鹿島植田、支援物資携えて避難所訪問 小笠原が同行
[2016年4月19日7時29分 紙面から]
熊本・宇土市出身の鹿島DF植田ら選手6人が18日、被災地に支援物資を持ち込んだ。
前日17日の練習後に福岡空港へ飛び、レンタカーで現地入り。「今すぐ行きたい」と泣いて語っていた植田が、東日本大震災の復興支援に力を注ぐ主将MF小笠原に相談。必要物資などのアドバイスを受けた上で同行してもらい、母校大津高に隣接する大津中など避難所を回った。
鹿島・小笠原ら、熊本県内の避難所を慰問
J1鹿島のMF小笠原満男(37)と熊本県出身のU-23日本代表DF植田直通(21)らが18日、熊本地震で被災した熊本県内の避難所を慰問した。
物資届けた!植田ら鹿島有志6選手“強行日程”で熊本アシスト

熊本で被災地支援活動を行った鹿島DF植田
Photo By スポニチ
鹿島のU―23日本代表DF植田直通(21)、元日本代表MF小笠原満男(37)ら6選手が18日、大地震の起こった熊本で被災地支援活動を行った。同県宇土市出身の植田らは菊池郡大津町の大津中などを訪れたもよう。熊本出身の選手として、11年東日本大震災での被災クラブの一員として立ち上がった。
居ても立ってもいられなかった。クラブ関係者によれば、植田は17日の練習後、強化部に「(熊本に)行かせてほしい」と、直談判。クラブ側も余震が続くことから「くれぐれも安全第一で」ということを条件に、18日のオフに現地で被災地支援活動を行うことを許可した。岩手県大船渡市出身で東日本大震災を経験した小笠原、選手会長のDF西を含めた有志6人は17日中に成田空港から空路で福岡入り。現地でレンタカーを3台ほど借りて分乗し、空いたスペースに救援物資を詰めるだけ詰め込んで、陸路で熊本入りしたという。
熊本出身の植田は16日の湘南戦後、故郷を思い涙を流し「熊本のためにできることがあれば、何でもやりたい」と話していた。それを早くも実現した形だ。「熊本空港は閉鎖されているし、今、僕が行っても邪魔になるだけ」とも話していたが、地震発生翌日に「何でも協力するから言ってくれ」と言われていた小笠原とともに現地に行く方法を模索。被災者の避難所に指定されている大津町の大津中などを訪れ、物資を支援したもようだ。
植田らはこの日のうちに鹿島に帰り、19日の練習には参加する予定。強行日程のため肉体的、精神的な疲労が、24日に行われる柏戦へ影響することも心配される。それでも「僕にはサッカーしかないんで」という植田。故郷で今も厳しい状況に立たされている人たちのためにも、へこたれてはいられない。
[ 2016年4月19日 05:30 ]
【鹿島】小笠原・植田ら、シーズン中異例ボランティアで熊本入り
2016年4月19日6時0分 スポーツ報知

