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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第19回北の都札幌ツーデーウオーク 1日目30km(札幌市)

2015-06-26 22:47:10 | オールジャパンウオーキングカップ

札幌1日目は、すすきののホテルに泊まりました。

朝、ホテルの窓から外を見るともう明るくなっています。もう5時かな?と時計を見ると、まだ3時です。

札幌は、朝が明けるのが早いのですね。福岡は、5時ぐらいにならないと明るくなりません。となると、札幌と福岡では、時差2時間かな?

折角早起きしたのだから、4時ごろからホテルの廻りを散策してみました。

カラオケや飲み会の帰りの方かな?歩く姿が千鳥足です。また、カラスがたくさん朝のすすきのを飛び回っています。ゴミ袋を狙っているのでしょうか。

  

  

【北の都札幌ツーデーウオーク1日目】

今日(20日)は、第19回北の都札幌ツーデーウオーク1日目。会場は、中島公園。すすきのから地下鉄で1駅です。

コースは、「30k・・・・・西岡公園コース」、「20k・・・・・・札幌ドームコース」、「10k・・・・・精進河畔公園コース」、「5k・・・・・・豊中公園コース」の4つです。

私達が参加したのは、30kmコース。札幌歩こう会の「酒井さん」が受付。2年ほど前に京都でお会いし、それから福島、小林・・・・・・・もう何回もあっています。

酒井さんは、すでにオールジャパンを制覇され、ウオーカーの大先輩です。

隣のコーナーでは、旧SNSの「のりちゃん」がいます。のりちゃんは、忙しそうでしたので挨拶だけをしました。今晩のオフ会で会うことになっています。

それから埼玉のkiyoさんご夫妻、三重・津のともりんさん・・・・・いろんな方とお会いできました。

会場中央の看板「イランカラプテ」とは、アイヌ語の挨拶「こんにちは」を北海道のおもてなしのキーワードとして普及させるものです。

女子大生の「激」でスタート。

   

   

  

スタート直後、水が配られました。コースは、中島公園を出て、豊平川に向かいます。

  

幌平橋を渡ります。渡ると豊平川の河川敷です。広い広い遊歩道の中を歩きます。幌平橋というと、スズさんの家の近くかな?と思いながら歩いていると、横から私の名を呼ぶ声が・・・・・・・

何と「スズさん(スズランさん)」でした。スズさんは、私の街道歩きの師匠、大阪の「ランドセルさん」が東海道踏破された時にサポートされた方です。いうならば、私とスズさんは、兄妹弟子かな?(笑)

初めてお会いしましたが、心優しい感じのする方でした。来年〇〇になられるそうですが、まだまだお若く見えます。

ミュンヘン橋の手前が20k、30kの分岐点。スズさんともここでお別れ。彼女も今晩のオフ会に参加されることになっています。

  

ミュンヘン大橋は、札幌市とミュンヘン市の姉妹都市提携15周年の年となる1987年(昭和62年)に事業着手したこと、橋の構造が戦後ドイツを中心に発展した橋梁形式(斜張橋)であることから、橋の名前につけられたそうです。

  

河川敷には、「赤詰め草」が咲いています。この花、九州ではあまり見かけません。(九州は、白詰め草)

  

真駒内川を過ぎると保安林に入ってきます。今日の札幌の気温は、21度ぐらい。湿気が少なく、とても気持ちのいいウオーキングです。

ですが、保安林に入っていくと少しひんやりしてきます。

  

11:28チェックポイントの西岡公園に来ました。コースマップを確認するとこのチェックポイントは、11:30までとなっています。

ゆっくり歩いていたため、ヒヤッとしました。

  

これから住宅街を歩きます。札幌の市民の方は、花を愛でられています。庭先には、芍薬、ユリナス、マーガレット、ナニワバラ(ヤマトバラ)でしょうか、白い綺麗な花も咲いています。

歩いていて、こんなきれいな花を見ると、和みますね。

  

  

黄色の消火栓は、九州にはありませんね。また、お家の2階部分には、梯子がつけてますが、これは、雪下ろしの為でしょうか?

   

  

  

これは、なんという花でしょうか?見たことがありませんでした。

  

札幌ドームの所に来ました。今日、北海道日本ハムファイターズは、福岡ヤフオクドームで我がソフトバンクホークスと試合中です。

札幌の日本ハムファンの方も熱狂的でしょうか?

セイコーマートの所から左折し、「じんぎすかんクラブ」の方に入ります。

  

  

じんぎすかんクラブを過ぎると、広大な敷地が広がってきます。パノラマで撮ってみました。

ポプラ並木を通り、八紘学園へ。北海道のイメージそのものです。

  

八紘学園農場が給水所。ここに13:05までに入らなくてはいけませんでしたが、現在12:55何とかクリアしました。

ここでは、バナナが振る舞われました。しかも1人1パックとは、太っ腹。それにしても北海道でバナナとは・・・・・・・・(笑)

  

  

残り3kmを切りました。豊平の所に「きたえ~る」というのがあります。HPによりますと、

「森と一体となった周辺環境に優しいスポーツの殿堂」をコンセプ卜に、北海道のスポーツ・文化の拠点として設置されたスポーツ施設。「きたえ~る」の「きた」は北海道を、「え~る」は声援を送る意昧をもつと共に、

「きたえ~る」は心身を鍛えることも表している。室内競技の他にもコンサートなどのイベントでも使用されており、国内の有名アーティストが中心となってライブを開催している。

  

北海学園を通り、豊平川南大橋へ。もうゴールまであとわずかです。

  

  

  

14:15無事ゴールしました。ゴールでは、スタッフさんの暖かい拍手に感動しました。

今日(20日)のGPSです。

 

夕方5:30より、旧SNS北海道メンバーとオフ会を行いました。

参加者は、はなまりんさんご夫妻、のりちゃんさん、なきうさこさん、スズさんそして私達夫婦の7名。

昔話に大いに盛り上がりました。誰かクシャミされた方がいらっしゃるのでは?(笑)

  

  

オフ会のあと、札幌駅近くでスイーツ中心の2次会を行いました。

 

 

 

 

 

 

 


第14回長良川ツーデーウオーク2日目30km「金華山と中山道コース」(岐阜市)

2015-06-12 12:51:52 | オールジャパンウオーキングカップ

6/7 少し曇っていますが、予報では、雨は降らないみたいです。

昨日と同じバスで会場の岐阜公園へ。昨日は、「ミナモ君」が出発式に駆けつけてくれましたが、今日は休みの様です。

今日のコースは、30k、20k、13kが金華山登山(329m)です。登り下りで約4km。かなり険しいコースです。

金華山は、この山に自生する「ツブラジイ」の花が黄金色に輝いているようにみえたことからこの名がついたと言われています。

8:30岐阜副市長の合図でスタート。スタート直後から「七曲り登山道」という険しい山道です。今日も敦賀の車さんご夫妻と一緒に歩きました。

  

  

登り始めて5分も経たずに息が上がってきました。昨日の酒が残っていたのか、もう汗びっしょりです。階段が高くできるだけ階段を避けて登ります。

35分かけてロープウェイの所まできました。ロープウェイの所には、「リス村」がありますが、9:30開園ですので、リスには会うことができませんでした。

  

永禄10年(1567年)9月、稲葉山城を攻め落とした織田信長は、直ちに尾張国から美濃国に本拠を移しました。稲葉山城の城郭を再建するとともに城下町の「井ノ口」を「岐阜」と改名し、楽市楽座の継続を認めるなど

美濃国の繁栄を図りました。また、信長は、「天下布武」の朱印を用い、岐阜城が天下統一へ踏み出す城となりました。

  

岐阜城へ行く途中に「千成瓢箪発祥の地」があります。永禄10年(1567)8月14日、木下藤吉郎(のちに羽柴秀吉、豊臣秀吉と改称)は蜂須賀小六や山麓の猟師堀尾茂助など僅か7名を従えて、

岩戸口から稲葉山城のここまで潜入し、薪小屋に火を放って手柄をたてたと伝えられている。この時、藤吉郎は城兵を倒した鎗先に腰から下げていた瓢箪を結び付け、鎗を振り回しながら大音声で勝鬨をあげたという。

以来、千成瓢箪発祥の地とされている。以後戦で勝つたびに瓢箪を増やしていったといわれています。

 

 

 

岐阜城が1回目のチェックポイント。

このコース、登り下りは、ロープウェイの使用も認められていますが、折角ですので歩いて下りました。

下りは、「瞑想の小径」と名づけられています。急勾配の岩場の道をポールを使い、ゆっくりゆっくり下りて行きます。 

雨が降ってなくてよかったですが、雨が降ると滑りやすくなるでしょうね。

   

途中、ビューポイントの所がありました。向こう側には、昨日登った「百々ヶ峰」が見えます。

下りていると、後ろから走って下りる方がいらっしゃいました。早く歩きたい気持ちは、わかりますが、狭い岩場の道です。もし、転んだりすると周りの人に迷惑をかけます。

もう少し、常識をもって歩かれたらいいのですが・・・・・・・

  

