鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

仙台・柳沢、今季初出場

2011年06月16日 | Weblog
【J1:第15節 仙台 vs G大阪】試合終了後の各選手コメント(11.06.15)
●柳沢敦選手(仙台):
Q:仙台の選手として、初めてユアスタのピッチに立った感想は?
「仙台に来ると決まったときからここでプレーすることを願っていましたし、やっとこのピッチに立つことができたので、非常に記念に残る一日になったと思います」

Q:監督からはどんな指示を受けていましたか?
「ポジション的に赤嶺をワンちゃん(松下)がやっていたところに下げて、自分自身が前に残るようなかたちで得点を狙っていくようなかたちでした」

Q:得点場面ではポストプレーが活きました。
「いい形でキープができたときにカク(角田)が素晴らしいタイミングで抜けてくれたので、そこにいいパスが出て、カクのワンタッチで勝負ありという感じでした。そこに詰めた赤嶺も素晴らしかったし、流れの中でのいい得点だったと思います」

Q:キャンプの時に自身の持ち味を「ひたむきさ」と表現していましたが、あの時は思い描くプレーができていたのでは?
「ひたむきさという部分では、入ってから10分くらいは全体的に表現できていたと思いますし、その勢いが伝わって勝利に結びついたと思います。これを続けていきたいですね。これは僕個人だけでなくチーム全体が持っている雰囲気だと思いますし、それがこの追加点に繋がっていったと思います。
前回追いつかれた勝負どころの部分でみんなが意識して臨んだ結果、最後に2-1で終わることができたと思うし、こういう積み重ねがチームを強くすると思いますし、また試合はやってきますから、そこにみんなで取り組んでいきたいと思います」

Q:チームが好調な中で負傷していて、チームの状態はどのように見えていましたか?
「勝っているということ雰囲気がいいし、状態がいいことだと思いました。逆に自分自身は時間が経つにつれ、怪我が治ってきて、そこに入っていく難しさを少し感じていたのですが、その流れをいかに崩さないで、自分自身もすんなりと入っていけるよう、注意深くチームの状態を見ていたつもりですし、まだ3試合、Jリーグでは1試合目ですが、少しリズムがつかめていたので、より良くするために自分の力を発揮していきたいと思います」
Q:キャプテンとしてはがゆいこともあったのではないですか?
「やはりプレーヤーとしてプレーできないのは一番悔しいのですが、怪我が治らないのでじっくり待つというか、怪我の回復を待って、チームのコンディションが良かったので、そのコンディションまで自分のコンディションを上げないとチームの役に立てないなというのがあったので、コンディションをより高い位置に上げてからチームに合流することは意識してきたつもりです」

Q:今後に向けての意気込みを。
「みんなで戦っていることがすごく感じられるし、その雰囲気を続けられるように普段の練習の時からみんなで頑張っていきたいと思います」


[ J1:第15節 仙台 vs G大阪 ]

怪我で戦列を離れていた柳沢敦がこの日仙台でのデビュー戦となった。決勝ゴールの起点になるなど勝利に貢献した。

仙台柳沢が今季初出場でV弾演出/J1

両手を挙げて声援に応える柳沢(中央)ら仙台イレブン(撮影・下田雄一)

<J1:仙台2-1G大阪>◇第15節◇15日◇ユアスタ

 今季初出場した仙台のFW柳沢敦(34)が、決勝点を演出し、勝利を呼び込んだ。4月中旬の左膝手術を乗り越え、1-1で迎えた後半38分から途中出場。同41分に右サイドで体を張って起点となり、FW赤嶺真吾(27)の決勝点につなげ、G大阪を下した。チームも1シーズン制では最長タイ記録の開幕から10戦不敗。0-3で磐田に敗れた首位柏と勝ち点2差の2位に浮上した。震災の影響で照明が完備されず、平日のデーゲーム開催だったが1万4519人が集まった。

 ベガルタゴールドの背番号30がベンチから出てきた瞬間、ユアスタが大歓声に包まれた。1-1の後半38分。ついに元日本代表FW柳沢が、仙台移籍後初めてピッチに登場した。