多くの被災者で混雑する熊本県益城町の避難所

11年5月、岩手県沿岸部から招待したサッカー少年を激励する小笠原満男
J1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(37)、DF西大伍(28)、DF植田直通(21)らが、地震に見舞われた熊本県内の避難所を慰問したことが18日、分かった。クラブの許可を得て17日午前の練習後に福岡への空路を経て熊本入り。18日の最終便で鹿島に戻った。24日にはリーグの柏戦(カシマ)も控えているが、11年の東日本大震災で被災した経験を持つクラブの一員として奮い立った。
同じ苦しみを味わったからこそ、被災地の惨状を放っておけなかった。関係者によると、植田は小笠原に「(被災地のために)何かしたい」と相談を持ちかけた。その後、選手会長の西も交えてクラブと交渉。17日の午前練習後にチームを離れる許可を得た上で同日に熊本へ入った。
17日午後と、練習がオフだった18日は熊本県内の避難所を慰問するなどの支援活動を行い、同日の最終便で成田空港へ。19日は午前10時と午後3時半からの2部練習があるにもかかわらず、1泊2日の強行日程をこなした。午後11時過ぎに到着した成田空港で、植田は「申し訳ありませんが、きょうの取材は受けられません」とだけ話した。シーズン中に現役選手が被災地に出向いてボランティアを行うのは極めて異例だ。
U―23日本代表の植田は市役所が半壊した同県宇土市の出身。14日に震度5強の地震に見舞われ、海沿いの家に暮らす家族は近親者宅に一時避難した。だが15日夜にも再び強い揺れに襲われ、自家用車で高台に移動。車中で一夜を明かすつらい生活が続いている。完封勝利した16日の湘南戦後はインタビューで涙を流し「今すぐに熊本へ行って、できることがあれば何でもやりたい」と話していた。
先輩の小笠原も植田の気持ちに同調した。岩手・盛岡市出身。高校時代を過ごした大船渡市は11年3月11日の東日本大震災で津波などの甚大な被害を受けた。「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人となって震災直後から物資支援やグラウンド設置などに携わっており、今回も再び立ち上がった形だ。
現時点では今後、九州でJリーグの試合が開催できるかどうかは未定。J2熊本は20日までトップチームの活動を休止することを発表している。各クラブが試合前にスタジアムで募金活動を行うなど、支援の輪は広がりつつある。首位の川崎を勝ち点1差の2位で追う鹿島は24日に柏戦が待つ。19日からはサッカー選手として“本業”で力の限りプレーして、故郷に勇気を届ける。
◆主な現役アスリートの被災地支援活動
▽2001年9月 米大リーグ・メッツの新庄剛志外野手が米中枢同時テロ後、支援物資の集積所となっていたニューヨークの本拠地球場で、物資の荷降ろしなどを手伝った。
▽2011年4月 男子ゴルフのマスターズで27位となり、日本人初のベストアマを獲得した松山英樹が、東日本大震災で被災した石巻市など宮城県内3町村にある避難所などに、1リットルパックの牛乳1000本を届けた。
▽同年5月 サッカーJ1鹿島のMF小笠原満男が地元・盛岡市内で衣服やトイレットペーパーなど2トントラック1台分の物資を提供。被害を受けた小学生200人と父母80人を移動費&昼食付きで招待し、試合を開催。子供たちにサッカー用品をプレゼントした。
▽同年6月 アレックス・ラミレス外野手(当時巨人、現DeNA監督)が1日だけの休養日を利用し、宮城・女川町を訪問。女川第二小の児童らと野球教室などで交流し、2000枚のTシャツと野球道具を贈った。
熊本出身の鹿島・植田ら被災者見舞う 力士の募金活動も
2016年4月19日01時38分
熊本を中心に相次いでいる地震を受け、サッカーの23歳以下(U23)日本代表で熊本県宇土市出身のDF植田らJ1鹿島の6選手が自主的に熊本に入り、被災者に救援物資を届けた。
鹿島の広報担当者によると、熊本入りしたのは植田のほか、岩手・大船渡高出身で東日本大震災の被災地でサッカー教室を続けている元日本代表MF小笠原や選手会長のDF西、MF久保田、FW鈴木、FW垣田の6人。17日午前の練習後からチーム練習が休みとなる18日の2日間を使って熊本に行くことをクラブに申し出て、許可を得た。
6人は17日、成田空港から福岡空港に飛び、福岡から水などを積んだレンタカー3台で熊本へ。県内の被災者を見舞ったという。
熊本県内の高校のサッカー部に所属する3年生との自己紹介があるツイッターには、選手たちとの記念写真とともに「プロサッカー選手が支援来てくれた。ほんとに元気もらえる。頑張れる」と書き込まれた。
春巡業中の大相撲では18日、九州出身の力士たちが中心となり、奉納大相撲が開かれた東京・靖国神社で募金活動をした。
熊本県玉名市出身の天鎧鵬(てんかいほう)の実家では、多くの物が倒れた。家族は今、高台の駐車場に車を止め、そこで日々を送っているという。天鎧鵬は「父はエコノミークラス症候群みたいな状態になり、母はじんましんが出たと聞き、とても心配。自分は相撲しかなく、土俵を盛り上げて元気を与えられれば」と話した。
大分県佐伯市出身の嘉風は、「いつまた地震が来るか気が気じゃないと家族から聞き、自分も心が痛い。少しでも気が紛れるように一生懸命相撲を取るしかない」と神妙な面持ちで語った。

