なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

大阪アゲイン...

2024年01月29日 | Hard time
おはようございますZUYAさんです☺️


新年上旬の「大阪滞在記」を書き終えていないのに

昨夜、東京の“王子”から夜行バスに乗り

先ほど大阪の“天王寺”で降りて

実家に到着


連絡せずに来たから

母がクリビツテンギョウ


ええ、この更新は

大阪にて~😅





優先順位を見極めて

やれることからやって行こうと

考えた上です🤔


あべのハルカス


今月2度目の大阪...


Have A Nice Day, Folks!😉


※スマホ版gooブログ、使い勝手がわからない...

I've Got The Blues... (ちょっとツラいかも...)

2024年01月28日 | Music

世の中

厳しい状況におかれている方が

五万といるのはわかっている

 

それに比べれば...

 

でも苦しみは人それぞれ

ここのところ...

毎日が嫌になっている

 

こんな時こそ言うべきなのか

I’ve Got The Blues.

とね

 

今の状況はいつの日にか

“芸の肥やし”になるだろうか

 

 

こんばんはZUYAさんです

ちょっと厳しい状況が続いています。先日引いた長く自身の“1年の指針”にしている浅草寺のお御籤でも、前半戦は厳しそうなことが書いてありましたが...

 

数日前の休日、久々に大沢師匠に電話をしてみました。元旦からの大阪滞在から戻ると自宅の留守番電話にメッセージが残されていたのですが、かけ直す気力がないまま放置していたもので...

今しかないと思って電話をしてみたわけですが、やはり1時間はみっちり話されていましたが、ZUYAさんの話も珍しく聞いてくれましたね。諸々の事情を話すと、「Blues Get Off My Shoulder」を聴いてみなと言われました

オリジナルは1958年のBobby Parkerですが、その後も様々なミュージシャンにカバーされているブルースの名曲の一つです。中でもZUYAさんが興味を持ったのは、Little MiltonとRobert Crayのバージョン

 

 

リトル・ミルトンは1970年発売のアルバム「If Walls Could Talk」の中で歌い上げている。割とこの曲のカバーでは人気があるようですね

 

 

ロバート・クレイは彼の2012年のアルバム「Nothin But Love」の中でプレイ。彼は現代に残る数少ないブルーズマンの1人であると言っても過言ではありません

 

そしてまた師匠は言っていましたね、「黒人の人達の受けた境遇に比べたらマシなんだから頑張れよ」と

 

ちょっとブログも途切れがちになるかもしれません(大阪滞在記、途中なのにすいません)。

Have A Good Night,Folks!

 

※コメント欄閉じています

 

 

 


いつもと違う帰郷 その5

2024年01月26日 | 

 

こんばんはZUYAさんです

今日の休日は、思いっ切りだらけてみました。午前中は師匠に電話をしたり音楽を聴いたりして過ごし、ランチは行きつけの隣町の寿司屋さんへ。ええご覧の通り瓶ビールの後に...おかげで今夜は飯抜きにしましたよ 

 

          

 

「大阪滞在記」の続きを綴りますね 

 

大阪滞在も5日目。さて前夜は旧友との再会で喜んだのも束の間、一転して悲しいお酒になってしまいました。もう本当に東京に帰りたくて、その晩は夢にまで見たような気がします(日が経ちすぎて忘れてしまいました...)

朝風呂に入った後は、母と2人で朝食。数日前に家人を新大阪駅まで送った帰りに大量に買ったはずのパンですが、どんどん消費されています。なるほどZUYAさんのパン好きは、母親譲りなのかもと思いました(そして酒好きは、母方の祖父譲り...) 

 

さてこの日は病院へ父に面会に行くこと以外は特に用事はないので、前日に続いて門扉の修理に必要な部品を更に購入しに行くことに。しかしご存知の通りZUYAさんは、年齢に見合うほどの裕福な生活はしておらず、今回の滞在であの雀の涙のボーナスを使い切る覚悟でした。でも流石に減りが早くなって来たので、そろそろ倹約しないといけないと思い、この日は徒歩でホームセンターに行くことに
 
母がもっと近くにもホームセンターがあるはずよと言うので、スマホで調べてみるとやはり隣町にある前日に行ったのとは別の店舗を発見(※この時点でどうも怪しい気がしました...)。家からの距離は片道2.5キロ。ZUYAさんはご存知“ヘビー・ウォーカー”なので、全然問題なく歩ける距離です
 
