よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

唐津街道を行く№2(芦屋~海老津)

2010-01-05 08:21:58 | 唐津街道
筑前福岡藩には、6筋あり、27宿の宿場が設けられ、
長崎街道に属するものが6宿、それ以外を21宿とよんでいた。
なかでもこの唐津街道には、10宿がありました。

【芦屋~海老津】

太閤水を通って高須中学校の方に行くと、坂道になった。
ここから芦屋町になる。
私は、遠賀川の向こう側が芦屋町と思っていたが、
明治時代芦屋村と山鹿村が合併して「芦屋町」になったそうだ。
このあたりは、昔の「山鹿」。

左側に石碑が見える。「安徳天皇行在所跡」と書いてある。
裏側に説明文が書かれているんだが、裏にはプラフェンスがあり、読めない。
帰ってからネットで調べてみた。

それによると
「寿永2年(1183)7月、平家一門は、安徳天皇を擁して九州太宰府へ都落ちしたが、
豊後の緒方三郎唯義の軍に追われ、悲惨な逃避行を続け、香椎、宗像を過ぎ、
山鹿兵藤次秀遠のお迎えを受け、山鹿で過ごされた。
のち、秀遠は、この地、大君の茶臼山に幼帝のために行在所を造営した。」
安徳天皇は、このあと四国の屋島に行き、最後は下関の壇ノ浦で命を絶たれた。
この造営所が今は「大君神社」となっている。
野球グラウンドの横にひっそりと建っている。

旧山鹿村役場跡を通り、遠賀川に出てきた。
芦屋橋は工事中で、横に仮橋が建っている。

橋を渡っていると、向こうから柴犬4頭を連れたご夫婦と出合った。
私も3年前まで柴犬を飼っていたから、柴犬を見ると可愛くて仕方がない。
頭をなでてやると、奥さんが、神社のパンフを持ってきて、
「うちのワンちゃん神社のパンフに載っているのよ。」と言ってパンフを見せてくれた。
七五三の時の写真だろうか、可愛い。胸には名札がついている。

芦屋町は、遠賀川河口港として発展し、「芦屋千軒、関千軒」と下関と
同じくらいの賑わいをみせていた.

地図を見ると橋を渡った左側に「芦屋釜鋳造跡」があるように書いてある。
探すけど解らない。100mぐらい行った所に人がいたから聞いてみた。
「あしや釜はどこでしょうか?」
その人向かい側を指差す。みると「銘菓あしや釜」となっている。
いや、お菓子じゃないんです。といってもう一度聞いてみるが、近くで犬が
吼えているのでその方の声が聞き取れない。
自分で探すことにした。
芦屋釜鋳造所跡は、橋のすぐ横の少し低くなっている所にあった。

茶道をされている方は、ご存知かもしれませんが、鎌倉時代から名声を博し、
室町時代に一世風靡した茶の湯釜の名器。
現在、国の重要文化財指定の茶の湯釜の9個のうち8個が芦屋釜だそうです。

橋を直進すると、右側に「福岡藩焚石(ふんせき)会所跡」があった。

裏の説明文を見るが、ブロックに挟まれ見ることができない。
先の芦屋釜もそうだったが、碑は建っているものの、すぐ横にブロックなどがあり、
読むことができない。まさしく「ブロックされた」という感じか。
「焚石」とは、石炭のことである。
遠賀川流域一帯で石炭の産出、販売が盛んになると、福岡藩は、これを
統制に乗り出した。1826年取引の認可と監視のため、会所を作った。
若松の「洲口番所跡」もこれと同じです。

会所跡を直進すると、大きな旧家が見えてきた。
一見、本陣跡かなと思われる建物だった。
見てみると、呉服屋さんだった。今でも営業されています。

福田屋薬局の所をまっすぐ行った所に「蘆屋警察跡」その先に「筑前蘆屋宿場構口跡」
「大国座跡」「遠賀郡役所跡」などがある。
このあたりが、芦屋の中心部だったのだろう。
然し、本陣跡などはなにもない。
この芦屋は、遠賀川の物流拠点として江戸末期には、石炭の積み出し港として栄えたのだろう

心配していた雨は、今にも降り出しそう。
地図では、まっすぐ行くと芦屋小学校があると書いてある。
学校は、突き当たりにあった。
松林に囲まれ、自然豊かな学校だった。

街道は、自衛隊芦屋基地の中を行くようになっている。
いくらなんでも基地の中を通ることはできない。
ここは、かっちゃんさんの通り、県道に出る。

雨がポツリポツリ降り出した
ここでアクシデント。
私の右足に「豆」が出来てしまった。
私の歩くスピードが鈍る。
それとは知らず、家内は、雨を気にしてか、急ぎ足。
家内との差は広がるばかり。
なんと言う薄情な家内なんだろう。
亭主が豆で苦労してるっていうのに・・・・
そして「早く行くよ。雨が降って来よろうが・・・」
仕方なく、家内に向かって、
「ちょっと待ってん。豆ができたけん、ちょっと休もうや」
こんな時、現代のお茶屋の「コンビニ」が見つからない。
芦屋競艇場近くにコンビニがあった。
私のDバックには、救急絆創膏、シップ薬、包帯、正露丸など
常に入っている。ここですぐ豆の手当て。

粟屋バス停に出てきた。
自衛隊芦屋基地から来た街道はここにつながっていた。
空は暗くなり、雨は本降りになってきた。
近くの工場の軒先を借り、ポンチョとスパッツを装備する。

岡垣町に入った。
海老津駅まではもう少し。
持ってきた地図もぬれてきた。
5時25分。今日のゴール地点「海老津駅」到着。
今日の歩行距離約33km。
途中、雨が降って岡垣町の見所はパスしたが、
何とか無事、「唐津街道」初日を終わることが出来た。

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本日の交通費
博多~戸畑  JR@1、250
戸畑~若松  船代@100
海老津~博多  JR@750    計2,100円

昼食代  店名  カレーハウス「たべった」
      家内 「石釜カレー、グリルチキン焼きカレー」
      私  「石焼カレー 、オムレツカレー」
              単価各@840

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