約50分ぐらいかかって下りてきました。まだ岐阜公園の中です。

下った所に「御手洗池」がありました。かつて岐阜城が陥落した折に、城の奥女中たちがこの池に身を投げて自ら命を絶ったという悲しい伝説があります。

  

長良橋を渡ると、「鵜飼乗り場」があります。

長良川の鵜飼いは、鵜飼は鵜匠が鵜をあやつり魚を捕える漁法で、およそ1300年の歴史があり、時の権力者たちに保護されてきました。織田信長は「鵜匠」という地位を与え鵜飼を保護したと言われており、

徳川家康はたびたび岐阜を訪れ鵜飼を見物、保護し、岐阜でつくらせた鮎鮨を江戸まで運ばせました。(御鮨街道)

例年、5/11~10/15の中秋の名月と増水時を除く、毎夜行われます。

 

長良橋を渡り、河川敷沿いを歩きます。この河川敷は、2000年、シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得した「高橋尚子」さんが、県岐阜商業高校時代にトレーニングしたコースを

岐阜市が整備し、「高橋尚子ロード」と命名しました。長良川公園を起点とする長良橋から忠節橋までの河川敷往復5kmのコースです。

この日も市民ランナーの方がトレーニングをされていました。

  

高橋尚子ロードを歩いていると、街路樹に実がついている木がありました。「くるみ」です。

この木に鳩が止まったら、「小鳩くるみ」だ!なんておやじギャグで笑わせます。小鳩くるみさんってご存知の方は、私達と同じ世代かな?小鳩くるみさんは、岐阜市の隣町、愛知県一宮のご出身だそうです。

忠節橋が13k、8kの分岐点。30k、20kは、まだまっすぐ歩きます。この道、長良川の側道を歩いていますが、どこも同じ景色で何か退屈です。

  

  

昨年までは、20kコースは、「小紅の渡し」を船で渡りましたが、今年は、船の修理、点検で「鏡島大橋」を渡るそうです。

小紅の渡し」は、元禄元年(1692)に初めて史実に登場しました。以後、長良川川下にあった河渡の渡しが中山道の表街道として、小紅の渡しが裏街道として栄えました。

また、加納藩の支領北方、文殊旗本領への主要道であり、鏡島弘法への近道としても大変賑わっていました。小紅という名前は、いろいろ説があるそうですが、お紅という女船頭がいたからだそうです。

  

河渡橋(こうどばし)の所が、チェックポイントです。朝の金華山登山が応えたのか、疲れがピークに達しています。ここでしばし休憩します。

河渡橋は、昔は「河渡の渡し」がありましたが、明治14年(1881)橋が架けられ渡しは姿を消しました。

  

橋を渡ると「鏡島湊(かがみしまみなと)」の案内看板があります。

鏡島湊は長良川を利用した舟の運送うの湊として、豊臣秀吉の政権以前から栄えていました。

位置は岐阜町近くで分流した長良川が再び合流するすぐ川下にありました。
1592年、岐阜城主 織田秀信は鏡島の馬渕与左衛門に、新町を造る事を命じ、ここ以外での船荷の陸揚げを禁じました。

分流し水量が少なく川瀬お関係で荷を積んだ舟がそこ以上さかのぼるのがむずかしく、長良川と伊勢湾を結ぶ商品流通の重要な要となっていたことから、岐阜城下町の外港として整備し、自らの支配下にしようとしたのです。

鏡島湊の権益は、関ヶ原の合戦後、加納藩が成立してからも認められました。
鏡島を通る東西の街道が中仙道として公道化すると交通量が大幅に増し、渡船の利用者も増加、街並みは長く伸び発展しました。

しかし加納藩にとっては、鏡島湊経由の輸送はかえって不便で、城主や家臣用の薪炭などが川下の長良川から荒田川に入って城下町近くで荷揚げされるようになりましたが、

鏡島湊の特権は、完全に崩されることはなく江戸時代を通じ守られました。

湊は明治維新後も継続されていましたが、東海道線の開通や道路整備などで陸上交通が発達し、明治時代の後半になるとその役割終えました。

このように長く当地方発展を支えた湊として先人を讃え後世に伝承するために、ここの湊の案内板を建設しました。(案内板より)

コースは、「中山道」に入ってきました。このあたりは、「河渡宿」に入りますが、河渡宿の中心部は、河渡橋の手前になります。

  

鏡島弘法が3回目のチェックポイント。鏡島弘法は、弘法大師が、地面に挿した散杖(杖状の仏具)から、梅の枝葉が出たことで、別名「梅寺」と呼ばれています。

空襲による焼失を免れた重要文化財、十一面千手観音像が現在も残っています。

ここでは、御朱印をいただきました。

  

このあたりから、中山道「加納宿」に入ります。道路の集水桝にも「中山道」の刻印が付けられています。

  

先に進みますと「脇本陣跡」の石碑が建っています。

  

更に先に行くと、加納宿本陣跡の碑があります。横には、皇女和宮御仮泊所となっています。

和宮は、将軍家茂との結婚の為江戸に向かう途中、ここでご宿泊されたそうです。その時の心情を語った歌の碑も経っています。(直筆だそうです)

  

元来、街道歩きが好きな私は、この宿場の「遺跡」を探しに夢中になっています。然し、今日は、ウオーキング大会、ゴールの時間も決まっていますので「そこそこ」にしないとゴールに間に合いません。

「加納宿当分本陣跡」という碑が建っています。あれっ、さっきの「和宮仮泊所」が、本陣では???

調べてみますと、当分の間本陣として定めらていた臨時の本陣だったらしい。江戸時代末期に参勤交代制が崩壊し、江戸から帰還する大名家の妻子が頻繁に往来するようになると、本陣だけでは対応することができず、

有力者の家を一時的に本陣としたそうです。

  

先へ行くと、古い建物が目に入ってきます。これは、「旧加納町役場跡」で、大正15年、R造2F建てで造られました。戦時中壁を黒く塗ったためこのような廃墟みたいになったそうです。

現在は、耐震上の問題で中に入ることは、できませんが、国の登録有形文化財に指定されています。

加納城址」は、慶長六年(1601)、関ヶ原合戦の翌年、天下分け目の戦いに勝利した徳川家康は戦国の世の象徴的存在となっていた岐阜城を廃し、斎藤氏時代のこの城跡に新たな城を築きました。

これが近世加納城と呼ばれるものです。

 

  

  

「茶所(ちゃしょ)」が4回目のチェックポイントです。ここでは、「御団子」の接待がありました。

  

加納宿は、町の中にも古い建物が残っています。これは、お醤油屋さんでしょうか、玄関に大きな「樽」がありました。

柳ケ瀬が5回目のチェックポイントです。

   

柳ヶ瀬は、岐阜市の歓楽街です。近くには、デパートの岐阜高島屋もあります。

日曜日ですが、人の通りが少なく、やはり夜に賑わうのでしょうか?

商店街の中ほどに、美川憲一さんが歌った「柳ケ瀬ブルース」の歌碑があります。

  雨の降る夜は 心も濡れる まして 一人じゃ なお淋し 憎い仕打ちと うらんでみても 戻っちゃこない あの人は あ~柳ケ瀬の 夜に泣いている   

美川さんの芸名は、岐阜県を流れる、木曽川、揖斐川、長良川の美しい3つの川から命名されたそうです。

昭和41年(1966年)の曲ですから、もう約50年経つのですね。このころの美川さんは、スーツ姿で歌っていたように記憶しています。今とは、ちょっと違いますね。

  

柳ケ瀬をあとに、粕森神社に来ました。この神社の前には、大きな榎があります。

  

御鮨(おすし)街道」に入ってきました。御鮨街道とは、長良川の鵜飼いで獲れた鮎を飯とともに発酵させた鮎鮨を江戸の将軍家へ献上するために搬送した街道です。

鮎鮨は、岐阜町が幕府領の時代から江戸に運ばれるようになり、元和5年(1619年)に、岐阜町が尾張藩領になると、尾張藩から幕府への献上品となりました。(案内板より)

  

この街道には、仏壇店など昔の名残を残した旧家が建ち並んでいます。「岐阜鋳物」も伝統産業でしょうか?

