連休初日の4/27は、JR九州ウオーキングで「伊都国」を歩きました。
JR九州ウオーキングは、このたび100万人の参加者となり集合場所の前原駅で今治製の記念のハンカチをいただきました。
田んぼではコシヒカリでしょうか、もう田植えが終わっていました。
曽根に入ると「平原遺跡」(ひらばる)があります。注)北部九州では地名に「原」が入ると、「原」を「バル」と読みます。「前原」は「マエバル」です。
ここは、魏志倭人伝による「伊都国女王の墓」と推定されています。
ここからは47.5cmの銅鏡が発掘されています。現地の案内人の方が現物と同じレプリカの銅鏡を展示されていました。
今までこの銅鏡は裏の方ばかりしか見ていませんでしたが、表は鏡になっています。
今でもきれいに映ります。
糸島市のHPによりますと、この遺跡は
この遺跡は伊都国の王墓と考えられる1号墓を中心とした墳墓遺跡で、昭和40(1965)年に発見されました。発見は偶然によるもので、土地の持主がミカンの木を植えるための溝を掘ったところ、
多数の銅鏡の破片が出土しました。そこで原田大六(はらだだいろく;故人)氏が調査主任となって、大神邦博(おおがみくにひろ;故人)氏とともに発掘調査が行われました。
1号墓は14m×12mの四隅が丸い長方形でその中央に木棺が埋葬されていました。この墓は弥生時代終末期(約1800年前)に造られたものです。
副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数発見されています。銅鏡のなかには直径46.5cmの内行花文鏡が5枚ありますが、
これは日本最大の銅鏡で非常に貴重なものです。また、ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一で、伊都国王の墓にふさわしい内容です。
この墓に葬られた人物は女性、すなわち女王ではないかと考えられています。その理由は、副葬品の中に武器がほとんどないこと、
ネックレスやブレスレットなどの装身具(アクセサリー)が多いこと、中国で女性が身につける「耳とう」といわれるイヤリングが副葬されていることです。
一説では卑弥呼の母親の墓という説もあります。
この曽根周辺では他にも伊都国歴代の王様の古墳なども発掘されています。
【築山古墳】
【端山古墳】
この時代は、考古学でも謎に見目られていますので何か歴史のロマンを感じますね。
JR九州ウオーキングは、このたび100万人の参加者となり集合場所の前原駅で今治製の記念のハンカチをいただきました。
田んぼではコシヒカリでしょうか、もう田植えが終わっていました。
曽根に入ると「平原遺跡」(ひらばる)があります。注)北部九州では地名に「原」が入ると、「原」を「バル」と読みます。「前原」は「マエバル」です。
ここは、魏志倭人伝による「伊都国女王の墓」と推定されています。
ここからは47.5cmの銅鏡が発掘されています。現地の案内人の方が現物と同じレプリカの銅鏡を展示されていました。
今までこの銅鏡は裏の方ばかりしか見ていませんでしたが、表は鏡になっています。
今でもきれいに映ります。
糸島市のHPによりますと、この遺跡は
この遺跡は伊都国の王墓と考えられる1号墓を中心とした墳墓遺跡で、昭和40(1965)年に発見されました。発見は偶然によるもので、土地の持主がミカンの木を植えるための溝を掘ったところ、
多数の銅鏡の破片が出土しました。そこで原田大六(はらだだいろく;故人)氏が調査主任となって、大神邦博(おおがみくにひろ;故人)氏とともに発掘調査が行われました。
1号墓は14m×12mの四隅が丸い長方形でその中央に木棺が埋葬されていました。この墓は弥生時代終末期(約1800年前)に造られたものです。
副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数発見されています。銅鏡のなかには直径46.5cmの内行花文鏡が5枚ありますが、
これは日本最大の銅鏡で非常に貴重なものです。また、ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一で、伊都国王の墓にふさわしい内容です。
この墓に葬られた人物は女性、すなわち女王ではないかと考えられています。その理由は、副葬品の中に武器がほとんどないこと、
ネックレスやブレスレットなどの装身具(アクセサリー)が多いこと、中国で女性が身につける「耳とう」といわれるイヤリングが副葬されていることです。
一説では卑弥呼の母親の墓という説もあります。
この曽根周辺では他にも伊都国歴代の王様の古墳なども発掘されています。
【築山古墳】
【端山古墳】
この時代は、考古学でも謎に見目られていますので何か歴史のロマンを感じますね。
百済との交流など歴史のロマンに憧れます。
おはようさんです。てきました。
初夏の田んぼ、清々しいですね。
景色に溶け込んだ古墳も古代へのいざない。
天気に恵まれたようで快適さがうかがえます。
「 原 ばる 」 で検索してみたら、細かく検証している人がいますね~。
全国で99箇所あってそのうち九州、沖縄で97箇所だそうですね。
その中でも福岡が97箇所、大分が24箇所みたいです。
地名の研究も面白いですね。
後の2箇所は富山県で九州から来た人が多いからでは?と言う事みたいです。
そう言えば以前と山の人のアクセントで九州ですかと言った事があった事を思い出しました。
と山 でなくて 富山 の変換間違いでした。
快晴のウォーキングで楽しかったです!
美味しい物&古代の浪漫を感じて歩けました
邪馬台国の謎を解明する何かが、まだこの地の下に眠っているのかなぁ
そういえば、戸畑にも「中原」でなかばると言う地名がありますね。友人で「中原さん」はなかはらさんでした
今まで考えたこともなかったのですが、なるほど、なるほど
「伊都国」は大陸の窓口として栄えたのではないかと考えます。
その規模も大きかったのではないでしょうか?
ちょっと飛躍するかもしれませんが、邪馬台国もこの近くにあったのではないでしょうか?
よく調べましたね。北部九州には「原」が「ハル」と発音する地域が多いです。
私見ですが、北部九州は玄界灘を挟んで朝鮮半島と近いですので昔から渡来人が多く往来していたのではないでしょうか?
ハルと発音するのは朝鮮語ではないかと考えます。
糸島でも「可也山(かやさん)」という山がありますが、これは韓国の「伽耶(かや)」」をあてたのではないでしょうか?他にも韓国で見られる「志石墓(しせきぼ)」も糸島にあります。
もっと研究したら面白いかもしれませんね。
ぼくちゃんさんの所では、陣の原、新田原などもありますね。
もし秋葉原が九州にあったら「あきはばる」と呼んでいたかもしれませんね。
田原坂に来られるのなら会えるといいですね。
熊本からなので時間がわかれば教えて下さい。
大村楽しんで歩かれて下さい。
ブログ更新楽しみにしています。
この一帯は「伊都国」です。
卑弥呼の母親のお墓なら卑弥呼(邪馬台国)は
この近くかもしれませんね。
注)私は、邪馬台国は九州から大和に遷都したのではと思っています。
九州にも大和と同じ地名があります。