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Where there's a will, there's a way.

Yukiの英語学習、読書記録、日常を書いたブログです。

ちょっと遠出をしただけで…

2025-05-11 14:13:09 | 日記・エッセイ・コラム
先週の木曜日(8日)、母とIKEAへ行ってきました。最後にIKEAへ行ったのはコロナ前でしたから、約6~7年ぶりでしょうか。
電車を乗り継ぎ、約1時間で到着。日常の買い物は徒歩圏で済みますし、普段はあまり電車に乗らない私にとってはやや遠出でした。11時過ぎにお店に着いたら、レストランは余裕ですいていました。そこで初めて食べたカレーは、野菜たっぷりなのに癖がなくて美味しかったです。ショールームも小物売り場もすいていて、じっくり見ることができました。いろいろ買い物をして重たい荷物を持って帰ってきて、スマホゲーム「ピクミンブルーム」の歩数を見ると、約7,200歩。普段は多くても5,000歩行くか行かないかですから、いい運動になりました。
その翌日(9日)夕方の入浴直後、急に脚がガタガタ震えだし、涙が知らない間に溢れてきました。母から「救急を呼ぼうか?」と聞かれたのですが、声が出なくなった私は「ノー」と首を横に振りました。髪の毛をドライヤーで乾かした後しばらくベッドで休み、夕食はゆっくりながらも食べられました。
おそらく精神的な疲れがどっと出たのではと思います。IKEAへ行った当日、とある私鉄は扉付近が学生で溢れていて、「うそっ、この中に入るの?」とギョッとしてしまいました。ただ、中は比較的すいていて、「済みませ~ん、奥へ行かせてくださ~い」と言いながら車両の奥へ入っていきました。吊革につかまりながら座席を見渡すと殆どの人がスマホを注視していて、その姿が奇妙に感じられ気持ち悪かったです。数駅目で学生たちがどっと降りてガラガラになり座席に座りましたが、降りるまで長いこと目を瞑ったり床を見たりしていました(目が気持ち悪くなるので電車内でスマホは弄れませんし、本も読めません)。
今も何となく疲れが取れず、昼食後にベッドで休んでいました。しばらく遠くへ行くのは無理そうです。買い物へ行くこと自体は好きですが、人で混雑すると酔ってしまってどっと疲れが出ます。混雑とスマホ注視は慣れるほかないでしょうが、それは百も承知ですし、精神的なものだからどうしようもないですね。

元々は自己肯定感の低い私

2025-04-13 14:55:22 | 日記・エッセイ・コラム
「日経WOMAN」5月号に某ニュースキャスターのインタビューが載っていました。彼は小学生の頃に苛めを受けた理由で自己肯定感が低いとのこと。私も似たような経験があり、そんな暗い過去を何度でも思い出しますし、その度に後悔してしまいます。
褒められた経験が少ないからか、「凄い」などと褒められると素直に受け止められなかったり、「本当にそう思うの?」と疑ったりもします。中学時代、「自慢」だとけなされると思い、自分が刺繍したクッションも友達には「母が作った」と嘘をついてしまいました。また、漢検2級合格者代表として高校の表彰式で前に立つ時も、クラスメートに妬まれはしないかと当日まで黙っていました。今でもSNSなどでコメントを書いたりすると、私の意見は変なのではないか、馬鹿にされてはいないかと時々反応が怖くなることがあります。
英検準1級や漢検準1級受検も少しでも自信を持ちたかったのが理由かもしれません。合格した直後は嬉しかったですけれども、上には上がたくさんいるし、決して自慢できるほどの実力ではありません。それでも受検することで、英字新聞を読んだり、漢字の歴史の本に触れたりするなど、勉強というより趣味に近くなっています。
でも、どんなに辛かったとはいえ、過去には戻れません。過去のことでくよくよせず、今を精一杯生きることが大切なのでしょうね。死ぬ間際に後悔しないためにも「今」を大切にして、自分が本当にやりたいことをしたいです。
最初は嫌だった今住んでいるマンションへの引っ越しも、今では良かったと思っています。今の地域では過去の私を知っている人は誰もいません。引っ越し直前に近所で元苛め側から「やぁ!」と声を掛けられたのは怖かったですし、知らないふりをしてドキドキしながら無視して通り過ぎました。その当時お互い30歳前後でそれぞれの生活があるのに変ですよね。今では勿論、そういうことで怯える心配はありません。


合格証書だけが目的?

