▼35番で鹿島に復帰のMF野沢「家出息子が戻ってきました」

MF野沢拓也が、鹿島に戻って来た。29日に行われた新加入選手会見の冒頭で、トニーニョ・セレーゾ監督が「私は長年ここにいたので、復帰したというよりちょっと散歩して戻ってきた感じです」と挨拶をした。その後にマイクを取った野沢は、「僕もセレーゾ監督と同じ気持ちで、散歩に出ていたのかなと。また我が家に帰って来ることができました。家出した息子が帰ってきました」と、笑顔を見せた。
昨シーズン、ジュニアユースから過ごした鹿島を飛び出し、ヴィッセル神戸へ移籍した。神戸ではゲームキャプテンも務めたが、思うような活躍はできずにクラブはJ2へ降格してしまう。今オフ、神戸をもう一度J1に上げたいという思いもあったというが、最終的には鹿島への復帰を選んだ。
「移籍して、ヴィッセルを優勝に導くことができなかったし、ましてやJ2に落とした責任もありました。もう一度(神戸を)J1に上げて、将来的に優勝させることも考えました。すごく悩んだけれど、僕自身は先を考えるためにサッカーをやっているわけではありません。先を見るよりも、今勝ちたい。今の勝利に飢えている。複雑な思いはありましたが、また(鹿島に)声を掛けてもらえて、先のことを考えるよりも、今の自分を生きたい。そう思って、鹿島(復帰)という道を選びました」と、野沢は決断の理由を説明した。
野沢は2000年に鹿島のトップチームに登録された。そのときの指揮官も、今シーズンから8年ぶりに戻ってきたトニーニョ・セレーゾ監督だった。指揮官は愛弟子に高い期待を寄せている。「青年から大人になっていく過程も見たし、選手としても両足でボールを扱えて、プレースキックの能力も高い。雑談の中で(野沢が)17点取ってくれると言っていたので、それが実現できたら、われわれは優勝しているでしょう」と、ニヤリ。やや困惑した野沢は「入団当時は、FWだったから17点という話になったのかな?」と首をかしげたが「当時も、今回も一緒で、本当に不思議な縁ですね。僕もいろんな経験を積んだので、成長を含めて見てもらえたらと思います。甘えが利かない、厳しい人ですが、見ているところの素晴らしい監督です。また同じ舞台でできることに喜びを感じています」と話す。
よく知るチーム、恩師の下で迎える2013シーズン。2年前との大きな違いは、彼の背番号だろう。1997年に2種登録だったときに与えられた35番を付けることになった。息子、娘の名前にも、2年前まで付けていた『8』にちなんだ名前を付けた野沢は「8番を着けたかった」と、素直に認める。「でも、ジュニーニョという偉大な選手が付けているので。娘の名前が『ミコ』というんです。それで(鹿島の)35番が空いていたし、足して8になるので35にしました」。
復帰に関しては、決して優しい言葉ばかりを掛けられているわけではない。『一度はチームを捨てた選手が戻ってきた』という声も彼の耳には届いている。「賛否両論があると思いますが、僕はサッカー選手として、常にベストな選択肢を選びます。サッカー人生は短いですし、周囲は世代交代を求めるかもしれませんが、僕たちは今、勝ちたい。目の前の勝利しか見えていません。今年は今まで以上にプレッシャーを感じていますが、結果で返せたらと思います」。断固たる決意を持ち、鹿島に復帰した野沢。その目にはタイトルしか、映っていない。
(取材・文 河合拓)
家出息子が帰ってきた。
素直に我らは喜ぶところであろう。
しかも、勝利に餓えて戻ってきており、どん欲にプレイしてくれるとのことである。
17点のノルマを課せ、是非とも鹿島に勝利をもたらすのだ。
野沢の躍動を楽しめる我らは幸せである。
期待してスタジアムに向かいたい。

MF野沢拓也が、鹿島に戻って来た。29日に行われた新加入選手会見の冒頭で、トニーニョ・セレーゾ監督が「私は長年ここにいたので、復帰したというよりちょっと散歩して戻ってきた感じです」と挨拶をした。その後にマイクを取った野沢は、「僕もセレーゾ監督と同じ気持ちで、散歩に出ていたのかなと。また我が家に帰って来ることができました。家出した息子が帰ってきました」と、笑顔を見せた。