    

岐阜城が見えてきました。ゴールまであと少しです。

岐阜大仏」が、あります。日本三大仏の一つに数えられるこの大仏は乾漆仏としては日本一の大きさを誇ります。
天保3年4月(1832年)に、実に38年の歳月を費やして完成しました。
堂の高さ25.15m、廻り19.39m、仏像は坐像で、高さ13.7m、耳の長さ2.1m、鼻の高さ0.4m。大イチョウを直柱として、骨格は木材で組み外部は良質の竹材と粘土で造られ、

その上を一切経で糊張りし漆を塗り金箔を置いたものです。胎内には薬師如来がまつられています。

中に入ろうかなと思いましたが、ちょうどその時団体客がバスから降りてきて、皆さん入口に並ばれました。

もう、今日は、疲れてとても並ぶ気になりません。スルーしました。

15:15  スタッフさんの暖かい拍手でゴール! 昨日と約1時間遅いゴールです。ゴールでは、味噌おでんの接待がありました。

    

6/07 30kmのGPSです。

                 

 2日間とも厳しいコースでしたが、スタッフさんの暖かいおもてなしに感動しました。有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第14回長良川ツーデーウオーク1日目30km「長良川展望コース」(岐阜市)

2015-06-10 16:30:11 | オールジャパンウオーキングカップ

6月6日岐阜市で行われた「第14回長良川ツーデーウオーク」に参加しました。この大会のキャッチコピーは、「美濃(岐阜)を制する者は天下を制す!」「美濃を歩かずしてウオークを語るなかれ」

会場は、岐阜公園噴水女神像前。受付をし出発式を待ちます。岐阜のゆるキャラ「ミナモ君」にカメラを向けるとポーズをとってくれました。

   

受付では、ミウラ折りコースマップをいただきました。このマップ、普通は小さく折りたたんでいますが、開くと地図が出てきます。また、チェックポイント押欄は、地図に押すようになっています。

これだったらポケットにも入りますし、いいアイデアですね。

   

出発式では、「ミナモ体操」で体をほぐし、8:25スタート。

私たちがエントリーしたのは、百々ヶ峰(とどがみね)(418m)長良川コース30km。今月から、私のDバックの後ろは、「風車」です。

  

  

今日は、天気も良く気持ちのいいウオーキング日和です。岐阜公園を出ると長良川沿いに歩きます。

 水にきらめく かがり火は 誰に想いを燃やすやら あなたあなたやさしい旅の人 お逢たひと夜の情けを乗せて こころまかせの鵜飼船・・・・・

歩いていると自然とこの「長良川艶歌」の歌詞が浮かんできます。

長良川は、岐阜県郡上市の大日ヶ岳を発し、三重県を経て揖斐川と合流し伊勢湾に注いでいます。柿田川、四万十川とともに日本三大清流の一つです。

 

長良川は、岐阜市のシンボル。マンホール、フェンスには、鵜飼がデザインされています。岐阜市のマーク「井」は、岐阜の古い名称「井ノ口」の「井」をデザイン化しています。

織田信長は、美濃国を攻略した際、稲葉城下の「井ノ口」を「岐阜」と改めました。電子辞書で調べてみると、「岐」は、枝状に分かれた道、「阜」は、丘、丘陵を意味します。

 

千鳥橋付近が20k、30kの分岐点。30kは、トンネルを通り、藍川橋に向かいます。

  

歩いていると「八幡神社」があります。ふと見ると「銀幣社」となっています。銀幣社とは、あまり聞いたことがなく、調べてみますと、これは、国社、県社、郷社、村社が、岐阜県では

「金幣社」「銀幣社」「白幣社」と呼ばれているそうです。

  

岩井山東院に着きました。ここには、「小野小町ゆかりの水」がありました。

小野小町は、天然痘を患い、ここの水で天然痘を治したそうです。小町は、お礼として霊水に延算寺の薬師如来像を模した石仏を祀りました。別名「かさ神薬師」です。

私も小野小町みたいに「美肌」になりたく、この水を一気飲みしました。果たして効果は・・・・・・・????

  

岐阜八景の一つ「岩井山」に入りました。岩井山の「延算寺」が1回目のチェックポイントです。

  

寺伝によれば、弘仁6年(815年)弘法大師が美濃巡教のとき、この地に立ち寄り薬師如来を拝し、霊水の霊験によって衆生の病苦を救いたいと祈願して、一寺を建立して延算寺と名付けました。

当時は粗末な草葺きの建物で尊像を祀るところもなく、新しいたらいに安置したというので、別名、盥(たらい)薬師ともいわれています。
本尊の薬師如来は、延暦24年(805年)伝教大師が因幡国岩井郡岩井において、楠の木を持って三体の薬師如来を彫刻したうちの一体で、比叡山根本中堂、揖斐郡横蔵寺の像と同じ木であると伝えられています。

  

百々ヶ峰(とどがみね)に入りました。百々ヶ峰は、標高418mで岐阜市内で一番高い山です。

  

息を切らしながら登りますが、急こう配の山で、途中何回も休憩します。地元のウオーカーさんから頂上のビューポイントの写真をみせてもらい、それを励みに登ります。

やっとのことで「白山展望」に着きました。ここでは、麦茶と鮎菓子が振る舞われました。

ここが、15k、20k、30kの合流地点です。(15kmは、この後、松尾池の方に降りて行きます)20k、30kは、これから同じコースになります。

  

白山展望では、御嶽山、乗鞍岳などが眺望できます。

ここで呼吸を整え、再び坂道に向かいます。

百々ヶ峰展望台が、2回目のチェックポイント。チェックを受け、展望台へ。

ホント、ビューポイントです。実にいい眺めです。遠くには、名古屋の市街地も見えます。向こう側には、明日登る「金華山」が見えます。

 

しばし、休憩し、百々ヶ峰を下りて行きます。ここからは、敦賀の「車さんご夫妻」とご一緒させていただきました。車さんには、先月の若狭・三方五湖で大変お世話になりました。

  

3回目のチェックポイントが「三田洞弘法」(みたほらこうぼう)です。

宗派は高野山真言宗で正式名称は霊鷺山法華寺。弘仁7年(816年)に弘法大師が創建。2つの頭と8本の腕を持つ珍しい両頭愛染明王坐像を所蔵しています。元和9年(1623年)に再建された境内は、

庭を主にした作りで、本堂は池を渡り階段を上ったところにあります。
「三田洞の弘法さん」として親しまれ、境内にある池には蓮の花が咲き、大きな鯉が泳ぎ、訪れただけで癒される気分に。春のさつき、秋の紅葉も見事で四季を通じて楽しむことができます。

また弘法大師が植えたという菩提樹があり、天然記念物に指定されています。 (岐阜市観光協会より抜粋)

黄金の慈母観音が目につきます。

  

三田洞弘法を過ぎると「あと5km」の標示があります。現在13:10。ゴールは14:00ごろかな???

  

長良天神を過ぎ、長良橋手前の所が最後のチェックポイントです。

 

  

  

14:15ゴール! スタッフの方のあたたかい声援でゴールすることができました。

ゴールでは、赤みその「豚汁」が振る舞われました。これって結構おいしいです。

 

ゴール後は、スタッフの方に「長良川温泉」を教えてもらい、そちらに向かいます。

長良川温泉は、にっぽんの温泉100選にも選ばれており、茶褐色の湯が特徴です。じっと湯船にいると、体がつるつるしてきます。疲れが飛んでいくようです。

  

長良川温泉からバスで宿舎へ。JR岐阜駅前には、金の信長公の銅像が建っています。

  

今夜の夕食は、飛騨牛の朴葉焼き、鮎の土鍋炊き御飯です。

  

明日は、金華山登山。ホテルに帰りぐっすり休みました。

6/6のGPSです。

 

 

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第24回若狭・三方五湖ツーデーマーチ第2日目20km(福井県若狭町)

2015-05-21 15:17:35 | オールジャパンウオーキングカップ

5/17(日)若狭・三方五湖ツーデーマーチ2日目。

今朝は、昨日の雨も止み、朝から晴天です。今日も車さんにホテルまでお迎えに来ていただきました。

2日目は、「五湖一周ふれあいの道」と称し、三方五湖を歩きます。三方五湖は、三方湖、菅湖、久々子(くぐし)湖、日向(ひるが)湖、水月(すいげつ)湖の五つの湖です。国指定の名勝で若狭国定公園に属しています。

また、2005年(平成17年)11月にラムサール条約指定湿地に登録されています。

今回20kmコースで歩くのは、三方湖、菅湖、水月湖の3つです。

出発式では、9月に行われる、若狭のお祭り「若祭」が紹介されていました。「若祭」のスタッフの方の「激」、若狭町コロッコ少年少女合唱団の「さんぽ」の合唱でスタート。

今日も車さんご夫妻、Kiyoさんご夫妻と歩きます。

  

  

会場をスタートした後、舞鶴若狭自動車道に向かって歩きます。この自動車道昨年開通し、1年目を迎えます。昨年は、このコース開通前の自動車道を歩いたそうです。

  

三方湖を通り、菅湖へ 。菅湖は、周囲4,2km、水深14mの淡水湖でコハクチョウや鴨、オジロワシなどの野鳥も飛来するそうです。(中央の山が梅丈岳でしょうか?)