2025-04-12 14:02:58 | 日記・エッセイ・コラム
先月、日本語検定委員会から級別に「必修単語集」(2級と3級)が発行されました。残念なことに1級は出ない予定だそうです…(涙)。2級を買ってみたところ、A~Cのランクが付いていて、いわゆる「出る順」となっており、対類語、諺、四字熟語など、カテゴリー別になっています。
また、「日本語検定語彙リスト」が公式サイトにて公開中。現在は2級と3級のみですが、4級~6級も公開予定だそうです。2級と3級については「必修単語集」に収録の見出し語が出ているそうで、例文や意味は本を買って参考にしてほしいとか。東京書籍さん、なかなかの商売上手ですね。
詳細は下記のページに載っていますので、ご参考までに。

●お知らせ
https://www.nihongokentei.jp/news/notice/2025/04_01/

●機関誌「ごけん」巻頭言「今、なぜ日本語検定か?」 
https://www.nihongokentei.jp/organ/introduction/37_r07spr/

随分前にも単語集は発行されているのですが、受検者から「試験から出なかった」などとの声があり、今回発行に踏み切ったそうです。今後の試験については、基本的にこのリストから出題されるということです。
ところで、前々から思っているのですが、「語彙力を高めたい」とか「正しい敬語をマスターしたい」など純粋な目的でなく、単純に「履歴書に載せるために試験に合格したい」という目的の人が案外多いこと。もちろん「不合格になりたい」と思う人はいないでしょうが、合格証書1枚だけの目的って何だろうと疑問に思ってしまいます。もちろん合格を目標にすることは決して悪い事ではありませんが、何だか複雑な気持ちになります。
学校の勉強も「試験でいい点数を取るため」「進学や就職をするため」という人が多く、「ここはテストに出ますか?」と先生に向かって手を挙げる生徒さんも。学校って将来社会で困らないように勉強する目的なのに、いつしかそうなったのでしょう。私は英文科の短大に通っていましたが、心から英語が好きな人は少なく、単に「必要な単位を取って卒業証書を貰う」目的だけで通っている同級生が多かった気がします。
私が漢検や日本語検定の勉強をするのは、漢字や日本語そのものに興味を持っていて、広い語彙力を身に付けることが理由の1つ。これらの資格のおかげで、以前より本や雑誌の内容がスーッと理解できるようになり、多少は表現力も広がりました。たしかに合格証書を貰うのは嬉しいし自信がつきますがそれは通過点に過ぎず、決してゴールではないと思っています。仮に漢検1級に合格しても、それ以降も奥の深い漢字の世界を楽しみたいと思います。






内面の美しさ

2025-04-09 14:00:27 | 日記・エッセイ・コラム
先日、母と一緒に映画「白雪姫」の実写版を見てきました。
主人公を演じた女優さんが白人でないため賛否両論が起きたそうですが、私は全く違和感を覚えませんでしたし、寧ろ原作に忠実だと感じました。日本語吹き替え版で見てもイメージそのままでしたし、劇中の歌声は綺麗で感動しました。
ところで、原作では白雪姫の肌の白さを強調しているかと思いますが、今回の映画では内面の白さを強調していました。たしかに継母(「魔女」と言った方が近いですね)は美しいですが、それはうわべだけ。一方、白雪姫は見た目だけでなく心も美しいのです。
外見の美しさを競っているのはSNSでは顕著です。加工されたメイクにガリガリまでに細い体。特に10代~20代の女性の多くはそれらを見ることで鏡に映った自分と比べて落ち込んだり、挙句の果てに自殺に追い込まれる人もいます。
でもどんなに外見が美しくても、それに中身が伴わないと意味がないのでは? どんなにエステに何万もつぎ込んでも、全身高級ブランドに身を包んでも、心が貧しかったら虚しいだけだと思います。身なりだけが綺麗でも、言葉遣いが荒かったり、マナーが悪かったり、陰口を叩いたり、ネガティブな言葉ばかり使ったりすれば、誰からも好かれないでしょう。
時々、洗面台でハンカチで手を拭く代わりに髪の毛に濡れた手を付ける人がいますが、手に髪の毛の黴菌を付けているようなものですし、見た目も悪いですよね。食事中にスマホをずっと見ている人も多いですけれども、そういう食事はおいしく感じられませんし、食事を作ってくれた人に失礼だと思います。そういう小さなことからでも本当の性格が表れるものですよね。
別にウン万もするブランドの服でなくても、それこそ全身ユニクロの服を着ても見た目の感じがいい人ってたくさんいると思います。小綺麗にしているそういう人って意外と内面も美しいのかも。ご近所さんに挨拶をしたり、ベビーカーを押す人に「お先にどうぞ」と譲ったり、少しのことでも随分違うと思います。私も失礼な人だと思われないように、内面も磨いていきたいです。

