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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第7回唐津・虹ノ松原ツーデーウオーク2日目20km(佐賀県唐津市)

2017-03-22 05:22:12 | オールジャパンウオーキングカップ

3/19(日) 唐津・虹ノ松原ツーデーウオーク2日目20kmに参加。

8:00 また今日も30kmとフライングスタートします。

  

今日は、鏡山登山がコースに入っています。30kは、頂上まで行きますが、20kmコースは、中腹までです。

  

鏡山の国道が20k、30kの分岐点です。ここから鏡山の中腹まで上り坂です。

   

チェックポイント手前の所から虹ノ松原が一望できます。

第1回のチェックポイントが、ぽんぽこ村です。ここでは、みかんのジェリーを頂きました。

  

ぽんぽこ村には、たくさんのベコニアがありました。

  

西九州道を潜った所から下りになります。

民家には、白木蓮、黄梅、八重の梅など綺麗な花が咲いています。天気もいいし、青空に映え綺麗です。

  

野田の湯(温泉)の所が2回目のチェックポイント。5~6年前は、ここで水を汲み、帰りに野田温泉に入ったことがあります。確か、65歳以上は、安かったと記憶しています。

   

チェックポイントを過ぎるとコースは田園地帯です。ここで30kmのトップの方から抜かれました。ちょっとついていこうかと思いましたが、すぐ無理とわかり、いつものようにマイペースで歩きます。

  

ある民家の前に来ました。ここでは、個人的にお接待をされています。子の接待に感激し、お礼を書きました。

  

  

4回目のチェックポイントは、五反田改善センター。ここで約15km地点。

チェックポイントのすぐ近くには、「大村神社」があります。 大村神社の社伝によれば、西暦752年(天平勝宝4年)、真備は広嗣の逝去の地大村に無怨寺を建立し慰霊の趣を表し、

広嗣は無怨寺大明神として崇められたという。無怨寺大明神は、明治期の神仏分離令によって、大村神社と改称されている。

  

関の清次と五輪の塔があります。

これは、謡曲「籠太鼓(ろうだいこ)」のモデルになりました。説明文を見ると。

関の清治は大村の里(現在の五反田地区)豪族であるが、親友の浜窪治郎の密告のため牢獄に繋がれた。強力な彼は、牢を破って脱出し行方を暗ました。探索の手は厳しく、妻は狂死し、

子は舌を噛み切って息たえた。これを聞き清治は自首して出たが、領主は妻子の者どもが死に至るまで清治の所在を白状しなかった貞節と孝行を称えて、その罪を許した。哀惜の情にたえず、

清治は自らの刃に伏してその後を追った。時人塔を建てて霊を弔った。程なくその側に一本の松が芽生えた。葉が三つあるので「三つ葉の松塚」「関清治松」と言う。 

  

これからは、玉島川沿いに歩きます。一昨日の「せっかくウオーク」でもここを歩きました。

  

黒田橋の欄干には、玉島川の鮎がデザインされています。玉島川は、古くは万葉集に詠われた歴史ある川で、神功皇后が鮎釣りをして戦勝を占ったという故事により、「」の漢字発祥の地

とも言われています。

   

浜玉町市街地にやってきました。もうゴールまではあと少しです。子供たちが「ひきやま公園」へ案内しています。先ほどの無人の接待所の子供さんもここにいるのかな?

ここが5回目のチェックポイント。

ひきやま公園には、7月に行われる「浜崎祇園祭子供山笠」が展示されています。

浜崎祇園祭は、諏訪神社の祇園社(本殿左奥)の祭礼です。起源は明らかではありませんが、

江戸時代中期の宝暦三年(1753)に、漁師の網元・中村屋久兵衛が疫病退散、五穀豊饒を祈念して、博多櫛田宮の祇園山笠を模した山笠三台を造ったと伝えられています。(浜崎祇園祭HPより)

 

   

12:10 ゴールの浜玉公民館に到着しました。

    

参加者は、2日間で1190人でした。

  

2日目20kmのGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第7回唐津・虹ノ松原ツーデーウオーク1日目25km(佐賀県唐津市)

2017-03-21 04:54:57 | オールジャパンウオーキングカップ

3/18 今年も唐津・虹ノ松原ツーデーウオークに参加しました。会場の唐津市浜玉公民館までは、我が家から車で約40分。

こんな近い大会は毎年参加したいのですが、昨年の大会は、膝の痛みで初日の15kmだけで2日目はパスしました。

その膝痛もだんだん癒え、先週は倉敷で40kmも歩けるようになりました。まだ時々痛いですが、ほぼ全快に近い状態です。

今日は夕方同級生との飲み会があるため、スタートは、45kmと一緒にフライングスタートします。

  

7:30 岩手Oさんの「激」でスタート。コースは、先ず「「虹ノ松原」を通ります。

虹ノ松原は、日本三大松原の一つで(残りは、静岡・三保の松原、敦賀・気比の松原)幅500m、長さは約4、5kmの松原です。国の名勝に指定されています。

松原を抜けると「対州領」の石碑があります。ここは、対州藩(対馬)の飛び地でした。(あと、佐賀・鳥栖田代も対州藩の飛び地)

  

唐津東中学・高校の所には、「東経130度」の信号があります。東経130度線(とうけい130どせん)は、本初子午線面から東へ130度の角度を成す経線である。北極点から北極海、

アジア、太平洋、オーストラリア、インド洋、南極海、南極大陸を通過して南極点までを結びます。

松浦運動公園が45k、25kの分岐点です。何年か前は、ここが会場でした。

  

