前回の記事でミカエルと竜の図を添付したが
頭の個数を数えていただくと分かるように7個となっている。
どうもキリスト教では七つの大罪という様に7が使われるようだ。
ところが日本ではヤマタノオロチは八頭の八面八首となっている。
龍樹とコブラの図01 No055でも記載しているが
この七から八への変遷が気になる。
気になる理由は、なぜ仏教が八を重視し八大龍王神が生まれたのかということと
日本のヤマタノオロチの歴史の時間軸の前後関係をはっきりさせたいからである。
インドでの竜の原型は七頭一胴のコブラのようだ。
アジアのアンコールワットでもナーガは七頭一胴だ。
インドにアーリア人が進出するのは紀元前1500年頃だという。
インダス文明というのも紀元前2600年から始まっている。
七頭一胴の蛇はアーリア人が持ち込んだものであろうか、
あるいはインダス文明に存在したのだろうか?
中国のナーガ信仰はすでに紀元前1000年までには南方より伝わってきているが、
これはアーリア人の進出によりトコロテン式に追い出された
ドラビタ族によるものという話もある。
しかし中国で複数の頭を持つ蛇や竜を探し出せていない。
いったいこの七頭一胴のコブラの信仰は
どういう経緯で出来上がったものであろうか?
この七頭一胴の蛇のデザインは西洋にまで広がったものと思われる。
そしてキリスト教により異教徒の神として貶められる。
それはフェニキアの神であるとされるバアル神も同じである。
バール・ゼブル=王子バールは悪魔であるベルゼブブ=蝿の王とされてしまった。
ヘブライ人がいう悪魔はこのバアル=ベルゼブブであろうが、
ラテン語のルシファーLuciferは明けの明星である金星神である。
金星神を調べるとウガリット神話のシャヘルなどが見つかったが
メソポタミアの金星の女神イシュタルの伝承には冥界下りの話があり興味深い。
また日本の鞍馬寺では金星から魔王尊が降臨したという伝承があるが
どの神もキリスト教でいう悪魔のようにおどろおどろしくはない。
しかし金星神であるルシファーが七頭一胴の蛇のデザインとされたのは
七頭一胴の蛇がどこかで竜とされた背景があるはずである。
もともと中国の龍は一頭一胴であり西洋の竜もそう描かれるものが多い。
キングギドラのような竜のデザインの発祥はどこなのだろうか?
これにこだわる理由は
仏教でいう八大龍王神は別々の八神であるが、
八大龍王神の一人ともされる和修吉竜王は日本では九頭龍神とされ頭が九つである。
しかし太古に頭が八つの八頭龍王神が地球を修理固成させたと感じているからである。
もともとの太古からの神霊的な原型に八頭龍王神が存在するはずである。
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頭の個数を数えていただくと分かるように7個となっている。
どうもキリスト教では七つの大罪という様に7が使われるようだ。
ところが日本ではヤマタノオロチは八頭の八面八首となっている。
龍樹とコブラの図01 No055でも記載しているが
この七から八への変遷が気になる。
気になる理由は、なぜ仏教が八を重視し八大龍王神が生まれたのかということと
日本のヤマタノオロチの歴史の時間軸の前後関係をはっきりさせたいからである。
インドでの竜の原型は七頭一胴のコブラのようだ。
アジアのアンコールワットでもナーガは七頭一胴だ。
インドにアーリア人が進出するのは紀元前1500年頃だという。
インダス文明というのも紀元前2600年から始まっている。
七頭一胴の蛇はアーリア人が持ち込んだものであろうか、
あるいはインダス文明に存在したのだろうか?
中国のナーガ信仰はすでに紀元前1000年までには南方より伝わってきているが、
これはアーリア人の進出によりトコロテン式に追い出された
ドラビタ族によるものという話もある。
しかし中国で複数の頭を持つ蛇や竜を探し出せていない。
いったいこの七頭一胴のコブラの信仰は
どういう経緯で出来上がったものであろうか?
この七頭一胴の蛇のデザインは西洋にまで広がったものと思われる。
そしてキリスト教により異教徒の神として貶められる。
それはフェニキアの神であるとされるバアル神も同じである。
バール・ゼブル=王子バールは悪魔であるベルゼブブ=蝿の王とされてしまった。
ヘブライ人がいう悪魔はこのバアル=ベルゼブブであろうが、
ラテン語のルシファーLuciferは明けの明星である金星神である。
金星神を調べるとウガリット神話のシャヘルなどが見つかったが
メソポタミアの金星の女神イシュタルの伝承には冥界下りの話があり興味深い。
また日本の鞍馬寺では金星から魔王尊が降臨したという伝承があるが
どの神もキリスト教でいう悪魔のようにおどろおどろしくはない。
しかし金星神であるルシファーが七頭一胴の蛇のデザインとされたのは
七頭一胴の蛇がどこかで竜とされた背景があるはずである。
もともと中国の龍は一頭一胴であり西洋の竜もそう描かれるものが多い。
キングギドラのような竜のデザインの発祥はどこなのだろうか?