ところがいざ行ってみると、“あるべき場所”にそれが見当たらないのです。どうやら潰れてしまったようで...手ぶらのまま引き返しましたよ。もう一度前日の店舗まで行く気力もなく、なんとか家にある部品・工具で修理作業に取り掛かることに
 
 
それが済み近くのスーパーで、母に頼まれた水のケースやらZUYAさんのお酒やらを買い込ました(あれ?倹約の話は...)。もちろん機動力がないので、とほほの徒歩でね。でもこれから先はどうするのだろう...父はもう自転車には乗れないし、母は昔から自転車にも乗れない。そしてネット環境も無し...これは兄弟3人、知恵を絞らないといけませんね
 
とにかく時間を持て余していたZUYAさん。訪れたスーパーでは何も買わず、これからの自分の職場に活かそうとじっくり店内を見て回りました。30分ぐらい何も買わずに見て回る...さぞかし怪しい人物だと思われたことでしょうね。そうそう愛媛県産「紅まどんな」が売られていたので母に食べさせたら、その美味しさにとても喜んでくれましたよ
 
“今度買って、退院してきた父に食べさせるわ~”と言っていましたが...
 
母よ、紅まどんなは意外と高いのだよ...(←なんか...ブロ友のpiriさんの口調...)
 
 
前日同様に昼飯代わりに焼酎を呑んでお昼寝。午後3時になって病院へ面会に行きました。市民病院なのですが、どうもその運営体制に疑問を感じているZUYAさん。だいたい平日の14~16時の間でしか面会出来ないって...一般的に面会やお見舞いは皆さん土・日に行くものだと思いますけど。その上、看護師によって対応も違い...
 
この日、父を面会のスペースに連れて来てくれた看護師さんは前日とは違う人。連れて来てくれたのは良いのですが一言、
 
「自力でこの場に来れない患者さんとは面会は出来ませんから」
 
なんて抜かしやがったので、
 
「はぁ?昨日はそんなこと一言も言わんかったやないか!」と噛みつくZUYAさん
 
「昨日の看護師の名前はわかりますか?」
 
「わかるわけねぇだろ、んなの!どう言うルールになってんのか確認せぇよ!」と言ったら
 
「確認してきます」と言ったのに、そのままフェードアウト(ええ逃げましたよ...)
 
面会時間の終わりを告げに来たまた別の看護師さんに(昨日は時間に厳しくなかったのに...)、先ほど来た看護師さんに言われた旨を確認すると、
 
「そんなことはありませんよ。入院されている患者さんはご家族に会いたいでしょうし、面会することによって元気になりますからね。気兼ねなく来てください」と...
 
大丈夫かこの病院...
 
 
 
そしてこの面会中に、病院に常駐する介護関連のスタッフから、「認知症の傾向が見られますので、介護保険の申請は時間がかかりますから、もう申請しておいて下さい」と言われました
 
時間は既に16時過ぎ...翌日からは土日月と3連休(1月6~8日)だから役所は休みですよね。急いで家に戻って介護保険証をひっつかみ、1.5km先の市役所まで急いで向かいました。閉庁までは15分前に滑り込みセーフ
 
 
 
 
8日(月・祝)に帰京する予定でしたから、今日やっておかないとZUYAさんは滞在が更に延長になってしまいますからね。それが終わり家に帰り着いた頃には遂にストレスが爆発寸前になってしまい母に、“今夜は独りで外で飲ませて下さい”と告げて家を出ました~ 
 
 
 
 
実は目を付けていた店があるのです。子供の頃から前を通る度にいつかは行ってみたいと思っていた焼肉屋「安さん」。いつもは三が日だけの滞在ですから、訪れるチャンスはありませんでした。ZUYAさんにしては珍しくネットで下調べをしてみると、極端な賛否両論で...まさに“メチャクチャ不味い”か、“メチャクチャ美味い”のコメントしかないのです...もちろんここは己を信じて暖簾をくぐりましたよ
 
 
メチャクチャ美味いやないか~い! 
 