25kmコースは、松浦川に沿って歩きます。松浦橋の手前で25k、15kが分かれます。

  

 

松浦橋を渡ると右折。唐津城の入口に来ます。ですが、コースは、ここから唐津駅を通り、大島通りに向かいます。

  

唐津駅前が給水ポイント。

末慮館(まつろかん)は、日本稲作発祥の地「菜畑遺跡」にあり、邪馬台国時代の「末慮国」の遺跡の展示や竪穴式住居、日本最古の水田などが復元されています。

   

  

唐津市水産会館が最初のチェックポイント。ここでは、イカのゲソ焼き、サツマイモ、コーヒーなどが振る舞われました。

会館内の売店では、ミンククジラの刺身が売っていました。長いこと鯨の刺身は食べていないな~

  

  

唐津壱岐フェリーの所には、「線路の小径」が」あります。

1898年(明治38年)現在の唐津線沿線の唐津炭田から産出される石炭を唐津港へ輸送することと、沿線の松浦川及び牛津川の舟運を置き換えることを目的として計画されました。

この線路の小径は、当時の賑わいを後世に残そうと作られました。

  

 

旧高取邸は、杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる高取伊好(たかとりこれよし)の邸宅です。唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2,300坪の広大な敷地に大きく2棟の建物が建っています。

以前JR九州ウオーキングなどで中に入っていますので今回はパスします。

コースは、唐津城へ向かいます。

  

唐津城が2回目のチェックポイント。

   

ここからの眺めもビューポイントです。

真中の一番高い山が「浮岳」??かな。

唐津城を過ぎると、古い旅館が建ち並んでいます。

  

コースは、虹ノ松原を通り、海岸へ出ます。

  

12:56 ゴールの浜玉公民館に到着。初日の参加者は全部で600人でした。

    

明日は20kmを歩きます。

今日25kmのGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第7回唐津・虹ノ松原ツーデーウオーク「せっかくウオーク」(佐賀県唐津市)

2017-03-20 06:47:24 | オールジャパンウオーキングカップ

18日から始まる「第7回唐津・虹ノ松原ツーデーウオーク」に先駆け、3/17(金)は、せっかくウオークが行われ、参加しました。

このせっかくウオークは、「玉島川春告魚ーク」とサブタイトルになっており、玉島川を遡上するシロウオを使った昼食と簗漁が見れるウオーキングです。

ウオーキングの前に会場近くの「魚半」で昼食です。(参加者は約50人)

       

2月下旬から 白魚(しろうお)の簗かけ漁がおこなわれることから、「春告魚」と呼ばれています。主に、踊り食い、卵とじ、かき揚げにして食べます。

福岡では、西部の室見川の白魚料理が有名です。シーズン中は、高級料理ですのでめったに食べることはできません。私も何十年ぶりにいただきます。(白魚は、ハゼ科)

踊り食いは、白魚をすくってポン酢でそのまま口の中へ流し込みます。胃の中へ入る時の食感がたまりません。

  

  

お腹も一杯になり、近くの浜崎海岸で記念写真を撮りました。

13:30 せっかくウオークのスタートです。今日は天気も良く少し歩くと汗ばんできます。

 

正念寺

江戸時代の明和8年(1771)、唐津藩の農民漁民が虹ノ松原に集結し、藩に対して新税の取り下げの要望をしました。虹ノ松原内には、唐津藩と天領の境界があり、この地の利を生かして

整然と虹ノ松原一揆が起こりました。農漁民の要望は受け入れられましたが、大庄屋の冨田才治ら4人が責任をとって自首し処刑されました。いまでもこの遺徳が偲ばれて、正念寺の蘇鉄の下に

冨田才治の首が埋葬されたとの言い伝えが残っています。

正念寺では、御煎餅、清見みかんが振る舞われました

  

  

  

玉島川にやってきました。浜玉町は、1956年、浜崎町と玉島村が合併して出来た町です。2005年唐津市に合併しました。

玉島川は、シロウオの産地として有名です。シロウオは、産卵の為水温8度を超えた頃から遡上を始め、漁は3月にピークを迎えます。

川の中にくいを打ち、長さ3メートル、高さ90センチのすだれを川下から見て「ハの字」になるよう固定、狭くなった先にシロウオを待ち受ける網カゴを置いた。簗は河口から約1キロの間に計8カ所仕掛けます。

  

  

  

15:10せっかくウオーク6kmゴール!会場では、明日からのツーデーウオークに備え、スタッフの方が準備されていました。

 

 

 

 


宮崎こばやし絶景ウオーク2017 2日目21km(宮崎県小林市)

2017-03-01 19:48:12 | オールジャパンウオーキングカップ

2/26(日)宮崎こばやし絶景ウオーク2日目。天気は曇り空でウオーキング中雨は降らないとの予報。朝の気温は4℃。

エントリーは、21kmコースですが、帰りのことも考え、30kmと一緒にフライングスタートします。

AM8:00スタート。スタート地点には、小林市のゆるキャラ「こすモー君」、童太鼓のお子さんから見送りしてもらいました。

  

1,9km地点の緑ヶ丘公園が最初の給水ポイント。ここには、SLが展示されていました。

公園の先には、梅の花が満開でした。

  

  

4,7km地点の石阿弥陀交差点が20k、30kの分岐点。20kmコースは直進します。

  

真方営農研修館では、トマト、チョコ、お菓子の接待。ここで5,8km。

  

高山公民館では、キンカン、お漬物の接待。キンカンが甘くておいしかったです。

ここから山手に向かいます。歩いていると「野首城址」の看板があります。この城は、伊東氏48城の一つで、城主は、米良筑後守、二ノ丸と本丸二つの曲輪があったそうです。

   

