国道165号線を桜井から長谷方面にしばらく走ると、慈恩寺という交差点にさし掛かる、この交差点の次が慈恩寺北の信号、このあたり左山手の一帯に慈恩寺という集落がある。
この集落の会所のそばに玉列神社(たまつらじんじゃ)と言う三輪大社の摂社があって、椿の名所としても名高い。
この慈恩寺は、南北朝時代には、南朝方の支配下にあったそうで、集落名の由来となった慈恩寺は、玉列神社の神宮寺だったそうで、創建の時期は明らかではないのですが、南北朝の争乱によって廃寺の憂き目に会い、現在は阿弥陀堂一宇を残すのみと成っています。
玉列神社の参道右側に阿弥陀堂の小さな境内があって、小石仏の並ぶ庭にこの古老なケヤキが斜め前にせり出す形で立ち尽くしているが、あまりいい姿とはいえない、一口で言うと「チビデブ」、しかし枯淡なこの「チビデブ」さが見事です。
境内から向かって左側から見る主幹は、ほとんど洞状態、表皮を残して「枯れ死」しているように見えるが,大きな脇枝1本から多くの小枝を伸ばし、葉をいっぱいに広げていて、見た目よりは元気な様子です。
いつの日にか、このケヤキの巨木に落雷があって、今のような樹姿に成ったようで、「雷の落ちた木」と言われていて、奈良県の保護樹木に指定されています。
樹齢900年、樹高15m、幹周り6mと、ずんぐりむっくり、ちょっと可愛そうな状態にはなっていますが、樹木医の手入れも入って枯れ死の心配はなさそうに見えました。
撮影2006.9.9