 わずか3分後。右サイドでくさびに入ると懐深くボールキープ。DFを引きつけて、右サイドを上がってきた昨季京都の同僚MF角田に絶妙なパスを出した。フリーでペナルティーエリアに進入した角田からのクロスを赤嶺が冷静に押し込んだ。「カク(角田)も赤嶺も素晴らしかった。流れの中で取れて良かった」と柳沢は笑った。

 「魔の時間」も柳沢がコントロールした。5分け中3試合で試合終了間際に追いつかれた。この日も2-1とした直後の同44分、自陣右サイドでMF関口がファウル。FKの名手G大阪遠藤に絶好のチャンスを与えたが、柳沢が「落ち着け!」と両手を広げた。4分間のロスタイムも、腕時計を着けているかのように自身の左手首を指さし、時間の使い方を訴え続けた。

 移籍1年目だが既にチームの精神的支柱だ。3月のキャンプ最終日に主将に任命された。開幕戦直後の3月11日、東日本大震災で被災。だがほとんど仙台を離れず、津波の被害が甚大だった仙台市若林区に赴き自らボランティア登録して、被災者を助けた。この日はチームとして初めて避難所生活を送る45人をスタジアムに招待していた。「被災された方の分まで頑張らないといけない」と初出場でいきなり結果を出した。

 4月12日に古傷の左膝を手術。チームが好調を維持する中、1カ月以上リハビリを強いられた。「好調の中に入っていく難しさを感じていた。すんなりと入っていけるよう、注意深くチームを見ていた」。開幕10戦不敗の好調のチームに、大黒柱も復活。だが鹿島で5度の優勝経験者は「まだ10戦にすぎない。誰も満足はしていない」とクールに会場を後にした。【三須一紀】
 [2011年6月16日9時31分 紙面から]


仙台・柳沢が初出場「やっとこのピッチに…」
2011.6.16 10:20


G大阪戦でベガルタデビューを果たしたFW柳沢(左)。決勝点の起点となるプレーで勝利に貢献した(撮影・土谷創造)

 G大阪を2-1で破り、勝ち点20で開幕からの無敗を守ったベガルタ仙台。FW柳沢敦(34)が1-1の後半38分から途中出場し、待望の移籍後初出場を果たした。直後の同41分、MF角田誠(27)からFW赤嶺真吾(27)へとつながった勝ち越し弾の起点となり、3戦ぶり勝利に貢献した。4月12日の左ひざ手術から復活したベテランが、J1通算101得点の本領を発揮。次は移籍後初得点に期待が膨らむ。

 背番号30がピッチへ入ると、平日午後2時開始の試合にもかかわらず、ユアスタに集結した1万4519人の観衆から大歓声がわきあがった。待望のベガルタ公式戦初出場。柳沢は即座に魅せた。
 後半38分の途中出場からわずか3分後、右サイドでボールを保持し、前方を疾走する角田へ絶妙のパス。角田を経て赤嶺の勝ち越し弾が生み出され、2-1の勝利を渋くおぜん立てした。
 「ここでのプレーを願っていた。やっと、このピッチに立てた。記念に残る1日だった」
 MF松下年宏に代わって出場し、ロスタイムを含めて約10分間のベガルタ“デビュー戦”だった。京都から戦力外通告を受け、杜の都で迎えたプロ16年目のシーズン。3月以降はめまぐるしい日々を過ごした。
 開幕戦3月5日のアウェー広島戦は、サブメンバーでベンチ入りするも未出場。そして、3月11日に自宅で東日本大震災に遭遇した。J1&J2の変更日程が4月1日に発表。仕切り直しに向けた矢先の4月12日に、左ひざガングリオンの摘出手術を受けた。
 5月25日に手術後初めて、最後まで同じメニューで全体練習。ナビスコ杯6月5日のアウェー柏戦で、初の公式戦ベンチ入りを果たした。前節11日のアウェー神戸戦もベンチ入り。手術から約2カ月で、この日の復帰出場にたどり着いた。
 経験豊富なベテランも「ケガが治ってきて、そこ(チーム)へ入っていく難しさを感じた。すんなり入っていけるよう、注意深くチーム状態を見ていました」と出場できない悔しさを胸に、不安と戦い続けていた。
 だが、リハビリ中も圧倒的な存在感でチームをけん引した。5月27日には34歳の誕生日を迎え、練習終了後にチームメートから氷水をかけられる手荒い祝福を受けた。
 今後は「少しずつリズムがつかめてきた。よりよくするために力を発揮したい」と戦いの最前線に立つ。キャプテンとしてベガルタでの初スタメンに、初ゴールなど夢は膨らむばかりだ。
柳沢 敦(やなぎさわ・あつし)
 1977(昭和52)年5月27日生まれ、富山県射水郡(現射水市)出身の34歳。富山第一から96年鹿島入団。03~04年イタリアセリエAのサンプドリア、04~05年同メッシーナ、06~07年鹿島、08~10年京都でプレー。02年日韓、06年ドイツW杯日本代表。J1通算305戦出場101得点。1メートル77、75キロ。FW。背番号30。
(紙面から)