あまりにも歌が素敵だったので、サウンドトラックCDを予約しました。

最近ではCDを買うことがめっきり減りましたが、劇中の歌は本当に良かったし、何度も聴きたくなりました。

あの頃は大変だったけれど…

2025-03-31 14:33:11 | 日記・エッセイ・コラム
先日、「NTTドコモ 歴史展示スクエア」へ行ったお話をしましたが、その時の写真を再投稿します。

はい、ドコモの携帯、「D502i」です。何が言いたいかといいますと、この携帯とともに暮らした約1年間(2000年春~2001年春)が大変だったけれど、非常に充実していたのです。このカタログを見ていて、その当時のことをいろいろ思い出しました。
2000年を迎えたその当時、コンビニのデザート工場でアルバイトをしていましたが、それがかなりの肉体労働でしたし、何しろ人使いが荒い。1度も褒められたことがなくむしろガミガミと叱られてばかりで、「馬鹿野郎!!」などと怒鳴られたこともあります。それにある女性パートさんには目をつけられて、さんざん嫌われる始末。ある男子高校生のアルバイトさんは煙草を吸っていましたが、周りのパートさんも喫煙者ばかりだったこともあって全く注意もなし。正社員の高卒の女の子たちは朝8時から働いて、帰る頃には深夜近くになったこともあったそうです。39度近くの熱でも出勤させられていた社員さんも。そんな過酷な仕事で親から会社へ苦情の電話も多々あったとか。当然人の入れ替わりが激しく、1日で辞めていく人もいました。
その合間に英検準1級合格を目指して毎週土曜日に英語学校へ通って勉強していました。単語テストの準備や予習復習が多くて大変でしたが、それでも何とか授業にはついていこうとしました。私以外の生徒さんもそれぞれ仕事や学業などをこなして、きつかったこともあったかと思います。目標があったから仕事も勉強も頑張れたのかもしれませんね。その結果、4回目の挑戦で英検準1級に合格。TOEICスコアは735点を取りました。それから数ヶ月後、工場のアルバイトを退社しました。
退社して約1週間後、登録していた派遣会社の紹介で、某インターネットプロバイダー会社で事務のアルバイトを始めました。残業が多く、帰りが夜11時になったことも。疲れが取れずに日曜日はぐったり。当然英語の勉強どころではありませんでした。ストレスで体調を崩し、約半年で退社しました。
今思うと、その時が英語学習でいちばん仕事との両立が大変でした。当時はまだ20代前半でしたし、若いからできたのではと思います。大変ながらも英語の勉強だけはやめたいとは思わず、それがあったこそ辛い仕事も乗り越えられたと思います。
旅行でも勉強でも、やりたいと思ったら、先延ばしせずにすぐに実行した方がいいと思います。特に比較的体力も時間もある若い人は即刻始めるべきですし、何度失敗してもやり直しがききます。20代前半だった当時の私もその後に精神障碍を患うとは思ってもみなかったし、早くから勉強して良かったと思います。何か1つでも打ち込めるものがあると、退屈だった生活がガラリと変わります。

