ふくおかウォーキング協会は、福岡県の緊急事態宣言の発出で1/14以降のウォーキングを中止しました。
下見はもう全部終わっていたのですが、このうち私の担当の分を紹介します。
「小郡城山公園とカエル寺(如意輪寺)を訪ねて」 本来は、1/27に行われる予定でした。下見に行ったのは、昨年の12/10です。
小郡市は、福岡県南部、筑紫平野の北、佐賀県との県境に位置し、南東を大刀洗町と久留米市、西は佐賀県、東は筑紫野市、筑前町に接しています。人口約6万人弱。
スタートは、西鉄津古駅。このあたりは、小郡市と筑紫野市の境界線です。
乙隈の所の薩摩街道に筑後国・筑紫国の国境石があります。案内文を見るがもう字が薄くなり見にくいです。ネットで調べてました。
昔の薩摩街道沿い、筑前の黒田藩、筑後の有馬藩との国境に建てられたものです。
国境を境に、北側に「従是北筑前國」の境石が、南側に「従是南筑後國」の境石が建っています。筑後國の境石のほうが大きいのは、先に筑後側が国境石を建てたのですが、後に筑前が筑後のものより大きい境石を建てたことを有馬藩では快く思わず、より大きなものに建て替えたからと言われています。元々の筑後側の境石は、埋蔵文化財調査センターに移築されています。
現在の住所では、筑後國の境石は「小郡市乙隈字境石」、筑前國の境石は「筑紫野市大字西小田字筑前島」という地名になり、二つの境石の間が今でも両市の境になっています。
四三嶋の信号から県道54号線に出ます。少し歩くと、私が現役時代にお世話になった会社があります。ここは、「干潟工業団地」です。干潟を埋め立てて工業団地にしたのかな?
「四三嶋」という地名も何か干潟に関するものかな?
城山公園は小郡市で唯一の山である標高120メートル花立山(城山)に作られた公園です。園内には桜やツツジ、菖蒲などが植えられており季節折々の花を咲かせて見物客を楽しませてくれます。
園内には池があり水鳥が羽を休めにやってきます。豊かな自然を感じながら散策をするには絶好のスポットなっています。
どういうわけか知りませんが、池には水が溜まっていません。
城山公園から県道を抜け乙隈の方に向かいます。ここも薩摩街道でしょうか、「薩摩街道干潟野越堤」というのがあります。
説明文によれば、「平成28年の道路工事中に、旧薩摩街道の全長約90メートルにわたって石垣・石敷が発見されました。道路西側法面に高さ1.5メートルにわたって6段に石が積まれ、
下面には幅1.5メートルにわたって5石分の石敷きがあり ます。確認調査の結果、粘土と砂を交互に積み重ねて造った街道に、石垣と石敷を施していることがわかりました。
使用された石材は大きさ30~60センチメートルの花崗岩で、石質・色味から花立山古墳群の石室に使用されていたものを再利用した可能性が考えられます。
この野越堤は、参勤交代道である薩摩街道を北側を流れる草場川の洪水から守るための施設です。洪水で水がオーバーフローした際に、流水で街道が壊されることを防ぐため、
石垣・石敷によって野越しの機能を持たせました。これにより、洪水による崩壊を最小限に食い止め、破損個所も限定させて復旧を速やかに行うことができるようになります。
当時の人々の自然災害に対する考え方や工夫が分かる重要な発見で、水利土木史上貴重な遺跡です。」
宝満橋の手前には、「彼岸土居古戦場」という看板が立っています。看板は消えていて読みにくいのでネットで調べました。
明治十年(1877)四月一日、明治新政府に不満の旧福岡藩士の一部百五十名は、轟警察署(鳥栖市)を襲ったが失敗し、秋月の党と合流するため秋月に向かう途中、
旧三原郡乙隈村(乙隈)彼岸土居(この付近)で昼食の為休んでいた。 その時、松崎通りの往還(現県道)を福岡から熊本に輸送する弾薬等を積んだ車、数十両が通過するのを見つけ、
これを奪おうとした。政府軍はこのことを予期して、近くまで来ていた久留米の一個中隊と巡査隊六十名は、たまたま小倉から冷水峠を越え、木葉(熊本)に向かっていた広島鎮台一個中隊に
連絡した。 広島鎮台兵は丸町村より西小田村、津古村に廻り、横隈村の井ノ浦溜池付近に陣をとった。久留米から来た鎮台兵と巡査隊は、干潟村側の往還より夜須川(草場川)の新井手の上に
注いでいる三国用水(冬期には水がない)に陣をしき、残党めがけて発砲した。
残党は蜘蛛の子を散らすように逃げ、主力は横隈村隼鷹神社の北方八竜付近に逃げて、井ノ浦溜池付近の広島鎮台兵との挟撃にあい、その場にたちまち三十余名が戦死したという。
ここの戦いでその外遁走中に討ち取られた者五名、捕縛十余名、自首七名、残りの者は秋月の方へ遁走したといわれている。
昭和五十五年二月 小郡市教育委員会 小郡市郷土史研究会
この前の年明治9年(1876)には、秋月の乱※が起っています。
さて、本日のメイン「カエル寺(如意輪寺)」に着きました。如意輪寺(カエル寺)は、729年(天平年間)行基により開寺しました。ご本尊は、如意輪観音像です。
如意輪寺は「カエル寺」という別名でも有名で、住職が中国から翡翠でできたかえるを持ち帰ってきたのをきっかけに、このお寺には現在8,000ものかえるが並んでいます。
かえるは腰が低く、常に前へと飛び跳ね、目的を達成するといわれており、古くより中国では仙人の使いとされていました。
7~9月は、風鈴祭りが行われます。
下見に行った日は、12月半ばでしたが、まだ紅葉が楽しめました。
このほかにもたくさんのカエルがいました。いつか、ゆっくり廻ってみたいですね。
12:20ゴールの西鉄三国が丘駅到着。
この日のGPSです。