michigan's

〜my everyday life, とりあえずの日常〜

気になるスポット、連日お魚料理、ムスカリなど

2024-08-24 03:39:00 | 日記2024
8/22(木)。

午前中、母の髪染めを手伝っただけで、
特にどこにも出かけない日。

クーラーを入れた部屋だけに行動が限られるから、
この「特に何もしない」というのもそれなりツライと言えばツライ。

ただまあ、大抵のことが一人でできるとは言え、
「家事および自分の身の回りのことを全て一人で完結させる」というのは、
私の歳でもやや(心身共に)キツく感じられるようになって来ました。

母の歳ならさぞ、と思いながら普段は離れて(放って(ー ー;))いるわけなので、
こんなに続けて母といられるのは、
たとえ家の用事満載で忙しくても、反対に暇すぎる日があったとしてもそれはそれ。
感謝するべきことなんだろうと思います。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この日の夕飯は、頑張って魚料理メイン。



まずは、予定していた「ぶりカマ焼き」と、



母は生魚が嫌いだけれど、
この日のは全く臭みもなく、食べる価値あり!ここで食べさせなくては!、
と判断して頑張って作った「鯛のお刺身」。


 
鯛のような鱗の大きな魚、皮の硬い魚の処理は嫌いなのですがw、
今回のはそのへんはプロがさすがのきれいな処理をしてくれていました。

ただ、刺身となると皮を引くのがなかなか厄介でした。

そして、アラから出汁を取って、ほぐした身で「鯛雑炊」。


鯛と昆布の出汁が効いていて塩味薄め。
これは我ながら良かったです^_^


私、「モッタイナイ人」なので、
やる時はここまでやりますf^_^;









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8/23(金)。

午前中、ドラッグストア系に買い物。

この際ついでに、
前から母が気になっているらしい市内のスポットめぐり(別に観光地ではありませんf^_^;)のドライブ。


まずは、建て替え工事が予定されている、
地区の小学校。

(私はここを出たわけではないので、元々の校舎がどうなっていて、どう工事が進んでいるのかいないのか、車で通っただけではよくわかりませんでした。)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

次に行ったの、
何年か前に市が誘致しようとして、
新築工事の途中で計画が頓挫した「某大学」の建物。



入り口の上の隠されている?部分はその大学名だろう、と母が言います。

この、四国の果て(しかも岬のほぼ突端)の山の中に特殊な学科のみの単科大学を作って、
寮があって全国から学生を集めたとしても、
そりゃちょっとムリ。
(というのは地元民にはわかる。)

コンビニは徒歩でだいぶ歩いたところにある一軒、
隣に産直市があっても若いモンは嬉しくないし。
遊びに出るのは車で15分くらいの街だとしても、
過疎化高齢化の街に、若者が遊ぶような施設があるのか??

(ちなみに、ここからイオンモールまで約120km( ̄▽ ̄;))

国からの補助を含めて15億円計画の事業だったというこの大学誘致、
直前にその母体が申請を取り下げて、
市には7億くらいの負債が残り、
それを今後どうするか、
またこの中途半端なところで工事が止まっている建物をどうするか、

が今実家の市政に影を落としているようです。
(ただでさえ貧乏地方都市。)

政治、財政の問題のほかに、
実際問題とんだ迷惑を被った教え子もいます。

「県内だから」ということで選んで推薦入試にも合格していたのに、
入学直前の3月にその大学がなくなった(@_@)
仕方なくその母体の法人の本拠地の近畿圏の大学に行ったけれど、
うまくやっているだろうか。

と、このような景観の中にあるものの↓





それだけで若者が、その貴重な若い時間を存分に(遊びを含めた)学びに没頭することは不可能、酷というものでしょう。

(私見ですw)

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この日の夕ご飯↓



前日の鯛のお刺身を「漬け」にしていたので、ここは「宇和島鯛めし」か?
と思ったけれど、
母が食べなさそうなので、
思い切ってここは新たに「松山鯛めし」です^_^





「宇和島鯛めし」は「漬け丼」風、
「松山鯛めし」は炊き込みご飯です。

味ご飯をたくさん炊いても母と2人では余らせてしまうので、わずか半合しか作らなかったけれど、
出汁は前日アラから取った鯛だし(冷蔵庫の中で既にかたまりかけてた、コラーゲンたっぷり♪)でした^_^

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他に、昨日のお仕事↓

この前掘り上げたムスカリの球根を、大きさで分類。



1.5センチ以上のまあまともなのが30〜40球、
1センチくらいの、数えきれない。

そしてそれよりまだ小さいもの、
これまた数えきれないf^_^;


庭での作業中、飛行機の音がしたので見上げると、
かなり高いところ?を飛んでいるはずの飛行機の「キチンと三角形」の形が見えて新鮮でした^_^






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お魚買い出し & ムスカリ掘り上げ

2024-08-22 05:11:00 | 日記2024
8/21(水)。

母と隣町まで買い物に行きました。

そして産直市でまた、
新鮮&激安で私のメガネにかなってしまうお魚発見f^_^;






ぶりカマ150円、
ウルメイワシ(6尾)130円。
処理済みの鯛(中くらい)2尾380円。

一時期このへんでめっきり獲れなくなったと言われていた、ウルメイワシが獲れているようです。
後から行ったスーパーでも(ここまでの安値ではないけど)、沢山売られていました。

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その後、もう少し先にある、
この前、妹もいる時に定休日で入りそびれた喫茶店に初トライ。 



地元に根差したお店のようです。
お味はまぁ普通…f^_^;



このモーニングプレートを、
サンドイッチ一切れとゆで卵をヒッソリお持ち帰りの上、
母とシェアしてちょうどf^_^;


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前回も書いたように、
暑さの合間にちょちょっと作業、
クーラーの部屋でクールダウン、

の繰り返しで何とか庭の整理をしている昨今です。

それにしてもこの前から気になっていたのは、
母が数年前から植えっぱなしのムスカリのプランター。



実は私はこの花があまり好きではないのだけど(笑)、
春に花が咲く前からプランター内が雑草に席捲され、
咲いてからも、ムスカリの葉っぱか雑草かわからないほどのギュウギュウ詰め状態。
当然花も年々、
いかにも栄養不良で劣化しているのが目に余る。

