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鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

中田浩二引退セレモニー

2014年12月07日 | Weblog
中田浩二 ~次のステージへ~
2014年12月06日(土)



本日、2014年12月6日(土)J1第34節鳥栖戦後に、2014シーズン限りで現役を引退する中田浩二選手の引退セレモニーが行われました。

[ J1:第34節 鹿島 vs 鳥栖 ]


試合終了後、1998年にデビューを果たし14シーズン鹿島に在籍をした中田浩二の引退セレモニーが行われた。
(写真)チームメイトに祝福され胴上げをされ宙に舞う中田(鹿島#6)。

[ J1:第34節 鹿島 vs 鳥栖 ]


中田浩二は共にプレーをしていた大岩剛コーチと抱き合い、目には涙が見えた。

中田浩二が引退セレモニー「鹿島以外のユニフォーム姿が想像できなかった」
14/12/6 19:53

[12.6 J1第34節 鹿島0-1鳥栖 カシマ]

 今季限りでの現役引退を表明した鹿島アントラーズの元日本代表DF中田浩二が試合後、引退セレモニーを行い、サポーターに最後の挨拶をした。

「正直、この決断をするまでにさまざまな葛藤がありました。チームに貢献できない悔しさ、もどかしさ。チャンスがあればまだまだやれるという自信も自分の中にあり、さまざまな選択肢の中で迷い、悩みました。しかし、アントラーズ以外のユニフォームを着てプレーしている姿が想像できなかったので、現役引退を決断しました」

 1998年に鹿島に入団。2005年1月から3年半は海外でプレーしたが、2008年7月に鹿島に復帰し、国内では鹿島一筋、計13年半にわたって在籍した。

「1998年の入団以降、素晴らしい経験ができました。自分が思い描いていた以上の素晴らしい経験でした。11個のタイトル、ワールドユース、オリンピック、2度のW杯、海外移籍。こうした経験ができたのも、自分に関わってくださったみなさんのおかげです。感謝しても、感謝し切れません」

 引退セレモニーでは母・恭子さん、妻で女優の長澤奈央から花束を贈られた。「両親、妻、チームメイト、チームスタッフ、そしてサポーターのみなさん。17年間、夢のような時間をありがとうございました」。チームメイトの胴上げで宙を舞った背番号6。1999年の世界ユース選手権準優勝、2000年のシドニー五輪ベスト8、そして2002年の日韓W杯ベスト16。日本代表の一時代を築いた“黄金世代”の一人がピッチを去った。

(取材・文 西山紘平)

同期3人に感謝する中田浩二「最初に引退するのはしゃくだけど」
14/12/6 20:04

[12.6 J1第34節 鹿島0-1鳥栖 カシマ]

 今季限りでの現役引退を表明した鹿島アントラーズの元日本代表DF中田浩二が試合後、記者会見を行い、引退決断に至るまでの経緯を語った。

 11月に入ってからクラブと話し合いを続けてきたという中田だが、クラブから正式発表される今月3日まで、チームメイトにも打ち明けていなかったという。

「(小笠原)満男やソガ(曽ヶ端)にも怒られたけど……。チームメイトにはだれにも相談しなかった。相談に乗ってもらおうと思ったけど、(チームが)大事な時期だったので」

「満男、モト、ソガ……」。試合後の引退セレモニーでは同期入団で同い年であるMF小笠原満男、MF本山雅志、GK曽ヶ端準の名前を挙げ、「素晴らしい友であり、ライバルでした。3人がいたからここまでがんばれた。一番最初に引退するのは少ししゃくだけど、今までありがとう」と感謝の言葉を述べた。

 同じ1979年生まれの鳥栖FW播戸竜二についても「4人でしゃべっていたら、播戸も来てくれて、泣いてくれた。チームは違ったけど、一つの集団の中でやれていたと思う」と、強い絆で結ばれた“黄金世代”の一端を語った。

「79年組というくくりにされて、チームの枠を超えて仲が良かった。みんなで素晴らしい時間を過ごしてきた」。1999年のU-20世界ユース選手権準優勝、2000年のシドニー五輪ベスト8、2002年の日韓W杯ベスト16。世界を舞台に戦った戦友であるMF稲本潤一(川崎F)、MF小野伸二(札幌)、FW高原直泰(相模原)にも触れた。

 チームを変え、J2やJ3といった異なるカテゴリーで挑戦を続ける同世代の選手たち。「カテゴリーやチームを変えるのは難しいこと。この年齢でそこにチャレンジするというのは尊敬するし、すごいなと思う」と率直に語った。