スマホ・ゲーム依存、問題は子どもよりも大人

2025-03-28 14:29:11 | 日記・エッセイ・コラム
先日、こんな記事を読みました。

ゲーム依存で昼夜逆転になった高1男子「しょうがないから続けている」…両親と会話が増えたワケ
https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20250124-OYTET50006/

最近、スマホ依存やゲーム依存の子どもや若い人が多いと聞きますが、私は大人や親も他人事でないと思います。
記事によると、ゲーム依存になってしまった息子さんが病院に連れてこられ、両親が「ゲームを一切禁止」などと厳しい言葉をかけたそうです。でも、それよりも問題なのは両親がスマホ依存だということ。息子さんが「お父さんとお母さんだってずっとスマホ見ているじゃん、それはいいの?」言うのに対し、両親は「大人だからいいの」と、自分たちのことを棚に上げています。それでは息子さんは納得しないはずですよね。
周りを見ると子どもと手を繋ぎながらとか抱っこしながらベビーカーを押しながらスマホを見ている親が多いこと。食事をしながらずっとスマホを見ている親もいます。そんな親を見て子どもが育つのですから、子どももスマホ中毒になるのは当たり前かと。スマホはマナーを守って使うものだとまずは親が見本を見せないといけませんよね。
それと、息子さんはこんなことを言っています。
「ゲームは面白さがあってやっているというよりも、しょうがないからやっている。でも自分にとってはそこでのやり取りが唯一の居場所になっている。学校には行けないし勉強もわからない。今の状況は自分でもまずいと思っている。でもどうしたらよいのかわからない」
居場所が分からない。それではゲーム依存から抜け出すのは難しいですね。単にゲームを取り上げるだけでは解決できませんし、もしそうなっては居場所がなくなってしまいますから、余計に事態は深刻になるでしょう。親だけで一方的に決めず、子どもと相談して双方が納得した上でスマホやゲームのルールを決めた方がいいですね。この家族の場合は親と息子さんのコミュニケーションが上手くいっていなかったのかもしれません。
別にスマホやゲームが悪者とは言いません。スマホで英会話やヨガのレッスンが受けられますし、ゲームでも「桃太郎電鉄」で地理を覚えたり、「どうぶつの森」で虫や魚などの生き物に興味を持てたりと、使いようによってはいい方向に進めます。スマホが登場したのはほんの最近ですし、大人も子どもも正しい付き合い方が十分に分からないのでしょうし、「スマホは何歳から使えばいいのか」「幼い年齢からスマホを使うことによる将来への影響」などもはっきり分かっていません。
結局例の息子さんは通信制の高校へ転校し、将来はゲームの仕事に携わりたいとのことでした。本人だけでなく親も協力してデジタルデトックスを始めたのが功を奏したのでしょう。家族揃ってスマホ・ゲーム依存から脱却したのでした。子どもがゲーム中毒なのは、本人だけでなく親の問題でもあるかもしれません。

NTTドコモ 歴史展示スクエア

2025-03-24 14:34:52 | 日記・エッセイ・コラム
両国国技館近くの「NTTドコモ 歴史展示スクエア」(入館料無料)へ行ってきました。最寄りはJR総武線(各駅停車)または地下鉄大江戸線の両国駅です。
早速駅を出ると、駅の看板が江戸文字とは珍しい。思わずスマホカメラのシャッターを切りました。

駅前のコンビニも白の代わりに黒が基調になっています。

6~7分ほど歩いて到着。

中へ入ると「ドコモダケ」がお迎えをしてくれました。

歴代の携帯電話がズラリと展示されていました。一部の機種は実際に触れることができます。
初期の携帯電話。持ち運べるしたしかに「携帯」できないことはありませんが、かなり大きいですね。

1992年発売の携帯電話。ちなみに私が「英検デビュー」した年でもありますが、それから30年以上経ってしまったのですね。時代を感じます…。

今ではサービス終了となったポケベル。1990年代、女子高生の間で流行りましたね。私はポケベルを持ったことがありませんが、短大時代の休憩時間、メッセージを入れる目的で、公衆電話の前には学生の長い列が出来たものです。