調べたら、基本ムスカリは「植えっぱなし」でも良いのだそうですが、
ここは、あまりにもなのでここらで一度掘り上げて一旦リセット、じゃないかしらん。

母に言うと、
「暑いのにそんなことせんでも」と牽制されるのは間違いないけど、
でももう母が自分でやれるorやるわけないし、
とそういう状況です。

私も普段の生活では、
暑くて汗ダラダラのアウトドア作業とはほぼ無縁。
せめて、玄関前のやや日陰のところにプランターと道具を持って来て作業することにしました。

そして、合間にクーラーの部屋の中に入って汗を拭いて涼んで、
を3ラウンドくらい繰り返して掘り出した球根これだけ↓



ちょっとありすぎちゃいまっか?
(驚きのあまり?関西弁( ̄▽ ̄;))

土の表面あたりでは球根が半分剥き出しになっていた割に、
実際掘ると、かなり底の方からも、埋まっていたものがゴロゴロ出て来ます。

そもそもこれまで何の手入れもしていないから、
栄養不足の小さなものばかり。
(大きいもので直径1.5センチくらい、小さいのは5ミリほど。)


私が汗を拭くのに使っていたタオルは、
この何ラウンドかのうちに一本ビッショリになり、
その後すぐまたシャワーに飛び込んだのは言うまでもありません。

発見したのは、

この際人目がどうのと言ってる場合ではない。
こういう作業には、近所のオジサンよろしく首にタオルを巻くか、
あるいはもっと良いのは昔ながらの「ねじりはちまき」とかかも!

ということ(^◇^;)


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そもそもうちでは亡父以外誰も、緑の指を持っていないようなのです。

母は手入れをしているようで、
実はいろんな植物を雁字搦めにワイヤーで縛っているだけだったりw、
変にネットをかけて却って通気や水通りを悪くしている気がするし、
最近ではもう、実際問題雑草引きもかなり大変なのだと思います。

家の三方を囲む庭には、かなりいろんな木や草がありすぎて、
これらを毎日丹念に世話していた父なくしては、
維持するのも、更に何か新しいものを植えたりするのはそろそろ無理なんじゃなかろーか。

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シャワーのあと、
少し遅くなったけれどお魚の処理を。

ぴかぴかウルメイワシがとりあえずこの日のメイン。

フィレにおろしてクルクル、
オリーブオイルとパセリでパン粉焼きです。



母も私も、あまりお腹が空いていなかったこともあって、
予定していたブリかま焼きはこの日はパス。

昨日の夕飯残りの豚汁や、
喫茶店から持ち帰りのサンドイッチほか、
取り合わせとしてはとても変でしたが、
新鮮イワシの美味しさで全OK👍




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最後に、
少しお見苦しいですが、
買い物に出る時に見つけたうちの大事な(祖母の好きだった)桔梗の現在。



完全にこの虫の「エサ」と化してます( ̄▽ ̄;)

調べたら、「ウリハムシ」というようでした。


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許せる雑草、許せない雑草f^_^;

2024-08-20 17:01:00 | 日記2024
8/19(月)。

朝から大雨。



朝起きた時点で母が、
「今日はやっぱり″あそこ″に行かなくては」
と、なぜかいつになく意気込んでいる。

(例によって「あそこ」と代名詞からしか出ないのは問題だ(⌒-⌒; ))

聞くと、
(私の家での普段と違う生活で)寝違えた?首の痛みが我慢できなくなったので、
やっぱり整形外科に連れて行ってくれ、
とのことです。

それまでに私から何度も、
私の家の近くの病院にかかることも勧めたのに、
実家に帰って来て、
しかもなぜか今まで行っていたところとは別の病院に行くと言います。

わざわざこんな大雨の日にーー!?
しかも何かと手続きも要る初診で〜〜??

と思ったけれど、まあここは母の納得するように。

思えば、何かと我慢しすぎる傾向のある母、
伯母の老老介護の時に脊椎を2回折って、
膝も痛くて、そして今度は首。

なのにこの間ちゃんと整形外科に通ったりはしていないので、
その気になった今回仕切り直し、
も良いかもしれない。

そして、たまたまその日の午後に予約が取れたので、
大雨の中、それでも激混みの地域密着の整形外科受診。

細かく書くといろいろありましたが、
母まぁ納得、
しかし2人ともそれだけで疲れた午後でした(⌒-⌒; )

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

そこでこの日の夕飯は、
手抜きのに優しい雑炊で。



実家の秀逸お魚ロースターで、
焼きなすがとてもうまくできます(^^)v




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ところで。

このところ庭仕事どころではない母に代わって、
気になったその都度、
日差しの強くない合間合間に私が、ちょこちょこ庭の雑草を引くことが多いです。

庭の雑草には多々あれど、
その中に私が「ものすごく嫌い」なものがあります。

ズバリ、それはこれ↓





庭の隅っこや、
ちょっとジメッとしたところ、
いやどこにでもシレッと地面を這うように生えているのが個人的に許せない(^◇^;)

調べたら「コニシキソウ」というらしいですが、
妹は昔これを「タコ草」と呼んでいた、とか!

「雑草という名前の草はない」

これは牧野博士の名言です。
そして私は、
どちらかと言うと花屋さんに売っているような花より、そのへんに生えている雑草の花の方が好き。

でもなぜか、
この「タコ草」はちょっと…( ;´Д`)

そして、生えているのを見つけると真っ先に抜くようにしていますf^_^;
(幸い、この草の根はそれほど深くない。)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

なぜ私はこんなにもこの草がキライなのか、
自分でもよくわからないけど、
そう言えば、私が嫌だなと思う草は他にもあります。

これは、「オニタビラコ」(春の七草ではホトケノザ、のはず)か。


こちらは、調べたけれどよくわからない。



どちらも、
タンポポなどのように葉っぱが「ロゼット」と呼ばれる形のもの。

私にとってこれが、
なぜかダメな原因な気がしますf^_^;

今ここの実家にはないけれど、
いつか古い方の実家に蔓延っていた、これ(ヒメツルソバ)も嫌。





(実はこれは、ガーデニングの下草?として育てていらっしゃる方もいるようで。好きな方、スミマセンf^_^;)


まとめると、私が生理的にダメなのはどうも、

地面に貼り付いて蔓延る系?f^_^;


同じように庭で頑張っている草たちですが、
そういうわけで、
申し訳ないけど私はどうしてもそのへん「差別」して撲滅を謀る毎日ですf^_^;