橋満橋にやってきました。この橋は、「昭和18年に地元の人々が材料を購入して祖国振興隊などの奉仕作業で造られました。戦時中のため、鉄筋が手に入らず、代わりに竹を使った竹筋コンクリート及び

石材を用いた大変珍しい橋です。浜ノ瀬川にかかっています。」小林市指定有形文化財になっています。

  

橋満橋を過ぎてすぐ、急な階段を下り、浜ノ瀬川に沿って歩きます。今までは、ここを登っていたのですが、今年は逆、下ります。急なため手すりを握りながらゆっくり、ゆっくり下りて行きます。

  

ここから「三之宮峡」です。三之宮峡は、九州山地南縁に堆積した加久藤溶岩凝灰岩層などが浸食された奇岩が卓越しており、屏風岩、千畳岩、他に河童洞、櫓の轟などの見所があります。

また、三之宮峡沿いには、11カ所の素掘りのトンネルがあり、昔、トロッコで木材運搬に使用していたそうです。現在は遊歩道になっています。

 

遊歩道から川の方に降りて写真を撮っていると30kmの先頭のウオーカーとすれ違いました。スタートは同時なんですが、もう5kmぐらいは離されています。

ゆっくり写真撮影していると、昨日一緒に歩いた敦賀Fさんご夫妻が来られましたので、ここからは、Fさんご夫妻と一緒に歩きます。

 

  

   

  

河童洞

三之宮峡を抜け、東方地区体育館が最初のチェックポイントです。

  

  

このあと、真方体育館給水所、チェックポイントの小林商工会議所を通り、工事中のJR小林駅へ。

小林駅の仮囲いには、小林市を含む「西諸県弁」が掲げていました。その一部ですが、なかなか難しいですね。(笑)

このポスターがこちらにアップされています。 http://www.tenandoproject.com/kotoba/01.html

  

小林駅南広場では、「ミルクスープ」が振る舞われました。ミルクスープのレシピは、こちらです。 https://cookpad.com/recipe/2865247

  

ゴールの小林市総合運動公園までの長い坂を上り、12:20 ゴールしました。

参加者数を見ると、2日間で1922人でした。(発表では、26日の合計が間違っています)

  

このあと、小林ICから宮崎道、九州道を通り、福岡の自宅には、17:00に到着しました。3日間の走行距離は、550kmでした。

いつもながら、小林の絶景ウオークは、大自然も素晴らしいですが、小林の皆様の暖かい「お・も・て・な・し」には感謝しています。

何か協力できないかと考え、小林市に少額ですが、ふるさと納税をすることにしました。いつまでもこの大自然を守ってもらいたいと思います。

今日2日目21kmのGPSです。また、スタートの時ONにするのを忘れてしましました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


宮崎こばやし絶景ウオーク2017 1日目30km(宮崎県小林市)

2017-02-28 18:30:55 | オールジャパンウオーキングカップ

2/25(土)小林市の朝7時の気温は1℃です。放射冷却のせいか、冷えています。  

ホテルで簡単な朝食を済ませ、会場の小林総合公園中央広場に車を走らせました。

今年も第19回宮崎こばやし霧島連山絶景ウオークが始まりました。初日の今日は、30kmコースにチャレンジします。

   

7:40から出発式。今日も準備体操は、ラジオ体操都城弁です。皆さん笑いながら体操をしていました。都城ラジオ体操のYouTubeは下記です。

https://www.youtube.com/watch?v=wpa_gGmEUPU

コスモスレディに見送られ8:00スタート。

朝の気温は、1℃。ちょっと寒いです。天気は快晴。霧島連山も綺麗に見えています。

   

2,2kmの窪田集落入口が20kと30kの分岐点。20kは、左折、30kは直進します。今日は、北九州Nさんご夫妻、福井Fさんご夫妻、佐賀・Mさん、長崎・Sさんと一緒に歩いています。

  

5,4km地点が最初の給水所「大牟田商店」。最初のチェックポイントです。地域の方が柚子茶、ぜんざい、お漬物などを振る舞っていただきました。

  

  

大出水湧水:直線で約300m上流から湧き出る湧水で、良質の米、野菜が収穫されています。 

田の神様:田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布しています。ここでは、集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する

石像を田の岸にまつる風習がみられます。

  

歩いていると、「琴熊添」という力士のポスターがありました。小林出身の力士だそうで現在怪我治療中、5月場所から復帰するそうです。将来が楽しみですね。

  

生駒高原に入りました。生駒高原には、河津桜が満開でメタセコイアと桜のコラボが綺麗です。

  

メタセコイアと夷守(ひなもり)岳の光景もビュースポットです。

  

生駒高原では、ふかしイモ、キャンディのサービス。店内に入ると、あまおうのソフトが売っていましたので思わず買ってしまいました。福岡のいちご「あまおう」愛でしょうか?(笑)

  

しばらく歩くと、大きな石像が建っています。今まで熊襲王が日本武尊と思っていましたが、日本武尊は、女装して熊襲王に酒を飲ませ、その隙に征伐したそうです。

  

 

宮崎道小林IC近くに来ました。ここの四季彩館が給水スポットです。ここでは、米で作ったパンが振る舞われました。

  

出の山名水ホタル館では、小林西高の生徒さんが作った「煮込みそば」が振る舞われました。

ここは、30k、20k、11kのコースが交わる所で、館内には、家族連れのウオーカーの方も多数見られました。30kコースは、15.8km地点でゴールまであと半分です。

  