4,4km地点の「浦見川赤橋」が1回目のチェックポイント。このあたりから、水月湖になります。

水月湖と久々子湖は、この浦見川でつながっています。水月湖では、水上スキーを楽しんでいる人がいました。

  

  

この湖畔の道路は、日本の道百選にも選ばれています。ムカデも歓迎してくれました。

  

水月湖周辺には、梅の木がたくさん植えられています。そういえば、昨日参加記念品として「梅干」をいただきました。

  

 

11:15 2回目のチェックポイント「海山屋内ゲートボール場」に到着。ここまで12km あと10kmです。(この20kコースは、22,8kmあります)

昼食会場になっており、今朝、車さんから頂いた「焼サバ寿司」をいただきます。

  

30分ぐらい休憩の後、再び出発。

  

【世界の歴史の物差し】

水月湖の底には、「年縞(ねんこう)」と呼ばれる縞模様が過去7万年にわたり途切れることなく堆積しています。この水月湖の年縞は、地質学や考古学で年代を特定するための

世界水準の物差しとして使われています。2013年9月に公表された水月湖のデータを新たに組み込んだ物差しは、化石や遺物などの年代測定の精度を従来より飛躍的に高めました。

年縞が出来るためには、地形や周辺環境が大きく影響します。水月湖で年縞ができたのは、直接流れ込む大きな河川がなく、山々に囲まれた地形の為、水や風の影響をうけないことや

湖底に酸素がないため、生物により年縞がかき乱されないこと、更に沈降を続けているため、湖が埋まらないことなどの条件が揃ったからです。

このような湖は、世界的にも珍しく、まさに水月湖は、「奇跡の湖」と言えます。 

水月湖の年縞は、1年で平均0,7mmの薄さで、そして7万年という非常に長い年月をかけて堆積したものです。(案内板より抜粋)

  

恥ずかしい話ですが、私自身、この「年縞」という言葉は、初めて聞きました。水月湖は、水深38m。この湖底に、「宝」が埋まっているのですね。

観光船乗り場の先には、直売所があります。ここでは、「梅干」と「梅ジュース」のサービスがありました。

若狭の梅干を初めて試食しましたが、酸っぱくもなく、塩辛苦も無くおいしい梅干です。

私は、昨年自宅の梅で、初めて「梅干」を漬けましたが、ちょっと塩が強かったのか、あるいは、焼酎を入れすぎたのか、あまりうまくできませんでした。

また、今年も漬けますが、今年こそこの「若狭の梅干」に負けない梅干を漬けたいと思ってますが、果たしてどうでしょうか?

   

  

水月湖のビューポイントがありました。ここでみんなで記念写真を撮りました。

  

水月湖の河畔には、梅の木が続きます。ここで事件

歩道に転々と血痕が・・・・・・最初は、梅干の汁かな?と思いましたが、どうも血痕みたいです。

「犯人?を探そう!」   車さんをキャップに私達は、刑事ドラマの「刑事」になりました。 Kiyoさんが、テーピングや救急絆創膏の入った救急袋を持って先に行きます。

その結果は・・・・・・・シューズの破れた方を発見! その破れたシューズの踵のマメがつぶれていました。本人は、痛くないということでしたが、Kiyoさんがテーピングで応急処置をされました。

あとゴールまで6kmぐらいですが、無事ゴールされたでしょうか???

 

このあたりから、三方湖になります。湖面には、年縞に使う「イカダ」があります。人が乗ってる様子でしたが、よく見ると人形でした。

湖面には、釣竿が並んでいます。その中で人集りができています。見ると、大きな「鯉」です。体長1mを超す大物です。

釣り上げる時は、重たかったでしょうね。この鯉、計測してリリースするそうです。

  

三方湖には、江戸初期から伝わる伝統的な漁法「たたき網漁」というのがあります。竹ざおで水面をたたくと、水温の低下で動きが鈍くなっている湖底の魚は、驚き徐々に網に追い込まれていきます。

11月下旬から3月末頃まで続けられ、鯉や鮒が獲れるそうです。

  

湖畔には、萱葺き屋根の「舟小屋」が建っています。これは、田井地区の人が、湖を渡り、対岸の畑に農作業に行くときや、獲れた梅を集荷し、周辺地域へ販売するために若狭街道まで

運搬するのに使われた小舟の小屋です。

   

湖畔道路の国道162号線は、バイクでツーリングされている方を見かけます。それも大型バイクです。今日は、天気もいいのでツーリングも最高でしょうね。

また、目につくのは、梅の販売所。伊良積が福井梅の発祥地だそうです。

  

梅の里会館の「梅ソフトクリーム」が美味しいということで、入ってみました。1個250円。

丁度喉も渇いていたので美味しかった・・・・・・

  

先を歩いていると、皆さん立ち止まって山の方を見ています。何事だろうとみてみると、「」がいます。あわててカメラを取り出して写そうと思いましたが、すぐ山の方に帰って行きました。

お猿さんもこの大会に各地から来られたウオーカーさんに声援を送っていたのでしょうか?

道の駅三方五湖に着きました。ゴールまであと2,4km。

若狭町は、縄文時代の遺跡があります。縄文時代というと、今から約15000年前。使う道具が石器から土器に代わったころです。

三方湖のほとりにある「鳥浜貝塚」は、縄文人のカプセルとも呼ばれ、数多くの縄文時代の遺物が発掘されています。

出土した遺物の中には、丸太舟もあることから、縄文人は、この舟に乗って漁をしていたのではないでしょうか?

こういった縄文時代の遺物を「若狭三方縄文博物館」に展示されています。

  

 

鳥浜貝塚跡を過ぎ、鰣(はす)川沿いに歩くとゴールの「さとうみパーク」が見えてきます。

 

14:00  20kmゴール (実際は、22,8kmでした)

ゴールでは、マグロのお刺身が振る舞われました。

  

ゴールした後は、昨日同様、みかた温泉「きららの湯」へ。

入ると人がいっぱいです。そのほとんどがウオーカー。私もそうですが、皆さん汗を流して帰られるのですね。

今日の20kコースのGPSです。

平均時速は、5,2k/h。途中休憩が1時間以上ありました。

2日間、初めて若狭町を歩きましたが、初日の雨は、残念でしたが、若狭町を挙げての「お・も・て・な・し」に大感激しました。

また、「御食の国」ということで食べ物もおいしかった。

次回は、40kmの方にも参加してみたいです。出発時間をあと15分遅らせていただくとよろしいんですが・・・・・・・・

2日間、私達をエスコートしていただきました「車さんご夫妻」本当にお世話になりました。

楽しくて大満足のウオーキングでした。本当に有難うございました。また来ます!

 【追記】

第24回若狭.三方五湖ツーデーマーチ」参加者

2日間で4646人。昨年が6097人でしたから、やはり初日の雨が響いたのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 


第24回若狭・三方五湖ツーデーマーチ第1日目20km(福井県若狭町)

2015-05-19 13:03:07 | オールジャパンウオーキングカップ

2015年5月16~17日に行われた「第24回若狭・三方五湖ツーデーマーチ」に参加しました。

16日は、「若狭鯖街道」。私たちがエントリーしたのは、20kmコース。

今年4月に文化庁が発表した日本遺産最初の18件の一つとして「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食(みけつ)国若狭と鯖街道」を選びました。

御食国」(みけつくに)とは、古来、朝廷に「御贄(みにえ)」(「御食」:天皇の御食料を指す)を納めた国のことです。 万葉集においては、伊勢・志摩・淡路などが御食国として詠われるとともに、

若狭については、平安時代に編集された「延喜式」に、天皇の御食料である「御贄(みにえ)」を納める国として、志摩なとどと共に記されています。
また、奈良時代の平城京跡から出土した木簡の中に「御贄(みにえ)」を送る際につけた荷札が発見されていることなどからも、御食国であったことがうかがい知られます。
若狭は、古くから塩や海産物等を納める「御食国」として、歴史的に重要な役割を果たしてきました。

その御食国として、若狭国などの小浜藩領内の魚介類を京都へ運搬する街道で、主に鯖が多かったことから「鯖街道」と呼ばれています。

会場は、若狭町役場三方庁舎横にある「若狭さとうみパーク」。

この大会2日間の内どちらかに雨が降るというジンクスがあるようで、初日の今日は、朝から小雨。ジンクスは当たっていますね。(笑)

今回、ブログ友達敦賀の車さんご夫妻、埼玉のkiyoさんご夫妻と同行させていただきました。

車さん、kiyoさんは、オールジャパンあと1県で達成とのこと。今年中には達成されるそうです。それに比べ私たちは、ようやく30県を達成したところです。

 

  

  

  

 9:00 曾我廼家福助さんの「激」と三方中学吹奏楽部の「妖怪ウオッチ」の伴奏で出発。

  

若狭町(旧三方町)のマンホールは、魚の部分は、三方五湖、右側に梅の花、左に梨、下は、三方富士と呼ばれる梅丈岳をイメージしています。

若狭牛は、神戸ビーフや松坂牛などの名称で販売されている但馬牛の系統です。若狭は、お魚もおいしいですが、お肉も絶品だそうです。

             

4,4km地点のB&G海洋センターが最初の給水所です。

  

円成寺の「みかえり松」は、宝暦元年(1751)淳長和尚手植えの松と伝えられ、樹齢が約260年余りのクロマツです。

幹周り7,4m、樹高12m、枝張が東西28m、南北30m、。どの方向から眺めても美しい枝張の名木であることからこの名がついたそうです。昭和49年、福井県の天然記念物に指定されています。(案内板より)

円成寺を境内を抜ける所に「地蔵尊」があります。糗麨(はったい)地蔵尊と書いてあります。はったいというと、大麦で作るはったい粉のことでしょうか?