その他に実家の庭で蔓延ったら困る、
と母が嫌がっているのは、



ネムノキの「ひこばえ」。

母が言うには、
実家の裏山の雑木林に昔から一本だけあるネムノキが、
どうしてもこんなふうに飛んで来るので大変なのだそうです。

(私は、この見た目はカワイイと思うけど、確かに、その目で見れば、庭のあらゆるところにこれが生えている。)


反対に、
我が家で今のところ、生えて来てもまあそのまま許されているのが、
妹の好きなスミレと、
ヤマユリ?と、
あと、名前が不確かだけれど、
こういう感じの雑草↓




至極勝手な雑草差別f^_^;


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今朝、雨上がりに昨日のウコンの花がグレードアップしていたので、
昨日との比較に^_^






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ウコンが咲いた

2024-08-19 07:56:00 | 日記2024
この夏の私の帰省(最初は学期の仕事が終わるか終わらないかの7/19だった)以来、
ほぼキッカリ1ヶ月。

実はこの間に母のことでこれまでと違うこと、
心配なことが増えている。

それは書かないけど(⌒-⌒; )


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昨夜から、実家あたりは数十日ぶり、
天をひっくり返したような大雨です。
ギラギラした夏は、ひょっとしてここで一区切りかな。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

昨日の朝、まだほぼ起き抜けだった時間に、
庭の見回り、水やり、そしてちょっとした草抜きをしただけで、
ここ数年かいたことのないような大汗をかいて、そのままシャワーに駆け込みました。

気温はまだそれほど上がらないうちだったのに、
湿度が高かったということでしょう。


その時の発見↓






ウコンの花が咲いていた!

母が、「葉っぱばっかり茂って何の花かもわからないから切ろうか」と言っていたのを、
いや、そんなわけない、これは何かピンクの花が咲くものだった、
と牽制して待つこと約1ヶ月。

その時に検索した通り、
やっぱりこれはウコン(ターメリック)だったようです^_^


そして今年も、



サフランモドキ。



なぜか花壇に数珠f^_^;

子供の頃には、これでブレスレット〜とは言わなかったな、「腕輪」(^◇^;)〜を作るために堤防沿いの湿地帯に妹や友だちと探しに行ったものでした。

そしてこれは↓



私がネジバナを採るのに行った公園で見つけて、
ついでに採ってきたヒナギキョウ。

根っこがほとんど付いていなかったのに、
その後その時のネジバナよりもしっかりプランターの隅に根付いたようで緑の葉を茂らせ、
しかも盛り(本来なら5月くらい)をずっと過ぎた今まで、
結構次々と、色は薄くて小さいけれど花を付けているのは奇跡的です。



しかも、
ほんのちょっとの風で揺れるので、
素人のiPhoneなんかじゃピントが合わないこの花。

この子はそれでも、
私の方に顔を向けてくれることが多い。

写真好き!?(^◇^;) 


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

昨日の夕飯は、







(ちょっとした某騒動のため)午後中かかって、
しかも賞味期限切れのドライイーストの実験がてら、
チンタラ作って発酵し過ぎのテキトーピザとテキトーフォカッチャでしたf^_^;


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笠原シェフの焼きなすレシピと、名前が思い出せない話の発端

2024-08-18 10:36:00 | 日記2024
また暑〜い昨日は団地(地区)の「夏祭り」。

うちの子供たちも帰省の時にはいきなり飛び入り参加させてもらったことのある、
手作り感ある小さなお祭りです。

90代母と、完全にここの住人というわけではない私はあまり関係はなかったものの、
久々の豪雨情報の合間を縫って、
母は寄付兼お祝いの「お花料」をいつどうやって町内会の人に届けるか、
で朝から気もそぞろ。
雨の合間を縫って、夕方家の前を「こども神輿」が通るのを見てからやっと、
あー無事にできて良かったね、
と勝手に一段落f^_^;

実家の団地は全体が高齢化している中、
奥に元々あった老人施設が(もう20年以上前に)他所に移転したあと、
分譲された区画には今は新しい家が建ち、
子供人口もそれなりいるらしい。

昨日のその団地のお祭りは、
昔からの町内会の役員さん達がこれまで頑張っていたのを、
もっと若い世代の人たちが率先してやってくれる、
そんな構図に様変わりしていたようです。

昨日の母と私は、
前日までの半避難生活のいろいろな余波を自分の家でリセットしつつ、
各自ダラダラ〜

そんな日でもありました。


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昼前に私だけがちょこっと買い物に出て、
勝手に自分の食べたい、食べなければと思うものをこの際買って来ましたw

母と私の好み&食生活はだいぶ違うから、実家生活が長いと私の体調は悪化気味です(⌒-⌒; )

母が嫌いな食べ物は、具体的には、

まず生魚全般
見た目(種とか)の気持ち悪い野菜果物(ゴーヤ、オクラ、キウイ、イチジク、ブルーベリーetc.だそうな)、
ネバネバしたもの(これまたオクラ、納豆、モロヘイヤetc.)。

最近では硬いもの辛いものも母にとっては「悪」に近い(⌒-⌒; )

母は元々、食に関して全く贅沢な人ではないのに、
歳をとっていろいろ好みが単純化?されて来るようなのは仕方ないことなんでしょうか。

(これには多分に「思い込み」もあるような気がするけど(⌒-⌒; ))


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

というところで昨日の夕飯は、

長芋のとろろかけご飯(これくらいのネバネバはこの時期我慢してもらう)、
カマスの焼いたの、
豚しゃぶon焼きなす

でした↓



焼きなす+豚しゃぶのレシピは、
笠原シェフのが元。

いつか(この夏になってから)母と一緒に見ていた朝の情報番組で、

まず焼きなすを作ってから、
しゃぶしゃぶにして冷やした豚バラ肉をそのなすに巻き、
薬味などをかけてポン酢をかける

というレシピが紹介されるのを見ました。

うちではそれまで、
生のなすに豚肉を巻きつけて焼く
が定番だったので、

この、まず焼きなす、
そして豚しゃぶを作っておく、

という夏のレシピ、
なかなかええやん、
と一度やってみたら美味しかったです。

ところが、
後でこの時の笠原シェフのレシピをネットで探しても、
なぜかどうしてもそれに行き当たらない。
(たぶん氏が、「なすと豚肉」というだけで、膨大なレシピを出しているからだと思います。)

そうこうするうち、

ただ焼きなすの上に豚しゃぶを乗っければ同じでは?