いよいよiモード携帯が登場。来年の3月末をもってiモードサービスは終了とのことですが、小さな携帯電話1つで簡単にインターネットに繋がるサービスによって、携帯電話サービスが大きく変わったことには間違いないでしょう。

それから数年後にカメラ付き携帯が登場。今からすると画素数はおもちゃ並みですが、当時としては画期的でした。

残念なことに、展示されているのは全機種ではないのです。私が「携帯デビュー」の時に持った「D502i」はありませんでした。
カタログのコーナーもありました。しかもかなりの量ですから、時間がいくらあっても足りないかも。2000年代はこのように、各携帯会社から毎月カタログが発行されていましたよね。私もそれを見ながら機種を選んだものでした。

当然、私が初めて持った機種「D502i」も載っていました。

「カラー」と書かれていて、若い人は「へっ?」と思われているかもしれませんが、その頃はモノクロ画面が当たり前だったのです。この機種がカラー画面の初期でした。「カラー」と言っても256色と今思えばかなりしょぼいですが、それでも最先端でした。この機種を持っていた頃は嬉しいことも悲しいこともいろいろな思い出があるのですが、それだけで記事が1本書けてしまいますのでまた別の機会にします。
これも思い出の機種の1つの「D251i」。初めてのカメラ付き携帯でした。

カメラは17万画素。付属のメモリースティックDuoは8MB(1024MB=1GB)。今では1,000万画素を余裕に超えますし、外部メモリーもGBが当たり前ですから、時代を感じますね。その直後あたりにお馴染みの「QRコード」が登場したかと思います。カメラ付き携帯の機能を使ってデータを読み込むアイデアはさすが日本人。
各機種の画面の原寸大です。2000年代前半ですが、今からすると画質はかなり粗いです。若い人からすると「エモい」ですよね。

初期のショルダーホンです。重さは何と2.5kg。500mlペットボトル5本分の重さですから、これだけも相当な荷物になっちゃいますね。

1時間半くらい滞在したと思いますが、過去のカタログなどが見られて楽しかったです。やはり初めて持った携帯電話が載っているカタログを見つけた喜びは大きいです。今ではもはやインフラとなっている携帯電話。これからもどんどん進化し続けることでしょうね。

他人を攻撃しても自分が苦しむだけ

2025-03-18 15:00:15 | 日記・エッセイ・コラム
先日、自宅近くを歩いていた出来事です。
こちらへ向かってくる若い女性が「歩きスマホ」をしていてぶつかりそうになり、彼女は「びっくりした~」と呟きながらそのまま目をスマホに落としながら通り過ぎて行きました。つい「スマホを見ながら歩いているあなたが悪いんでしょ」と言いたくなりましたが、そこは我慢しました。
その数分後、また別の女性が歩きスマホ。カッとなってしまい、すれ違った際につい彼女の右側の肘をわざとガンとぶつけてしまいました。一瞬「あんな奴報いを受ければいい」とすっきりしましたが、その後は逆にモヤモヤして後悔でいっぱいでした。今回は彼女も私も怪我をせずに済みましたが、もし彼女がスマホを落として故障させてしまったりしたら、今度は私が悪人になってしまいます。
そんな中、漫画家Jamさんの著書に書かれている言葉を思い出しました。以下引用です。

「仮に相手に同じことをやり返したとしても、心底スッキリはしないと思います。
なぜって、それは自分が嫌だったはずの嫌なやつそのものだから。」

「いつまで心の中に嫌なやつの居場所をあげるの? ずっと一緒に住むの?」

「通りすがりの赤の他人は『野良人間』だと思いましょう。気を使うような関係を築けていない野良ちゃんだから仕方がないんです。」

悪人のために自分まで悪人になる必要はないと思います。そんなことでイライラする時間があるなら、もっと自分が好きなことを考えた方がよほどいいです。時間って無限にあるわけではないし、悪人のために時間を無駄にするなんてもったいないです。
それに、危険を冒してまで歩きスマホをするなんて完全な「スマホ中毒」ですし、碌な人ではないと思います。母も「そんなことするなんて頭がおかしいのよ」と言います。おかしな人だから暴力を振るうかもしれませんし、こちらが危害を被らない限り、そんな人は相手にせずに放っておくしかないと思います。
悪い事をすれば必ずその報いがやってくる。そう信じて、自分から悪人にならないように気を付けたいですね。