30kmコースのチェックポイントは、出の山淡水魚水族館です。

  

歩いていると高千穂嶺が見えてきました。この高千穂嶺は、坂本龍馬が新婚旅行でお龍さんと一緒に登った山です。私も3年前、家内と一緒に登りました。勿論新婚旅行ではありません。(笑)

この光景も絶景ですね。

  

20,6km地点消防団訓練広場が給水スポット。地域の皆さんが、自家製のお菓子、お漬物を接待してくれました。また、ヤブツバキの花もいただきました。

ツバキの花言葉は「控えめな愛」。このウオーキング大会を陰で支えていただいているボランティアの皆様のようです。有難うございます。お陰様で楽しく歩けています。

  

  

細野地区に入りました。ここに「霧島峯神社」があります。

霧島岑神社由来略記往古、霧島岑神社は高千穂峰の中腹、瀬戸尾の高地に鎮座され、祭神は瓊々杵尊・木花咲耶姫命・彦穂々出見尊・豊玉姫命・鵜葺草葺不合尊・玉依姫命の六柱の神々である。

承和4年(837)、日向国諸県郡霧島岑神は官社に預りのち従五位上を授けらる「続日本後紀」。天安2年(858)従四位下に叙せらる「三代実録」。とあり、

「延喜式神名帳」には日向の国式内四座の一であると記されている。天慶・天暦(10世紀)の頃、性空上人が霧島岑神社に参籠の折り、山麓四方に夷守神社他四社を創建し、

本社である霧島岑神社(別名、霧島中央権現)を合せて霧島六社権現と称した。天永3年(1112)韓国岳噴火、仁安二年(1167)大幡山噴火と相次いで神殿を焼失したが、その都度元の地に再建された。

文暦元年(1234)には至近の火常峯(御鉢)が噴火し社殿は焼失、この高地に湧いていた「天の井」も涸れたので末社の霧辺王子神社の辺に遷座され、その地を新瀬戸尾と称した。

その地に座すこと480余年、享保元年(1716年)新燃岳噴火、社殿は焼失 御神体は今坊権現に奉遷、次いで細野村岡原に遷座されたが新瀬戸尾の地は全く荒廃したので享保14年(1729)、

夷守岳中腹に社殿を再建、明治初頭まで鎮座された。その地を今に築地と言う。

明治5年(1872)県社に列せられ、翌6年細野村に合祀の世論起り夷守神社を先ず本社の岑神社に合祀した上で、改めて旧夷守神社の跡地(現在地)に霧島岑神社を奉遷して今日に至っている。
    昭和56年3月 小林市教育委員会

 

   

   

この霧島峯神社が最後のチェックポイントです。神社のお守りを頂きました。

  

現在13:26.マップを見ると、ゴールの制限時間が15:00丁度。ここからゴールまであと約6km。ちょっとスピードアップします。

ゴールまでの最後の坂がきついです。(涙)

14:47 ようやくゴールしました。ゴール後汗を流す為、「神の郷温泉」に行きました。気持ちのいい温泉でした。

   

   

1日目30kmのGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 


第25回(2017年)いぶすき菜の花マーチ2日目指宿コース22km

2017-01-26 18:17:19 | オールジャパンウオーキングカップ

指宿菜の花マーチ2日目指宿コース。

昨年は、指宿地方何十年ぶりかの大雪で2日目のコースをキャンセルしました。そのリベンジでもあります。お天気は、今の所大丈夫ですが、9時ごろ雨が降る予報。

一応、レインコートと傘を準備します。朝食を終え、会場の「ふれあいパークなのはな館」へ。

本来、22kmコースは、8:30スタートですが、お天気が夕方から荒れるそうなので30kmコースと一緒にフライングスタートします。

   

7:00 スタート

   

約4km地点が「揖宿神社

 揖宿神社は、天智天皇御滞興の縁の地として、慶雲3年(西暦706年)にこの地に建立され、航海安全、諸業繁栄の守護神として崇敬されています。

特に、薩摩藩代々藩主の尊崇殊の外篤く、32度に及ぶ社殿の改修等全て藩費をもって施行されております。また、目通り8メートル、樹齢1000年を越える大楠8本を始め樹齢500年の
大銀杏・椋・那岐等の大樹が群生し、鬱蒼とした森を形成していることから、「揖宿神社の社叢(しゃそう)(森)」として鹿児島県天然記念物に指定されています。
  
6km地点の大門口交差点が22kと30kの分岐点。22kは、直進します。ここからは、錦江湾が見えてきます。天気が良ければビューポイントでしょうね。
  
国道226号線宮ヶ浜に来ました。歩いていると「日本一のアコウの木」というプラカードがありました。
アコウの木は、クワ科ノ半常緑高木で樹高は約10 - 20m。樹皮はきめ細かい。幹は分岐が多く、枝や幹から多数の気根を垂らし、岩や露頭などに張り付く。新芽は成長につれ色が赤などに変化し美しい。
葉は互生し、やや細長い楕円形でなめらかでつやはあまりなく、やや大ぶりで約10 - 15cm程である。年に数回、新芽を出す前に短期間落葉する。
ただし、その時期は一定ではなく、同じ個体でも枝ごとに時期が異なる場合もある。
 5月頃、イチジクに似た形状の小型の隠頭花序を、幹や枝から直接出た短い柄に付ける(幹生花)。果実は熟すと食用になる。
 アコウの種子は鳥類によって散布されるが、その種子がアカギやヤシなどの樹木の上に運ばれ発芽して着生し、成長すると気根で親樹を覆い尽くし、枯らしてしまうこともある。