この「はったい地蔵」ネットで調べてみました。若狭和田観光協会HPにこのお地蔵さまが載っていました。

西の方から和田区に入ってまもないところ県道(昔は若狭街道と呼んだ)沿いに、高さおよそ四尺(一・二〇メートル)ばかりの石碑が立っている。この石碑を村人は″はったい地蔵“という。

そういわれるようになったのは、開き違いからだった。
 いつのころからか、街道沿いに石碑は立っており、石の表面には『応無所住而生其心(おおむしょじゅうにしょうごしん)』(金剛経の一句)と刻まれていた。
 むかし、このあたりに一人の老婆がいて、いつも石碑をおがんでいた。そして、石碑に祈っては、病に苦しむ人を助けた。「おばばにおがんでもらうと、体がいつのまにか楽になってくる」

「わしゃ、足の痛いのを治してもらいたいので、お頼みしたら、いっしょうけんめいに石碑に祈ってくれた。お陰で、治ったよ」そんな噂を開いて、病む村人たちが老婆のもとへとやってきた。

老婆はお経を唱えているのだが、みんなの耳にはどうも「オームギ、バッタイ、ニショウゴンゴウ」(大麦ばったい二升五合)と、聞こえる。それもそのはず、みんなには石碑の表に書かれている字がむずかしくて読めなかったから、

日頃、使いなれている言葉に、聞こえてしまう。その方が覚えやすいのだ。
 そうこうするうちに、村人たちはこの石碑を“はったい地蔵”というようになってしまった。また、この″はったい地蔵“には乳の出を必ずよくしてくれるご利益があるといって、乳の出が悪い人が願をかけにきた。

そして、願いがかなって乳のでがよくなると、そのお礼に”はったい″(麦の新穀を炒って、ひいて粉にしたもの)を供えるのが、ならわしとなった。このならわしは今も続いているという。

 

若狭町白屋地区に入ってきました。歩道には、お花がプランターに植えられています。「白屋フラワーロード」と呼ばれているそうです。

  

歩いていると、田んぼには、もう田植えが終わっています。これは、「コシヒカリ」でしょうか?美味しいお米の「コシヒカリ」は、この福井県で誕生しました。

田んぼの廻りには、古い旧家が建っています。正に日本の田園風景ですね。私の子供のころは、こんな景色でした。この風景を見ると心が落ち着きます。

    

 

    

10km地点の「かみなか農楽舎」がチェックポイントです。 かみなか農楽舎は平成14年に福井県若狭町役場、地元農家、民間企業が共同出資して、福井県若狭町に誕生した農業生産法人です。

設立当初から、都市からの若者の就農・定住を促進し地域集落を活性化する『就農・定住事業』に着手、この就農・定住事業を主軸に、農業生産(米・野菜)や加工だけでなく、

農業体験事業など、多角的な農業経営に取り組んでいます。(かみなか農楽舎HPより)

  

かみなか農楽舎を過ぎると緩やかな上り坂に差し掛かります。右側は「わかさカントリー倶楽部ゴルフ場」です。

ここで7:15にスタートした40kコースの方とすれ違います。40kコースは、今、私たちが歩いてきた道を歩かれます。福岡から参加されたAさんとここですれ違いました。  

 

  

坂を下りてくると「熊川」に入ります。

  

若狭では、いつのころからか、小浜を中心に「京は遠ても18里」と言われていました。

若狭から京都へ至る多数の街道や峠道には、本来それぞれ固有の呼び名がありますが、近年、運ばれた物資の中で「鯖」が特に注目され有名になったことから、これらの道を総称して「鯖街道」と呼ぶようになりました。

その内、最も盛んに利用された道は、小浜から熊川を経由して滋賀県の朽木を通り、京都の出町柳に至る「若狭街道」です。

若狭から運ばれた鯖が京の都に着く頃には、ちょうどよい塩加減になったと言われ、京都の食文化の中に今も若狭の魚が生きています。なお、若狭の鯖は遠く兵庫県の篠山までも運ばれていました。(熊川宿HPより)

町の中を歩くと昔の街道そのままです。街道好きの私には、たまらない町です。

  

  

松木神社は若狭の義民松木庄左衛門を祀っている神社。松木庄左衛門は1648年(慶安元年)領民救済の直訴を行い5年の入牢の後直訴の目的を達し、見せしめのため処刑された若狭の庄屋総代です。

白石神社は、熊川地区の氏神様です。祭神は、彦火々出見尊と白髭明神、小浜藩主酒井忠勝公、山ノ神が合祀されている。
 

  

  

    

チェックポイントは、宿場館。熊川児童館では、松木長操の名を残そうと大豆の入った豚汁「長操鍋」が振る舞われました。葛餅も本場ですね。美味しかった・・・・・。

豚汁をいただき、帰ろうとすると、私のDバックに鯉のぼりが付けられていたからでしょうか、出発式で「激」をされた曾我廼家福助さんから呼び止められ、少しお話をしました。

廻りは、テレビカメラ、カメラマンが一斉に近寄り、何か「時の人」になったようでした。(笑)

  

20kmコースは、上中駅から小浜線を利用して会場近くの三方駅まで乗ります。熊川宿から上中駅までは約6km。

チェックポイントで電車の時間を聞くと、13:36、14:08があるそうです。現在12:30を過ぎた所。ちょっと急ぎ足で歩きます。

13:30上中駅に着きました。13:36の電車に辛うじて間に合いました。

  

三方駅からゴールのさとうみパークまでは、約700m。14:15無事ゴールしました。

ゴールでは、大会参加賞としてコシヒカリ300g、梅干をいただきました。

雨は、小雨ですが、まだ降り続いています。体も冷えてきましたので会場近くのみかた温泉「きららの湯」に入りました。歩いた後の温泉は、格別ですね。

  

  

今日のGPSです。上中駅から三方駅までは、電車を利用しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第21回九州国際3DM 2日目20km(熊本県八代市)

2015-05-11 17:32:36 | オールジャパンウオーキングカップ

5/9(土)、5年ぶりに熊本・八代で行われた「第21回九州国際スリーデーマーチ」に参加しました。

私が、参加したのは、「い草の里フードバレーコース20km」です。

福岡から車を走らせ、2時間で会場の八代・球磨川河川緑地に到着しました。

八代のゆるキャラ「とまピン」。八代の特産品「トマト」からイメージしたそうです。

八代の河童渡来伝説:  中国の黄河に住んでいた九千匹の河童がはるばると海を渡って八代にやってきました。この八代から日本全国津々浦々へ河童が移住していったそうです。

因みに「八代(やっちろ、やつしろ)」という地名は、①社(やしろ)説、②八つの城説、③八を谷、代を田と解して、谷あいの水田説、④八を数多くと解してたくさんの田んぼ説・・・・などがあります。

   

今日は、雨の予報です。出発式前までは、雨は降っていなかったのですが、「エイエイオー」の激の後、雨が降ってきました。雨もこの激を待っていたのかな?

 

この大会、「世界ウオーキングデー日本大会」も兼ねています。オーストラリア、オランダ、アメリカ、ベルギー、イギリス、ドイツなどの国からの参加されています。

そういえば、5年前のこの大会で、オランダの人に木靴のストラップと私の鯉のぼりを交換しました。あの鯉のぼり、まだオランダの川を元気よく泳いでいればいいのですが・・・・・・・

  

4km地点が、九州新幹線「新八代駅」。ここまで約1時間かかってしまいました。

 

新八代駅すぐ近くには、福岡ソフトバンクホークス松中信彦選手の「松中信彦スポーツミュージアム」があります。

松中選手は、八代第一高校(現:秀岳館高校)出身で、2004年三冠王(本塁打、打点、首位打者)を達成しました。

また、福岡ソフトバンク前監督「秋山幸二氏」は、八代市の隣町「宮原町(現 氷川町)」出身です。

 

コースは、「千丁町」に入ってきました。千丁町は、「イ草の里」として有名です。

今から500年前(1505年)、八代市千丁町太牟田の上土(あげつち)城主 岩崎主馬(しゅめ)忠久公は、村の人々の生活が豊かに栄えるようにと初めてい草を植え、育てることを教えました。

その後、全国で天候が悪く人々が苦しむ中、太牟田の村人はい草からむしろを作り、この窮地を乗り越えました。

今では、全国生産の8割を占め、畳表、花ござの材料として使われています。

 

  