と、例によって私のテキトーな考えがf^_^;

ネットで検索などしていると、
そういうレシピも確かに出て来ました。

…ということで、
昨日は、

見た目気持ち悪くない、
ネバネバしない、
柔らかい、

と三拍子揃ったこのおかずは母に好評でしたf^_^;




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この前の母の、「人の名前が思い出せない」話。
それが増えたのは、
そう言えば数年前?、笠原シェフのテレビでの露出が多くなった頃からだった気がします。

母が、その名前を思い出せず私に言ったのが:

ホラ、あの、
ええって言う人もおれば悪いって言う人もおるとかいう料理の先生よ


…この手がかりだけで、母の言っているのが笠原シェフのことだとわかった私は結構すごくない?
(とまた自画自賛f^_^;)

母が言いたかったのは、
笠原シェフが経営されていて、ずっと先まで予約が取れないというので評判のお店、

「賛否両論」

のことでした〜(^◇^;)


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

笠原シェフが出演する朝の番組?を、
私は母ほど見る機会がないのですが、
ネット上でもすごく活躍されています。

その氏とその料理にとても好感を持っているらしい母。
私もちょっとそのレシピを研究しようと思います^_^


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避難生活の限界

2024-08-17 17:36:00 | 日記2024
南海トラフ臨時情報が出て、「念のため」の母の自主避難生活。
(私としては、本当に「いざという時」のための予行演習にもしてもらうつもりでした。)

何のことはない(と若い者は思う)娘のマンションでの1週間でしたが、
老体には結構堪えた、らしい。

(まぁ、母の場合は、ちょっとのことでアタフタする「精神的なもの」が大きい、と私は踏んでいる…(⌒-⌒; ))

腰が痛い、
夜中に足がつった、
膝が動かなくなった、
首を寝違えた、  
ため息がやたら多い、
等々、
普段自分の家にいると起こらないことが次々起こり出す感じで、
私との間の会話も険悪に。

帰る前日にわざわざ行った美味しいセルフのうどん屋さん。



普段は私より遥かに沢山食べられる母は、
3分の1も食べずにお残しでした。
(ちょっとこれは精神的なもの?もしや「抵抗」?(⌒-⌒; ))



本当に災害に遭ったわけではないのにこの有様。
高齢者の避難生活は、たぶん元気な若い者が、行政が考えるよりずっと難しいのではないでしょうか。


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そして8/16(金)、
私たちはかっきり1週間で実家に舞い戻りましたf^_^;

1週間閉め切っていた昭和の木造一戸建ては、
マンションの一室よりはカビなどは大丈夫でした。

一応留守中の庭の水やりなどをお願いしていた親戚&近所の人のお蔭で、
プランターの植物などはいつもより元気なくらい。
(なんだ、日頃の母の手入れが悪いのか( ̄▽ ̄;))

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

帰ったこの日、一応作った晩ご飯は、
「ポークストロガノフ」もどき。



また得意の「もどき料理」だけど、、、  

にしてもこの日のは我ながら酷かったですf^_^;

まず、いきなりカレーを作ろうと思って野菜を切り始めたのに、
その後で、気に入らない味のルーしか買い置きがないことに気づく。
(だから、野菜がカレー用の切り方。じゃがいもはいらんかった(⌒-⌒; )

途中で方向転換で、
ルーの代わりに

冷凍トマト
コンソメ
ウスターソース 
ケチャップ
醤油少々
そしてなぜか買い置いていた生クリーム

を入れたのです。

で、これはいったい、

ハヤシライスなのか
ポークストロガノフなのか
そのどちらにも当たらない何かなのか?

まぁ「食べられる」味のものはできたのですが、
かつて「もどき料理」がそれなり得意だった(そして、そういうところで私は結構食費を節約して来たと思うf^_^;)私。

料理の腕がとても落ちている気がしてゲンナリした夜でした〜f^_^;


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人の名前が思い出せない

2024-08-15 05:30:00 | 日記2024
私ではなく、母の話です。

かく言う私も最近めっきり人の名前が出て来ないので、あまり人のことは言えないのですが、
母の場合はその思い出し方(?)が独自すぎて
一旦その説明を聞いてしまったがためにこちらは余計わからなくなる、
という事態が頻発中。

母との長きにわたる関係性の文脈を辿って辿って、こちらがたまたま閃かない限り、その母の説明では検索するのも難しい。


例えば、
母に言わせると「サザンオールスターズ

「あの、海の男たち」。

「桑田さん」「その代表」(^◇^;)

…まーねぇʅ(◞‿◟)ʃ

サザンは母たちの世代でもないし、
その長いグループ名がどうしても覚えられないらしいです。
(「サザン」でいいのにf^_^;)
 
また、「Tubeの前田さん」は、「あの、夏の歌を歌う人」。

前田さんはサザンの桑田さんと混同していたようだったのが、
最近何十周年かで露出が多くなったところに、
「若い時には妹の旦那のSさんに似ていた」という私の説明で、
最近やっと少し区別がつくようになった感じ?f^_^;

で、このあたりまでは、まだギリ許容範囲だったのに!


このところ暴走する母。

ちなみに以下、クイズ形式で書いてみるので、
誰のことだか考えてみて下さい。

ヒントは、最近テレビでよく見る芸能人、
です。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

①「ダンボールの人」

②「うどんの人」

③「なんか海、みたいな名前の人」

④「スノーマンの″なんちゃら目″って人」

⑤「金比羅さんに行ったジョンとかいう人」

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

答えです(`・∀・´)




①麒麟の田村(『ホームレス中学生』が文庫化されるらしい。

②上戸彩(丸亀製麺)

③瀬戸康史(瀬戸内海?え、それだけで( ̄▽ ̄;)

④目黒蓮(順番違うし。スノーマンはなぜか私より知っているf^_^;)   

⑤タレントのユージさん(なぜジョン?そして、母が観たのは四国ローカルの?旅番組らしかったけど、金比羅さんはユージさんに限らず誰でも行くやろ_| ̄|○)


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

皆さんはいくつおわかりになりましたか(笑)

ちなみに私は、①〜④までは想像力の端まで駆使して当てました。
偉くない?(^◇^;)

⑤のユージさんは県の観光大使にもなったりしているけれど、
その番組をあまり見たことがないし、母の説明からは流石にわかりませんでした(^_^;)


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昨日は母が、これまでになく左膝が痛いと、湿布を貼って家の中で杖生活

