トレイルを走ろうよ

幾つになってもトレイルラン

遅ればせながらSTYの記憶

2012-05-26 07:33:45 | 
一週間前を思い出させる青空と5月の風。

ブログは日記なので、後々のことを思い、一週間前を思い出し、STYのレポートを。

18日の金曜日は、仕事を1時間早く切り上げ、新幹線で新富士に向かい、そこからタクシーで富士駅前のビジネスホテルへ。
新幹線を待つホームで揺れが、そう地震が。ちょっと嫌な予感。
新富士駅を出ると正面に大きな富士の山が。
今あそこをUTMの選手が走っていると思うと、思わずゾクゾクしてくる。
ビジネスホテルでは、心地良く眠りにつくことができた。

翌19日、午前6時にホテルを出ると既に何人かの選手がバスの集合場所に集まっている。
定刻6時30分をちょっと過ぎて、2台のバスは「富士山こどもの国」へ。

青い空と大きな富士山、豊かな緑。
ついついのんびりした気分になってしまう。
荷物チェックも終わると、後はやることがないので、スタートまでは会場をぶらぶら。

STYのトップ予想タイムは10時間弱。
ハセツネの3割増ぐらいなので、完走を目標に、出来れば22時間(20日8時)を目指し午前10時にスタート。
最初のロード、スピードは出ないが、やたらと暑い。
マイペースで走っていると、前方に歩いている選手が。「もう歩いているの?」と思ったらUTMFの選手。
既に一晩を越している選手たちの姿を見ると、こちらも身が引き締まる。
ロードから林道、そしてトレイル。
淡々と走っていると、程なく北山の給水所ポイント。

暑いので、何倍も水のお代り。
ここから先は送電線の鉄塔をつなぐトレイル。
登り下り、歩き走りの繰り返しが続く。
再びロードに出て、暫く行くと選手で混み合うA8の西富士中学校に到着。

富士宮名物の焼きそばだが、胃の調子が今ひとつで残してしまう。
オレンジとお汁粉は大量に胃の中に。
また、夜の寒さに備えモンベルのジオラインの長袖を着る。
荷物チェックも時間が掛かったので、エイドにいたのは40分くらいか。
さて、この先はいよいよ天子山塊。

今回は職場からの直接参加なので、荷物の一部を先に宅急便でホテルに送った。
その中にマップも入れていたので、天子山塊の山名も昨日ホテルで覚えただけ。
登山口からストックを出し、いよいよ天子山の登りに。
そろそろ登りが急になり掛けたころ、ブログでお知り合いの「hi」さんに出会う。
UTMF参加なので、足がきついとのことだが、着実に一歩一歩を登っている姿に元気をもらう。

上に行けば行くほど、天子の登りはきつい。
漸く天子の山頂。
ここで腰を下ろし、暫し休憩。
天子から長者までは、結構走れる区間。
「天子山塊は思ったほど…」と思ったのは大きな誤りであったことに気がつくのには、時間がかからなかった。

天狗岳には、地元山岳会の人たちか、テントを張ってコース案内。
「これから本番だよ」と言われ、天狗岳を後にすると道もワイルドになってきた。
アップダウンがきつい上に、道もよくないので、ボディブローのように、じわっーと足に効いてくる。
薄暗くなるころ、熊森山に到着。
ここでのペットボトルは感激もの。よくここまで運んだと、誠に感謝で頭が下がる。
ヘッドランプを準備し、夜間闘いに突入モード。

ここからの下りは正直「何これ!」といった感じ。
登りよりも時間が掛かる下りは滅多に体験できない。
ひたすら我慢、我慢で地蔵峠を通過し、毛無山の登りへ。

この先の本栖湖で出会った人が「天子山塊は三頭山二回と御前山の登りくらいある」と言っていたが的を得ている。
毛無山まで来ると、「最高峰なので後は下りだけか」と思ったのが大きな間違え。
ここまで何回か転び、脛には大きな傷を作ったが、雨ヶ岳の下りでは転んだ時に、変な金属音が…。
ストックを見ると曲がっている!
「カーボンは軽いが弱い」を身を持って体験することに。
下りで疲れ果て、ようやく平坦ななって目の前を見ると、黒い塊にライトの群れが…。
これが竜ケ岳。思わず立ち止まりため息とともに、腰を下ろし大休止。

登り始めるが、足は売り切れ状態なので、前には徐々に離され、振り向くと光の列。
何度か道を譲り、だだっ広い山頂へ。
街の灯が見えるとホットする。
ここからの下りは、普通の下りになるが、何気に渋滞気味。
10数人先の人がネックになっている模様なので、徐々に抜かさしてもらって、その後は本栖湖のA9までは快適に下る。
走れる下りは、やはり気分が良い。

本栖湖のエイドはカレーがメインだが、胃が不安なのでパス。
カレーとは別メニューの山かけ丼?は美味しかった。
普段食べている薄皮クリームパンやバナナなど、お腹いっぱいに。

さて、これからとの思いと裏腹に、ロードでは走る気力がまったくなし。
樹海は走れるのだが、その後の長いロードも歩きに。
やがて、空が白み始め、明るくなり鳴沢氷穴に。

ヘッドランプをしまい、ゴールを目指す。
紅葉台から五湖台へ。
結構足にきており、UTMFの選手にもかなり抜かれる。自分の倍走っているのに…。

朝の澄んだ大気の中の五湖台からの河口湖の眺めは、長かったSYTの最後に相応しい眺めだった。
たとへUTMFの半分であっても「漸くここまで」との思いはある。

最後の河口湖畔。最初は走れたが途中から歩きに。
前方にUTMFの選手がストックをつき、若干足を引きずり気味に。
追いぬく時に、選手を見ると自分よりは年配に違いない。
150km以上、出てくる言葉は「凄い」の一言だけ。

いよいよゴールもすぐそこに。応援も増えてきた。
最後は走らなければ。
最後のコーナーを回りゴールが見えてきた。
嬉しいよりも、「漸く終わる」が正直な感想。
21時間18分。「漸く終わった」
ゴール、そして57歳の最高の誕生プレゼント












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