7,6kmの「千丁い草の里公園」が最初のチェックポイントです。時間は、10:00丁度。 ここでは、ぜんざいや八代特産のトマト、梅干、お漬物の接待がありました。

  

  

雨は、一向にやむ気配がありません。防水の帽子を被っていたのですが、その帽子から雨のしずくが落ちてきています。傘をさせばいいのですが、写真を撮ると傘をさしたり、すぼめたりしなくてはいけませんので

傘はさしていませんでした。

タバコの栽培をしている所がありました。私が子供のころは、このタバコの栽培は、よく見かけていたのですが、最近は少なくなりました。

  

 

緑色の鳥居が見えてきました。珍しいなと思っていると「岩崎神社」です。い草の里、千丁では、岩崎公をい草の神様としてお奉りしてあります。

毎年い草の豊年を願って、年2回春と秋に祭りが開催されます。

  

龍峯町に入ってきました。13,4km地点、龍峯農業研修所が給水ポイント。時間は、11:00 スタートしてから2時間半が経過しました。

  

先に進むと、「明言院」があります。
奈良~平安時代の八代郡寺興善寺跡であり、現在の明言院は江戸時代に再興されたものです。境内の収蔵庫に安置されている「木造毘沙門天立像」は国指定重要文化財で、平安時代前期の作といわれ、

県下の仏像中最も古い作品です。

今日は、案内ガイドさんも待機されていましたが、この雨です。やむなくパスしました。

  

16km地点ぐらいから、10kmコースの方と合流します。

最終チェックポイントは、八代神社(妙見宮)です。

  

文治2年(1186)後鳥羽天皇の勅願によって建立され、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)そして北斗七星(ほくとしちせい)を祀っています。
現在の社殿は下宮とよばれ、元禄12年(1699)と寛延2年(1749)に改築されたものです。
祭礼は九州三大祭の一つとして、神輿・神馬・獅子舞・花奴・笠鉾・亀蛇・飾馬などの神幸行列があり、人出も10万人を超える賑やかさです。
祭礼日はお下り11月22日、お上り11月23日です。

八代神社で、5kmコースの方と合流し、細い川沿いの道を歩きます。途中、未舗装分があり、そこには水たまりができており、私のシューズに水が入ってきました。

下着は、汗と雨で湿ってきました。

 

12:23  やっとゴールしました。距離は、21kmあったそうです。GPSを見ると平均時速5,7k/hです。平坦な所が多く、結構速く歩けました。

 

ゴール後は、冷えた体を雄たためるため、八代の「日奈久温泉」に直行しました。温泉に入っていると生き返ってきます。

天気がよければ、ゆっくり見て歩きたかったのですが、雨もまた自然です。

  

本日のGPSです。またスタートの時にスタートボタンを押すのを忘れました。

 

 

 

 

 

 

 


久留米ツツジマーチ2015 2日目20km(福岡県久留米市)

2015-04-21 19:34:42 | オールジャパンウオーキングカップ

4/19 久留米ツツジマーチには、「2日間のうち、どちらか1日は、雨」というジンクスがあります。できれば青空の元、歩きたいのですが、今年もそのジンクスが当たりました。

昨晩(4/18)遅くから降り始めた雨は、そんなに強くなく、小雨模様。レインコートを着て会場に向かいました。

会場に向かっている途中、40kmコースがスタートしていて、JRウオーキングで顔なじみのKさん、Nさん、Yさんたちが元気よく出発されていました。

2日目の20kmは、「日本三大火祭り 鬼夜大善寺コース」です。昨年は、皿山コースでしたが、今回は、コースが変わっています。

出発前には、福井・車さん夫妻とお会いしました。車さんとは、今月初めの名古屋ウオークでご一緒しました。

8:30  雨の中、20kmコース中央公園をスタート。コースは、これから、筑後川ツツジ公園→ブリジストン通り→JR久留米駅→水天宮→大善寺玉垂宮→久留米商業高校→中央公園に戻ります。

  

2,1km地点の筑後川ツツジ園が最初の給水ポイント。久留米大学医学部を通り、ブリジストン通りへ。

   

JR久留米駅前には、世界最大直径約4mのタイヤが展示されています。

   

久留米駅の構内を抜け、坂本繁二郎生家を通り、給水ポイントの「水天宮」。ここが5,3kmです。久留米水天宮は、全国水天宮の総本宮。河童伝説もあります。

この河童から久留米のゆるキャラ「くるっぱ」が生まれたそうです。

  

   

上鶴橋を渡り、筑邦西中学を過ぎると、拡声器から大きな声が聞こえてきます。運動会にしては、まだ早いかな?などと思っていると、市議選の選挙でした。今日告示されたのですね。

  

  

10:34 チェックポイントの大善寺玉垂宮に到着。

 

 

国の重要無形民俗文化財で、日本三大火祭りの一つである鬼夜が行われる玉垂宮は玉垂命、八幡大神、住吉大神が祀られています。
神功皇后の三韓出兵に大功のあった藤大臣(高良大明神・玉垂命とも称す)が、ここで没したと言われ、天武天皇のころ、672年(白鳳元)三池長者師直が、玉垂宮の古跡に法相宗の僧安泰をして祭神を祀らせ、

そばに1宇の精舎を開基して御廟院高法寺と号したのに始まるといわれます。
後に天台宗となり、814年(弘仁5)、殿堂、楼門、回廊など新たに建立し、善美を尽くしたので大善寺に改められました。
境内約1万5000平方メートル。
本殿、弊殿、拝殿、楼門、惣門、回廊、神輿殿、石鳥居、社務所のほか、鐘楼、阿弥陀堂があります。
社宝に「絹本著色玉垂宮縁起」2幅(重要文化財)があります。

大善寺玉垂宮の鬼夜」は、大晦日の夜から正月7日まで行われる「鬼会(オニエ)」の最終日に行われる行事で、1600年余りの伝統があり、日本三大火祭りの一つに数えられるとともに、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

仁徳天皇56年(368)1月7日、勅命により藤大臣が、当地を荒し人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪を、闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取って焼却したのが始まりだと言われています。

玉垂宮の入口には、「城島鬼面瓦」が展示されています。城島というと、福岡の酒蔵として有名ですが、城島瓦は、江戸時代に有馬公が丹波の国(現在の京都府、兵庫県)より瓦工を連れてきたことから始まったとされ、

約400年もの伝統があります。

鬼瓦(鬼面)は、室町時代にお寺の屋根の飾りとして、その後民家の魔よけとして威厳ある日本の瓦の代表として盛んに製造されてきました。

13世紀後半ごろから獅子や怪獣の顔から二本角で虎の牙で怒涛の鬼の顔に変わりました。

  

大善寺から20k、40kの分岐点になります。40kは、これから福岡の酒蔵「城島」へ向かいます。

20kは、ここから田園地帯に入って行きます。田んぼのあぜ道を通りますが、雨の為所々に泥濘が出来ています。

  

11:44 最後のチェックポイント「久留米商業高校」に到着しました。久留米商の生徒さんがボランティアでお手伝いされています。

あのブリジストン創設者「石橋正二郎氏」は、この学校のOBです。ゴールまであと4km。

12:28 ゴールしました。今日は、小雨が降ったりやんだりで歩きにくいコンディションでしたが、4時間以内でゴールできました。

ゴールの後のご褒美は、地元、丸永製菓の「白くま」です。

  

また、九州マーチングリーグ(九ML)ファーストをクリアしましたので表彰していただきました。景品は、キャップ、ワッペン、それと九州マーチングリーグ1回分のパス券です。

  

本日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


久留米ツツジマーチ2015に参加しました。1日目20km(福岡県久留米市)

2015-04-20 22:37:20 | オールジャパンウオーキングカップ

4/18~19に行われた「第18回久留米ツツジマーチ」に参加しました。今年で7年連続の参加です。朝6時に自宅を出発。会場には、7:15に到着しました。

ちょうど40kmコースの出発式が行われ、40kmを見送って受付をしました。

   

1日目は、「大パノラマ・森林つつじ公園コース」20kmにエントリーしました。

3月から、鳴門、名古屋と参加者が少ない大会に参加しましたが、この大会、人気のコースとあって、1000~1200人ぐらいの参加者です。

やはり人が多いと活気がありますね。また、この大会「久留米つつじマーチ」、韓国・済州島「西帰浦菜の花ウオーキング大会」、中国大連市「国際アカシアウオーク」と共に「東亜フラワーウオーキングリーグ」となっています。

隣国、韓国からのウオーカーも参加されていました。

 

8:30スタート。昨年は、久留米大学から高良大社に行くコースでしたが、今年は、一昨年のコースに変更されていました。昨年の高良大社に行くルートは、階段が多く、まるで心臓破りの階段みたいでした。

今年のこのコースも上り坂が多く、きついですが、階段に比べればまだマシです。

   

   

9:30 高良内コミュニティセンター給水所を通過。ここで5,3km地点。これから上り坂が続きますので水分を補給します。

 