昨シーズン、ジュニアユースから過ごした鹿島を飛び出し、ヴィッセル神戸へ移籍した。神戸ではゲームキャプテンも務めたが、思うような活躍はできずにクラブはJ2へ降格してしまう。今オフ、神戸をもう一度J1に上げたいという思いもあったというが、最終的には鹿島への復帰を選んだ。
「移籍して、ヴィッセルを優勝に導くことができなかったし、ましてやJ2に落とした責任もありました。もう一度(神戸を)J1に上げて、将来的に優勝させることも考えました。すごく悩んだけれど、僕自身は先を考えるためにサッカーをやっているわけではありません。先を見るよりも、今勝ちたい。今の勝利に飢えている。複雑な思いはありましたが、また(鹿島に)声を掛けてもらえて、先のことを考えるよりも、今の自分を生きたい。そう思って、鹿島(復帰)という道を選びました」と、野沢は決断の理由を説明した。
野沢は2000年に鹿島のトップチームに登録された。そのときの指揮官も、今シーズンから8年ぶりに戻ってきたトニーニョ・セレーゾ監督だった。指揮官は愛弟子に高い期待を寄せている。「青年から大人になっていく過程も見たし、選手としても両足でボールを扱えて、プレースキックの能力も高い。雑談の中で(野沢が)17点取ってくれると言っていたので、それが実現できたら、われわれは優勝しているでしょう」と、ニヤリ。やや困惑した野沢は「入団当時は、FWだったから17点という話になったのかな?」と首をかしげたが「当時も、今回も一緒で、本当に不思議な縁ですね。僕もいろんな経験を積んだので、成長を含めて見てもらえたらと思います。甘えが利かない、厳しい人ですが、見ているところの素晴らしい監督です。また同じ舞台でできることに喜びを感じています」と話す。
よく知るチーム、恩師の下で迎える2013シーズン。2年前との大きな違いは、彼の背番号だろう。1997年に2種登録だったときに与えられた35番を付けることになった。息子、娘の名前にも、2年前まで付けていた『8』にちなんだ名前を付けた野沢は「8番を着けたかった」と、素直に認める。「でも、ジュニーニョという偉大な選手が付けているので。娘の名前が『ミコ』というんです。それで(鹿島の)35番が空いていたし、足して8になるので35にしました」。
復帰に関しては、決して優しい言葉ばかりを掛けられているわけではない。『一度はチームを捨てた選手が戻ってきた』という声も彼の耳には届いている。「賛否両論があると思いますが、僕はサッカー選手として、常にベストな選択肢を選びます。サッカー人生は短いですし、周囲は世代交代を求めるかもしれませんが、僕たちは今、勝ちたい。目の前の勝利しか見えていません。今年は今まで以上にプレッシャーを感じていますが、結果で返せたらと思います」。断固たる決意を持ち、鹿島に復帰した野沢。その目にはタイトルしか、映っていない。
(取材・文 河合拓)
家出息子が帰ってきた。
素直に我らは喜ぶところであろう。
しかも、勝利に餓えて戻ってきており、どん欲にプレイしてくれるとのことである。
17点のノルマを課せ、是非とも鹿島に勝利をもたらすのだ。
野沢の躍動を楽しめる我らは幸せである。
期待してスタジアムに向かいたい。
頼んだぞ、野沢!
そして8にちなんだ名前との事。
どなたかどこらへんに8が絡んでるかわかる方いますか?
息子さんの名前も聞いた事ありますが、こちらも
絡んでるようで絡んでなくて解けないナゾナゾみたいで
気になります。息子さんの名前は今回の記事にないので大丈夫です!
ミコちゃんだけ解けた方いますか??
いいですね~、強い意志が見えます。揺るがない気持ちで、一つずつの勝利から優勝へ導いてほしい。期待してます。おかえり!我らが野沢拓也!!
皆待ってたんだよー!!
あの変態トラップはやっぱりアントラーズの宝ですから!!!
「8」が重荷だったと言いながら、実は「8」に対して深い思い入れがあったことをこの会見で知ることができました。
野沢には「世代交代?そうはさせるか!」とばかりの大活躍を期待したい。
川島、土居、豊川らのいいお手本になってほしい
野沢と共に開幕ダッシュしましょう!!
ホントに何で出て行ったのかと思うけど、きっと必要な家出だったのでしょう。
外の世界を経験してどう成長したのか、楽しみです。