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鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

本山自己を封印

2007年12月02日 | Weblog

スタジアムが揺れた!鹿島が奇跡の大逆転Vで10冠達成!

スタンドでサポーターから胴上げされる小笠原。鹿島に再び黄金時代をもたらす(撮影・春名中)
 J1最終節(1日、鹿島3-0清水、カシマスタジアム)奇跡を起こした。自力優勝のなかった鹿島はMF小笠原満男(28)のゴールなどで清水に3-0快勝。延長戦廃止後最多となる9連勝を飾り、横浜FCに0-1で敗れた浦和を抜いて逆転優勝。6年ぶり5度目のリーグ制覇とともに、悲願の10冠を達成した。開幕から5試合白星がなく、首位との勝ち点差は最大11あった鹿島が、J史上最大の逆転劇を演じた。

 その瞬間、赤く染まったカシマスタジアムは確かに揺れた。勝利から2分後、スタジアム内のビジョンに浦和敗戦の映像が流れる。オリヴェイラ監督がピッチを駆け回る。MF本山、DF岩政の目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。そしてゲーム主将MF小笠原は両手で何度も力強いガッツポーズ。3万1384人のサポーターは、惜しみない拍手と声援を送り続けた。紙吹雪の舞うなか、Jリーグ史に残る大逆転優勝の喜びを、みんなで分かち合った。

 「自分が入団したときは当たり前のようにタイトルを取っていた。でも、いまは勝つことの難しさを感じている。そのなかでタイトルを獲れたことはうれしい」

 前半20分、冷静に先制PK弾を決めたのも小笠原。浦和の試合経過は知らされていなかった。あくまで勝利を目指した。

 10冠へ今季、初めて監督、スタッフ、外国人選手を総入れ替えした鹿島。だが開幕から5戦白星なしと最悪。その後、開幕直前に左ひざ負傷で離脱していたMF野沢が復帰、FW興梠、FW佐々木ら若手の活躍で徐々に調子を上げる。そんなチームを欧州帰りの小笠原がさらなる上昇気流に乗せた。

前半20分、冷静にPKを決めた小笠原(撮影・原田史郎)
 7月、出場機会に恵まれなかったセリエA・メッシーナから約1年ぶりに復帰。「みんな、ただ練習をやっていた」と感じた。出場意欲がみえない控え組を鼓舞するため自ら先頭に立って走り、ボールを追った。トルシエ元日本代表監督から「なぜ話さない? 口がないのか」と罵られたことさえある控えめな東北男は、「自分がやることで感じてくれれば」と背中でチームを牽引。控え組の意識が高まったことでレギュラー陣にも緊張感が生まれる。小笠原の復帰後は9連勝を含む14勝2敗。数字が物語る。

 一時代を築いた鹿島も、かつては「J入りは無理」と言われた2部のチーム。ジーコ氏がボールの蹴り方から指導し、『勝者のメンタリティ』を植え付けた。「ジーコも常に『ファミリー』という言葉を使っていたけど、全員が助け合わないとチームとして機能しない」と小笠原。今では少なくなったジーコイズム継承者の下、チームは戦う集団となり、一つとなった。11月24日の浦和戦では9人で1-0勝利。そしてこの日、延長戦廃止後では最多となる9連勝。第18節には最大11あった首位との勝ち点差をひっくり返した。その年のA代表戦に出場した選手が一人もいないクラブが優勝したのは初。まさに奇跡だった。

 表彰式後、他の選手とともにスタンドでサポーターから胴上げされた小笠原。感動のフィナーレ。鹿島の新たな歴史が刻まれた。
(千葉友寛)

■試合経過
 鹿島は好機を逃さず完勝した。前半20分、逆襲からマルキーニョスが倒され、小笠原がPKを決めて先制。後半3分に本山のミドルシュートで加点し、マルキーニョスが速攻から3点目を決めた。清水は序盤の攻勢を生かせなかった。

★日産Sから大慌てで優勝カップ移動
 Jリーグも浦和の優勝を想定し、優勝杯を日産スタジアム(神奈川県港北区)に配置。鹿島の逆転優勝で急きょ午後5時に約150キロ東のカシマスタジアム(茨城県鹿嶋市)へ車で運んだ。交通渋滞もあって到着は選手もほとんどが引き揚げた午後8時すぎ。またセレモニーには日産スタジアムの鬼武チェアマンに代わって犬飼専務理事が出席。両スタジアムに用意してあった優勝メダルを選手らに授与した。

