鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

かつてのライバルは語る

2010年12月03日 | Weblog
かつての2強、鹿島と磐田の差
2010年12月3日


小笠原の後に続く司令塔を育てるビジョンを鹿島は持っている

 前回のコラムで、今年のナビスコ杯で優勝したジュビロ磐田の復活について語ったが、かつて磐田と「2強時代」を築いた鹿島アントラーズが昨年までJリーグを3連覇し、強さを維持できたのに対し、磐田のタイトルが2003年度天皇杯以来だったという差が生まれたのには理由があったと思う。

 サッカーは一人でできるものではない。チームには経験をもった人がある一定の割合でいなければ勝てない。しかし、実力維持に失敗しているチームは、主力選手が衰えたからと、ごっそりと選手を替えてしまっている。

 鹿島はその点、少しずつ入れ替えながら、核になる選手を育ててきた。今でも中盤の柱で言うなら、31歳の小笠原満男に続く人材として29歳の野沢拓也がいる。そして、来春に青森山田高を卒業する逸材の柴崎岳の入団も既に決まっている。そういうところに先を見越す会社の力がある。

 欧州のビッグクラブもそうだ。お金があるから強さを維持するのが当然にみえるけど、チームのビジョンが先にある。監督も選手もそれに合わないのなら出ていっていい、となる。そうやって現場と会社が一体になっている。

 磐田は残念ながら、経験を積んだ人は中山雅史さん一人になってしまい、何もできなかった。Jリーグ初期に一世を風靡(ふうび)したヴェルディ川崎も、どんどん選手が出ていってしまい、2001年に東京に移転した時には、気づいたら北澤豪さんしかいなくて勝てなかった。ベテラン選手には目に見えないものがいっぱいある。サポーターとしてもクラブとととも自分たちが積み重ねてきたと感じるものが一気になくなると、応援しなくなる。その意味で、闘莉王が出ていってしまった浦和レッズはもったいないことをしたと思う。

 鹿島はお金の問題ではなく、ベテランを大切にしながら常に次世代選手を育てるというチームの信念と考え方を持っていた。だから世代交代のさなかとなっても、落ちたとしても2004年と2006年の6位で済んだ。

 一方、磐田はギリギリの残留争いだった。1997年から2003年にかけて黄金時代、ほぼ同じメンバーでやってきたから、ベースと能力があったのは間違いない。でも、その間に長期的に備え、若い選手を肉付けとして育てきれなかった。その辺りがJリーグが始まってまだ短く、クラブとしても未成熟だったということだ。

 チームに長く貢献してきたベテラン選手を次々と戦力外としている清水エスパルスや横浜F・マリノスは大丈夫かな。世代交代がうまくいくといいけど。

プロフィール
福西 崇史(ふくにし・たかし)
1976年9月、愛媛県生まれ。新居浜工高から1995年にジュビロ磐田入り。2006年にFC東京、2007年は東京ヴェルディで活躍し、2008年に引退。MFとして、ジュビロ磐田の3度のJリーグ制覇に貢献。Jリーグベストイレブンには4度輝いた。日本代表としては、2002年W杯、2006年W杯など64試合に出場し、7得点。現在、テレビ解説者として活躍する。


ジュビロとの差を語る福西氏である。
ここ数年、かつてライバルであるジュビロが残留争いをしているのを見て、寂しく思った者も多かったはず。
あれほどの名勝負を演じてきたジュビロ磐田、Jリーグに敵なしとまで謳われたジュビロの凋落には驚きを隠せなんだ。
我等にとっても対岸の火事とは言えぬ。
いつ何時、墜ちるともわからぬのがサッカーの世界である。
しかしながら、元ジュビロ磐田の福西氏は、鹿島の伝統を伝えておる。
先を見越して選手を育てる方針、ベテランを一気に切って経験を無くすような愚行を犯さぬ信念は素晴らしいとのこと。
こういった鹿島の方針はここでの再三紹介してきた。
安易に選手を切るようなことはせず、目先のお金に囚われることなく、未来を見据えて着実に進む様は、歴史にも例えられよう。
たかだか20年弱の歴史を歩んだだけとはいえ、積み重ねた重みは数世紀とも感じられる。
失敗を糧にし、同じ過ちをせぬように学び、これからも一歩一歩進んで行きたい。
鹿島というクラブが着実に成長していく様を共に共感して行こうと思う

最新の画像もっと見る