 
おそらく小奇麗な(こじゃれた)お店でしか、食べたことのない人は苦手なのでしょうが、ZUYAさんのように“モノ本の呑兵衛”にはぴったりでした。上ミノ、ロース、ハラミ、もう1回ハラミ、もう1回ロースを食べて満腹。飲み物はビール2本と日本酒1合で、世は満足じゃ!(←懐かしの大阪ローカルCM「レジャービル味園」より)
 
 
 
カウンターで独り焼きながら喰らう
 
 
 
で、お店を出ましたが、まだ20時前...
 
もう一軒行っちゃう?
 
 
 
 
今度は子供の頃にはなかったお店へ。厨房に男性が一人いる以外は明るく元気な女性スタッフばかりのお店でした。軽~いツマミにハイボール2杯とウィスキーをストレートで4杯...ええZUYAさん、新年初ぶっ壊れましたね(あの...倹約の話は...)
 
 
 
 
うどんに“お”付けるのが大阪らしいですね
 
 
流石にこのまま家に帰り、寝床に潜り込みました。母もZUYAさんの朝風呂に慣れて来たようです
 
今宵はここまでにしておきますね
 
 
To Be Continued...
 
 
          
 
 
さて週末は2日間、また新しい勤務先で引継ぎ。何とか楽しみを見つけたいものです
 
Have A Good Night,Folks!

いつもと違う帰郷 その4

2024年01月25日 | 

おはようございますZUYAさんです

昨夜から今朝にかけて、東京地方もずいぶんと冷え込みましたね。昨夜は珍しく定時で退社し、(これまた珍しく)休憩室での一杯もやらずに真っ直ぐ帰って来ました。商店街のスーパーにだけ立ち寄り夕飯の材料を買い込んだぐらいです。ちなみに「キムチ鍋」にしました

 

さぁ「大阪滞在記」の続きを綴りましょう  

 

やっぱり大阪で食うお好み焼きは美味い!

 

暮れに届いた父に関する一報で、「緊急で手術・入院」、更には「面会謝絶」と言うワードがインプットされました。ところが何処でどう変わったのか、不安に掻き立てられながら年が変るのを待って、新幹線に乗って大阪に来てみたわけです

すると“面会謝絶”と言うのは、“病院が人手不足のために年末年始の面会はお断りします”と言うものでした(後に土日祝日もダメなことが判明...)。つまりは平日の「14~16時」と言う2時間の枠の中でしか面会できないと言うのです。しかも15分間だけ...

大阪滞在も云十年振りの4日目になりました。ええ今回の滞在を伸ばしたのは父の顔を一目でも見て帰らないと、何のための帰郷かわかりませんからね。そしてこの1月4日から面会は再開。ようやく父に会えるわけですが、よくよくすっかり耳の遠くなった母に聞いてみると、15時に病院に行くと

 

う~ん...ではそれまで何をして過ごせば良いのだろうかと考えていると、「門扉のドアノブが壊れているから直してくれないか?」と母がリクエスト。早速、扉を確認しに行くとどうやらまるっと交換が必要。この手のことは得意だから良いのですが、問題は必要な部品等を何処で手に入れるかです

 

 

 

ZUYAさんが住んでいた頃には、徒歩10分ぐらいのところにホームセンターがあったのですが、今は隣町まで行かないとないようです。スマホで一番(アクセス上)効率の良さそうな店舗を検索、近鉄電車に乗ってその最寄駅から1.3kmを歩く方法を選びました

 

 

時間もあり余っている上に(ZUYAさんなら)自宅から直接歩いて行ける距離でしたけどね。近鉄「高安駅」でスマホでついついパチリとしたのは、駅のホームにある懐かしの「反転フラップ式案内表示機」。今は何処もほとんどが味気ないデジタルになってしまいましたよね。時々チラッと見たこともない表示(レアな行き先など)が見えると子供心にワクワクしたものです

若い頃に通った自動車教習所や生駒の山々を眺めながら歩いていると、あっという間にホームセンターに到着しました。先述したようにドアノブは全て交換になるので、同じタイプの物(インテリジェント錠)の取り付け寸法を家を出る前に何ヶ所か測って来ました。が、うっかり一番肝心な“バックセット”と呼ばれる部分を測り忘れていました

これも前日の万博記念公園の休園と言い、昨年11月以降からの不運の続きであることは間違いないと思いますよ

 

バックセットは取り付ける扉のドアノブの中心部から扉の端までの長さ。何種類かあるわけですよ。手ぶらで家に戻って測ってもう一度ここまで来るか、とりあえず購入してダメならもう一度足を運ぶか...一か八か好きのZUYAさんは後者を選びましたよ(この2択を提案してくれたコーナン八尾山本店の女性店員さんに感謝です)

