。
私もいつか自分のことを「証し」できる日が来るでしょうか。
「枯れた骨の復活」の幻も、絶望した捕囚の民に大いなる希望を与えたそうです。
ただビックリして面白がっていただけの私の聖書の読み方を大いに反省しました。 m(_ _)m
さらにエゼキエルは「新しい神殿の幻」を見せられ、エルサレム神殿再建の設計図を示し、捕囚の民が
エルサレムに帰還後形成されるべき新しい宗教共同体のプログラムも示されました。
そのようにして、後のユダヤ教の基礎を築いたとして、彼は「ユダヤ教の父」と言われているそうです。
エゼキエル書もいよいよ最後の方になりました。
40章から48章まではエゼキエルが見せられた、再建されるべき「第二のエルサレム神殿」の説明です。
この文章がまた分かり難くて、貧弱な私の想像力では神殿の具体的イメージがさっぱり湧きません。
お手上げです! 困ったときのネット頼み。 ありましたよ~ エルサレムの神殿の画像です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/31/d683b919d3deb03f8a46dcb020b9572a.jpg)
エルサレム神殿には、第一神殿、第二神殿、ヘロデ神殿があるそうです。
エルサレム第二神殿は、ソロモンが建設した第一神殿の同じ場所に、紀元前515年にバビロン捕囚から戻ってきたイスラエルの民が
ゼルバベルの指揮で再建した神殿です。 エゼキエルが幻で見せられたのはこの第二神殿ですね、きっと。
ゼルバベルの建設した第二神殿は規模も小さく、みすぼらしいも のだったので、後にヘロデ大王が大規模な改修荘厳工事を行いました。
この改修はきわめて大規模なものだったのですが、第三神殿とは言 いません。 枢要な本体部分には手を付けなかったためです。
イエス時代 の神殿はそのヘロデの改修になる第二神殿です
この時代の神殿の模型を、ケセン語訳聖書で知られる山浦玄嗣(やまうら はるつぐ)先生が、作られました。
製作期間100日。 縮尺400分の1。 90cm×120cm。ソロモン回廊や王者の回廊を構成する列柱の数だけでも685本あるそうです。
荷造り用の紙ひもで作り上げられたそうです。
(以上の解説と画像はブログ「シスターのつぶやき」様から転載させていただきました、ありがとうございます。)
40章「新しい神殿の幻」 6節~
彼は東の方に向いている門を入った。
その石段を上って、門の敷居を測ると奥行きは一竿、つまり最初の敷居の奥行は一竿であった。 そして、控えの間の奥行も
間口も一竿、控えの間と控えの間の感覚は五アンマであり、廊門を内側に抜けるところにある門の敷居の奥行は一竿であった。
廊門の奥行を測ると、八アンマで、そこには厚さ二アンマの脇柱があり、それが内側の廊門であった。
東の方に向いている門の控えの間は、通路の両側に三つずつあった。
三つの部屋は同じ寸法であり、それに両側の脇柱も同じ寸法であった、
門の入り口の幅を測ると、十アンマで、門全体の幅は十三アンマであった。
それぞれの控えの間にある仕切りの暑さは一アンマ、向こう側の仕切りも一アンマであった。 ・・・・・以下、延々、延々と設計図が続きます。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
昨日の礼拝後、美竹教会では教会員Aさんの「証し」がなされました。
入院、手術を通して強められたAさんの信仰がヒシヒシと感じられる「証し」でした。
教会の兄弟姉妹の「証し」をお聞きするたび、自分の傲慢で生意気な心根を反省致します。
私もいつか自分のことを「証し」できる日が来るでしょうか。
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