2023.9 ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第5番皇帝&ブラームス・交響曲第1番を聴く
日本フィルハーモニー交響楽団は、大宮のソニックシティ大ホールで定期的に演奏会を開いている。コロナ渦でご無沙汰していたが、ウェブサイトで小林研一郎指揮のさいたま定期演奏会を見つけ、2階最後列の席を予約して出かけた。
1曲目 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番皇帝変ホ長調op.73
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートヴェン(1770-1827)は現在のドイツ・ボン生まれ、1800年ごろはウィーンに住み、難聴を発症していたにもかかわらず、交響曲1番、2番、3番、4番、5番やピアノ協奏曲などを次々と作曲していた。1809年、ナポレオンがウィーンに侵攻する。この年にピアノ協奏曲第5番皇帝を作曲するが、ナポレオン支配下だったため翌1810年にロンドンで出版、翌1811年ドイツで出版され、同年にライプツィヒで公開初演されたそうだ。
皇帝の名は、同時代の作曲家・ピアニストのJ.B.クラマーが曲の印象から皇帝にふさわしいとして名づけたそうだ。
第1楽章 allegroは、はなやかで輝き
第2楽章 adagio um poco mossoは、静かで穏やか
第3楽章 rondo allegroは、力強く優美な雰囲気 といわれる。
指揮は日本フィル桂冠名誉指揮者の小林研一郎で、ピアノは現在桐朋学園大教授の仲道郁代が素晴らしい演奏を響かせてくれた。
炎のコバケンと愛称される小林研一郎のまさに炎のような身振りの指揮に応え、仲道郁代が情熱を注ぎ込んでピアノ奏でてくれて、およそ40分の演奏に包まれた。
休憩後の2曲目 ブラームス 交響曲第1番ハ短調op.68
ヨハネス・ブラームス(1833-1897)はハンブルク生まれで、20歳のときにロベルト・アレクサンダー・シューマン(1810-1856)に認められ、徐々に作曲家として知名度を上げ、30歳直前に先進音楽家が活躍したウィーンに本拠を移す。ベートーヴェンを敬愛するあまり交響曲の作曲に慎重だったらしい。
交響曲のスケッチは20歳のころから始めていて、33歳のころには亡き恩人シューマンの夫人クララに第1楽章の原型をピアノで聞かせたと伝えられていてる。そして、1876年、ブラームス43歳のときに交響曲第1番を完成させ、初演された。
第1楽章 un poco sostenuto-allegroは、ティンパニの連打の重々しい雰囲気からオーボエの柔らかな哀愁の雰囲気へ移る。オーボエとクラリネットの掛け合いが聴き応えがあった。
第2楽章 andante sostenutoは、ロマンティックな雰囲気に包まれる。
第3楽章 un poco allegretto e graziosoは、牧歌的な雰囲気に木管楽器の柔らかな音色が響く。
第4楽章 adagio -allegro non trippo, ma con brioは、重々しい雰囲気から、ベートーヴェンの歓喜の歌を思わせる賛美歌風の旋律で高揚させられる。
音楽素人だから、ベートーヴェンを彷彿させるとか、シューマンの幻想的な表現とか、ブラームスの独自な演奏技法とかは解説を読んでも分からないが、45分間、コバケンの炎の指揮棒に応えて日本フィルのメンバーが奏でる演奏に包まれた。
ときには本格的なコンサートに身震いするのもいいね。 (2023.10)
日本フィルハーモニー交響楽団は、大宮のソニックシティ大ホールで定期的に演奏会を開いている。コロナ渦でご無沙汰していたが、ウェブサイトで小林研一郎指揮のさいたま定期演奏会を見つけ、2階最後列の席を予約して出かけた。
1曲目 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番皇帝変ホ長調op.73
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートヴェン(1770-1827)は現在のドイツ・ボン生まれ、1800年ごろはウィーンに住み、難聴を発症していたにもかかわらず、交響曲1番、2番、3番、4番、5番やピアノ協奏曲などを次々と作曲していた。1809年、ナポレオンがウィーンに侵攻する。この年にピアノ協奏曲第5番皇帝を作曲するが、ナポレオン支配下だったため翌1810年にロンドンで出版、翌1811年ドイツで出版され、同年にライプツィヒで公開初演されたそうだ。
皇帝の名は、同時代の作曲家・ピアニストのJ.B.クラマーが曲の印象から皇帝にふさわしいとして名づけたそうだ。
第1楽章 allegroは、はなやかで輝き
第2楽章 adagio um poco mossoは、静かで穏やか
第3楽章 rondo allegroは、力強く優美な雰囲気 といわれる。
指揮は日本フィル桂冠名誉指揮者の小林研一郎で、ピアノは現在桐朋学園大教授の仲道郁代が素晴らしい演奏を響かせてくれた。
炎のコバケンと愛称される小林研一郎のまさに炎のような身振りの指揮に応え、仲道郁代が情熱を注ぎ込んでピアノ奏でてくれて、およそ40分の演奏に包まれた。
休憩後の2曲目 ブラームス 交響曲第1番ハ短調op.68
ヨハネス・ブラームス(1833-1897)はハンブルク生まれで、20歳のときにロベルト・アレクサンダー・シューマン(1810-1856)に認められ、徐々に作曲家として知名度を上げ、30歳直前に先進音楽家が活躍したウィーンに本拠を移す。ベートーヴェンを敬愛するあまり交響曲の作曲に慎重だったらしい。
交響曲のスケッチは20歳のころから始めていて、33歳のころには亡き恩人シューマンの夫人クララに第1楽章の原型をピアノで聞かせたと伝えられていてる。そして、1876年、ブラームス43歳のときに交響曲第1番を完成させ、初演された。
第1楽章 un poco sostenuto-allegroは、ティンパニの連打の重々しい雰囲気からオーボエの柔らかな哀愁の雰囲気へ移る。オーボエとクラリネットの掛け合いが聴き応えがあった。
第2楽章 andante sostenutoは、ロマンティックな雰囲気に包まれる。
第3楽章 un poco allegretto e graziosoは、牧歌的な雰囲気に木管楽器の柔らかな音色が響く。
第4楽章 adagio -allegro non trippo, ma con brioは、重々しい雰囲気から、ベートーヴェンの歓喜の歌を思わせる賛美歌風の旋律で高揚させられる。
音楽素人だから、ベートーヴェンを彷彿させるとか、シューマンの幻想的な表現とか、ブラームスの独自な演奏技法とかは解説を読んでも分からないが、45分間、コバケンの炎の指揮棒に応えて日本フィルのメンバーが奏でる演奏に包まれた。
ときには本格的なコンサートに身震いするのもいいね。 (2023.10)
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