吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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呉の太伯を祀るという鹿児島神宮に参拝 No406

2015-08-11 23:52:18 | 神霊界考察
筆者にとって『呉音霊を考える No402』の呉音霊の感応は強いのだが
この稿のみで完結する予定だった。
次稿の『香春の呉音霊 No403』の中身の詳細は
文章を書き始めるまで自分でも全く繋がりが判らなかったが
香春の奥底に呉音霊の封印を確認する事ができた。
『兎に角カッパ No404』で香春の産銅は宇佐の産鉄に結びついた。
そして最終的に自分のやるべきことをまとめたのだが、
その実現のため呉音霊の源流たる呉の太伯の霊流を探っていた。
ネット検索で鹿児島神宮に唯一 呉の太伯が祀られていると聞いて
昨日参拝してきた。
    


ところが結果としては鹿児島神宮には呉の太伯は祭祀されていなかった。
御朱印を戴く際にも確認したのだがそういう話は無いと言う事だった。
その代わり邪馬台国の女王の卑弥呼神社があった。
卑弥呼の封号は親魏倭王であり呉の太伯との相性は良くなかろう。

ネット検索では鹿児島神宮の太伯祭祀は『神社啓蒙』に記載されているというので
それで事実関係を調べてみた。

 

後半部分を拡大して鹿児島神宮のところを読んでいただきたいが
残念な事にどこにも太伯は出てこない。

ここに出てくる陳王の娘の話は重要で
この鹿児島神宮は宇佐八幡宮に対して大隅正八幡宮と過去言われているのだが
この大隅正八幡宮の八幡神伝承については
「継体天皇の御世、中国の陳大王の娘の大比留女(おおひるめ)が
七歳にして朝日を受けて懐妊し、生まれた子と共に空船(うつろふね)に
乗せられて流され、大隅八幡崎に着いた。
生子はここで正八幡となって隼人を討ち、
生母は筑前香椎に飛んで聖母大菩薩となった」という。 ※八幡愚童訓
この筑前香椎宮の聖母大菩薩は神功皇后のことである。

この文章を信じると大比留女=神功皇后≒卑弥呼という関係になる。

この大隅正八幡宮と宇佐八幡宮は元祖争いをしているようなのだが
なぜそのようなことになったのかというと
香春神社の宮司家の桑幡家が下向して鹿児島神宮の
初代宮司となっているからと思われる。
桑幡家は秦氏なので秦氏としての役割を果たしたという事と
香春と宇佐で秦氏内部での元祖に対する自負があったものと思われる。

ウイキペディアに鹿児島神宮には呉の太伯が祭祀されていると
記載した人間の気持ちからいえば切ない願いのように思える。
国内での呉の太伯の祭祀は未だ見つからず。

余談ではあるが
香春神社の宮司家は一般には赤染氏と鶴賀氏となっている。
桑幡家がどこに繋がるのかは分からない。
ただ鶴賀氏は都怒我阿羅斯等を祭祀している系統と思われ
呉音霊の秘密を握る一族であったと思われる。

香春にて祭られている辛国息長大姫大目命はもともと
鹿児島神宮に祭られていたという情報があるが
だとすると辛国息長大姫大目命=大比留女=神功皇后ということになる。
これは呉の太伯の渡来より数百年は時代が新しい話だ。
辛国と辛島は類似しているところがあるが
辛島氏については和銅5年(712年)宇佐が官幣社となっているが
辛嶋勝乙目が祝、意布売が禰宜となったという。

      
宇佐八幡宮彌勒寺建立緣起 (大日本古文書から)
最初のページに辛國宇豆高島峯降臨の後の小文字文章で
大隅国曽於郡韓国宇豆峯神社のことが記載されている。
この神社は式内社で鹿児島県霧島市の韓国宇豆峯神社のことと思われる。
『続日本紀』によると、和銅七年(714)大隅国設置の翌年に、
豊前国から二百戸(約5000人)の民を隼人を教導するために移住させており、
その時に彼らが奉斎する韓国神を遷座させて建立したものと伝わっている。
『宇佐記』によると、「欽明天皇三十二年(571)豊前国宇佐郡菱形池の上の小椋山に
祀られたのを当地宇豆峯の山頂に遷座され、
さらに国司の進言により永正元年(1504)現在地に奉遷した。」との記録がある。

先に霧島の逆鉾について呉音霊祭祀と記載しているが
どうも呉音霊は鹿児島神宮ではなく
この大隅国曽於郡韓国宇豆峯神社に鎮まっていたように思える。
この神社の感応を読み解いていたら呉汁がイメージされた。
呉汁は熊本や鹿児島でよく食される郷土料理である。
呉汁について検索してみると
呉とは大豆を水に浸し、擂り潰したペースト状のもののことらしい。
呉汁の「呉」は「ご」の音からの当て字で、
漢字の「呉」に深い意味はなく、
呉の国(中国)から伝わった料理という訳でもないとある。
しかしねばねば ヌルヌル好きは呉人の特徴で
大豆からはねばねばの納豆もできる。
辛国の宇豆=大豆を捏ねる様が頭を渦巻く。
呉汁と呉人の真実はどうであろうか。

また陳(ちん、紀元前1111年 - 紀元前479年)とは
春秋時代の中国の国の一つ。
国姓は嬀。五帝の一人である舜の末裔とされている。
紀元前479年に楚の恵王によって滅ぼされている。



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角ガッパ 補足写真 No405

2015-08-11 00:54:09 | 神霊界考察
ここではカッパが渡来人であるという事は既知の事実としている。

     
『放射角』

    
『角光』

    
『丸頭光』

          
『トンスラ』

    
『ヒョウスベ』

    
『トンスラ鬼瓦』


『トンスラ牛』

以下は参考までに


『蚩尤』

 
『神農』

    
『呉の太伯はすべて被帽』
帽子を取ったらそこには角があるような気がしている。

















日本での呉音霊イメージ


あるいは呉爾羅



『ノア 約束の舟』の岩獣


上記はまちがいなくたたら製鐵のイメージを内包している。

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