しかも明日、すぐにでも自分の家に帰る気満々なのをいろいろ説得(⌒-⌒; ) 

何とか思いとどまらせてからは、
(仕方なく?)佐藤愛子さんの『私の遺言』を読んでいましたf^_^;


母の偉いところは、 
昔から、本を読んでいて何かわからない漢字や表現があると、
必ずすぐに国語辞典を引いて調べていたところです。

今、(趣味の、読みのわからない難読漢字パズルに関しては特に)母の検索手段はスマホ。
しかも最近、「手書き入力」のやり方を教えたらマスターしつつあります。

佐藤愛子さんの本を読みながらスマホ検索中の母を盗撮w↓


「何か知らん熟語でもあった?」
と聞いたら、
「いや、私の思ってたのと違ったから」
と言うあたりは、私の思うレベルを遥かに超えているのだけど、
この辺の「確かさ」と、「人の名前が思い出せない具合」とのこのギャップは…_| ̄|○

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

昨日の私は、
1学期分のプリントをやっと整理(これが結構大仕事)と、
(またダメにしかけのバナナで)バナナパウンドを焼きましたーf^_^;



お昼は具沢山焼きそばで↓



夕飯は、ここのところ母もあまり動かず食べ過ぎ?なので、
軽めにおかゆ、肉団子入り中華スープ、エビマヨ少し、ほか。






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帯ブラと鰻の日

2024-08-14 08:03:00 | 日記2024
自主避難生活(たとえそれが身内の家でも)は年寄りには辛いことを実感しているここ数日です。

何と言っても家が「自分仕様」になっていないから、
座る椅子一つを取っても、足腰の弱った高齢者には具合が良くない。

自分の家でないので遠慮して、家事に手を出さない。
結果何もしない「借りて来た猫」のようになるから、却って体がなまる。

そして、なんと言ってもこの間、
普段「テレビっ子」(=特にサスペンスなどのドラマ好き)の母にとっては、
どのチャンネルを回してもオリンピックか野球か、県の某お祭り映像しかやっていないのはキツかったです。


ということで、
私の家に来た8/9(金)はまあ半日で終わったけれど、
8/10(土)某お祭りで家から出られず過ごす。
8/11(日)、お祭りの喧騒を縫ってやっと小ドライブ&買い物、そして叔母訪問。

8/12(月)、前日出かけたから、と一日家にいたら、二人とも気分ダダ下がり〜


夜中に布団の中で私が何をしているかと言えば、
翌日を母とどう過ごすか(津波の危険のある海沿い、何もなくていざ災害となったら崖崩れも心配な山方面を避け、炎天も避けて多少母にも運動になりそうな場所やイベント)を検索したり考えている、
といった感じです😅

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

そして昨日8/13(火)。

思い切って母を「帯ブラ」に誘ってみました。

何かというとまぁそれは、 

「銀ブラ」の地元版

ですねf^_^;

母ももう何年も歩いていない市中心の繁華街。
私も普段は通勤だけでヘロヘロだから、
わざわざ一人で行くこともない。

そして、
何かと億劫なお年頃で、何を言っても「渋り気味」の母を、何とか車で連れ出しました。 
(結局家からは年寄りの歩ける距離でないので、車は街中の駐車場に置かねばならない。)

車中、ふと気づいて、中心街近くに住んでいる従姉妹のY姉(母にとっては義理の姪)に電話をかけたら、
瞬く間に、途中ピックアップして合流する話がまとまりましたf^_^;


普段「超絶」元気(かつおしゃべりw)なY姉@80歳。
ここ数ヶ月、原因不明(もしかすると知らずに罹っていたコロナの後遺症)で謎の体調不良が続いていたそうです。

「やっと普通に動け出した」のがそれこそ「昨日今日」のことだと言いつつ、
おしゃべりは健在。
久しぶりの母との再会をとても喜んでくれました。


そしてY姉と母と3人で、
久々に歩いた中心街アーケード。

ここは、近年の郊外の大型ショッピングモールなどの出現で、
もちろん実家の街ほどではないけれど、
店舗の入れ替わり激しく、
私もちょっと行かない(ってほとんど行かないけどw)うちに、
知らないお店が沢山できていました。

ただ、この日はかのお祭りの明けだったこともあり、
観光客は多く、名物の「半焼き某赤身魚」(笑)を食べさせる店などは、
開店前から長蛇の列!

まだ午前中のうちからかなりの人出で賑わっていました。

お祭り仕様にテープなど貼っていた床を元に戻す作業の車や、店舗前の掃除をする人なども。

足腰の弱った母(+病み上がりのY姉)にとっては、
かつて颯爽と歩いたようには行かない、
杖をついてのノロノロスピードの「帯ブラ」になったけど(⌒-⌒; )

ひととおり端の方まで歩いたところの、
Y姉御用達の喫茶店でモーニング。
親戚の最新情報なども聞けて楽しいひと時でした。


その後、元の駐車場に戻るにはきつそうな二人のために、
とりあえずこの中では一番若くて元気ということになる私が、
車を回しに早足で引き返す。

お祭りの後片付けとその日の開店準備、観光客の車ででごった返す脇道で二人をピックアップしました。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

帰りの車中、
折良く思い出したのは「鰻」!

土用の日には(高いのでw)わざわざ買わず、
落ち着いた時に、家の近くの美味しい店から買って行くね、
と母と約束していました。

実はその店は(「も」?)、
有閑マダムY姉の超ご贔屓f^_^;

話すとすぐにY姉も買う気になって、
途中から電話して、テイクアウトの予約を入れました。

スーパーの買い物で時間合わせした後、
予約の時間に行ってみると、
割と郊外のその店がまた激混み( ̄▽ ̄;)

「お盆の帰省客」と「観光客」
というのがすっかり頭から飛んでいた私たちでしたf^_^;

予約をしていたから、
その合間を縫って無事スムーズ買うことができたのはラッキー(^^)v


…ということで、
Y姉を家に送ったあと、
この日の私たちの夕飯は、珍しく豪華鰻( ・∇・)







鰻は、「実は尻尾の方が美味しい」とこないだ何かで読んだので、
尻尾側を母に進呈。

(って、じゃ私の方が大きい!?(^◇^;))




覚え書きにこの日の温め方は:

フライパンにアルミホイルを敷いて、
その「下」に少々の水、
並べた鰻に日本酒少々をふり、
蓋をして蒸すこと約5分。

別添のタレに少し日本酒を足したものをフライパンの鰻に絡めました。

(このやり方がこのお店の鰻に最適なのかどうか。お店で聞きたかったのですが、あまりにも激混みだったので聞けず。この日のは私があちこちから聞き齧ったやり方ですf^_^;)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

結論。

いずれにしても昨日は佳い日(о´∀`о)


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自主避難

2024-08-12 06:35:00 | 日記2024
8/1(木)〜8/3(土)

実家から帰宅した数日間。

お盆前の、あの某県下最大のお祭りの時に急遽娘が帰省することになったので、
その前に、またしばらく空けていた自宅を最終的に整えるためです。
この間はまたも、
押し入れやクロゼットをひっくり返しての、掃除、洗濯、カビとの闘いに〜(⌒-⌒; )

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8/4(日)

翌週始めに母の通院が入っていたので、この日また実家に舞い戻る。


8/8(木)

数日間実家で過ごし、
娘の帰省に合わせて翌日また自宅に戻る予定だったこの日の夕方、
あの地震が〜。
(日向灘震源、M7.1)

実家のあたりの震度は3くらいで大事には至りませんでした。
起こったのが夜中とかでなく普通に家にいてすぐに動ける時間帯だったのも幸い。
非常持ち出し袋や備蓄品などの備えもこないだからかなり整っているから、
すぐにリュックを玄関に出して母と庭で待機していました。

けれど市と地区の防災無線はけたたましく鳴り響き、
津波の警戒のためか、国道を海の方向に向かって走り抜ける消防車のサイレンが聞こえる。

ここまでなのはさすがに初めてで、
それだけでもう、91歳には結構なショックです。
(まあ、空襲警報とか、前回の南海地震は経験してるけどf^_^;)

そしてその晩、史上初のあの「南海トラフ臨時情報」発令。

5年前に発動したというこのシステム。
いざ出た時には、私はすぐに実家に母たちを迎えに帰ることを、まだ伯母存命の時に決めていました。
だからこの期に及んではもう、
「母を自分の家に連れて行く」の一択です。
(90近くで体も不自由だった伯母、普通の人のような避難所生活は不可能だったから。母も、今となってはそれはムリ。実家は耐震工事がまだで、倒壊の危険が指摘されている(⌒-⌒; ))

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

実家と自宅の間には、
南海トラフの地震で日本で最大34mの津波が予測されている海沿いの道を通らなければいけません。

土地勘もほとんどない途中の町でのこの20〜30分の道中に巨大地震が起きるかどうか、
これはもう「確率」、「運」の問題なわけで、、
これまでもここを「かなり」行き来している私はいつもドキドキでした。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

ということで8/9(金)
半分嫌がる母(最近、出かけたりするのがとても億劫になっている)を説得し、
家を片付け、思いつく限り、必要な持ち出し品、備蓄品などを車に積んで私の家に。

この時点で母は、
「(わざわざ避難するのは億劫だが)まぁ孫には会えるし」
という希望は持っていました。

ところが、
実は娘はこの直前、
この地震のために仕事の予定が変わり、急遽帰省をキャンセルしたことを、
私は知っていた!( ̄▽ ̄;)

つまり母は、半ば「騙し討ちに遭った」格好になって、
でもまぁとにかくうちまで来ることができたというわけです。

この日の夜は、「かの」お祭りの前夜祭行事である花火大会。
例年私はこの期間はこのお祭りの喧騒を避けて実家に「避難」しているのですがw、
図らずもこの日は初めて、母と自宅から花火鑑賞(^^)




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

以来、私のマンションでの母との「自主避難生活」が始まっています。 

自分の家では洗濯、布団干し、庭の草引き、と(料理以外はw)アクティブに動き回っている母も、
いくら娘の家とは言え、
マンションの一室では俄かに借りて来た猫、「何もしない人」になりますf^_^;

テレビも、自分の家ほど機能の充実したものでないから、
仕方なく私のタブレットでアマプラの映画など探して観たりするものの、
体勢は悪いし、居眠りが多くなる。
これでは体も頭も鈍って呆けてしまいそう…(⌒-⌒; )

そこで昨日は初めて、
炎天と、街中至る所でやっているお祭りの隊列をできるだけ避ける方向で、
モーニングや(特には急がない)買い物や、父方Y叔母の家などに出かけて来ました〜^_^







ご飯も、このところ既にテキトーな市販のお惣菜などで済ませていたから、
昨日はちゃんと(!?)作った二人分の夕飯が、
久々にうちのテーブルに並びました。



唐揚げ用に塩麹に漬けていた鶏肉で、
カンタン焼き鳥。
(最近たんぱく質不足だったから。)


キクラゲとトマトの卵炒めも追加。



お汁は祖母直伝のすいとん、
りゅうきゅう(ハスイモの茎)入り。



ほとんどが、私のテキトーおひとり様用冷凍食材f^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

ところで、
叔母のところで聞いた話では、
うちの実家と同じ市で、母と同じく一人暮らしをしている叔母の古い友人も、
やはり大阪に住んでいる娘さんが自分の家に一時避難させるべく、
急遽迎えに帰って来ることになったそうです。

この「臨時情報」に対する考え方、対処方が、
私たちだけ「大げさ」なのかと言えば、
地方の高齢化や住宅の老朽化などを考えるとあながちそうでもないのだと思ったことです。

夏休み、お盆の帰省や旅行の予定を変更した方も多いと聞きます。
確率的には何が起こっても起こらなくても、
それは正解なのではないでしょうか。

(それを、これまで結構同感する意見をおっしゃることの多かったとある著名人が、「個人の趣味の問題」のように発言したのは、私としてはやっぱりちょっと頂けないと思う。地方、当事者の「現実の空気感」が余りにも伝わっていない気がするから。)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

長くなりましたが、
そんなこんなで、母と自主避難生活継続中〜(°▽°)

日々それなり忙しく日記を更新できず、お返事もできていませんでしたが、
ご心配下さった方々、
ありがとうございますm(_ _)m

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夏休み実家滞在第1ラウンド;地方で暮らすということ & この間の食卓など

2024-08-02 13:01:00 | 日記2024
前半は最近の私のホンネ。
(長いです。ご興味ない方は飛ばして下さい(*゚▽゚)ノ)

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「田舎」「ド田舎」と聞くと、皆さんはどういうイメージが浮かぶでしょうか。

『ポツンと一軒家』みたいな?

