讃美歌517番 「我に来よと主は今」 一昨日の礼拝で歌いました。
1)我に来(こ)よと主は今 優しく呼び給う
などて愛の光を 避けてさまよう
Chorus: 帰れや、我が家に 帰れや、と主は今呼び給う
2)疲れ果てし旅人 重荷を下ろして
来たり憩え、我が主の 愛のみもとに
Repeat Chorus.
3)迷う子らの帰るを 主は今待ち給う
罪も咎(とが)もあるまま 来たりひれ伏せ
Repeat Chorus.
原作者Frances Jane(Crosby)Van Alstyne(1820-1915)は、アメリカの多作な盲人女流歌人である。
盲人オルガニストトと結婚してVan Alstyneの姓となったが、一般にファニー・クロスビーと呼ばれている。
日本基督教団讃美歌ではこの曲のほかに、489番 “きよき岸べに” 493番“つみの淵におちいりて”
495番“イエスよ、この身を ゆかせたまえ” 524番“イエス君、イエス君、みすくいに”
529番“ああうれしわが身も”などに採用されており彼女の歌は日本でも広く普及している。
ファニー・クロスビーは、生まれた直後の目の治療が失敗し失明する悲運に見まわれたが、祖母や母親の
愛情ある教育、育成により彼女の持って生まれた才能が生かされ盲人学校での勉学、卒業後、
教師としての務めの傍ら詩作に励んだ。
讃美歌の作詞を始めたのは44歳の時で偉大な讃美歌作曲家ウィリアム・ブラッドベリーとの出会いからであった。
その後、彼女の作品に作曲したWilliam Howard Doane, George ColesStebbinsや19世紀後半の大伝道者ムーデイと
伝道歌手サンキーらとの出会いと協力の過程で生涯六千以上と言われる讃美歌を作詞した。
1915年95歳で天に召されたクロスビ‐は、身長145センチと小柄であったが、心にはいつも喜びが湧いていたので、
その顔は輝いており、そばに行くと、その喜びが「感染」したと言われた。(大塚野百合「讃美歌・聖歌ものがたり」)
作曲者George Coles Stebbins(1846-1945)は、少年の頃父の農園で働きながら田舎の歌唱学校(Singing School)で
音楽を勉強した。
シカゴで働きつつ教会の音楽指揮者を務めボストンに移り、1876年の秋、大説教家ムーデイ(Dwight Lyman Moody)及び
音楽伝道者サンキー(Ira David Sankey)を知り、その影響によって、音楽伝道者(Singing Evangelist)となった。
その作品はすべて福音唱歌であって、美しく、甘く、大衆的である。
この曲は、ファニー・クロスビーの“Jesus is tenderly calling to-day”のために1883年に作曲した曲であり、
米国の福音唱歌中でも有名なものの一つで、ひろく米国人に愛唱されている。 (以上、ネットからの引用です。)
ここをクリックすると讃美歌517番を聴くことができます。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
教会学校夏の遠足(NHKスタジオパーク)の写真を「最近の活動と今後の予定」ページに載せます。
よろしかったら覗いて見てください。 (^-^)
夏の終わり、尾の先が団扇のようなトンボ<ウチワヤンマ>もそろそろご退場ですね。
ヤンマといってもヤンマ科ではなくて<サナエトンボ科>だそうです。 (@@)
1)我に来(こ)よと主は今 優しく呼び給う
などて愛の光を 避けてさまよう
Chorus: 帰れや、我が家に 帰れや、と主は今呼び給う
2)疲れ果てし旅人 重荷を下ろして
来たり憩え、我が主の 愛のみもとに
Repeat Chorus.
3)迷う子らの帰るを 主は今待ち給う
罪も咎(とが)もあるまま 来たりひれ伏せ
Repeat Chorus.
原作者Frances Jane(Crosby)Van Alstyne(1820-1915)は、アメリカの多作な盲人女流歌人である。
盲人オルガニストトと結婚してVan Alstyneの姓となったが、一般にファニー・クロスビーと呼ばれている。
日本基督教団讃美歌ではこの曲のほかに、489番 “きよき岸べに” 493番“つみの淵におちいりて”
495番“イエスよ、この身を ゆかせたまえ” 524番“イエス君、イエス君、みすくいに”
529番“ああうれしわが身も”などに採用されており彼女の歌は日本でも広く普及している。
ファニー・クロスビーは、生まれた直後の目の治療が失敗し失明する悲運に見まわれたが、祖母や母親の
愛情ある教育、育成により彼女の持って生まれた才能が生かされ盲人学校での勉学、卒業後、
教師としての務めの傍ら詩作に励んだ。
讃美歌の作詞を始めたのは44歳の時で偉大な讃美歌作曲家ウィリアム・ブラッドベリーとの出会いからであった。
その後、彼女の作品に作曲したWilliam Howard Doane, George ColesStebbinsや19世紀後半の大伝道者ムーデイと
伝道歌手サンキーらとの出会いと協力の過程で生涯六千以上と言われる讃美歌を作詞した。
1915年95歳で天に召されたクロスビ‐は、身長145センチと小柄であったが、心にはいつも喜びが湧いていたので、
その顔は輝いており、そばに行くと、その喜びが「感染」したと言われた。(大塚野百合「讃美歌・聖歌ものがたり」)
作曲者George Coles Stebbins(1846-1945)は、少年の頃父の農園で働きながら田舎の歌唱学校(Singing School)で
音楽を勉強した。
シカゴで働きつつ教会の音楽指揮者を務めボストンに移り、1876年の秋、大説教家ムーデイ(Dwight Lyman Moody)及び
音楽伝道者サンキー(Ira David Sankey)を知り、その影響によって、音楽伝道者(Singing Evangelist)となった。
その作品はすべて福音唱歌であって、美しく、甘く、大衆的である。
この曲は、ファニー・クロスビーの“Jesus is tenderly calling to-day”のために1883年に作曲した曲であり、
米国の福音唱歌中でも有名なものの一つで、ひろく米国人に愛唱されている。 (以上、ネットからの引用です。)
ここをクリックすると讃美歌517番を聴くことができます。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
教会学校夏の遠足(NHKスタジオパーク)の写真を「最近の活動と今後の予定」ページに載せます。
よろしかったら覗いて見てください。 (^-^)
夏の終わり、尾の先が団扇のようなトンボ<ウチワヤンマ>もそろそろご退場ですね。
ヤンマといってもヤンマ科ではなくて<サナエトンボ科>だそうです。 (@@)
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