12/23 7:30倉敷のホテルを出て倉敷美観地区を散策。1時間ほどでホテルに帰りチェックアウトし倉敷駅へ向かう。
山陽本線~吉備線に乗り吉備津駅9:42到着。
岡山のことを「備前」備中」「備後」と大まかに3つに分けられていますが、これは昔岡山が吉備(黍)の国だったからです。
中央に吉備津神社がある所は、備中、それから西(一部広島・福山含む)を備後、東を備前と呼んでいます。
それぞれ吉備津神社をお祀りしています。
吉備津神社というと何と言っても「桃太郎伝説」ですね。この桃太郎伝説は、日本でも何か所かにありますが、吉備の国の伝説を紹介します。
その昔、吉備の国に「温羅(うら)」という異国の王子が住みつき悪行の限りを尽くして人々に恐れられた。それを退治しにきたのが「吉備津彦命」。
温羅は鬼ノ城に籠り、吉備津彦命は吉備の中山に陣を張った。吉備津彦命の放った矢は温羅の投げた岩とぶつかっては落ち、なかなか勝負はつかない。
そこで吉備津彦命は、一度に2本の矢を射て1本を見事温羅の目に命中させた。
温羅は川を血潮で真っ赤に染めながら鯉に化けて逃げる。吉備津彦命は、鵜になってこれを追いかけ退治した。
駅から降り神社の方に歩いていると長い松並木があります。「吉備津の松並木」。まっすぐ歩くと「吉備津神社」に着きます。
吉備津神社の前には、昭和初期の「犬養 毅」元首相の銅像が建っています。歴史で習いましたがあの5.15事件で暗殺されました。犬養元首相はこの近くの庭瀬村のご出身だそうです。
また、桃太郎に出てくる「犬」(犬養健命)の遠祖にあたるそうです。
吉備津神社は、「鳴釜神事」で有名ですが、これは吉備津彦命に退治された温羅は命の夢枕に現れて「吉備津神社の竈(かまど)に埋めてくれ、その代わりに釜を鳴らして吉凶を告げるから」と言ったそうです。
これが「鳴釜神事」の始まりだそうです。釜の鳴動の音の大小により吉凶福禍を卜うそうです。
吉備津神社には本殿までの398mの長い回廊があります。本殿は「比翼入母屋造り」です。
再び街道に戻ってきました。「真金の一里塚」は国道との合流点にありました。またその先には、「国境石」があります。ここから「備前の国」です。
街道は国道に沿っていますが、この国道は車の行き来が激しくおまけに歩道がなく、大型車が来ると立ち止まって通過するのを待っている状態です。
五軒屋のカーブした所に「古い道標」があります。よく見ると「右みち おか山、左みち かな川津山」と書かれています。また、小松橋の所には「指さし道標」があります。
「岡山へ2里、高梁へ10里」。その先が「吉備津彦神社」です。
「吉備津彦神社」は大化の改新を経て吉備国が備前、備中、備後に分割ののち備前一宮として崇拝されています。
境内には、「平安杉」や「安政の大燈籠」などがあります。
安政の大燈籠は6段造り、高さ11m、笠石は八畳敷で文政13年、安政4年にわたり「天下泰平」「万民豊楽」「国家安全」「五穀豊穣」を念願して奉納されました。
街道に戻ります。笹瀬川にかかる矢板大橋を渡りすぐ左折します。この辺国道180号線で車が多いです。左折すると旧道に入ります。この辺りが「矢板宿」。
デイサービスの所に「矢板本陣」の碑が建っていました。ですが矢板宿の説明文も何もありません。先を歩くと「笑塚」があります。これもどういう意味か解りませんでした。
笑塚の向えには「北向八幡宮」があります。北向きに建てられたからその名がついたのでしょうか?
街道は谷万成の所で国道180号線と合流します。岡山市街はもうすぐです。酒屋さんの所から斜め左に入ります。
岡山元標があり更に先に進むと「国 神社」があります。見ると長い階段が・・・・・・思い切って登ることにしました。本殿までの階段は159段。やはり途中で休憩しないと登れませんね。
この国神社には珍しい狛犬があります。ちょうど階段の真ん中に鬼を足で踏んでいる狛犬です。この神社の鳥居と階段は元禄15年につくられたそうです。
国道180号線との合流する前に「京橋ちか道」の石碑があります。街道はこの先の「奉還町西口」の信号を直進します。
「奉還町商店街」は
奉還町で最初に店を出したのは、奉還金にちなんで『奉還モチ』という餅を売り出した餅屋らしく、その後も奉還金を手にしたリストラ武士たちが次々と移住。
商いの素人たちが奉還町に集まりうどん屋やら荒物屋やら次々開店、世にも珍しい士族ばかりの商店街を出現させた。
頭の下げ方も分からない。刀をソロバンに代えてなれぬ手つきで弾いてみても毎月赤字続き。偉そうな物言いの武家商法でお客さんが腹を立てて帰ることもしばしば。
ほとんどの店は撤退を余儀なくされた。現代に残る、武士の退職金である奉還金を資本に商売を始めた店の生き残りは『杉山種苗』ただ一軒。
他は戦後に開店した店がほとんどである。(奉還町商店街HPより)




