ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「クリスマスの輝き」

2015-12-21 11:03:16 | 説教
クリスマス礼拝の説教
テキストは「ヨハネによる福音書」1章14節~18節 タイトルは「クリスマスの輝き」でした。



(朗読)の所で左近牧師が読まれたお話
   アメリカの小さな教会でのクリスマスのこと、教会学校の子ども達が
   イエス様ご降誕のページェントをすることになりました。
   一人の知的障害を持つ男の子にも一つの役が振り分けられました。
   「馬小屋は向こうだよ」と言ってそちらを示す、という役です。
   たった一言の科白ですが男の子は毎日一生懸命練習しました。
   クリスマス当日、プログラムは進み、男の子の科白の所に来ました。
   両親やCSの先生の見守る中、男の子は「馬小屋は向こうだよ」と言ってそちらを指しました。
   みんながホッとした次の瞬間、男の子は思いがけない行動に出ました。
   厩に向かってトボトボと歩く劇中のマリアとヨセフの背中に「そっちに行かないで!
   馬小屋は暗いよ、臭いよ! 僕の家に来て。 僕のベッドを使っていいよ!」と呼びかけたのです。
   劇は途中で止まってしまいましたが、その場にいた人々は全員、深い感動の包まれました。

左近牧師の説教から強く心に響いた下の文章を書きだします。
〇 痛めつけられて血が流され、打たれて破れる肉体を、この世界を、憎んで脱するのではなく、
  否定してご破算にして解き放たれるのではなく、むしろキリストは、徹底的にご自分のものとされ
  引き受けられた。十字架の贖いの死に至るまで。それがクリスマスだと聖書は語る。
〇 「社会や人生、そして歴史を知れば知るほど、クリスマスがなくてはならない。キリストを持たざるを
  得ないという思いが高まってくるのではないでしょうか。」
  「若いころからここまで衰えてきた肉体をもって「肉」とはなんであるかを知っている老人は
  『言が肉となった、キリストが人となられた』この受肉の出来事がどんなに偉大な慰めであるかを
  語ることができるのではないでしょうか。」 大木秀夫牧師の言葉から・・・・

キリスト教の神に出会わなかったら、救いに与らなかったら、教会に礼拝に集わなかったら、
聖書が無かったら、私はいかに貧しく虚しく殺伐とした心を持って生きていたことでしょう。
「言は肉体となった、イエス様が人としてこの世に現れた」クリスマスに感謝です。


公園の池に<ダイサギ> 背景は秋から冬に向かっています。

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