よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

山陽道(西国街道)を歩く「下関~長府」その1

2012-12-11 10:06:57 | 山陽道(西国街道)を歩く
はじめに
山陽道(西国街道)は兵庫県西宮から山口県下関まで約500kmの街道です。
宿場は全部で50宿。
その街道を今回歩いてみようと思っています。
のんびりマイペースで歩いてみようと思っています。
さて、西宮までどのくらいかかるのでしょうか?
歩くにあたって地図とか文献を調べましたが、この街道のことを探すことができませんでした。
したがってこの街道を踏破された先輩方のブログを参考に行程を計画しました。

下関~長府
12月8日(土)天気予報では曇り時々雨か雪
一応雨合羽、傘を用意。

午前10時起点の栄福寺を出発。
山陽道は、文献では亀山八幡宮からとなっていますが、栄福寺からという方も
おられますので私の出発地は栄福寺からとしました。


栄福寺は推古天皇朝期 百済の聖明王の王子聖林太子が来朝し自身の護持仏である観世音菩薩を
本尊として建立された。
幽霊の掛け軸があることで有名です。
少し高台にありここから関門海峡を通る船がよく見えます。



栄福寺の階段を下りると旧山陽道に入ります。
さあ、ここから西宮までの長い旅が始まります。

歩いているとルネッサンス様式の建物が見えてきます。
ここは山口銀行旧本店です。
大正9年に完成したそうですので約100年前の建物です。
建築は長野宇平治氏だそうです。


そのすぐ横には「馬関越荷方役所」があります。
下関は明治22年市制施行当初「赤間関市」としてスタートしましたが、
赤間の「間」の字に「馬」の字をあてて「赤馬関」とも呼ばれました。
それが略され「馬関」となったそうです。
  
ここでは越後からの北前船の米、昆布、数の子などを扱う役所でした。
あの高杉晋作も馬関越荷役所頭人を務めていました。

  


金子みすず上山文英堂跡を過ぎると下関市役所にさしかかります。
下関市は人口276000人、山口第一の都市です。
  
市役所前の信号を過ぎると商店街に入ってきます。
このあたりが「赤間通り」と呼ばれています。

商店街から西京銀行を左折すると「亀山八幡宮」が見えてきます。
この八幡宮の入り口に「山陽道」の石碑があります。
山陽道はここが起点になっています。
  

しばし八幡宮境内を歩いてみますと「床屋発祥地」の碑があります。
  
 鎌倉中期(1264~73)亀山天皇に仕えていた京都御所の武士藤原基晴は宝刀の紛失事件の責任をとって職を辞し
 宝刀探索のため当時蒙古襲来で風雲急を告げていた長門国下関に下った。
 基晴親子は当時下関で髪結いをしていた新羅人からその技術を学び往来の武士を客とした髪結所を開いた。
 店の床の間には亀山天皇と藤原家の先祖を祭る祭壇があったので下関の人は、いつとはなしに「床の間のある店」
 転じて「床場」さらに「床屋」という屋号で呼ぶようになったことからここが「床屋発祥地」となった。


また、伊藤博文公夫妻「お亀茶屋跡」や「亀山砲台跡」、境内の横には「宮地嶽神社」「熊鷹稲荷」「恵比寿神社」が
あります。
  



亀山八幡宮の階段を下りると唐戸市場に出ます。
今日も観光バスがたくさん並んでいます。お目当てはフグでしょうか?
海沿いに歩きますが、今日は風が強く体感温度が寒く感じられます。

「本陣伊藤邸跡」に着きました。
  

伊藤邸は室町時代から続く名家でシーボルトや吉田松陰などとの交流があり、幕末には坂本竜馬と妻お龍が
邸内の一部「自然堂」を借りて生活していました。
邸内には、竜馬、お龍、当主九三の顔出しパネルもあります。
  

旧伊藤邸の横が「春汎楼」「赤間神宮」です。
春汎楼の敷地には、日清講和条約が締結された日清講和記念館があります。
また、伊藤博文がそれまで禁止されていた「フグ」を食べたことで知られています。
私も3年前、下関の友達からここで還暦のお祝いをしていただきました。
本場のフグは最高ですね。おいしかったです。ありがとうございました。
  

    
赤間神宮は、壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇をお祀りしています。
また、小泉八雲の「耳なし芳一」の舞台でも知られています。

再び歩き出します。
しばらくすると関門橋が見えてきます。関門橋の下には関門人道トンネルがあります。
これを利用すれば本州~九州間が歩いて渡れます。


関門橋の道路の反対側には、赤い鳥居が見えてきます。
これは「立石稲荷大明神」といって平家一門が都から下ってきたときに京都伏見稲荷の分霊を祀ったと
いわれています。正面の海の中にある岩(鳥帽子岩)が御神体となっています。
   

壇ノ浦に着きました。
今、大河ドラマ「平清盛」が放映中ですが、この壇ノ浦の戦いで平家が滅亡しました。
ここには、源義経、平知盛の戦いのモニュメントや御裳川橋などがあります。
幕末には英国との戦いに使った砲台などが展示されています。
  
    


この山陽道、初日だというので張り切って書きましたが、あまり長くなりましたので
このあとは(その2)に続きます。