チンチロリン
熊本へ行き、被災地支援活動を行った満男、植田、西、垣田、和音、優磨である。
植田の気持ちを満男らが汲み、クラブの支えもあって実現した格好である。
この素早い対応は、この鹿島アントラーズというクラブの素晴らしさをと言えよう。
強行日程であったが、やれることを迅速に行う姿は胸を打つ。
また、熊本の皆さんの力にもなったのではなかろうか。
そして、こうした報を耳にし、更に声援を送りたくなる。
応援しておる。

チンチロリン
[2016年4月19日7時29分 紙面から]
熊本・宇土市出身の鹿島DF植田ら選手6人が18日、被災地に支援物資を持ち込んだ。
前日17日の練習後に福岡空港へ飛び、レンタカーで現地入り。「今すぐ行きたい」と泣いて語っていた植田が、東日本大震災の復興支援に力を注ぐ主将MF小笠原に相談。必要物資などのアドバイスを受けた上で同行してもらい、母校大津高に隣接する大津中など避難所を回った。
鹿島・小笠原ら、熊本県内の避難所を慰問
J1鹿島のMF小笠原満男(37)と熊本県出身のU-23日本代表DF植田直通(21)らが18日、熊本地震で被災した熊本県内の避難所を慰問した。
物資届けた!植田ら鹿島有志6選手“強行日程”で熊本アシスト

熊本で被災地支援活動を行った鹿島DF植田
Photo By スポニチ
鹿島のU―23日本代表DF植田直通(21)、元日本代表MF小笠原満男(37)ら6選手が18日、大地震の起こった熊本で被災地支援活動を行った。同県宇土市出身の植田らは菊池郡大津町の大津中などを訪れたもよう。熊本出身の選手として、11年東日本大震災での被災クラブの一員として立ち上がった。
居ても立ってもいられなかった。クラブ関係者によれば、植田は17日の練習後、強化部に「(熊本に)行かせてほしい」と、直談判。クラブ側も余震が続くことから「くれぐれも安全第一で」ということを条件に、18日のオフに現地で被災地支援活動を行うことを許可した。岩手県大船渡市出身で東日本大震災を経験した小笠原、選手会長のDF西を含めた有志6人は17日中に成田空港から空路で福岡入り。現地でレンタカーを3台ほど借りて分乗し、空いたスペースに救援物資を詰めるだけ詰め込んで、陸路で熊本入りしたという。
熊本出身の植田は16日の湘南戦後、故郷を思い涙を流し「熊本のためにできることがあれば、何でもやりたい」と話していた。それを早くも実現した形だ。「熊本空港は閉鎖されているし、今、僕が行っても邪魔になるだけ」とも話していたが、地震発生翌日に「何でも協力するから言ってくれ」と言われていた小笠原とともに現地に行く方法を模索。被災者の避難所に指定されている大津町の大津中などを訪れ、物資を支援したもようだ。
植田らはこの日のうちに鹿島に帰り、19日の練習には参加する予定。強行日程のため肉体的、精神的な疲労が、24日に行われる柏戦へ影響することも心配される。それでも「僕にはサッカーしかないんで」という植田。故郷で今も厳しい状況に立たされている人たちのためにも、へこたれてはいられない。
[ 2016年4月19日 05:30 ]
【鹿島】小笠原・植田ら、シーズン中異例ボランティアで熊本入り
2016年4月19日6時0分 スポーツ報知

