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2017徳川2代秀忠、皇女和宮などを祀る徳川将軍家菩提寺の増上寺を参拝

2017年05月24日 | よしなしごと

2017.4 徳川将軍家菩提寺「増上寺」に参拝

 4月中ごろ、まだ桜が残っている増上寺を訪ねた。増上寺はJR浜松町駅から西に徒歩10分ほどである。隣の田町駅に通学していたから、そのころに近くまで行ったことがあるが、寺や日本史には関心が低かったようで、境内には入らなかった。ということで、初めての参拝になる。
 10時半ごろ、浜松町駅に着いた。浜松町駅は羽田行きのモノレールを利用するとき何度も乗り降りしている。久しぶりに世界貿易センタービルをのぞいた。少しずつ模様替えをしているらしく、雰囲気が少し変わっていた。世界貿易センタービルは1970年竣工で、当時、東京では霞が関ビル(1968年竣工、36階、147m)に次ぐ超高層ビルとして話題になった。設計は日建設計、高さは40階、152mで、最上階に有料の展望台があり、眼下に都心、東京湾を眺めることができる。1971年に京王プラザホテル(47階、169m)が新宿にオープンするまで、日本一の高さを誇った。老朽化と新たな都市計画を理由に、2019年に解体されることが決まっている。50年に満たないから、老朽化よりも大きな力が働いたようだ。帰りに、別れを惜しんでここでランチをとることにして増上寺に向かった。

 大通りは、緩やかな上りである。途中に地下鉄浅草線の大門駅入口の階段がある。この大門は増上寺の大門を指していて、少し先に大門が立ち上がっている(写真)。1605年、増上寺大改修の際、徳川家康が江戸城大手門をここに移築したのが始まりだそうだ。明治維新後の1878年、東京都に寄付され、芝公園の一部になったが、1923年の関東大震災で倒壊し、1937年RC造で建て替えられた。第2次世界大戦下の空襲でこのあたりは焼け野原になったが、RC造の大門は無事に残った。2016年に東京都から増上寺に返還され、耐震補強と改修が施されたのが写真の大門である。中ほどは大型車両が通れるように背が高い。それが大門をスマートに見せている。2020年の東京オリンピックでのマラソンは大門を通るコースが予定されている。徳川時代の大手門ではないが、RC造でも和風のスマートなデザインだから大門も話題になるに違いない。

 大門を過ぎると日比谷通りに面した三門が堂々とした構えを見せる(写真)。右後ろの伸び上がった華やかな東京タワーと黒々として重厚な構えの三門のバランスがいい。三門は修復中で白い覆いが掛かっていた。外国人が多く、記念写真を撮っているから、三門をプリントしたモノクロの覆いだと重厚さを感じやすいと思うが、いかがだろうか。三門は正式には三解脱門といい、1622年の建立で、国の重要文化財に指定されている。増上寺の伽藍の多くは再建だから、1622年建立は伽藍のなかでは最古である。
 一礼して三解脱門を入る。三解脱は三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」から解き放たれることを意味する。つまり、三門で一礼し、気持ちを落ち着け、煩悩を解脱して、境内に入るのである。日本人でも一礼する習慣に疎い人が増えている。まして外国人は三門で一礼する習慣がない。三門脇に一礼+解脱の解説を英文も入れて紹介するといいのではないだろうか。

 境内は広々とし、左右にはまだ桜が花を残している。外国人が思い思いに記念写真を撮っている。正面の階段の上に浄土宗大本山の大殿が堂々たる構えを見せる(写真)。
 増上寺は、室町時代の明徳4年・1393年、江戸貝塚=現在の紀尾井町に創建された。豊臣秀吉が没した慶長3年・1598年、現在地に移転し、徳川家康が将軍になって以降、徳川家の菩提寺になり、隆盛を極めたそうだ。しかし、関東大震災、第2次世界大戦で伽藍の多くが焼失、損壊した。大殿は1974年の再建である。階段を上った先が本堂で、本尊・阿弥陀如来、左右に高祖・善導大師、元祖・法然上人の像を祀っている。まずは本堂を参拝する。

 大殿の後ろは一段と高くなっていて、庭?駐車場?があり、そこからだと桜を入れた東京タワーの写真が撮れる。穴場と思いきや、かなりの外国人がカメラを構えている。SNSで情報が流れているのだろうか。すぐ先に明徳幼稚園がある。大正14年・1925年に開設されたから歴史は古い。明徳は、増上寺創建の明徳4年にちなんだのであろうか。

 周辺を一回りしてから、境内に戻り、大殿右奥の徳川将軍家墓所に向かう。宝物展示室共通券は割引になるというので、共通券を購入した。増上寺は上野・寛永寺(天台宗)とともに徳川将軍家の菩提寺で、増上寺には2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍、2代秀忠夫人、皇女和宮=14代家茂夫人ら5人の正室や5人の側室、将軍の子女らが埋葬されている。かつてはもっと広々として壮麗な霊廟だったが、第2次世界大戦の空襲で損壊・焼失し、現在地に改葬されたそうだ。鋳抜門はかつての中門で、当時は国宝に指定されていた(写真)。青銅製で左右の扉に5つの葵門、両脇には昇り龍、下り龍が鋳抜かれている。
 廟内には名前を付した石塔が並んでいる。石塔は少しずつ大きさ、形が違う。歴史小説やテレビドラマなどを思い出しながら黙とうし、外に出る。

 大殿の地下に宝物展示室がある。中央に2代秀忠の霊廟の1/10の模型が展示されている。2代秀忠の霊廟は1632年に造営され、日光東照宮の手本になったそうだ。1910年、ロンドンで開かれた日英博覧会の展示品として1/10模型が製作され、以降はイギリスに保管されてきた。第2次世界大戦の空襲で模型のもとである霊廟が焼失してしまったので、イギリスのロイヤル・コレクションだった1/10模型が増上寺に寄贈されたようだ。模型とはいえ、細密で鮮やかな色合いである。ほかに五百羅漢図などが展示されているが、少々物足りなかった。

 増上寺を後にし、芝公園の散策で時間調整したあと、世界貿易センタービル39階のレストランレインボーでランチをとった。快晴ですばらしい眺めである。目の前に豊洲市場が見える。開場が先延ばしになっているが、建築物は活用されて始めて息づく。仏をつくったら魂を入れるのが常道である。安全性を確保した開場か、あるいは別の用途か、いずれにしても一刻も早い活用を期待したい。一方で、この世界貿易センタービルは老朽化を理由に役割を終え、解体される予定である。そのあとにはさらに高い超高層ビルが建つらしい。世界貿易センタービルに別れを告げながら、ランチをいただいた。

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