上り坂にさしかかります。今日、私、いつも履いているシューズを修理に出そうと思い、別のシューズを履いてきました。いつものシューズより少し大きめですので足の踵にマメができたみたいで痛くなりました。

この坂道を登り切ったらチェックポイントですのでそこで治療しようと思います。

  

  

  

  

10:20 久留米森林ツツジ公園チェックポイントに到着。ここで9,1km地点。綺麗に咲いたツツジを見ながら両足のマメの手入れを行います。見てみるとマメは破裂寸前です。

救急絆創膏を貼り、その上からテーピングをしました。ゴールまで持ってくれればいいのですが・・・・・

  

森林ツツジ公園からは、長い下り坂です。側道には、野の花が咲いています。この花を見るのも私の好きな光景です。

  

下った所が、20k、40kの分岐点です。40kは、ここから善導寺、草野を廻ってこの付近に帰ってきます。私達20kは、直進します。

 

このあたりは、民家のお花を楽しむことができます。

  

  

11:40第二のチェックポイント、山川小学校に到着。15km地点です。ここでは、さくら味噌の「味噌汁」、「白玉ぜんざい」が振る舞われました。ゴールまであと6km。

       

   

山川小学校を出てから少しスピードを上げます。御井小学校の所で10kmと合流。良山中学、南筑高校前を過ぎ、国道の信号を渡った時、後ろから来た方が、何かにつまずき、私の方に倒れてきました。

そのはずみで私の右足の踵にぶつかりました。「痛い」という衝撃が走りました。多分マメがつぶれたのでしょう。もうゴールも近いので我慢してそのまま歩き続けます。

転ばれた方は、幸いけがもされてなく、大事にいたらなくてよかったです。

 

 

久留米ツツジ公園に入りました。ゴールまであと少し。この大会、久留米の幼稚園や小中学校の子供さんも参加されています。

小学生は、歓迎遠足を兼ねているのでしょうか、引率の先生と歩いています。

  

  

12:55  ゴールしました。

  

さて、昨年は、ゴールの後の抽選会で「ウオーキングシューズ」が当たりました。今年も当たらないかな・・・・・・と密かな望みをもって抽選番号を見ると、

1番違いでシューズを逃しました。(私は、862番、当たりは、863番) 宝くじだったら前後賞があるのに・・・・・・・

2年連続で当たるなんてそんなにうまくいくはずはありませんよね。アハハ

   

ゴールして足のマメの具合を見ましたら、やはりつぶれていました。応急処置をして明日に備えます。

本日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第12回名古屋ツーデーウオークに参加しました。(2日目20km)

2015-04-08 20:31:52 | オールジャパンウオーキングカップ

4/5 昨夜からの雨が今朝も続いており、今日は雨の中のウオーキングになりそうです。

6:00ホテルをチェックアウトし、朝食を食べに名古屋駅前へ。

6:56の地下鉄で会場の熱田神宮公園へ。雨の為、隣接の球場の軒下での出発式です。

7:45スタート。参加者は、昨日と同じぐらいでしょうか?

  

最初は、熱田神宮の中を通ります。皆さんの後をついていきましたら、本殿にお参りするのを忘れてしまいました。

熱田神宮は、「あつたさん」と呼ばれ伊勢神宮に次ぐ由緒あるお宮です。御神体は、三種の神器の一つ「草薙剣」です。

歩いていると、歩道のインターロッキングに「東海道」のイラストが描かれています。街道歩きは、昨年11月に山陽道、西国道を歩き、京都まで来ました。いつかは、この東海道を歩いて「お江戸」まで行ってみたいです。

 

歩いていると、右側に「都々逸発祥の地」の碑があります。

寛政12年(1800)ごろ、今の熱田区伝馬町の東方付近で歌い出され大流行しました。江戸時代、この辺りは東海道五十三次の1つ宮の宿と呼ばれ、旅篭が約250軒もあったそうです。

その中の“鶏飯屋”で働くお手伝いさんが大変な美声で『神戸節』『潮来節』などを歌い、終わりに「どどいつどいどい」などという囃子を入れたのが始まりで飲食関係の女性から名古屋全域に広まっていきました。

やがて七・七・七・五の字数に合わせ、土地の情景や人情ものを歌い込む人が現れ、名古屋の名物となった。歌碑は縦1.8m、横30cmほどの御影石で、裁断橋跡の西側のたもとにあります。

裁断橋」は、大正時代まで熱田区内には精進川が流れ、東海道には裁断橋が架けられていました。また、精進川を三途の川と見立て、橋のたもとには死者の衣服を奪い取る奪衣婆(だつえば)をまつる姥堂がありました。

橋の名の由来には、死者を閻魔大王が裁断する場という説もあります。

1926年に川が埋め立てられ橋は撤去されましたが、1953年に近くの姥堂境内に縮小して復元されました。元の橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)は名古屋市の文化財に指定され、名古屋市博物館に所蔵されています。

そして、この擬宝珠の一つには、私財を投じて橋の架け替えを行った堀尾金助の母が、亡き子をしのんで書いたとされる和文の銘が刻まれています。

1590年、18歳の堀尾金助は小田原の戦いに出発しましたが、病に倒れ帰らぬ人となりました。裁断橋まで出征を見送った母は、翌年、供養のために裁断橋を架け替えました。

その後、33回忌にも再度架け替えを行い、擬宝珠に刻まれたわが子に対する母の想いが人々に語り継がれました。

なお、愛知県大口町に堀尾一族の屋敷があったことから、同町の五条川にも裁断橋と擬宝珠が復元され堀尾跡公園となっています。(熱田区HPより)

  

国道1号線に入ります。このあたりは、日本を代表する会社の本社が並んでいます。ブラザー工業、パロマ工業、トヨトミ工業・・・・・・・・

  

桜の名所「山崎川さくら並木」にやってきました。

新瑞橋から石川橋までの2,8kmの山崎川両岸に約700本のソメイヨシノが植えられ、日本さくら名所100選にも選定されています。

昭和3年(1928)、石川耕地整理組合が、石川橋から左右田橋までの山崎川両岸に約500本の桜を植えたのが始まりだそうです。

  

 

 ホント、素晴らしい桜並木です。天気がよかったらお花見の方がたくさん来られてにぎやかだったでしょう。

雨は、否応なしに降り続きます。

石川橋が10k、20k、30kの分岐点です。30kは、ここから東山動物園、ナゴヤドーム、徳川園を通りますが、この雨です。20kmにコースを変更しました。

   

覚王山から右折します。歩いていると前方から名古屋市議選の候補者でしょうか、雨の中傘も差さずに歩かれています。

私、名古屋市民ではありませんが、候補者に「頑張って下さい!」と声を掛け、握手してきました。

  

20kのチェックポイントは、「日泰寺」。

日泰寺は、タイ国王から寄贈された釈迦の舎利を祀るため、明治37年(1904)建立されました。我が国惟一の超宗派の国際的寺院です。

寺院の名前も日本とタイということで「日泰寺」とネーミングされたのでしょうか?

   

日泰寺を過ぎると「すいどう道緑道」といって、桜並木のきれいな道路に入ります。今日は、地域の方のお花見でしょうか、屋台も出ています。

雨の中のお花見、盛り上がりも今一つでしょうね。

   

名古屋市街地に入りました。昔の流行歌に「盛り場ブルース」というのがありますが、名古屋編では、 栄  今池  広小路   と歌っています。

その今池、栄がここです。

 

 

 

 

名古屋テレビ、西高蔵交差点を過ぎるとゴールは、もうすぐそこです。

12:20 20kmゴールしました。実際は22kmあったそうです。

  

ゴールのあと、御参りできなかった熱田神宮に行ってきました。

熱田神宮に、無事にゴールできたこと、またこれからも安全に歩けるようお参りしました。

  

さて、「名古屋めし」ですが、

鉄板ナポリタンとあんかけスパゲティです。鉄板ナポリタンは、下に溶き卵が敷いてあり、それをスパゲティに絡めて食べます。僕らが子供の頃、スパゲティといえば、ナポリタンとミートソースでした。

何か、子供のころに食べた味がしました。

あんかけスパゲティは、あらかじめゆで置きしておいた太いスパゲッティを、焼きそばのように、ラードや植物油で炒め、中華料理の餡のような粘性とコクのある辛味の効いたソースがかかった料理です。

この辛味は胡椒をたっぷりと使うためであるが、味のベースはトマト味です。ミートソースを名古屋人好みの味に仕立てようとしてできたと言われています。

  

名古屋めしは、あと名古屋コーチンを使った、鳥料理、うなぎのひつまぶしなどがありますが、鳥料理は私、ちょっと苦手ですので、次回は、ひつまぶしに挑戦しようと思っています。

新幹線で帰るため、名古屋駅に行くと、長い行列ができています。最後尾は、待ち時間3時間と表示されています。何のお店だろうと覗くと、ポップコーンのお店で、今月4/1に日本で4番目のお店として