多くの被災者で混雑する熊本県益城町の避難所

11年5月、岩手県沿岸部から招待したサッカー少年を激励する小笠原満男
J1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(37)、DF西大伍(28)、DF植田直通(21)らが、地震に見舞われた熊本県内の避難所を慰問したことが18日、分かった。クラブの許可を得て17日午前の練習後に福岡への空路を経て熊本入り。18日の最終便で鹿島に戻った。24日にはリーグの柏戦(カシマ)も控えているが、11年の東日本大震災で被災した経験を持つクラブの一員として奮い立った。
同じ苦しみを味わったからこそ、被災地の惨状を放っておけなかった。関係者によると、植田は小笠原に「(被災地のために)何かしたい」と相談を持ちかけた。その後、選手会長の西も交えてクラブと交渉。17日の午前練習後にチームを離れる許可を得た上で同日に熊本へ入った。
17日午後と、練習がオフだった18日は熊本県内の避難所を慰問するなどの支援活動を行い、同日の最終便で成田空港へ。19日は午前10時と午後3時半からの2部練習があるにもかかわらず、1泊2日の強行日程をこなした。午後11時過ぎに到着した成田空港で、植田は「申し訳ありませんが、きょうの取材は受けられません」とだけ話した。シーズン中に現役選手が被災地に出向いてボランティアを行うのは極めて異例だ。
U―23日本代表の植田は市役所が半壊した同県宇土市の出身。14日に震度5強の地震に見舞われ、海沿いの家に暮らす家族は近親者宅に一時避難した。だが15日夜にも再び強い揺れに襲われ、自家用車で高台に移動。車中で一夜を明かすつらい生活が続いている。完封勝利した16日の湘南戦後はインタビューで涙を流し「今すぐに熊本へ行って、できることがあれば何でもやりたい」と話していた。
先輩の小笠原も植田の気持ちに同調した。岩手・盛岡市出身。高校時代を過ごした大船渡市は11年3月11日の東日本大震災で津波などの甚大な被害を受けた。「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人となって震災直後から物資支援やグラウンド設置などに携わっており、今回も再び立ち上がった形だ。
現時点では今後、九州でJリーグの試合が開催できるかどうかは未定。J2熊本は20日までトップチームの活動を休止することを発表している。各クラブが試合前にスタジアムで募金活動を行うなど、支援の輪は広がりつつある。首位の川崎を勝ち点1差の2位で追う鹿島は24日に柏戦が待つ。19日からはサッカー選手として“本業”で力の限りプレーして、故郷に勇気を届ける。
◆主な現役アスリートの被災地支援活動
▽2001年9月 米大リーグ・メッツの新庄剛志外野手が米中枢同時テロ後、支援物資の集積所となっていたニューヨークの本拠地球場で、物資の荷降ろしなどを手伝った。
▽2011年4月 男子ゴルフのマスターズで27位となり、日本人初のベストアマを獲得した松山英樹が、東日本大震災で被災した石巻市など宮城県内3町村にある避難所などに、1リットルパックの牛乳1000本を届けた。
▽同年5月 サッカーJ1鹿島のMF小笠原満男が地元・盛岡市内で衣服やトイレットペーパーなど2トントラック1台分の物資を提供。被害を受けた小学生200人と父母80人を移動費&昼食付きで招待し、試合を開催。子供たちにサッカー用品をプレゼントした。
▽同年6月 アレックス・ラミレス外野手(当時巨人、現DeNA監督)が1日だけの休養日を利用し、宮城・女川町を訪問。女川第二小の児童らと野球教室などで交流し、2000枚のTシャツと野球道具を贈った。
熊本出身の鹿島・植田ら被災者見舞う 力士の募金活動も
2016年4月19日01時38分
熊本を中心に相次いでいる地震を受け、サッカーの23歳以下(U23)日本代表で熊本県宇土市出身のDF植田らJ1鹿島の6選手が自主的に熊本に入り、被災者に救援物資を届けた。
鹿島の広報担当者によると、熊本入りしたのは植田のほか、岩手・大船渡高出身で東日本大震災の被災地でサッカー教室を続けている元日本代表MF小笠原や選手会長のDF西、MF久保田、FW鈴木、FW垣田の6人。17日午前の練習後からチーム練習が休みとなる18日の2日間を使って熊本に行くことをクラブに申し出て、許可を得た。
6人は17日、成田空港から福岡空港に飛び、福岡から水などを積んだレンタカー3台で熊本へ。県内の被災者を見舞ったという。
熊本県内の高校のサッカー部に所属する3年生との自己紹介があるツイッターには、選手たちとの記念写真とともに「プロサッカー選手が支援来てくれた。ほんとに元気もらえる。頑張れる」と書き込まれた。
春巡業中の大相撲では18日、九州出身の力士たちが中心となり、奉納大相撲が開かれた東京・靖国神社で募金活動をした。
熊本県玉名市出身の天鎧鵬(てんかいほう)の実家では、多くの物が倒れた。家族は今、高台の駐車場に車を止め、そこで日々を送っているという。天鎧鵬は「父はエコノミークラス症候群みたいな状態になり、母はじんましんが出たと聞き、とても心配。自分は相撲しかなく、土俵を盛り上げて元気を与えられれば」と話した。
大分県佐伯市出身の嘉風は、「いつまた地震が来るか気が気じゃないと家族から聞き、自分も心が痛い。少しでも気が紛れるように一生懸命相撲を取るしかない」と神妙な面持ちで語った。