 

 

ドキドキしながら来た道を戻り、家に着くと早速作業に取り掛かりました。結局選択はバッチリで交換は上手く行きました。ところがここがプロとトーシロの違いですね...扉の受け手側になる「ラッチ受け(ストライク)」と呼ばれる部分を随分慎重にやらないといけないことが分かりました。まぁ帰京まではたっぷり時間があるのでのんびりやることにしましょう

 

これが終わり、自室で昼飯代わりに焼酎を呑んで昼寝していると面会の時間が近づいて来ました。病院までは徒歩で10分ほど。母親はまだまだ元気なようでサクサクと歩いているのに少し驚きでしたが、やはり高齢者特有の(いや郊外特有と言うべきか?)“道の歩き方”には不安になりましたけどね

面会カードを記入してナース・ステーションに提出すると、看護師さんと共に付き添われ点滴スタンドに掴まりながらそろそろと歩いてくる父が見えました。2年振りに見た父...すっかり痩せていました。てっきり病室でベッド上での面会になるのだろうと思っていたので、そういう意味では予想に反して元気で良かったです

イスに座り会話を始めましたが、体型だけでなくあの大きかった声までもが随分と細く小さくなっていました。若干、認知症が入っていると前情報を持っていたのですが、ここは本場の大阪人、会話の中で本当にボケているのか受け狙いでボケているのか区別がつきませんでした

ZUYAさんの母はこんな時でも気をつかう人で、確かに面会は15分と決められていましたが看護師さんも特に呼びに来ないので、母も父が入院後初めて会うのだし(看護師さんに)呼ばれるまで話していれば良いのに、“面会の場を他にも使いたい人がいるだろうから...”と、さっさと切り上げようとするのを見て、ここだけは意思疎通が出来たのかZUYAさん、父と顔を見合せて苦笑いしました

で、母親は立ち上がったのでナース・ステーションに声を掛けに行きますと浪花の女子看護師たちが皆、“え?もうエエのん?”って顔してましたよ

 

 

さてZUYAさんは面会の後は家に戻らずに、梅田に向かいました。大阪にはもう友達はいないのですが、ひょっとしたら同じように誰か帰省していないかと連絡を取ってみると、あの香川県で悠々自適に生きている親友Sくんがいました。彼と昔と比べてあまり変わっていなくて、わかりやすそうな「お初天神」で待ち合わせをすることに

JR大阪駅から懐かしのルートを思い出しながら歩くもすっかり変わってしまいましたね。変わっていないのは街行く人々が“大阪弁で話している”ことだけ。待ち合わせ時間まで写真を撮っているつもりでしたけど、“撮りたい!”と思わせるスポットがあまりなく...何で都心部って何処へ行っても同じなんですかね~ 

 

 

何を食べようかと考えた時に閃いたのは「お好み焼き」でした。散々、大阪は嫌いだ嫌いだと書いているZUYAさんですが、食べ物の美味さだけは認めます。大阪名物はもちろんのこと(※串カツは名物ではありません)、ラーメンから何から何まで何を食べても東京で食べるものより美味しいと断言しますよ

さて事前に調べたわけではなく、昔ながらの“勘”で選んだお店に入店。数年振りに“都会に出て来た髭面に草鞋を履いた男”と“革ジャンにポニーテールと髭面の男”2人が入店すると、一瞬店の雰囲気が変ったのはご想像にお任せします

ZUYAさんはモダン焼き、Sくんはネギ焼きを注文。後はキムチと餃子をシェアしました。味はまぁまぁかなぁ

 

その後はレコード・ショップへ。Sくんと出会ったのは20歳の頃、ZUYAさんが音楽雑誌「Player」にバンドメンバー募集の広告を載せたところやって来たのが彼でした。その時のバンドのメンバーとはリハが終わった後には、レコード屋を巡ることが多かったですね

Sくんの話やと大阪にもdiskunionが出来てると言うことで探して行ってみました。何と懐かしの「ActⅢ」にありました(←大阪の人間にしかわからへんわ~)。ここはここで昔違うレコード屋があったような名前は思い出せませんが

 

 

 

このあと茶屋町界隈をウロウロしました。Sくんが正月に大阪で間借りしている所には色々な悠々自適な人や風来坊、放浪の旅人が泊っているそう。ZUYAさんもその夜泊まりに来たらええねんと誘われましたが、一応母の面倒を見るために大阪に残っているので「外泊」は丁重にお断りました。またの再会を約束して解散。ZUYAさんは帰路につきました

ところが...な~んか物足りなくて御堂筋線に乗り、ミナミの夜の街へ(Sくんは昔から乾杯程度にしか呑めない)。嗅覚鋭いZUYAさんですが、全くピンと来る店が見つからず、再び地下鉄に乗って天王寺へ移動。やはり路地に入りこんで吞み屋を物色しましたが、どこもパッとしない...