再三のお願いですが、歩きスマホは危険なので絶対にやめてください。被害者にも加害者にもならないために。

引用したのは下記の2冊です。4コマ漫画だけ読んでも言いたいことが伝わってきます。



伯父との別れ

2025-02-25 14:11:13 | 日記・エッセイ・コラム
16日(日曜日)の午前3時半過ぎ、老人ホームに住んでいた伯父が病院で亡くなりました。享年78歳でした。
以前から病気はあるものの、1ヶ月前までは何とか元気に暮らしていて、救急に運ばれる前日(1月27日)はケンタッキーのチキンを食べられるほどでした。それがその日の深夜3時頃に病院へ運ばれたのですから、とても信じられませんでした。
死因は肺炎と心不全。亡くなる前日に母が面会へ行ったところ、伯父はかなり息苦しそうだったとのこと。入院してからずっと酸素マスクを着けていたそうですし、もう老人ホームには戻れないのは明らかでした。
納棺の際に久しぶりに伯父の顔を見ましたが、最後に会った日に比べてかなり痩せていました。ただ、苦しそうな顔はしておらず、安らかに眠っていた印象でした。お気に入りだった胸ポケットの付いたポロシャツとパンツを着せてもらい、伯父の好物だったカップラーメンと揚げせんべいを一緒に入れました。その服を着た姿を見て、母と妹は生前の伯父そのままだと言っていました。
23日(日曜日)に伯父の葬儀と火葬が静かに行われました。喪主の母はもちろん、北関東に住んでいるもう一人の伯父、そして伯母が駆け付け、妹家族4人も参列しました。天国にいる伯父は集まった私たちに見届けられ、きっと「ケンタッキーフライドチキン天国店」でチキンを頬張りながら喜んでいたでしょう。
その翌日、カルディへ寄ってみると、伯父がよく食べていた「ウォーカー」のチョコチップクッキーが売られていましたので、一袋買ってリビングに飾ってある伯父の写真の前に添えました。
現役時代はバリバリの会社人間でしたが、定年後は最後まで好きなものを食べながらのんびり過ごせてきたので良かったのではと思います。とりあえず、78年間お疲れさまでした。

女子高校生と高齢者との会話

2025-01-30 13:56:49 | 日記・エッセイ・コラム
某激安スーパーへ行った時の出来事です。
そのスーパーは近くに高校があるのですが、そこの学校の生徒と思われる女子高校生を何人も見かけました。あの時間はたしか午前11時頃。おそらくもうじき卒業を迎える3年生の登校日だろうと思われます。
いろいろ買い物をしながらお惣菜売り場へ向かうと、10代の女の子と思われる笑い声が聞こえてきたのです。よく見ると高校生数人と高齢の夫婦が会話をしていたのです。何を話していたのかは分かりませんでしたが、楽しそうに話していました。そして別れる際には高校生が元気よく「ありがとうございましたー」と挨拶をしていきました。その様子を見て何だか心が温まりました。
最近では赤の他人同士、特に年齢が異なると、お互い会話をすることは少なくなっています。せめて同じマンションの居住者同士で「こんにちは」と挨拶する程度でしょうか。防犯上から最近の小さな子どもたちは「知らない人に声を掛けてはダメ」と注意されていますし、高齢者も「最近の若者は何を考えているのか分からないし怖い」と感じていることでしょう。それに高校生くらいですとスマホでのやりとりは多くても、リアルではコミュニケーションが苦手な子も多いでしょう。
世の中が物騒と言われて久しいですが、同世代や年齢の異なる同士でもう少しお互いのコミュニケーションがあってもいいのではと思います。挨拶だけでもいいので声を掛け合えば犯罪も減るのでは。私が子どもの頃は小さな個人店が多く、母はお店の人ともよく会話をしていましたが、今ではセルフレジが増えてそんな会話もめっきり減りました。たしかに効率化はされますが少し寂しいですよね。