実家は県都から離れているし、
(交通の便から言うと)「東京から一番行きにくいところ」と言われ出したのは近年のことだけれど、
実際問題私もそうだろうなと思います。

(陸路での話ですが、自分の学生時代には、東京↔︎実家間の移動はゆうに13時間はかかっていた。今でも8時間以上。空路を使ったとしても、空港までの移動、待ち時間、手間など入れると飛躍的には変わらない。)

でも実家の町は、『ポツンと一軒家』(あれもだいぶ「演出」もある気がするけど)のイメージとはたぶんだいぶ違っていて、
古くから商業で栄えた、一応「小京都」と言われる歴史をもつ平野部の一地方都市です。
海山川は近いし、田んぼも畑もあるけれど、
普通に住宅地もあれば商店街も、ショッピングセンターや新しめの全国展開のチェーン店も存在します。
(ただ、車でしか行けないような距離にバラバラと。)

やっぱり若者&頭脳は都会に流出するので、昔に比べると人口は減り、
空き家や閉まった店舗は増え、
町自身の「力」は、自分たちの子供時代より衰えているのが一目でわかる。

危機感や志を持った一部の人たちが「地産地消」や「地産外消」、
と「地元活性」に立ち上がったりはしている。
地域おこし協力隊だとか、
たまたま趣味で(海、川系のレジャーが多い)気に入って移住した、という人もいるにはいるが、
その人たちが本当に地域に馴染んで後々まで定着しているのかというと、そのあたりは怪しそう、
と私は思っています。

その証拠に?、Iターンや縁あってのUターンみたいな人たちが開いたオサレな店は、すぐにできるけどいつの間にかなくなっていたりする…。

もちろん異論もあるのを覚悟で言うと、
そういう人たちが不便な田舎に住めるのは、
体の自由も利き、車で移動して趣味を楽しむことのできる、ある程度若いうちだけ、というのが現実だろうというのと、
自分の「本拠地」が別にあるからではないでしょうか。

いざとなったら帰れる馴染んだ場所を持ちながら田舎に憧れて移住する(してみる)

のと、

その地に生まれ育ったという様々な「枠」(「制約」とは言わないが)の中で生きる

のとは、
やはりかなり感覚が違うでしょう。

(かく言う私は、のっぴきならない事情で⁉︎「たまたま」出身県にUターンした〜しかも2度に亘って(⌒-⌒; )〜パターンで、かつ、も少し具体的に言えば、まだ自分のやりたいこと=仕事があるので完全にはその大変な実家の町までは帰っていない。)

地方の弱体化は今や既に時遅しで止められない、
と私自身は思っています。


〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

…何が言いたいのかと言うとf^_^;、そんな

実家の町での生活はつくづく大変

だと、
今回12日間実家にいて思いました。

特に車に乗れない高齢者の問題は、 

「買い物難民」「医療難民」 

であること。

元々免許を待っていない一人暮らしの母@91歳は、
「何かひとつの買い物」、それにちょっと病院にかかったりすることが「一大事」です。

当然ネット通販やキャッシュレスの時代にはついて行っていない。
生協の配達はあるが(「移動スーパー」のようなものもあるにはあるが、実家近くには来ない)、 
現金をおろしたり、「通帳記入」のためだけにさえ、しょっちゅうATMに行かなければならない。

それに、好きな時にちょこっと出かけて自分の目で好きなものを選んで買うということができない不自由さ(特に体の自由まで利かなくなった高齢者にとって)は、
車に乗る人、都会で交通網が発達したところに住んでいる人には想像できない閉塞感だと私は思います。

病院にかかるのも一苦労。
数日前から「お風呂に入って、髪も洗って清潔にしなければならない」と躍起になったり、
「何を着ていくか」、「当日の天気や気温はどうか」、
というところから気が急くなどというのはうちの母の極端な部分かもしれないけれど、
病院も、1ヶ月に一度くらいの定期のクリニック通いくらいで済んでいれば御の字。
どこか急に悪くなっても、
耳鼻科や皮膚科、眼科など、年寄りに必要な科の常勤医師がいる病院は皆無に近かったりとか。

昨日も母を乗せて買い物に出かける途中、
一人の腰の曲がったおばあさんが、
何の用があるのかはわからないけれど、
手押し車をつき、傘を差してヨロヨロと、
この炎天下(昨日実家の町の気温は、午前中から全国のトップクラスに上がっていた)、
何の日差しを遮るもののない国道沿いの広すぎる歩道を延々と、
1時間に1本しかバスの来ないような、これまたポールが立っているだけの炎天下のバス停を目指して歩いているのを見かけて「あぁ(;´Д`A」
と思いました。
(そんなのはかなり日常の光景。)

もし私たちがいなかったら母がそうなるのだと考えるのは嫌だし、
ともすればそれは何十年か後(いやもっと手前かも?)自分の姿かもしれない。

知らない人でも「乗って行きませんか」と声をかけた方が良いのではないかとさえ思うものの、
このご時世、いくら田舎でも、
犯罪やコロナなどのことを考えてもそうもできない。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

実家の「家」自体も、時折帰る私にとっては結構な問題です。

築50年に近い普通の木造一戸建て。
夏は暑いし冬は寒い。

特に今の時期、クーラーはつけるものの、
湿気と(長年掃除&メンテが行き届いてないための)ハウスダストがアレルギー持ちには辛い。

実はこの間(これは実家に帰る数日前からのことではありますが)、
ずっと喉の調子が悪かった私。

(今流行のコロナは喉から来るとは言うけれど、私の場合そうではなさそう。)

たぶん、実家に帰る直前に家の大掃除をしてホコリ、カビに晒されたのと、
実家でのそれが追い討ちをかけた、
というところだと思います。

そして、
なぜか母は平気なのに、日を過ごすうちに私だけ増えるダニに咬まれた跡( ̄▽ ̄;)

結局、

自宅でも掃除片付け、
実家でも掃除片付け、
その合間に一日二食の食事の用意

みたいなことを繰り返していたこの12日間でしたf^_^;

91歳母は、

・人の名前が出て来ない(これは私も似たような…f^_^;)

・数日前にした同じ話をまたする

・説明が長いと集中していないのがわかる

・耳が遠くなって、早口の話、咄嗟の会話が聞き取れない(しかしそこはテキトーに誤魔化して話や自分の中での辻褄を合わせている感やや有り(⌒-⌒; ))

