ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「長子の特権」

2013-06-16 21:48:19 | 説教
今日の礼拝説教 テキストは「創世記」25章27節~34節 タイトルは「長子の特権」でした。

二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。
イサクはエサウを愛した。 狩の獲物が好物だったからである。
しかし、リベカはヤコブを愛した。 
ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れ切って野原から帰ってきた。
エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れ切っているんだ。」
彼が名をエドムと呼ばれたのはこのためである。
ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」と
エサウが答えると、ヤコブは言った。 「では、今すぐ誓ってください。」 エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。
ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮ものを与えた。 エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。
こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。



アブラハムの生涯で重要な出来事は「神の祝福を受けた」ということです。
アブラハムは神の祝福を信じぬいた典型ともいえる人です。
同じように(人はなぜ生まれたのか、苦しくて嫌なことも多い世の中であっても)私たちも神から特権、永遠の命の祝福を与えられています。

同時にアブラハムは祝福の源となり、他の人を潤す人となりました。
祝福の継続はアブラハムからイサクへ、そしてその息子のエサウとヤコブ、2000年の時を経てイエスまで続きました。 
祝福は受け継がねばならないものです。
アブラハムは神の祝福を信じて、息子イサクを賜るまで25年間、イサクは20年間、その実現を待ちました。 
神の御計画は神が選ばれた最良のものです、疑わずに待つことが大事です。

エサウとヤコブはこれと言った取り得もない普通の人間でした。

長子の特権は普通の意味では、遺産などと大したことではありませんが、霊的な意味ではイエスに繋がる信仰の莫大な遺産です。
長子の特権とは、使命によって得られる魂の平安、人生の希望が与えられるものです。
エサウはそのように大切なものをレンズ豆のスープいっぱいで譲ってしまいました。
神の愛の大きさをエサウは知らなかったのです。
私達も目の前の誘惑、快楽に惑わされ、目に見えないものを軽んじてしまいます。
神の祝福を失ってしまいます。

ヤコブの本当に求めるものは神の祝福だったはずですが、長子の特権を勘違いして骨肉の争いとなり、その後、
ヤコブを殺そうとするエサウから逃れてハランの地で20年間暮らしました。
しかし神はそのようなヤコブをも導いてくださいました。

私達もまた、何の取り得がなくても神は呼びかけて下さっています。
神は私たちを確実に救いに導いて下さいます。
キリストの贖いのゆえに、私達をも祝福の源としてくださいます。
アブラハムは私たちの信仰の見本です、神の御心に自らを委ね、召しと招きを忘れずに生きてゆくことが大切です。

                                              (以上、文責はゆうゆうにあります。)






教会からの帰り道、信仰の先輩と駅までご一緒しました。
私よりご高齢の方で老人ホームに入っていらっしゃるそうです。
私も独り暮らしになったら老人ホームに入るつもりで、施設の見学もしています。
教会に連なる信仰の先輩が礼拝に出席してくださる・・・・とても励まされました、感謝です。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« カタカタ鳴る骨 | トップ | 新しい神殿の幻 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

説教」カテゴリの最新記事