もう帰ろう

諦めて地元の駅まで帰って来ましたが、何処も消灯。“おいおい東京なら1月4日なら商売再開だぜ!?”と思いながら寂れた商店街を歩いていると、唯一灯りの点いてる店を見つけて入るとカウンターは(間違いなく)常連客で埋まっていて、挙句に“もう閉店です”と断られてしまった。なら看板消しとけよと思いましたが...

結局、家の近くのコンビニでハイボール缶...もうこんな街嫌だよぉと(東京に)帰りたいモードは最高潮に。良い年をしたおっさんが涙を堪えながら飲んだちょっと寂しい夜になりました

 

ちょっと長くなりました。ここまでにしておきます

To Be Continued...

 

          

 

さて時間は戻って今日は1月25日木曜日、ZUYAさんは公休日です。滞在記の中の気持ちと大して変わりません

明日から2日間また引継ぎで、新勤務地に行かないといけないので。本当に憂鬱なのですよ。この店舗は信じられないぐらいの額の赤字経営...つまりはお客さんも少なく一日が長い...(おそらく近い内に...)

とりあえず今日を楽しまなきゃ...

Have A Good Day,Folks!


いつもと違う帰郷 その3

2024年01月23日 | 

こんばんはZUYAさんです

あっという間に休日が終わりました。昼まではブログを更新したり音楽に浸っていました。どうもカメラを持ってと言う気分ではなく、手ぶらでふらっと外に散歩。駒込から田端、日暮里と歩いていつもの鶯谷の中華系居酒屋「東瀛」へ入りました。昨晩あれほど飲んだのに、本当に懲りないZUYAさんですね 

 

 

こちらではだいたいお決まりの物を食べるのですが、毎回食べたことのない物を一品だけチャレンジしています。今回はボードに書かれていた「爆発こんにゃく」なるもの。想像もつかなかったのですが、写真のようにニンニクや唐辛子で炒めたなかなかグッドな味でした

スーパーに寄って家に帰り、夕飯用にシーフード・カレーを仕込んでお夕寝タイム。そんな感じで一日が終わりました

 

          

 

さて「大阪滞在記」の続きをお楽しみくださいませ~  

 

2年振りの帰郷もあっという間に3日目。いつもだとこれにて終了で帰京するのですが、父に会わずじまいで帰るのもなんだし、母も心細いだろうと思い帰郷する前からZUYAさんは滞在を延ばせるだけ延ばすつもりでした(家人は翌4日から仕事のためこの日に帰京) 

不思議なものですね。家人は昨年のクリスマスにインフルエンザに感染して長い冬休みになり、ZUYAさんは父が年末に手術・入院したことにより長い冬休みになったわけです

 

 

朝食を済ませた後、帰省3日目の恒例行事であるお墓参りへ。家から15分程歩き山を少し登った所に墓地はあり、そこからの眺めは昔と変わらず良い感じです。羽曳野の応神天皇陵を始めとする古墳群、PLの塔、昔はなかった「あべのハルカス」辺りまでは、直ぐに見つけることが出来ましたね

その後は昔は山梨を抜いて生産量日本一だったぶどう畑を抜けて、「鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこぬでひめじんじゃ)」へ。子供の頃から“大県神社(おおがたじんじゃ)”の愛称で親しんでいましたが、最近は正式名称で呼んでいるようです。ここから実家の位置を探すのは、子供の頃からの癖(習慣?)ですね  

 

 

 

 

 

 

 

さて両親の健康を中心にお願いして、階段を降りて家に戻ろうとすると、くっついて暖を取っているにゃんこさん達を発見。起こさないように、そぉ~と撮ろうとしましたが、クロが気が付いちゃいました

 

寝てる~

 

あ!目が開いた~

 