【手倉森監督】柳沢は攻撃カードの一番手
2011.6.16 10:16

 仙台がG大阪に2-1で勝利。リーグ戦開幕からの不敗を「10」に伸ばし、勝ち点20で2位に浮上した。手倉森監督は…。
 --後半38分で柳沢を起用した意図は
 「攻撃のカードを切るなら、一番手はお前だと(柳沢に)昨日話していました。(同点に)追い着かれて(柳沢を)入れた時は、点を取る姿勢だった」
 --勝ち越しゴールの起点となりました
 「期待に沿う活躍だった。彼の出番を待っていた人たちが、彼にパワーを与えてくれた」
 --赤嶺は3戦連続ゴールで今季5点目です
 「ベガルタで(試合に)出続けて(得点の)嗅覚が磨かれている。相手ディフェンスのクセを序盤に読み取る駆け引きが、ゴールにつながっている」
 --平日デーゲームながら1万4519の観衆が集まりました
 「集まってくれるサポーターは、サラリー(自分の給料)よりもベガルタに生きがいを感じてくれている人たち。子供も被災地から来ていたと思う。その人たちのパワーを受けて頑張ろうと、試合前に選手へ話していました」

(紙面から)

仙台開幕10戦不敗!初出場の柳沢から決勝点
J1第15節 仙台2―1G大阪 (6月15日 ユアスタ)


<仙台・G大阪>後半、赤嶺の決勝ゴールの起点となるパスをだす仙台・柳沢(奥)
Photo By スポニチ


 “柳沢効果”で不敗記録継続だ。今季リーグで唯一負けなしの仙台は、FW赤嶺真吾(27)の3試合連続ゴールなどでG大阪を2―1と撃破。開幕からの不敗記録を歴代3位タイの10試合に伸ばした。後半に移籍後初出場を果たした元日本代表FW柳沢敦(34)がポストプレーで赤嶺の決勝弾の起点となり、チームに3試合ぶりの白星をもたらした。

 仙台のホーム・ユアスタに初めて“ヤナギコール”がこだました。移籍後初出場のFW柳沢が、開幕からの不敗記録を10に伸ばす決勝弾を演出。東日本大震災で照明施設が壊れたため平日のデーゲーム開催に変更されたにもかかわらず、1万5000人近く集まったサポーターから歓声を浴びて「やっとこのピッチに立てた。記念に残る一日」と喜びをかみしめた。

 J通算306試合目のベテランがいぶし銀の働きを見せた。同点に追いつかれて迎えた後半38分に“切り札”として登場。3分後にこぼれ球を相手DFを背負いながらキープすると、走り込んだMF角田に右足で絶妙のパス。角田のクロスがFW赤嶺の決勝点につながった。「いい形でキープできていいパスが出せた。流れの中でいい形の得点だった」と自画自賛する納得のプレーだった。

 3月の東日本大震災、4月の自身の左膝手術を乗り越えてたどり着いたピッチだった。京都を戦力外となり仙台に移籍して主将に就任。ホーム開幕戦前日の3月11日に自ら被災したにもかかわらず、すぐに一般ボランティアに登録した。「自分たちの町でこういう大変なことが起こったら助け合うのは当然のこと」と、家族を避難させた2日間以外は仙台に残ってチームメートとともに支援活動に取り組んだ。練習でも一切手を抜かず、背中で若い選手を引っ張るチーム最年長を、手倉森監督は「人間的にも模範となるプロフェッショナルな姿勢は、チームを間違いなく成長させてくれる」と絶賛した。