 今後についてはトニーニョ・セレーゾ監督から「現場に残ってほしい」という打診も受けているという。「でも、同期3人がいる中で指導者としてやるのは難しい」。そう冗談交じりに話して笑いを誘うと、「これからクラブと話し合っていくことになるけど、ずっと狭い世界でやっていたというのもあるので、視野を広げて、いろんなことに関わって自分の道を見つけていきたい」と話していた。

(取材・文 西山紘平)

同期の引退に涙…小笠原「まだ必要な選手」
14/12/6 20:23

[12.6 J1第34節 鹿島0-1鳥栖 カシマ]

 同期の引退セレモニーに感極まった。鹿島アントラーズのMF小笠原満男はDF中田浩二が引退スピーチをする間、ずっとうつむいていた。「泣いてないです。寒かっただけです」。目に光る涙は頑なに否定した。

「こういうときにこんなふがいない試合しかできないところが今のチームの力なのかなと思う。言葉に表せないぐらい悔しい」。勝って送り出したい。しかし、逆転優勝の可能性も残されていた最終節は0-1の完敗だった。

「あいつが安心して任せられると思える試合を見せたかった。あれだけ貢献した偉大な選手の前で情けない試合をしたことが一番悔しい」。そう唇をかむと、同期入団である同い年の中田への思いをあらためて語った。

「個人的にはまだ必要な選手。来年もそうだし、今日のピッチにも立ってほしかった。こういう試合に一番必要なのは(中田)浩二みたいな選手。浩二はこういう試合でチームを勝たせてきた。そういう選手にみんながならないといけない。今日の試合、セレモニーからいろんなことを感じていかないといけない」

 同じく同期のMF本山雅志は中田について「17年間、親元を離れてこっちに来て、ある意味、親よりも近い存在」と話す。ただ、感傷には浸らない。「サッカーをやめただけなので。だって、まだあいつはいるし。親友としてこれからもいくんじゃないですか」と、現役は引退しても2人の関係に変わりはないことを強調していた。

(取材・文 西山紘平)

鹿島中田が引退式「良い思い出ばかり」

引退セレモニーを終え、感無量の表情で観客席を見渡す鹿島DF中田(撮影・河野匠)

<J1:鹿島0-1鳥栖>◇第34節◇6日◇カシマ

 今季限りで現役を退く鹿島の元日本代表DF中田浩二(35)のセレモニーが、試合後に行われた。今までのプレーを振り返る映像が大型ビジョンに流され、サポーターへのあいさつも行った。その後の会見では「他のチームのユニホームを着ることが想像できなかった。今季はチームに貢献できない悔しさもあり、引退を決断しました」と穏やかな表情で話した。

 11月に入ってチームと今後について話し合ったという。「チームの方針で世代交代をしていて、いつまでも居座るのはよくないという思いもあった。チームがいい状況の中で練習だけしているのは苦しかった。移籍という選択肢もありましたが、チームと話し合って決めました」と話した。

 00年には史上初のリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の3冠を獲得するなど常勝軍団を支え続けた。「素晴らしい時間を過ごさせてもらった。すべての優勝が印象深い。代表でも(02年)W杯日韓大会ベルギー戦で入場したときの興奮も味わえた。良い思い出ばかりで、すばらしいサッカー生活を送れたなと思います」と振り返った。

 今後は、クラブ職員となってクラブを支えていく見込みだ。
 [2014年12月6日20時36分]

鹿島小笠原、中田にV届けられず悔し涙

引退セレモニーで涙を流しうつむく鹿島小笠原(左)の頭に手をやる中田(撮影・江口和貴)

<J1:鹿島0-1鳥栖>◇第34節◇6日◇カシマ

 5季ぶりの優勝を狙った鹿島が、暫定3位で終わった。勝ち点2差で追う首位G大阪が引き分け、2位浦和が敗戦。

 2点差以上で鳥栖に勝てば逆転優勝だったが、前半6分にMF高橋義希(29)に力強いロングシュートで先制点を献上。懸命に追ったが、相手は足をつっても(DF崔)、脱水症状になっても(FW豊田)最後まで足を止めることがなく、逃げ切られた。

 3日に元日本代表DF中田浩二(35)が引退を表明。ベンチ外となり、スタンドで見守った功労者に勝利を届けたかったが、完敗した。DF昌子も、同期のMF小笠原も涙を流して悔しがった。

 79年組(79年生まれ)の黄金世代としてワールドユース(現U-20W杯)準優勝やW杯出場など、苦楽をともにしてきた小笠原は「言葉に表せないぐらい、悔しい。ずっと一緒にやってきて、つらいことも、いいこともあった。正直に言えば、今日のピッチに立ってほしかった」。