◆フェネルバチェのジーコ監督
「優勝および10冠達成おめでとうございます。選手、スタッフをはじめとする鹿島アントラーズを支えるすべての方々とこの喜びを分かち合いたいと思います。この劇的な復活劇に際し、その陰にある鹿島を支えてくださっている多くの方々の精進を思わざるをえません。多くの人々の期待を背負った鹿島、来年のアジアCLを含め常にタイトル争いに絡むチームであり続けてほしい。いつ、どこにいても私の魂は鹿島にあります」

ミラクル呼んだ!鹿島・オリヴェイラ監督、就任1年目で歓喜

就任1年目での優勝に、オリヴェイラ監督はベンチを飛び出し喜びを爆発させた

 J1最終節(1日、鹿島3-0清水、カシマスタジアム)勝利の瞬間、派手なガッツポーズを決めたオリヴェイラ監督。その2分後、スタジアムのビジョンで浦和の敗北を確認すると、さらに大きなガッツポーズ。続いて真っ赤に染まったスタンドの前で、歓喜の胴上げだ。

 表彰式後のインタビューでは「リーグ戦の中で1回も1位を獲ることができませんでした。けれど最終のドラマに持ち込んで1位を獲ることができました」。興奮から、両手を振り上げてまくし立てた。

 今季から鹿島の監督に就任。同時にチームは初めて、外国人選手を総入れ替えした。00年にコリンチャンス(ブラジル)をクラブ選手権優勝に導いた名将も、開幕から5戦白星なし。0-0に終わった4月7日の大宮戦後には選手バスをサポーターが囲み、解任を要求する騒ぎに発展した。最悪のスタートに「選手たちは私を疑っていた。方針は間違いでないと説明する作業が必要だった」と指揮官はふり返った。

 試合では、練習で好調だった選手をすぐに起用した。浦和が首位を独走していたリーグ後半戦、何度も「あきらめなければ可能性はなくならない。自分たちの力を信じろ」と言い続けた。同時に競争意識を植え付けられたFW興梠、DF内田ら若手が実力を発揮しはじめる。

 “オズの魔法”にかかった鹿島の快進撃。「連勝の中で選手の自信が高まり、周囲に対する信頼も高まった。彼らが自分を信じてくれたこと、信じて練習に取り組んでくれたことが優勝へと導いた」と万感の思いを口にした。

 選手の睡眠時の心拍数を計測し体調をチェックするなど科学的要素を取り入れつつ、世界の情報を収集する柔軟性も持ち合わせている指揮官。すでに来季の編成について強化部との話し合いを行うなど、続投は確実。オリヴェイラ監督の下、鹿島がさらなる成長を続ける。

■オズワルド・オリヴェイラ
 1950年12月5日、ブラジル・リオデジャネイロ州出身、56歳。リオ州立大学体育学部から大学院に進み、生理学やスポーツ心理学を学ぶ。選手としてのプロ経験はなく、75年から母国のクラブでフィジカル・コーチとして指導者の道を歩む。99年、コリンチャンス監督だったルシェンブルゴ氏のブラジル代表監督就任に伴って監督昇格。同年のサンパウロ州選手権とブラジル全国選手権で優勝、翌年の世界クラブ選手権も制して、同国代表監督候補に挙げられた。その後もサンパウロやフラメンゴなど名門クラブの監督を歴任した。

★マルキーニョスがダメ押し…今季チームトップ14得点 サンバのリズムで長髪を振り乱しながら、マルキーニョスは体全体で喜びを表した。前半18分にPKをゲットし、先制点をおぜん立て。2-0の後半13分にはDF2人に囲まれながらダメ押し弾。昨年、半年間在籍した古巣を相手にMVP級の活躍をみせた。

 「奇跡を起こした? そうじゃない。われわれがやってきたことがタイトルにつながったんだ」

 ジーコ、レオナルド、ジョルジーニョら、これまでの鹿島助っ人とは違い、渡り鳥。東京V、横浜Mなどを経て鹿島で5チーム目。チームプレーを尊重する伝統になじめず、クラブ側も一時は来季へ新外国人発掘に動いていたが、今ではチームトップ14得点、残留も濃厚だ。「これからもチームのために力を出したい」。偉大な先輩たちがやってきたように、鹿島を常勝軍団とする。

