よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

別府・大分かぼすマーチ2日目25km

2014-11-07 12:04:30 | ウォーキング

11/01うきはウオークのあと、翌日の別府・大分かぼすマーチに参加のため、宿を湯布院にとりました。

この宿は、温泉が売り物です。家族風呂、露天風呂があり、それも24時間入ることができます。先ずは、露天風呂へ。

とろとろとした肌触りが気持ちよく、何か、一遍で若返ったような気分です。翌日早朝には、家族風呂にも入りました。

   

別府・大分かぼすマーチ2日目25kmコース

会場の田ノ浦ビーチには、7:40 到着。私、この大会には4年ぶりぐらいの参加です。

2日目は、黒田官兵衛が「石垣原の戦い(通称九州の関ヶ原)」で陣を張ったコースです。

  

帰りのことを考え、30kmコースの方と一緒に8:00スタートしました。フライングスタートです。

「高崎山」、「うみたまご」を過ぎると別府市に入ります。今日は天候が今一つで、昼から雨の予報です。

   

 別府市は、昭和63年ごろから、「花が咲きこぼれる都市つくり」を目指し、平成3年からマンホールに花のイラストをつけるようになったそうです。

    

1月、蝋梅、キンセンカ 2月、梅、水仙  3月、桃、パンジー、4月、桜、チューリップ 5月、つつじ、芝桜 6月、アジサイ、マーガレット 7月、槿、サルビア 8月、百日紅、ひまわり 9月、萩、カンナ 10月、芙蓉、コスモス

11月、山茶花、菊 12月、椿、葉牡丹になっているそうです。残念ながら今回写真に撮ったのが5つだけでした。

25kと30kの分岐点は、光町交差点です。25kは、ここから右折して「別府公園」でチェックしなくてはいけませんが、ここは、10時から開門ということで、30kコースの「八幡潮見神社」に立ち寄りました。

  

八幡朝見神社は、建久七丙辰年(1196)十月九日に、大友能直公により御創建されました。 豊前・豊後の守護職として、この地に赴任された大友能直公は入国するとすぐに、鎌倉幕府の鎮守、鶴岡八幡宮の御勧請を志しました。

家臣能登助国久は朝見の庄民とともに鎌倉に赴き、建久七年十月朔日、神輿を奉じて久光文字の浜に到着いたしました。

戦後に入り、温泉神社を合祀し、別府温泉の総鎮守になりました。御祭神は、仁徳天皇、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后です。(神社HPより)

  

表参道の階段を上ると2本の杉が立っています。「夫婦杉」です。二人でこの杉の間を通り抜けると結ばれるそうです。

八幡潮見神社から再び光町交差点へ戻ってきます。25kmのチェックポイントは、「別府公園」です。 

別府公園は、1907年(明治40年)10月に完成した公園である。完成直後の11月7日には皇太子時代の大正天皇が巡幸している。1928年(昭和3年)の中外産業博覧会、1937年(昭和12年)の別府国際温泉観光大博覧会は、いずれも別府公園を主会場として開催された。

しかし、第二次世界大戦後に接収されて駐留米軍のキャンプ(キャンプ・チッカマウガ。チッカマウガはチカマウガ戦争で知られるインディアンの呼称。)となり、1957年(昭和32年)に日本に返還された後も、引き続き陸上自衛隊別府駐屯地として使用された。

駐屯地の別府市大字鶴見への移転に伴い、1976年(昭和51年)に別府市へ返還。1977年(昭和52年)に昭和天皇御在位50年記念公園の指定を受け、再び別府公園として整備された。このため、第二次世界大戦前の別府公園のことを旧別府公園と呼んで区別することがある。(ウィキペディアより)

公園内では、昨日(11/1)千灯明が行われました。

   

    

 別府公園から約3km先の実相寺山の所に「黒田如水(官兵衛)陣跡」があります。

 秀吉なき後、その天下をめぐり、徳川家康と石田三成の対立が深まると、官兵衛は、ただちに挙兵し九州平定に動き出しました。黒田軍は、長政が家臣を率いて家康の東軍に属し会津へ出陣していたため、

官兵衛は、城の蔵を開放し、蓄財していた金銀を大放出し、浪人から百姓まで瞬く間に9000人を集め出陣しました。戦績は、全線全勝で、石垣原の戦い で、友義統軍を破り、その後も豊後→香春岳城→小倉城→

久留米城→柳川城と西軍側の大名を次々に制圧して水俣まで進出します。

然し、九州制覇まであと一歩のところで家康からの終戦命令が入り、官兵衛の天下取りの夢は終結しました。

天下の覇権をめぐって戦国時代最後の大一番となった関ヶ原の戦いが、たった1日で終わってしまったことは、誰も予想できなかったことであり、それが嫡男・長政らの活躍によることが大きかったという

皮肉な結果となりました。関ヶ原の戦いが、あと何日か延びていれば官兵衛が天下を取っていたかもしれません。

また、関ヶ原の戦いの後、長政が「徳川家康から何度も何度も手を握られ感謝された」と自慢げに報告すると、「その時、お前の空いた手は何をしていたのか」と、家康を刺さなかったことを叱責したという、官兵衛の

野心家ぶりを示した話は、中央から遠く離れた九州から天下を見据えていた逸話として伝えられています。(諸説ありますが、官兵衛が天下取りの夢を抱いたという説に基づく)

この石垣原の戦いで黒田官兵衛(如水)が陣を張ったのがこの場所です。周りは公園になっており、説明板もなく、ただ「黒田如水本陣跡」の碑だけが残っています。

尚、大友軍の陣は、南立石町の方にありました。(30kmコースは、大友軍の陣を通りました)

できれば、黒田軍と大友軍どちらも行けるようなコース設定にしてほしかったですね。

  

石垣原を過ぎると、鉄輪(かんなわ)温泉に入ります。火事かと間違えるくらいいろんな所から煙が上がっています。

  

  

鉄輪地獄公園が30k、と25kの合流地点です。チェックポイントでは、ゆで卵がサービスで出されました。

  

コースは、これから地獄を通ります。海地獄、山地獄、鬼山地獄、かまど地獄、白池地獄・・・・・・・・

小学校の修学旅行で行ったな・・・・・などと懐かしがりながら歩いていきます。

  

  

  

コースは、国道10号線に入りました。正面が別府国際観光港です。

港には、大阪行の「サンフラワー」が停泊しています。ここが最終チェックポイント。

   

あと10km弱。コースは、餅が浜海岸から鍵のように廻っていきます。今日は、曇っていますが、蒸し暑く喉が渇きます。持っていたペットボトルも空になりかけています。

最後のチェックポイントからゴールまでが長く感じます。この場所あたりに給水所があれば・・・と思います。

13:20 どうにか25kmコースゴールしました。

  

ゴール地点で給水し、汗を流すため、別府温泉に直行です。温泉は、明礬(みょうばん)温泉に行きました。あたりには、硫黄の香りがします。これぞ「温泉」という感じですね。

  

今日、25kmのGPS

グーグルアース