チンチロリン
熊本へ行き、被災地支援活動を行った満男、植田、西、垣田、和音、優磨である。
植田の気持ちを満男らが汲み、クラブの支えもあって実現した格好である。
この素早い対応は、この鹿島アントラーズというクラブの素晴らしさをと言えよう。
強行日程であったが、やれることを迅速に行う姿は胸を打つ。
また、熊本の皆さんの力にもなったのではなかろうか。
そして、こうした報を耳にし、更に声援を送りたくなる。
応援しておる。

チンチロリン
サッカー選手としてだけではなく、人間的にも成長していて、鹿島の誇りです。
チームとしても簡単にOKの出せる事ではありません。
熊本に居ながら姿を見ることが出来ず、少し寂しい気持ちもありますが、、スカパーを観れる環境なので試合で素晴らしいプレーをスカパーで見たいと思います。
また熊本が元気になったら、うまスタで鹿島アントラーズの選手を観れる様なイベントを企画して欲しいです。
本当に鹿島アントラーズのサポーターで良かったと改めて思いました。
このチームのサポーターでいることを誇りに思います。
週末の試合では、冷静に且つ熱い気持ちで躍動してくれることを祈ります。
今後、様々な活動が展開されることと思います。我らサポーターも協力していきたいですね。
ファミリーという言葉は伊達じゃないですね。
ホント、涙が出るわ…
シーズン中、現役選手なので人や考えによっては反対する人もいるでしょうが、短い時間ではあったけどナオにとって地元に帰った事、少しでも物資を届け行動に移せた事、やらずにもどかしい気持ちを持ったままいるよりは良かったと思います。
すぐに相談できる小笠原選手や賛同して一緒に行動してくれる先輩後輩、理解して協力してくれるチーム。全てが素晴らしく誇りです。
現実を見て更に辛くなったかもしれない。
でも今年はナオの年。沢山の良い報告を届けましょう。
いけない中、熊本へ支援活動に行くなんて到底できることではありません。
6人の取った行動は本当に、すばらしいです。
そして熊本に行くことを許したチームも、
すばらしいです。アントラーズファンとして
誇りに思います。
応援に値する選手、チームだと改めて確信しました。
少しでも6人の支援活動にて心が癒された方々がいたと思うと私は心があたたかくなりました
ナオさん良かったね。頑張れ熊本。
最後に、支援活動お疲れ様でした。
大好きだよ。アントラーズ。2796
クラブもそうですが、小笠原、西選手の男気には感動しましたし、これからの鹿島を牽引する若手4名も立派だと思います。
大切な鹿島の6選手に、ある意味命懸けの行動をさせてしまって、何もしていない自分は反省するばかりです。
自分でも出来ることを探します。