福岡城跡から唐津街道を西に約1kmぐらい行くと鳥飼八幡宮の手前に
小さな神社があります。
「平野神社」です。
幕末の勤皇志士の「平野國臣」を祀っています。
「平野國臣」といってもご存知の方は少ないかと思いますが、
彼の詠んだ歌
我が胸の 燃ゆるおもいにくらぶれば 煙は薄し 桜島山
この歌は、聞いたことがあると思います。
小さな神社があります。
「平野神社」です。
幕末の勤皇志士の「平野國臣」を祀っています。
「平野國臣」といってもご存知の方は少ないかと思いますが、
彼の詠んだ歌
我が胸の 燃ゆるおもいにくらぶれば 煙は薄し 桜島山
この歌は、聞いたことがあると思います。
平野は、福岡藩脱藩後、薩摩の西郷隆盛と知り合いになり、特に西郷と月照の
錦江湾心中事件では、西郷を海の中から助け出します。
ですが、薩摩の藩主が斎彬から久光に代わり、久光が浪人排除の政策を
とった為、薩摩には入国できませんでした。
その時詠んだ歌がこの歌です。
今、大河ドラマ「龍馬伝」で坂本龍馬に脚光が浴びていますが、
平野國臣も龍馬と同じ時期に福岡藩を脱藩し、尊皇攘夷のため、東奔西走
しています。
調べてみると龍馬と平野は実際会ったことはありませんが、いつもニアミス
でした。下関の豪商「白石家」には、龍馬も平野も滞在しています。
平野は、福岡藩に薩摩との同盟を働きかけますが「筑薩同盟」、不調に終わり、
そのあと龍馬が薩摩と長州を結びつけ維新に繋がります。
若し、このとき福岡藩と薩摩藩の同盟がなされていれば、また、違った歴史に
なっていたのではないでしょうか?
平野は、生野事件の後、幕府に捕らえられ処刑されました。