★試合後は応援席に飛び入り!サポーターとシャンパンファイト
 鹿島は試合後、場内を一周するとゴール裏の応援席へ飛び入り。小笠原、本山ら主力選手だけでなく、オリヴェイラ監督も交じって、サポーターと肩を寄せ合った。最後は場外の特設会場でシャンパンファイト。用意された48本のシャンパンとファンにも配られた400本の炭酸水はすぐになくなり、600本が追加された。

 鹿嶋市在住の教諭、久松研彦さん(26)は「試合終了後は自然と涙が出てきた。常勝軍団を築いてほしい」と興奮気味。埼玉・川越市の主婦、森岡万里さん(29)は「待ちに待った日が来た。レッズを抜いての優勝は本当にうれしい」と声を弾ませた。

◆鹿島・大東和美社長
「最後に奇跡が起きた。過去5年間は勝てなかったから、この優勝は5倍うれしい。このタイトルはアントラーズの関係者みんなの力によるものだと思う」

◆Jリーグ・鬼武チェアマン
「鹿島は“老舗”の意地を見せた。監督の積み上げてきたものが、終盤の9連勝で出たと思う。浦和はアジアCLに勝ってから、疲れがたまっていたのか元気がなかった。各クラブとも終盤盛り上げてくれて感謝している。浦和は思い切って気持ちを切り替えて、クラブW杯ではアジアナンバーワンの意地と誇りを見せてほしい」

◆Jリーグ・犬飼専務理事
「サッカーは何が起こるか分からない。(タイトルを)10個積み上げるのは大変なこと。(鹿島は)5年間、優勝がなかったけど、これを機会にいつも優勝争いする力を出せるようにね。カップ戦はG大阪が獲って、(浦和と)3つのクラブが来年のACLに出る。それぞれ、いい結果が出せてよかったと思う。浦和はしようがないね」

★児童無料招待で観客動員増
 タイトルから遠ざかっていたこともあり、鹿島の06年のリーグホーム戦平均観客は1万5400人まで落ち込んだ。そこでクラブが注目したのは『子供』。昨年からホームタウン5市(鹿嶋、神栖、潮来、鉾田、行方)の小学校に通う児童を対象に無料年間パスを発行。今年は5市にある全73の小学校を訪問して1万2283人の児童と触れ合った。今年の平均観客は1万6238人。わずか2年だが、効果は確実に表れている。

★来季ACLへ向け中田浩ら補強へ
 鹿島は来季のACLを見据えて補強に着手。期限付き移籍していたC大阪DF羽田、山形DF石川の復帰が決定的だ。来年7月にスイスリーグ・バーゼルとの契約が切れるMF中田浩については、新契約締結が可能な6カ月前にあたる同年1月にもオファーを出す方針。本人も今年の夏に復帰する意思をクラブに伝えており、契約切れで移籍金も発生しないため2年半ぶりの鹿島復帰は確実だ。今年7月にメッシーナから復帰したMF小笠原が優勝の原動力になったように、シーズン後半に向けて大きな戦力となりそうだ。

■鹿島アントラーズ
 1947年に住友金属蹴球同好会として大阪で創部。75年に現在の茨城県鹿嶋市に移転。85年に日本リーグ1部昇格。91年にチーム名を鹿島アントラーズに改称、Jリーグ正会員となる。ブラジルのスーパースター、ジーコを中心に93年第1ステージを制覇し、96年にJリーグ年間王者となる。00年度にはJリーグ発足後初となる三冠(リーグ、ナビスコ杯、天皇杯)獲得。今回でJクラブ最多の10冠を達成した。ホームスタジアムはカシマスタジアム(鹿嶋市神向寺、3万9026人収容)。大東和美代表取締役社長。

V決定弾の鹿島・本山が独占手記「チャンスがあれば海外で」

後半3分にゴールを決めた本山は、サンケイスポーツへ寄せた手記でチーム、監督、今後の夢などをつづった

歓喜のシャンパンファイト。感動をサポーターと分かち合った(撮影・原田史郎)
 J1最終節(1日、鹿島3-0清水、カシマスタジアム)奇跡の逆転で10冠を達成した鹿島。今季、リーグ全試合に先発、この日も後半3分に25メートルミドル弾を決めて優勝を決定づけたMF本山雅志(28)がサンケイスポーツにチーム、監督、今後の夢などについて手記を寄せてくれた。