さて家に戻り少し寛いだら、家人を見送るために大阪市内まで行くことに。新幹線に乗る前に何処か行きたい所はあるかと聞くと、「太陽の塔」を観たいとのこと。ええ、1970年の大阪万博の時の目玉の一つであり岡本太郎の傑作ですね

と言うことで万博記念公園へ向かうことに。JRから地下鉄堺筋線に乗り換えて北上、淡路駅で阪急千里線に乗り換えて山田駅で下車。そこからモノレールに乗り換えてようやく到着です。ZUYAさん、太陽の塔を観るのは小学校の遠足以来かもしれません(いや...サッカーのコーチをしていた時に引率して来たかも...)

 

モノレールの軌道って、なんか不思議ですよね~

 

 

さぁ何車線もある道路を挟んで、太陽の塔が見えています。今は駅近くにショッピング・モールがあるんですね、意外に人手があって驚きました。その道路を跨ぐ長い歩道を渡りきると愕然としました...

 

「本日休園日」

 

 

 

 

ええですから、これらの写真は門扉の隙間から覗いて撮ったわけです

そう言えば遠い昔、カナダに家人と行った時にウィニペグの動物園の中にある児童小説「熊のプーさん」のモデルになった「Winnie-the-Pooh」の銅像を観に行きました

でも車で連れて行ってくれた友人カップルのStephanieとBradが、“それを見たいだけなら外から見られるよ”と入場料をケチって、やはり門扉の隙間から写真を撮ったことを2人して思い出して笑いました

 

その時の写真です(笑)

 

その後は再びモノレールに乗り千里中央駅へ。ここらで昼食を食べれば新大阪駅までは直ぐですから安心です。新大阪駅まで行ってしまうと大混雑でどの店も並ばないと入れませんからね。ここらが地元出身者(ZUYAさん)の知恵ですね。駅構内にある赤提灯に惹かれて居酒屋さんへ 

 

 

安居酒屋に付きものの“なかなかの塩気”...どれほどきつかったかは、生ビールが嫌いなスーパードライなのに6杯も飲んだことから判ります(しかも税抜き193円と安かったので)。串カツ盛り合わせ(15本)は、流石に塩辛くなかったので安心しました~

 

 

 

 

 

大阪に来ると〆は必ずうどんを食べるので、ここでは腹八分目にして新大阪駅へ移動。構内にあるうどん屋に行こうとしましたが、家人の気が変り彼女を見送った後にZUYAさん独りで頂きました

 

 

食べ終わると急に独りである実感が沸いて来ました。家人に何度も窘められましたが、出来ることなら東京に戻りたかったのです。「1」でも書きましたが、大阪の空気感が基本的に苦手だからです

でも先述したように、今は母を独りにさせるのは忍びないし、他の兄弟のためにも父の生存確認(←縁起でもない?)もしておかないといけません。ええ、まさに葛藤ですね

地下鉄御堂筋線に乗って天王寺へ移動。母が食パンをリクエストしていたので、コンビニで済ますようなことはせずに、住んでいた頃によく買った「エーワンベーカリー」へ。家人は帰って父もいないと言うのに、食パンだけでなくクロワッサンやらくるみパンやらと色々買い込み、結局3~4人分は買ってしまいました...

 

JR天王寺駅前からあべのハルカスを見る(スマホ撮影)

 

家の籠に盛られたパンたち...(スマホ撮影)

 

JRに乗り暗い地元に戻ってきました。何度も書きますが、街は本当に寂れてしまった。その上“(家人に)大阪に置いて行かれた”感が、それに輪をかけてしまい暗い気持ちで家に戻りました

母と2人での食事...何年振りだろう...いや恐らく20数年ぶりとなる。まぁすっかり耳の遠くなった母です。山口百恵の歌ではないですが、何度も同じ話をするしね

オカズだけツマミながら、一人でガブガブ飲んで与えられた2階の部屋へ戻ると、“あぁ独りなんだなぁ”と再確認して21時前には眠ってしまいました

 

夕飯

 

寝酒用品 

 

今宵はここまでにしておきますね

To Be Continued...

 

吉報なのかどうかわかりませんが、来月1日付での異動は5日付けに変わったようです。でもZUYAさんは移動後は公休日が「月・火」に変更になるので初日から休日と言うことになります

ではお休みなさいませ~

Have A Good Night,Folks!