そのため絞め殺しの木とも呼ばれる。これは樹高の高い熱帯雨林などで素早く光の当たる環境(樹冠)を獲得するための特性である。琉球諸島では、他の植物が生育しにくい石灰岩地の岩場や露頭に、

気根を利用して着生し生育している この報国神社のアコウの木は、樹齢470年以上、幹周り14,6m、高さ22mです。

  

ここで前方を歩く、ぼくちゃん&相棒さん一行に追いつきました。しばらく一緒に歩きます。

宮ヶ浜は、指宿発祥の地です。日本集落の源流とされる約3万年前~1万5千年前の遺跡が発見されたのが、宮ヶ浜地区が“指宿発祥の地”と言われる所以。

江戸時代には、海を超えて才を競う商人たちがひしめく町となり、その歴史が、現在では、明治~昭和時代初期の商家が居並ぶレトロな町並みの中に、国や市の有形文化財が多くある地区を形成しています。

中俣家は珍しい三段の屋根。明治37年(1904)当時は、呉服屋として開業したそうです。裏に回ると屋根は二段でした。

  

指宿小学校が最初のチェックポイント。ここで8,5km地点。

  

指宿小学校から海岸に出ます。宮ヶ浜駅には快速「菜の花号」が入ってきました。(宮ヶ浜は通過)

  

歌手の「長渕剛」さんのお母さんは、ここ宮ヶ浜の出身です。長渕さんも子供の頃この海岸で泳いだそうです。

遠くに霞んでいますが、桜島が見えます。

  

コースは海岸沿いに歩きます。途中30kmのトップ集団から抜かれました。速いですね。

吹越カンタ公園が給水所。ここでは、鹿児島の郷土菓子「げたんは」(下駄の歯に似ているから)が出されました。

  

知林ヶ島(ちりんがしま)が見えてきました。鹿児島湾(錦江湾)に浮かぶ美しい無人島です。3月から10月にかけての大潮又は中潮の干潮時には、長さ約800mの砂の道(砂州)が出現し、

知林ヶ島に歩いて渡ることができます。日本版「珍島」ですね。

陸と繋がる島であることから、縁結びの島とも言われ、島には周遊道路や展望台、「チリンズベル」と名づけられた鐘などが整備されています。

平成28年9月20日に接近した台風16号に伴う高波により、砂州が流失しました。現在渡島は砂州が出来るまで禁止されています。

    

魚見岳は、かつて漁師が、その山頂から錦江湾の魚群を見つけて漁に出たと言われることから「魚見岳」の名がつけられたといわれ、その眺望の良さは抜群。

指宿市街地をはじめ知林ヶ島や干潮時の砂州、晴天時には開聞岳、遠くは桜島まで眺望できます。

その形がハワイのダイヤモンドヘッドに似ているため、指宿が「東洋のハワイ」と呼ばれています。

  

ここからゴールの「なのはな館」までは、もう1kmぐらいの距離ですが、コースはこれから指宿港を経由し、指宿駅の方へ行きます。

  

前から来る人が、「虹が出ているよ」と教えてくれたので振り向くと虹が出ていました。写真にはちょっとはっきり写りませんでした。

後日、定刻時間に出発した人に聞くと、宮ヶ浜あたりで雨に遭ったそうです。

 

砂むし会館「砂楽」です。もうお客さんが砂蒸しを楽しんでいます。

  

橋牟礼川(はしむれがわ)遺跡です。橋牟礼川遺跡は,十二町下里にある。大正7・8年に京都帝国大学教授の濱田耕作博士らの発掘によって,開聞岳の火山灰をはさんで上から弥生土器,

下から縄文土器が出土することが確認され,日本で初めて縄文土器が弥生土器より古いことが証明されました。この成果を受け,大正13年に国指定史跡に指定。その後の調査によって,

貞観16年(874年)3月25日の開聞岳の火山灰で埋まった平安時代の集落も発見され,国内でも貴重な火山災害遺跡として知られています。

  

2回目のチェックポイントは、「時遊館COCOCOはしむれ」です。ここには、橋牟礼川遺跡が展示されています。

  

ここでは、菜の花やオクラのお漬物が接待されました。

   

指宿駅が20km地点。昨年はこのあたり一面雪でした。

  

  

ゴールの「なのはな館」が見えてきました。

 

11:50  22kmゴール 

 

  

ゴールの後、大会参加者を見ると、2日間で6313人。毎年1万人以上の参加者で賑わうのですが、ちょっとさびしいですね。

来年は、NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」ですので、沢山の方が鹿児島に来てくれればいいですね。

2日目指宿コース22kmGPSです。今日もスタートのスイッチを押し忘れました。(途中からになっています)  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 

 

 

 

 

 


2017 いぶすき菜の花マーチウェルカムパーティ

2017-01-25 04:12:54 | オールジャパンウオーキングカップ

1日目ゴールの後、ウェルカムパーティまで時間がありましたので、長崎鼻の方に向かい散歩しました。

やはり、開聞岳はどの方向からみてもきれいですね。花畑では、金魚草も咲き出していました。

  

再び会場に戻ります。会場前には、樹齢400年のアコウの木がありました。この木がフラワーパークのシンボルツリーになっています。

  

もうチューリップが咲いていました。日本一早いチューリップだそうです。

  

16:00 菜の花マーチウェルカムパーティが始まりました。

豊留指宿市長など御来賓の挨拶の後、パーティが始まりました。

 

  

イベントでは、指宿市、鹿児島市に住む3歳~18歳までの子供さんで結成されている「山川ツマベニ少年太鼓」の皆さんの演奏です。

まだ幼稚園児ぐらいのお子さんも演奏されています。

  

さて、抽選会ですが、私達夫婦、昨年まで全国のウオーカーの集いに参加し、夫婦共、5回連続何かが当たっています。

今回の目当てはムーンスターのシューズです。

私の方は、初めの方でTシャツが当たりました。家内は、鉢植えのブーゲンビリアが当たりました。 

これで6回連続で夫婦共当たりました。(日頃仲がいいからかな????)