 ここまで長かった。足が痛いというと外されるから、痛みがあってもいわなかった。全試合に先発できたのは我慢できたからだと思う。

 今季からプレースタイルを変えた。パズルのようにそれぞれに役割があって、それが合わさったときに1つの形になる。攻めたい気持ちもあるけど、そういうことを感じてプレーできるようになってきた。今年は監督が代わって、試合に出るためにも、要求されるプレーを心がけた。ミーティングでチームのいい部分を編集したビデオを見たら、自分が(相手に)寄せる動きだったり、守備をしていた場面が出てきた。監督に直接いわれたわけじゃないけど、求められていることを感じた。自分を殺したことで少しはチームに貢献できたと思う。

 ジーコやレオナルドがつけていた背番号10。02年からつけているが、(鹿島では)日本人で初めてだし、何かをやらなきゃいけないと思っていた。でもオリヴェイラ監督は「ジーコやペレのように神から才能をもらった選手のようにプレーしなくていい」と話してくれた。少しは背番号10のカラーを変えられたのかなと思う。

 今年で28歳。入団したときは、10年くらいで引退すると考えていた。プロでそれくらいやれれば十分かなと。それを考えるともう引退していないといけないけど、いまは全く考えていない。やっぱり、サッカーはおもしろいし、今も新しい発見がある。カズさん(横浜FCFW三浦知、40歳)までは無理だけど、体が動かなくなるまで走り続けたい。

 これまではチームで勝つことだけを考えていたけど、自分にも夢がある。チャンスがあれば海外でプレーしたいと思っている。これ以上、年を取ると行きづらくなる。来年が最後のチャンスだと思っている。日本とは違う環境には経験したことがない何かがあると思う。それに挑戦したいという気持ちはある。

 チームも少しずつ変化していかないといけない。ジーコの影響は大きいけど、それだけで勝ち続けられるわけではない。伝統も大事にしつつ、自分たちで新しいものを作っていく必要がある。ピッチに立ってプレーするのはジーコではなく、僕らなのだから。
(鹿島MF)

■本山雅志(もとやま・まさし)
 1979(昭和54)年6月20日、福岡・北九州市生まれ、28歳。東福岡高から、98年に鹿島入団。00年には主力としてJ史上初の3冠に貢献。各世代の日本代表としては、99年にワールドユース代表準優勝、00年のシドニー五輪にも出場した。同年6月のボリビア戦でA代表デビュー。J今季34試合2得点、同通算219試合28得点。代表通算28試合0得点。1メートル75、66キロ。

★アントラーズ戦士喜びの声
◆GK曽ケ端
「監督は練習から頑張った選手をしっかり使ってくれた。選手の競争心が優勝を導いた」
◆DF内田
「頑張ってきたシーズンで獲れた優勝。うれし泣きは初めて。みんなの姿がかすんで、まぶしかった」
◆DF大岩
「最後まで情報が入ってこなかったんでびっくり。これまでのサッカー人生でこんな優勝は初めてです」
◆DF岩政
「優勝できると思わなかったので信じられない。自分は1冠目。ここまでやってきたことが報われた」
◆DF石神
「試合に出ると相手は僕を狙ってくる。しようがないけど、逆にやってやろうという気持ちでやれた」
◆MF青木
「今季は結果を出さないと代えられる、常にその思いでプレーしたことが最後の連勝につながった」
◆MF小笠原
「以前は当たり前のようにタイトルを獲ったが、その後は勝つことの難しさを感じていた」
◆MF本山
「あきらめていなかった。終盤苦しい試合に勝ち、チーム一丸となったことで優勝できた」
◆MF野沢
「最初はけがで出遅れたけど、ここまでこれたことは自信になるし、みんなに感謝している」
◆FWマルキーニョス
「タイトルが獲れたのは強い気持ちで戦ったから。この仲間で優勝できてよかった」
◆FW田代
「最高です。9連勝だし、みんなが優勝をあきらめなかったから最後にこういう結果になったと思う」
◆FW柳沢
「最後はみんなの頑張りで勝ち取った優勝。今季は苦しんだ分だけ喜びが大きい。今後に非常に大きな意味がある」

本山の独占手記をここで持ってきたのはサンスポである。
優勝の朝にこれは嬉しいが、優勝しなかった場合どう使うつもりであったのか勘ぐりたくなってくる。
とはいえ、今季のMVPが本山であるとサンスポは認識したのだと素直に喜びたい。
リーグ戦に全て先発し、負傷もなく出場停止もなく終えたのは称賛に値する。
自らを殺しチームプレイに徹したことでこの優勝があったのだと、我等も納得である。
昨日の優勝から10番本山の歴史が始まったと声を大にして言いたい。
我等と共にあることは望みであるが、海外へ出ることになろうとも走る限り暖かい目で追っていきたい選手である。


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