讃美歌Ⅱ 167番 「我をも救いし」
1)我をも救いし くしき恵み
迷いし身も今 立ち帰りぬ
2)おそれを信仰に 変え給いし
我が主の御(み)恵み げに尊し
3)苦しみ悩みも くしき恵み
今日まで守りし 主にぞ任せん
4)我が主の御誓(みちか)い 永久(とわ)に固(かた)し
主こそは我が盾(たて) 我が命ぞ
5)この身は衰え 世を去るとき
喜びあふるる 御国に生きん
「Amazing Grace」の英語の歌詞を載せます。
Amazing Grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost but now am found
Was blind but now I see
'Twas Grace that taught my heart to fear
And Grace, My fears relieved
How precious did that Grace appear
The hour I first believed
Through many dangers, toils and snares
We have already come
'Twas Grace that brought us safe thus far
And Grace will lead us home
When we've been here ten thousand years
Bright shining as the sun
We've no less days to sing God's praise
Than when we've first begun
Than when we've first begun
作詞者はジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807) 作曲者は不詳。
アイルランドかスコットランドの民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。
ジョン・ニュートンは1725年、イギリスに生まれた。
母親は幼いニュートンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。
成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに
黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。
当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。
このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。
ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、
1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。
イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。
今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。
敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。
すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。
ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、
聖書や宗教的書物を読むようになった。
また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に
従事し続けた。 のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。
1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。
そして1772年に「アメイジング・グレイス」を作詞した。
歌詞の中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。
彼は、この曲の他にもいくつかの賛美歌を遺している。 (以上、Wikipediaからの引用です。)
讃美歌Ⅱ 167番「アメイジング・グレイス」はココをクリックすると聴くことができます。

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1)我をも救いし くしき恵み
迷いし身も今 立ち帰りぬ
2)おそれを信仰に 変え給いし
我が主の御(み)恵み げに尊し
3)苦しみ悩みも くしき恵み
今日まで守りし 主にぞ任せん
4)我が主の御誓(みちか)い 永久(とわ)に固(かた)し
主こそは我が盾(たて) 我が命ぞ
5)この身は衰え 世を去るとき
喜びあふるる 御国に生きん
「Amazing Grace」の英語の歌詞を載せます。
Amazing Grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost but now am found
Was blind but now I see
'Twas Grace that taught my heart to fear
And Grace, My fears relieved
How precious did that Grace appear
The hour I first believed
Through many dangers, toils and snares
We have already come
'Twas Grace that brought us safe thus far
And Grace will lead us home
When we've been here ten thousand years
Bright shining as the sun
We've no less days to sing God's praise
Than when we've first begun
Than when we've first begun
作詞者はジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807) 作曲者は不詳。
アイルランドかスコットランドの民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。
ジョン・ニュートンは1725年、イギリスに生まれた。
母親は幼いニュートンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。
成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに
黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。
当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。
このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。
ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、
1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。
イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。
今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。
敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。
すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。
ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、
聖書や宗教的書物を読むようになった。
また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に
従事し続けた。 のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。
1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。
そして1772年に「アメイジング・グレイス」を作詞した。
歌詞の中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。
彼は、この曲の他にもいくつかの賛美歌を遺している。 (以上、Wikipediaからの引用です。)
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