10/14 今回の旅行最終日。8時にホテルをチェックアウトし、すぐ白虎隊の飯盛山に向かいました。飯盛山までは、動く坂道(@250)に乗って登れば楽ちんです。
NHK大河ドラマ「八重の桜」で有名になりました「ならぬことは ならぬものです」
戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、
鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。
20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。
※戊辰戦争:1868年(慶応4)戊辰の年に始まった維新政府軍と旧幕府軍との間に十六か月にわたって戦われた内戦。
戦死者の墓標を見てみると、ソニー創立者井深 大氏や元自民党政調会長伊東正義氏の縁者の方も殉死されています。
飯盛山を左に行った所に「さざえ堂」があります。
このさざえ堂は、9月に放映されたNHKテレビ「ブラタモリ」で紹介されました。
会津さざえ堂は寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。
正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。
当時飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。
かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。
また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、
建築史上その特異な存在が認められ、平成8年に国重要文化財に指定されました。 (福島観光ナビより)
内部に入るとらせん階段みたいになっており、下りの人とはすれ違いません。一番上で上りと下りが入れ替わります。
2百数十年前の建物ですが、よく考えられています。また、お賽銭も1階で集中して集められることができるそうで同行のKさんの奥様が一番上からお賽銭を入れました。
Mさんご夫妻は、郡山発12時ぐらいの新幹線で帰られるそうで、さざえ堂をあとに帰路に着きました。
帰りの磐梯山P・Aにて。
郡山駅には11時過ぎに到着。Mさんご夫妻を見送り車を返却しました。3日間の走行距離は360kmぐらいでした。
また、来年も行きたいですね。