注目のシューズは、3人いて、一人は同じテーブルの東京Hさんの御主人。おめでとうございます。

パーティは、18時ごろ終り、バスで宿泊先のホテルまで送っていただきました。

 


第25回(2017年)いぶすき菜の花マーチ1日目山川コース25km(鹿児島県指宿市)

2017-01-24 07:07:22 | オールジャパンウオーキングカップ

今年もまた指宿菜の花マーチに参加しました。今年で8回目の参加です。

1日目は、山川ステージ。会場は、フラワーパークかごしま。会場には全国からのウオーカーが集まっていました。私は25kmにエントリー。

       

8:30スタート。

  

 最初は、フラワーパークの中を歩きます。園内の干支の花壇、今年は酉年ですが、「酉」の形に植え付けられています。また花壇と開聞岳のコラボもいいです。

 

    

絶景の場所

竹山は、江戸時代から修験道の場として、天狗伝説が残っています。奇型の山です。開聞岳には、菜の花がよく似合いますが、ここの菜の花は、まだ蕾状態でした。

  

常盤建設の所では、しょうが湯、と甘い金柑が振る舞われました。

  

指宿は、ソラマメの生産量が日本一です。茹でたソラマメもおいしいですが、焼きソラマメも絶品です。(自分のお土産に道の駅で買って帰りました)

   

地熱発電所、山川中学を通り、国道226号線に合流。ここから鰻温泉まで長い上り坂です。例年このあたり、土筆が何本か顔を出していますが、今年は見つけることができませんでした。

約14km地点のうなぎ湖畔が1回目のチェックポイント。

  

元々は、火山の噴火口だった「鰻池」。

集落のあちらこちらで白い噴気をあげる「スメ」と呼ばれる温泉の蒸気を利用したカマドがあります。現在も、家庭で日常の煮炊 きに使われています。

今年も、温泉卵、ふかしイモ、茶ブシなどが振る舞われました。何回も参加していますが、ここでのお接待が楽しみになっています。

  

来年(2018年)のNHK大河ドラマは、「西郷(せご)どん」です。

明治時代の初期には、征韓論に敗れ下野した西郷隆盛が一ヶ月ほど逗留して狩猟の日々を過ごした所でもあます。

その折、佐賀の乱に敗れた江藤新平が西郷を訪ねてきて激論を交わしたことが知られています。江藤は薩摩士族の旗揚げを西郷に請いましたが西郷は動きませんでした。

西郷が逗留した場所には今は家はありませんが、 記念碑と西郷の小さな像が建っています。

ドラマでは、この鰻温泉のシーンもあるのでしょうか?楽しみにしています。

鰻温泉は、入浴料200円。少し熱めの温泉です。

  

歩いているといろんな花に出会います。花を見ていると何だか気分もうきうき状態です。

  

焼酎「白露」工場の所から見る開聞岳もビュースポットです。

   

西大山駅が2回目のチェックポイント。ここの光景も絵になります。

    

サツマイモ伝来の地

宝永2年(1705)山川郷岡児ヶ水村の利右衛門は、琉球からカライモを持ち帰り、栽培普及に努めました。このカライモは、度重なる飢饉から薩摩の人を救ったと言われています。

地元では、利右衛門の徳を教え、徳光(とっこう)神社を建立し、「からいもおんじょ」と敬愛の念をこめて、代々今も伝えている。カライモは後に「サツマイモ」と呼ばれるようになりました。

13:40 フラワーパークかごしまへゴール!所要時間約5時間でした。

 

    

このあと、16時からのウエルカムパーティに参加します。 (つづく)

今日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 


名護やんばるツーデーマーチ2日目23km(沖縄県名護市)

2016-12-17 16:20:27 | オールジャパンウオーキングカップ

12/11(日)

今日も名護は暑いです。第29回名護やんばるツーデーマーチ最終日。当初は30kmにエントリーしていましたが、今日昼から下関のMさんご夫妻と合流する予定ですので

急遽23kmコースに変更しました。23kmコースは、「名護湾・大浦湾ちゅらながみコース」です。

 

   

23kmのスタートは、8時から。出発式まで時間があったので車を公園内に停め、会場近くの21世紀の森公園へ散策。

 

  

8:00 23km出発。今日は札幌のSさん、山口・下松のKさんと一緒に歩きます。

  

20分ぐらいで「オリオンビール名護工場」に到着。沖縄唯一のビール産業オリオンビールは、1957年(昭和32年)名護にて創業。(本社は浦添市) 

沖縄の飲食店は、ほとんどこのオリオンビールが置かれています。

  

オリオンビール工場のすぐ先の山手には、「名護城跡」があります。城壁などは残っていませんが、桜の名所百選に選ばれています。

このあたりが県道18号線。名護城大橋、幸地大橋とコースは上り坂になっています。

  

高架橋の欄干には、名護市の花「鉄砲百合」、名護市の木「ガジャマル」、「寒緋桜」が描かれています。

  

緩やかですけどまだまだ上りは続きます。

  

トンネルを抜け山の方を見ると、樹木が枯れたように見えます。これがイタジイ(正式名スタジイ)。こんな光景は見たことがありません。

写真は撮っていませんが、他にもシダみたいな「ヒカゲヘゴ」なども多いです。県道18号線最後のトンネル「番越トンネル」を通ります。

  