 これで仙台は開幕から10戦不敗。1シーズン制では昨季の清水に並ぶ最長記録となった。「全員で戦えている。結果に満足せず努力する姿勢がチームにある。被災地のためにも頑張りたい」と柳沢。希望の星になるべく一丸となる仙台。ベテランが経験と技を注入して、首位再浮上を目指す。

 ≪1シーズン制では最多タイ≫仙台が開幕から10試合連続負けなし(5勝5分け)。シーズン開幕から10試合以上負けなしを継続したのは02年横浜と03年名古屋の13試合連続が最多。次いで昨季の清水がマークした10試合連続で、仙台はこれに並び1シーズン制では最多タイとなった。

 ≪追いつかれて勝利は今季初≫仙台は後半8分にDF菅井がチーム8試合連続の先制ゴール。これまでの先制した7試合は3勝4分け。追いつかれて引き分けのケースが多かった。この日も一度は追いつかれたが、後半41分にFW赤嶺が決勝弾。もう一度突き放しての勝利は今季初だ。
[ 2011年6月16日 06:00 ]

復活・柳沢が勝利呼んだ!J1タイ開幕10戦無敗…仙台

G大阪に快勝し、喜ぶ(左から)富田、柳沢、赤嶺(24)、関口ら仙台イレブン

 ◆J1第15節 仙台2―1G大阪(15日・ユアテックスタジアム) 柳沢“復活”で仙台が無敗をキープした。仙台がG大阪を2―1で下し、開幕から10戦負けなしのJ1タイ記録を作った。左膝を手術し戦列を離れていた仙台の元日本代表FW柳沢敦(34)が、後半38分から今季初出場。1―1で迎えた後半41分、ポストプレーで起点となりFW赤嶺真吾(27)の決勝ゴールを演出した。過去J1で1勝1分け4敗と苦手な相手から勝ち点3をもぎ取った。鹿島は震災後、初めてのカシマスタジアムでホームゲームを主催したが、甲府に0―1で敗れた。

 誰もが、復帰を待っていた。1―1の後半38分。柳沢が今季初めてピッチに足を踏み入れると、大歓声がスタジアムに響いた。「おかえりー」「柳沢!」。1万4000人超のサポーターは、この日一番の拍手で迎えた。

 3分後にドラマは待っていた。MF角田からのパスを受けた34歳は、相手DFを背負いながらトラップし、ためを作ってからスルーパス。4月11日に手術した左膝の影響を感じさせないプレーで、決勝点を演出。追いつかれた嫌なムードを、一瞬で変えた。

 「チームをより良くするために自分の力を発揮できたら」と、本人は控えめ。だが、仲間たちは賛辞を惜しまなかった。司令塔のMF梁は「すごくいい雰囲気になった。チームを鼓舞してくれるし、本当に頼りがいがある」と絶賛した。

 謙虚でも、仕事はきっちりする。大震災発生から約10日後。とにかく誰かのために働きたくて、一人で仙台市内のボランティアセンターを訪問した。受け付けで名前を言うと「どなた様ですか?」と言われたという。さらにその後は「仕事はない」と言われ、仕方なくそのまま帰宅。それでもめげることなく、翌日から何回もボランティア活動を続けた。避難所の子どもたちに、サッカー教室などを行った。「人間としても模範となってチームを成長させている」と手倉森誠監督(43)。被災地のために戦おうとするチームを一つにしたのは柳沢だった。

 約1か月に及ぶリハビリも「被災された方の分も頑張らなくちゃいけない」と、乗り越えた。その思いが消えることはない。1季制となった05年以降のリーグ戦では昨年の清水以来の10戦不敗。だが「まだ10試合に過ぎない」と気を引き締めた柳沢。頼れる主将が、仙台の勢いをさらに加速させる。

(2011年6月16日06時05分 スポーツ報知)

今季初出場で即結果を出した仙台の柳沢である。
流石は鹿島のレジェンドと言えよう。
サッカーセンスに錆び付きはない。
負け無しの仙台を主将として引っ張っておる。
先代の手倉森監督にも人間性を評価されておる様子。
この地で更なる活躍を期待したい。

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