 優勝を持ち越した来季へ向けて「鹿島を勝たせてきた浩二が退く姿を見て、何かを感じなきゃいけない」と若手に発奮を求めた。
 [2014年12月6日21時15分]

鹿島・中田、引退決断の理由は「他のユニホーム着ることが想像できなかった」

試合後に引退セレモニーが行われ、妻で女優の長澤奈央(左)や家族と一緒に記念撮影をする鹿島・中田=カシマ(撮影・大橋純人)

 J1最終節(6日、鹿島0-1鳥栖、カシマ)今季限りで引退する鹿島の元日本代表DF中田が試合後にセレモニーに臨み、慣れ親しんだ本拠地のグラウンドをすがすがしい表情で1周した。移籍も選択肢にあったというが「鹿島は自分の全て。他のチームのユニホームを着ることが想像できなかった」と決断の理由を説明した。

 日本代表では2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会の16強入りに貢献し、海外でもプレーした。今後は鹿島のクラブ職員になる予定で「みんなにアントラーズの魂を引き継いでいってほしい」と後輩たちにメッセージを送った。(共同)


引退セレモニーを終え、サポーターからの花束を手にする鹿島・中田=カシマ


引退セレモニーで胴上げされる鹿島・中田=カシマ


無念0-1…鹿島中田 引退式で懇願「愛と厳しさで支えて」
J1最終節 鹿島0―1鳥栖 (12月6日 カシマ)


<鹿島・鳥栖>引退する中田は小笠原(左)の頭をなでる
Photo By スポニチ


 最終節で逆転優勝した07年の再現はならなかった。鹿島が白星で優勝に望みをつなぐはずの一戦で、まさかの敗戦。鹿島のトニーニョ・セレーゾ監督は「言い方は悪いが、クソみたいな気持ちだ。すいません」と頭を下げた。

 主将のMF小笠原は涙が止まらなかった。この試合を最後に同い年のDF中田浩二が現役を引退。円陣では「浩二と宮内(今季限りで退団)の2人を勝利で送り出そう」と声を掛けたが、白星は届けられなかった。「そういう試合で勝つことを今まで浩二は伝えてきたのに勝てなかった。こういう試合しかできなかった」と怒りに震えた。

 中田は引退セレモニーで「鹿島はタイトルを獲り続けないといけないクラブ。愛情を持って、時には厳しい言葉で支えてほしい」と語りかけた。2年連続無冠に終わったが、MF土居やDF昌子ら若手が主力として定着。さらなる成長が見込める来季こそ、V奪還が至上命令となる。


<鹿島・鳥栖>引退セレモニーで終えファンに手を振りながら場内を一周する鹿島・中田浩二
Photo By スポニチ


[ 2014年12月7日 05:30 ]

中田浩二“後継者”に柴崎指名「アントラーズの魂を引き継いで」
J1最終節 鹿島0―1鳥栖 (12月6日 カシマ)


<鹿島・鳥栖>引退セレモニーを終え、グラウンドを後にする中田浩二
Photo By スポニチ


 今季限りで現役を退く鹿島DF中田浩二(35)が試合後、引退会見を行った。

 ユニホームを脱ぐ決意をした理由について「チームと11月に入って話をしました。チームが世代交代をしている中で、いつまでも(ベテランの)自分が居座っているのも良くないと思いました。出場機会も少なくなり、チームが良い状況の中で練習だけしているのも苦しかった。移籍の選択肢もあったが、他のチームのユニホームを着てプレーすることを想像できなかった」と明かした。

 MF小笠原ら同期にも相談はしなかった。「チームが大事な時期だったので。満男(小笠原)とかソガ(曽ケ端)に怒られましたけど」と苦笑いを浮かべた。それでも恩師だけには悩みを打ち明けた。帝京高時代のサッカー部監督である小沼貞雄氏だ。「先生からはいろいろな言葉を頂き、決断しました。(同年代の)ほかの選手より(セカンドキャリアを)先にスタートを切っても、また新たな道が拓けてくると言われました」。その言葉が背中を押した。

 今後はクラブに残る予定だが、どのような仕事をするかは決まっていない。「クラブと話し合うことになる。セレーゾ監督からは現場でもいいという言葉を頂いたが、同期が3人いる中で現場でやるのは難しい。視野を広げて、いろいろなことに関わって自分の道を探していきたい」と、新たな「中田浩二」を模索していく考えだ。