大川公民館を過ぎると右側に「大浦のマングローブ林」があります。マングローブとは、海水、淡水が入り混じる沿岸に生育する植物群のことです。

この大浦のマングローブは、メヒルギ、オヒルギで構成されています。

  

マングローブの近くで釣りをされている方を見ると、何かコノシロ(コハダ)みたいな魚が釣れていました。

   

現在このマングローブ林には、遊歩道があり、林の中を自由に散策することができます。

  

大浦の所を左折。ここから国道329号になります。

11,7kmの「わんさか大浦パーク」がチェックポイントです。目の前には、大浦湾が広がっています。素晴らしい光景です。

この大浦湾の右手が「辺野古」、左側が先日、米軍オスプレイが不時着した安部地区になります。政治のことに関してはここでは書きませんが、この沖縄の自然を今後とも守ってもらいたいです。

   

    

   

ブルーシールのソフトを食べ、再び出発します。

   

【アコウの木】

クワ科の半常緑樹。高木。樹高はおよそ10m~20mになり、きめ細かな樹皮を持つ。幹は分岐が多く、枝や幹から多数の気根を垂れ、岩や露頭に張り付いて成長する。

国内では紀伊半島および四国南部、九州などの気候の温暖な地域に自生する。年に数回、新芽を出す前に短期間の落葉がある。

   

先を進むと橋の所に「名護親方程順則」の説明文があります。

程順則は、1663年、那覇の久米村に生まれた。順則というのは中国名で、沖縄の名前では「寵文(ちょうぶん)」という。近世の沖縄を代表する政治家である。

66歳のとき、名護間切の総地頭(そうじとう:今の市長)となり、名護親方と称するようになるが、その功績や人徳から尊敬を集め、名護聖人とも呼ばれた。

彼は、また文学者、教育者としても名高く、漢詩集を出したり、1718年には琉球で初めての学校「明倫堂(めいりんどう)」を設立している。
程順則は、20代の頃から5回中国に渡って学問を深めている。程順則が中国から琉球に持ち帰った教訓書である「六諭衍義(りくゆえんぎ)」には、人が人として守らなければならない六つの教え(六諭)が

分りやすくまとめられている。この本は、八代将軍吉宗に献上後、和訳され、江戸時代の寺子屋の教科書として全国に広く普及し用いられた。彼が亡くなったあと、名護間切番所(今でいう市役所)では、

毎年旧暦の元旦に「御字拝み(ミジウガン)」といって、「六諭」の書を掲げ、遺徳を偲んでいる。

孝順父母「父母ふぼに孝順こうじゅんなれ」  父母に孝行しなさいという教え

尊敬長上長上(ちょうじょう)を尊敬(そんけい)せよ」 目上の人を尊敬しなさいという教え

和睦郷里「郷里きょうりは和睦わぼくせよ」 村里にうちとけなさいという教え

教訓子孫「子孫しそんを教訓きょうくんせよ」 子孫を教え導きなさいという教え

各安生理おのおの)生理せいり)に安(やす)んぜよ」 各々の生業にあまんじなさいという教え

毋作非為「非為(ひい)を作(な)すなかれ悪いことをしてはならないという教え

   

国道58号線に合流しました。コースはここから右折します。

  

ミフクラギとは、沖縄のキョウチクトウです。5月ごろ白い花が咲きます。

歩いていると5kmコースのキッズと出会いました。写真を撮らせてというと、ポーズを決めてくれました。

    

名護のぴんぷんガジャマル

「ぴんぷん」とは、屋敷の正面と母屋の間に設けられた屏風状の塀のことで外からの目隠しや悪霊を防ぐものと言われている。ぴんぷんカジュマルの名は、隣に建つ「三府龍脈碑」が

ぴんぷんの形に似ていることからこのように呼ばれるようになりました。

 

21、7地点が名護市営市場。ここではチョコ餅がサービスです。

   

13時05分23kmゴール。

  

 

これでオールジャパン43県達成しました。あと4県です。

この後下関Mさんご夫妻と合流するため、本部(もとぶ)のリゾートホテルに向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


名護やんばるツーデーマーチ1日目40km(沖縄県名護市)

2016-12-16 14:25:57 | オールジャパンウオーキングカップ

12/10(土)今年最後のオールジャパンウオーキングカップ大会の「第29回 名護やんばるツーデーマーチ」に参加しました。

第一日目は、「古宇利・ワルミ・屋我地三大ブリッチコース」40km。 昨年9月に膝を痛め久しぶりの40km。完歩できるかどうか少し心配です。 

山原やんばる)は、沖縄県沖縄本島北部の、山や森林など自然が多く残っている地域である。また、沖縄本島の名護市以北を単にさすこともある。明確な区分はないが、

恩納村と金武町を含んで以北がおおよその範囲である。これは、三山時代の北山の領地にほぼ等しい。中心都市は名護市。(ウィキペディアより)

    

5時半あたりはまだ暗く、街灯の明かりを頼りに会場の21世紀の森屋内体育館に行きます。6時15分出発式。

出発式には、稲嶺名護市長も駆けつけてくれました。

  

会場では、他の沖縄マーチングリーグ1月開催「久米島のんびりウオーク」2月開催「浦添てだこウオーク」の紹介がありました。沖縄マーチングリーグは、この3大会です。

    

6時半、名護桜太鼓でスタート。

  

朝6時半は、まだ暗い。7時ぐらいになるとようやく明るくなってきました。

  

