なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

いんすぴれーしょん!?

2011年05月07日 | Music & Life 

長らく待ち続けた(探していた)サインが見えてきたような気がする


昨日、仕事に行く嫁を駅まで送ったついでに駅前の図書館に寄ってみた。ZUYAの図書館通いは大学を辞めた頃に始まる。自分で選んだ“中退”の後、“学がない”と馬鹿にされるのはシャクに障るのでで色々な本を読んだ。それはカナダ時代にも継続したが、東京に来てからより顕著になる

この駅前の図書館は小さく、駒込に住み始めてから2度ほど行ったが良本に巡り会うことはなく、最近では隣の北区にある桁違いの蔵書のある図書館に通うようになっていた。久々に何気なく寄ってみたのだが、例によって“ピン”と来る物はなく館内を一周し帰ろうとした時ある本が目に飛び込んだ。

『 ビリー・ジョエル・ストーリー 』 だ

ビリー・ジョエル・ストーリー
ビル・スミス
扶桑社



こう言うバイオグラフィー的な物もこれまで色々読んだ。サム・クック、マディ・ウォーターズからロン・ウッド、エリック・クラプトン、ジョージ・ハリスンまで、映画ではジェームズ・ディーンとクリント・イーストウッドなど。

そう言えば昔(特に10代だな)ビリーに傾倒していた時は、彼のこういう類の本はなかった。確か“詩集”ぐらいかな。どうやら近年刊行されたようで、手に取りページを捲ってみるとZUYAが好きだった時代のことから割と近年のことまで書かれている。

“これは面白そうだ”と思い借りて帰ることにした


ZUYAがビリージョエルを聴かなくなった理由は彼が長年苦楽を共にしたバンド・メンバーを解雇してしまったからだ。アルバムで言うと1976年発表の 『 Turnstiles(ニューヨーク物語) 』 から1986年発表の 『 The Bridge(ザ・ブリッジ) 』 までのメンバーだ。そしてタッグを組んでいたプロデューサーのフィル・ラモーンとの決別。確かにその後の『 Storm front(ストーム・フロント) 』 のサウンドはビリー・ジョエルらしからぬ物になってしまいそこからZUYAは聴かなくなった。

ZUYAの音楽の好みの最大の鉄則は“バンド・サウンド”であり、それを伴わないフォーク・シンガーやらテクノ等には一切の興味を示さない。そして厳密に言うなれば“荒削り感のあるサウンド”、これこそがロックだと思うわけでして。だからイーグルスとかの“スタジオでばっちり練りこみました~”的な音は洗練され過ぎて好きになれないわけだ。


話は飛んだがその“ビリー・ジョエル・バンド”解散の真相についても実に詳しく書かれている。しかもあのダグ・ステッグマイヤーが解雇数年後に自分の頭を打ち自殺していたなんて...(この話は同じベース・プレイヤーであったカール・レイドルがクラプトン・バンドを解雇になった後、ドラッグに溺れて身を滅ぼしてしまうことを連想させる...)。

バンドのギター・リストの一人、ラッセルは解雇された時を“引き際”と心得て音楽シーンを離れ、家族養うためにあらゆる仕事をしているそうだ。

そしてビリー自身は私生活が大いに荒れ、アルコール中毒に...。なんとも胸を打たれる思いで読み耽ってしまった。ふと気づけば日付が変わっている。


今、ZUYAは自分自身のスタンスをどう置くのか悩みに悩んでいる(理解できない方に理解して頂こうとは思わないが...)この数ヶ月頭の中はごちゃごちゃなのである。これだけは自身で答えを出さねばならないが、このタイミングでこの本に巡り会ったのも何かの縁ではなかろうかと思うわけであります。

今月一杯で休息期間は終わらせ、社会復帰を果たすのが今のZUYAの目標。今日の“出会い”を合図にこれから様々なサインが飛び込んで来るかも知れない。人生において重要なことは“タイミングを掴む”ことだとZUYAは日頃心掛けていた。これからの数週間“機”を逃さぬようにアンテナをしっかり立てておかねば