オープンしたそうです。3時間というと、博多まで新幹線で3時間半ですので、結構長いですね。

  

3日間の名古屋旅行でしたが、名古屋はいろいろ見る所が多く、またいつか、旅行で行きたいと思っています。今度は、雨が降らないよう祈っています。

今日のGPSです。スタートのボタンを押すのを忘れ、熱田神宮がスタートになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第12回名古屋ツーデーウオークに参加しました。(1日目30km)

2015-04-07 20:20:48 | オールジャパンウオーキングカップ

4/4 名古屋ツーデーウオーク1日目に参加しました。

私、名古屋市内を歩くのは、初めてですので、楽しみです。

   

参加したのは、会場の熱田神宮公園をスタートし、荒子観音~中村公園~萱津神社~清州城~美濃路~問屋記念館~名古屋城~那古野神社~白川公園~大須観音~熱田神宮公園ゴールの30kmコース。

私のDバックには、先月までの風車に代わり、「鯉のぼり」が立っています。

今日は、天気予報では、時々雨。然し、朝から太陽が顔を出しています。

会場内を見渡すと、知った方がいらっしゃいます。福岡ウオーキング協会の方々、埼玉・kiyoさん、福井・車さん・・・・・その中で岐阜の花火さんが声を掛けていただきました。

何度かお会いしていると思いますが、実際お話するのは、初めて。花火さんは、福岡のぼくちゃん&相棒さんや車さん、神戸のちゅうさんともお知り合い。ウオーキングをしているといろんな「輪」が広がっていきますね。

そうそう、福岡ウオーキング協会のTさんは、この大会でオールジャパン47都道府県完歩だそうです。おめでとうございます。

7:45 スタート。30kmは、120~130人ぐらいの参加者です。

 

西高蔵から左折すると堀川沿いに桜並木があります。その横には、名古屋国際会議場。

 

南荒子駅から左折すると「荒子観音」です。

荒子観音(浄海山円龍院観音寺) 尾張四観音の一つで、寺号は観音寺といい天台宗のお寺です。また、1200 余体の円空仏でも有名です。
荒子観音は、天平元年 (729年) の創建と伝えられ、加賀藩主前田利家が天正4年(1576) に修造しました。
多宝塔は天文5年 (1536) に再建され、市内最古の木造建築物で国の重要文化財に指定されています。

そういえば、荒子観音の先には、前田利家生誕地がありました。前田利家というと加賀城主のイメージがありますが、利家は、荒子城主前田利春の四男として尾張国海東郡荒子村(現中川区荒子)で生まれたそうです。

  

信号が変わり、横断していると何とも派手な格好の方が歩いてこられた。その格好には、私の鯉のぼりもはっきり言って負けています。ウオーカーかな?と思いましたが、路上芸人「えぐれ☆笹島」さんでした。

「ちゃぶ台ミーティング」と称してウクレレ片手にライブ活動を行っているそうです。

  

JR八田駅を過ぎると前方に大きな鳥居が見えてきます。豊国(とよくに)神社の大鳥居です。この鳥居日本一と言われています。

全国に豊国神社がありますが、大阪では、豊国(ほうこく)神社と呼んでいます。

名古屋の豊国神社は、豊臣秀吉の誕生を記念して明治18年(1885)に創建されました。

  

中村公園は、この神社を中心に広がっています。公園内の桜は、今、満開です。

   

  

中村公園を過ぎ、庄内川、新川を渡ります。前方には、まだ雪を被った山が見えます。あれが、滋賀、岐阜県境の伊吹山でしょうか?

  

コースは、あま市に入ってきました。「萱津(かやつ)神社」があります。ここは、全国でも珍しい「漬物の神様」です。

言い伝えによると、この土地の人々が神前にウリ、ダイコン、ナス等の野菜を供えていたが、海(当時、この地が海岸線であった)からとれた塩も供えるようになりました。

やがて、野菜と塩を甕に入れて供えるようにしたところ、野菜が塩漬けとなり、偶然にも漬物になったそうです。

五条川を更に上ると、清須市に入りました。この五条川の堤防には、沢山の桜が植えられそれを見ながら歩いていると、なんだか気持ちがよくなりますね。

今日、名古屋は、雨の予想でしたが、予想が外れ、暑くなってきました。スマホで気温を見ると23度に達しています。

  

名鉄名古屋本線の踏切を渡ります。名古屋本線は、豊橋から岐阜、一宮につながっています。

  

  

清州城が見えてきました。清須は、お城が「州」、市名は「須」と「す」が違います。清須公園の桜は、今、満開です。花見をされている方がたくさんおられます。

また、今日は、この名古屋ツーデーウオークの他に「清州ウオーキング」といってJR主催のウオーキング大会も行われています。

  

清州城入口が30kmのチェックポイントです。暑くて手持ちのペットボトルも底をつきましたので、係りの方に「お水などの飲み物はありますか?」と聞くと、「飲み物は各自で用意してください。」と言われました。

各地の大会を歩いていますが、こんなこと言われたのは、初めてでした。幸い、対岸の「清須ふるさとのやかた」に自販機がありましたので、そこでペットボトルを買いましたが、もし、コースが山の中で

自販機もコンビニもない所でしたらどうしたでしょうか?

清州城は、織田信長の天下取りの出発点です。21歳で那古野(なごや)城から清州城に入城した信長は、桶狭間の戦いで今川義元を破り天下統一に邁進していきます。

信長が小牧、岐阜、安土へと移った後も尾張の中心地として栄えました。在りし日の清州城は、三重の濠をめぐらした大城郭でした。

それが、東海道本線、東海道新幹線、高速道などが作られ城郭は、分断されました。現在の城は、平成元年に築城されました。

  

清州城で折り返し、再び歩き始めます。町を歩いていると旧家が建ち並んでいます。街道好きな私は、こういう旧家を見るのが好きです。

ここは、「美濃路」といって、東海道「宮宿」と中山道「垂井宿」を結んだ脇街道です。宿場は、宮宿→名古屋宿→清須宿→稲葉宿→萩原宿→起宿→墨俣宿→大垣宿→垂井宿の9宿です。

 

歩いていると旧家の1階と2階の間に祠みたいなものがあります。これは、「屋根神様」といって名古屋を中心に尾張に広まった信仰です。戦後は、次第に取り壊され今では数えるほどしか残っていないそうです。

  

問屋記念館」下小田井の市の創始者の一人といわれる山田九左衛門家の住居を、平成4年(1992年)に、移築復元したものです。山田家は、野口家とともに、日本三大市場の一つである「下小田井の市」を

支えた中心的な存在でした。明治の初期に建てられ、美濃路を形成してきた町家のなかでも江戸時代の青物問屋の様式を伝える建物です。

記念館の内部には、当時扱っていた青果などが展示されています。

   

時刻は、12時15分を過ぎました。歩いているとコンビニがありましたのでここで給水を兼ね休憩することにしました。

先月の鳴門ウオークで右足ふくらはぎを痛めましたので、長距離を歩くと途中で休憩したくなります。

15分ぐらい休憩の後、再びウオーキング開始です。

庄内川を渡ると名古屋市に入ってきました。

    

浅間町が30kと20kの合流点です。名古屋城はもうすぐそこです。

  

名古屋城は、関ヶ原の戦い後、徳川家康が東海道の要塞として、また大阪方への備えとして清州からの遷府を決め、加藤清正、福島正則、前田利光など北国、西国大名に普請を命じ造らせました。

  

今日は、天気も持ち直しお城の廻りではお花見も行われています。

白川公園にやってきました。この公園は、昭和42年に約9ヘクタールという広い敷地に開園しました。

巨大なプラネタリウムや名古屋市美術館があります。

  

  

 大須観音は、愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山。本尊は聖観音。寺号は詳しくは「北野山真福寺宝生院」と称し、宗教法人としての公称は「宝生院」ですが、一般には大須観音の名で知られています。

日本三大観音の1つとも言われる観音霊場です。境内には、「大正琴発祥地」の碑があります。

明治45年 大須の住人 森田五郎氏が 八雲琴をもとにして 小型で手軽な二弦琴を作り上げた。 時に重陽の節句であったことから 菊琴と名付けられた。 この菊琴をさらに弾き易く改良されたものが

現在の 大正琴 の原形といわれております。 大正時代大流行したこの琴も 時代の変遷により その音色もいつしか消え去りました。

昭和2年 一人の少年がこの楽器のとりことなり 以来58年間 改良に改良を加えながら, 大衆芸能と云われるまでに 育て上げてきました。(案内板より)

観音の横には、派手な看板の商店街があります。面白そうですので立ち寄ってみたかったのですが、時間の関係でスルーしました。

 

 

    

14:55ようやくゴールしました。6時間10分もかかりました。30kでしたが、実際は、33kmありました。

  

さて、今日の「名古屋めし」です。

味噌おでん、天むす、台湾ラーメン。台湾ラーメンは、名古屋が発祥だそうです。

今日のGPS