歩いていると街路樹や庭には、沖縄らしい木や花が咲いています。

  

6,5km、中山公民館が最初の給水地。ここは、スルー。

   

民家の庭には、パパイヤの実が・・・・・・。

「ハブとマングース ショー」・・・・・・・ちょっと恐いですね。コースは今帰仁村に入ります。

  

路次楽(るじがく)は、琉球王国の中国伝来の宮廷音楽。俗に「ガク」「ガクブラ」「ピーラルラー」などとも呼ばれる。宮廷の室内楽であった御座楽(うざがく)に対して、

路次楽は、国王の行列が行進しながら吹奏する「道中楽」であった。沖縄県の県選択無形民俗文化財として選択されている。この湧川地区では今もなおこrっを受け継いでいます。

 

  

海岸線に出てきました。この海は、羽地内海。対岸は、屋我地島です。

沖縄は、お米は作っていないのでしょうか?サトウキビ畑はよく見ますが、田んぼはほとんど見られません。

  

沖縄の家に見られる魔よけの「シーサー」です。よく見ると、神社の狛犬の「阿・吽」みたいですね。

カンムリワシを飾っている家もありました。

  

また、民家をみると、「石敢當(いしがんとう)」と表札みたいに掲げている家もあります。石敢當という姓の方かな?と思い、一緒に歩いている沖縄の方の聞きましたら、この石敢當とは、

市内を徘徊する魔物は、直進する性質を持つためT字路や三叉路などの突き当りにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。その為T字路や三叉路の突き当りに石敢當を設け、

魔物の進入を防ぐ魔よけだそうです。

古宇利島まであと6,5km。道の両側には、サトウキビ畑です。

    

橋の駅リカリカワルミ」に来ました。ここが17km地点。リカリカというのは、行こう行こうという意味だそうです。ここで少し休憩します。

店内には、今帰仁村産のスイカも売られていました。

ここには、展望台があり古宇利島の絶景が見られます。

  

再び歩き出します。

ワルミ大橋」は、2010年完成。本部(もとぶ)半島と屋我地(やがじ)島を結ぶ全長315mの橋です。

眼下には、ワルミ海峡を望みます。

  

コースは、屋我地島に入りました。

 

20km地点が「美らテラス」です。ここがチェックポイントかなと思いましたが違いました。給水所でした。

ここから「古宇利(こうり)大橋」を渡ります。

   

古宇利(こうり)大橋は、2005年(平成17年)2月に開通。屋我地島と古宇利島を結ぶ全長1960mの橋です。

橋の両側にはきれいな海が広がっています。今では、沖縄本島の絶景スポットとして多くの観光客が訪れています。

歩いていると沢山の観光バスが行き交っています。やはりここは、僕等ウオーカーのようにゆっくり歩いてこの景色を味わいたいですね。

それにしても綺麗です

  

古宇利島の中央にみえるのは、「オーシャンタワー」です。

  

コースは、古宇利島から折り返します。

  

古宇利島から屋我地島に戻ります。橋を渡り200mぐらいから左折し、農道を歩きます。

いつの間にか、ウオーカーの姿が見えなくなりました。僕らが一番最後かな??今までは、前の人についていけばよかったのですが、ここからは一人旅、矢旗を見逃さずに歩こうと思います。

   

屋我のコバテイシは、県道110号線の海岸線に沿う距離126mの並木でコバテイシ13本の大径木が生育しています。かつては、その木陰で年中行事の後に青年たちが沖縄角力をとったり、

村の大切な取り決めや申し合わせなども行われました。また、明治末年までこの海浜に村共有の黒糖製造小屋がありその憩いの場として、バスの待合所として木陰が利用されました。

  

屋我地大橋を渡ります。橋の手前には、ここに飛来する鳥が紹介されています。歩友の東京のホロホロさんが若し見られたら喜ばれるでしょうね。

  

屋我津波被災地跡は、1960年(昭和35年)5月、地球の裏側南米チリで起こったM9,5の地震で大津波が発生し沖縄久志村、羽地村(現名護市)、石川市等で数回にわたって来襲し甚大な被害を被りました。

当地には、真喜屋小学校がありましたが津波によって全校舎、校地が破壊され移転を余儀なくされました。この被災を教訓に地震・津波の防災の為に生かしたい。

ここでは、防災施設の建設が行われていました。

  

31,1km地点の道の駅「羽地の駅」がチェックポイントです。時間は、12:45

ここに来るとようやくウオーカーの方の姿が見えるようになりました。あと約9km。

   

ここからは国道58号線を歩きます。名護の今日の気温は22℃、空気が乾燥しているのか、喉が渇きます。

地図を見ると、ゴールまで給水所がありません。コンビニを探しますが、見つかりません。

コンビニと言えば、沖縄には、ローソン、ファミマーがあるだけでセブンイレブンはありません。意外でした。

コース上にスーパーがありましたのでそこに立ち寄り「ガリガリ君」を購入。

   

    

名護市役所に来ました。いよいよゴールです。市役所の建物も面白い形をしています。

14:55ゴール 

久々の40kmでしたが、そんなに膝の痛みも感じずゴールすることができました。あとはもう少しスピードを上げることですね。

  

ゴールでは、オリオンビールがプレゼントされました。渇いた喉には最高ですね。

   

16:30からは、ウオーカー交流会です。

ここで埼玉・Iさんご夫妻が沖縄マーチングリーグで表彰されました。抽選会では、私、沖縄・森のガラス館のグラスセットが当たりました。

  

ウオーカー交流会名桜大学

https://youtu.be/T5iPWpwr0JE