これにこだわる理由は
仏教でいう八大龍王神は別々の八神であるが、
八大龍王神の一人ともされる和修吉竜王は日本では九頭龍神とされ頭が九つである。
しかし太古に頭が八つの八頭龍王神が地球を修理固成させたと感じているからである。
もともとの太古からの神霊的な原型に八頭龍王神が存在するはずである。
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また、これは蘇我のDNA的な感想ですが、多様性に富むものを好み、きっと一神教ではなかったようにおもわれます。中臣はその逆。で、蘇我は祭祀で大天使ミカエルを守護天使として地球最大の荒ぶる竜神パワーをコントロールしていたのかなと。吉野で知った雨乞い祈祷=降雨止雨の手法のうち、雨乞いはわざと自然を穢し神々を怒らせて=自然浄化作用(宇宙の法則)をつかって災害を起こしていたとされます。これは奇跡とかじゃなくて 人間の自然治癒の方法 ホメオパシーや整体にもあるように 理にかなってると思います。しかし経済至上主義社会でこの方法があまりにも濫用されたた上に、災害がおきないようにと人間の浅はかな智恵で自然の浄化作用を止めてしまったことで悪化したようです。原理は風邪薬や鎮痛剤の濫用と同じ。なので、人類が恐怖を誤魔化し封印することを降参し、恐怖の原因と向きあうべしです。恐怖を脱却したら地球は一気に癒しに向かうと思われます。やはり何よりもおそれるべきものは自分自身の想念ですよね。そうしみじみおもいます。
蘇我の祭祀方法が、
「大天使ミカエルを守護天使として地球最大の荒ぶる竜神パワーをコントロール」
というのは、なかなかいい感じですね。
荒ぶる竜神が姫神だとすると、ちょっとばかり亭主関白ですが。
そうなればスカッと解決出来そうな氣がします。
鯛焼きをいつも買ってたのは私。お父さんがお菓子ばっかりせがむクセは私がつくってしまった。お母さんがいけなかったのよね。とそれを解決してくれたのは 生のフルーツでしたから、な楽園に戻る鍵は「リンゴ」(酵素と果糖ビタミンフィトケミカルetc)がキーワードのようです。奇跡のリンゴの木村昭則さんが最近注目をあびているように。アダムとイブは毎朝のハムエッグをやめて 毎朝フルーツをたっぷり食べ ほほえみ合って楽園にかえりましょう。
高校から高千穂神社の弓道場に行く
道の脇にヤマタノオロチ退治にまつわる
祠のようなものがありました。
高千穂といえば天孫降臨と
天岩戸がなんといっても有名名所ですね。
しかし高千穂神社のような大杉が
なんで天岩戸神社に無いのかが不思議です。
むずむずするもどかしい感じなのは、おそらくそのお知らせとは別に、肉体を持った人間側の論理もわかる。けれど人間側の論理を押し通したら簡単に未来が絶たれる。でも・・・という悩ましい状況だからなのでしょう。ある意味、イツキヤマト大神・ハミト大神・ハズキ大神の祭祀の特徴かと感じています。
神恩感謝は毎日していますが、他の祈願は自分の中に迷いがあるときはしていません。なかなか葛藤から抜け出せませんね。偽善よりはいいかと自分を納得させていますが。
幻想動物の事典 様より
http://www.toroia.info/drakon/index.php?%E9%80%80%E6%B2%BB%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%A4%9A%E9%A0%AD%E8%9B%87-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB
ただし、上記よりも仏教の方が古いですかね・・・。
ご記事の七頭一胴のコブラは威嚇しているキングコブラのようにも見えますし。コブラは砂漠の蛇神、深沙大王とも関係しますか。
弓梓弓と水の女神 断片集16 神の雫 No187
で吉田様が言及されている「渇き」と「潤い」。
封じられた大地母神とそこから産まれる水の女神。
なんだか龍宮って大地の宮でもある気がするのですが、このあたりの説明は上手く言葉が出てきません。
年代を読み間違えてました。失礼しました。
5000年前ですとちょうど火焔型土器の全盛期くらいでしょうか。
円筒印章は横向きの図柄なんですね。エジプト文明とかメソポタミア文明とか皆横向きで2次元的ですね。火焔型土器や土偶などは立体で3次元的。
この違いは何なのかなぁ?