程度にはなっていますが、
どう考えても歳にしてはしっかりしていて、
洗濯、布団干し等は完全母の仕事。
私がやっていることの前後を考えて細かい部分の準備や片付けをいつの間にかそれとなくサッとやっている、
というような気は利くし、
趣味の漢字に関係のあるクイズ番組などは、
テレビ録画またはスマホで動画&画面撮影までして後々調べ直したりしている…。

ま、でも私や妹がいると、
見事に台所仕事はしませんねf^_^;
掃除も元々得意でないのが、
積もり積もって家がダニ埃の巣窟になる原因となっていると見た。


〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

結論f^_^;

…そんな、
家事掃除格闘の12日間でした。

でも実はまだ、
この夏私は特に自宅で用事があるわけではなく、
数日中にはまた実家に戻ります。

今回自宅に帰って来たのは、
ただ「家の様子を見るため」です。


12日ぶりの自宅にはしかし、、、

やっぱりカビがぁ〜〜_| ̄|○

マンションの部屋、
12日間、
しかも最も気温が高いとか騒がれたちょうどその期間にずっと「閉めっぱなし」だったのはさすがに(⌒-⌒; )

夜8時過ぎに着くなり、
まずエアコン全開で除湿。
カビのひどいところを拭き掃除、
床にも掃除機をかけ、
一番危なそうな窓のない和室の畳もしぼった雑巾で水拭きしてから乾かし、
ダニが出ないことだけを祈って寝た昨夜。

(今朝の時点では一応大丈夫。家を空ける直前にダニスプレーを振りまいていたからw)

また空ける数日後のために、
今日明日あたりはまた掃除、
ですf^_^;



————————————————

話が長くなりましたが、
この間の食事中心の覚え書き〜


7/26(金)

夜は久々家で母の好きなたこ焼き。







たぶん関西人に言わせるとなんじゃこりゃ程度の「なんちゃって」で、
いつまで経っても外カリッ、中トロッ、とはなかなかならない。


7/27(土)

お昼は有り合わせ野菜たっぷり焼きそば。
(おそばは2人で1個。)



同日夕。
「粉もん」が続いたのでここらでちゃんと?魚料理。

買って冷凍してあったぶりカマの煮付けと、
鰯のパン粉焼きでした。




 
下に敷いてあるトマトは、産直市ので、
見事に全部双子!



美味しそうだったのに酸っぱかったので、
この先このトマトをどう消費するかの問題が(⌒-⌒; )


7/28(日)

お昼は冷凍シーフードミックスと半端レタス消費のためのチャーハン中心。
(シーフードミックスは「塩水」で戻すに限る。)

そう言えば野菜室に放置されていたバナナで、
バナナケーキも焼いていた。



夕方は牛乳分摂取のためのグラタン。


 
この日はBSで、6時からの大河を母と見てからの夕飯。
間で食事と後片付けなど済ませ、
8時からの放送で「復習」するという方法を母に伝授しましたf^_^;

(一回で聞き逃していること、見逃していることは意外と多いので。)


7/29(月) 

お昼はそうめん。
おつゆは自家製超薄味。



「3色ひやむぎ」とかではなく、
普通の揖保乃糸に、
友人にもらった小豆島の島の光の、
「梅そうめん」と「青じそそうめん」を混ぜてあります。

いつかそれぞれ単体で茹でた時には少し「やり過ぎ感あった」からf^_^;


夕飯は「美味しくないトマト」消費で、トマトと卵の炒め物(母はキライなのにf^_^;)、
なすの肉巻きほか。


実はこの日、

ここしばらくの私の懸案事項の「ひとつ」が突如解決。

久しぶりに炊いたご飯(実家の炊飯器は家のよりはるかに美味しくご飯が炊ける)でしたが、
この後、私にしては珍しく、
もう少しお茶漬けで美味しくご飯を食べ足すことができた^^;

夜、久々にパンを焼く。
余った牛乳で、牛乳分多めの普通の食パン。



7/30(火)

お昼は何でもありの具で冷やしうどん。
梅肉が母に意外と好評でした。


 
夕飯、
なすと甘とうのひき肉炒め、
大根とこんにゃくの煮物、
作り置き冷凍でだいぶ経ってしまった「ヒョウダイ」の味噌漬け焼き(漬かり過ぎて味濃い(>_<))、
残りのそうめんなど。






煮物には数日前のぶりカマの煮付けの煮汁を活用していますが、
煮物など、味がはっきりしないもの?は実はこの頃母には不評と見た。


7/31(水)

朝、何となく始めてしまった台所のシンク下やレンジ台付近の掃除が昂じて、
ずっと気になっていた床の間付近に置いてあった古いものの片付けと掃除(+暑さとハウスダストとの闘い)でヘロヘロの日。

お昼は何とか、トマト消費のためのスパゲティミートソース。



夕飯は、
確か焼き焼売(一応自家製)でしたが、
私のお腹の調子&クタクタ具合かなりひどく、
母だけが有り合わせでたっぷり食べる(母の主食はこないだ焼いた食パン)、
という変則的なものでした。

雰囲気暗くて画像なし(^◇^;)


8/1(木)

自宅の様子見のため、ついに移動日。

妹に荷物を送る用事もあったので、
朝割と早くに行動開始、
母とあちこちに買い物。

お昼は母の好きなお好み焼きで(しかし具はいつも冷蔵庫の有り合わせ食材f^_^;)、



このところずっと私の体が欲していてやっと買って来たゴーヤで、
チャンプルー「もどき」。

母はゴーヤが嫌いです。
私も大好きというわけではないが、シーズンに1、2度は食べるかなという程度のもので、
「その季節のものは体に取り入れる意味があるのよ」というY叔母の言葉を借りてここは押し切るw


具はシンプルに、ゴーヤ、ちくわ、卵のみでした。

————————————————

トップ画像は、
最終日、私が4時台に起きて水やりしたあとで撮った朝顔。





母が、
「うちの朝顔、いっつも萎れてるので写真に撮ってもイマイチ」と言うので、

いやお母さん、
陽もガンガン当たり始めた8時台に、
朝水もやらずにそれを言っても無理なのでは?
「朝顔」、英語では「モーニング・グローリー」と言うくらい。
朝に綺麗でなくてどーする。

と、私が一応示したお手本?ですf^_^;




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