 逆転優勝で有終の美を飾ることはできず、今季は無冠のままピッチを去ることになった。常勝軍団の復活は後輩たちに託す。中田は「今年は若い選手が頑張ってくれた。みんなにアントラーズの魂を引き継いで欲しい。1人挙げるとすれば柴崎。これからのアントラーズを担う選手。もっと上を目指してやって欲しいし、彼にはそれができると思う」。若き日本代表MFを後継者に指名し、名DFはカシマスタジアムを後にした。
[ 2014年12月7日 00:18 ]

中田浩二、笑顔の引退「鹿島以外でのプレーが想像できなかった」

数々のタイトル獲得に貢献してきた中田浩二 [写真]=Getty Images

 同期3選手をはじめとする仲間達に見守られながら、中田浩二が言葉を紡いだ。

「決断をするまでに様々な葛藤がありました。チームに貢献できない悔しさやもどかしさ、チャンスがあればまだまだやれるという自信があり、様々な選択肢の中で迷い悩みました。しかし、最終的には自分がアントラーズ以外のユニフォームを着てプレーしている姿が想像できなかったので、現役引退を決断しました」

 6日、今季のJ1が終わると同時に、中田の17年に及ぶプロサッカー選手としてのキャリアに幕が下りた。98年に帝京高校から鹿島アントラーズに加入すると、合計11個ものタイトル獲得に貢献し、フランスとスイスでもプレー。日本代表でも「黄金世代」の一員として、自国開催を含む2度のワールドカップ出場やシドニー・オリンピックでのベスト8、ワールドユース(現 U-20ワールドカップ)準優勝という輝かしい足跡を残してきた。華やかな経歴の陰には、2003年の左ひざじん帯断裂や契約制度の違いによる海外移籍の障害に見舞われるなど少なくない苦難もあったが、本人は「本当に素晴らしいキャリアを送れた」と振り返る。

 若返りを図るチーム事情もあり、今季のリーグ戦出場は3試合のみ。優勝の望みがあった最終戦のスタメン平均年齢は、25.45歳まで下がった。移籍決断の際、若いチームの中で今季もフル回転した同期の小笠原満男と曽ヶ端準には「怒られた」というが、「本当は彼らにも相談したかったけれど、チームが大事な時でしたし、最終的にはチームメートには誰にも相談せずに引退を決めました」と明かす。最後の最後までチームに配慮する姿勢は、今季から先発に定着して日本代表にも選出された21歳の昌子源が、「常に僕らに目を配ってくれた」という言葉の通り。

 試合前のチーム全体の円陣で、勝って送り出そうと声をかけた小笠原は「偉大な浩二の前で情けない試合をしてしまった」と勝利をはなむけにできずに悔しさをにじませながら、「ずっと一緒にやってきて、辛いこともいいこともあったけど、浩二と一緒にやれてよかった。本音で言えばもっとやりたかったし、今日のピッチにも立ってもらいたかった」と引退を惜しむ言葉を絞り出した。最終節の対戦相手だったサガン鳥栖に所属する同じ1979年生まれの播戸竜二も、中田のもとを訪れて涙を流したという。試合後の引退セレモニーでは、スタンドに残った鳥栖のサポーターも別れを見守った。

「満男、モト(本山雅志)、ソガ。この3人は、本当に素晴らしい友であり、ライバルでした。彼ら3人がいたから、僕は今まで頑張れたと思いますし、このような経験ができたと思います。一番最初に引退することはちょっとシャクですけども、本当に今までありがとう」という同期への感謝とともに、中田はセレモニー後の会見で13年半に渡って在籍したクラブへの愛着も語った。

「途中で海外移籍もしましたけど、それも鹿島での自分があったからこそ。本当に感謝しているし、鹿島は僕の全てだと思う」

 普段は寡黙な小笠原が感極まる中、自身は最後まで涙を見せなかった。鹿島と日本サッカーを黄金に彩ってきた功労者は、多くの人々に愛されながら笑顔でピッチに別れを告げた。

戦友の79年組に感謝する中田浩二「素晴らしい時間を過ごせた」

試合後、引退セレモニーを行った中田浩二 [写真]=浦正弘

 12月6日、今季限りでの現役引退を表明した鹿島アントラーズの元日本代表DF中田浩二が、試合後に記者会見を行った。

 引退決断に至る経緯については、「チームと11月から色々と話していて、出場機会がない中で世代交代が進んでいて、僕がいすわっていたら…という思いもありました。チームがいい状況の中で練習しているのも厳しかった」と明かした。

「チームが大事な時期だったから」という中田は、「(小笠原)満男やソガ(曽ヶ端準)には怒られましたけど。最終的にはチームメイトには誰にも相談せずに引退を決めました」と続けた。

 同期入団で同い年でもある3選手の名前を挙げ、「満男、モト(本山雅志)、ソガだけではなく79年組はチームの枠を超えて仲が良くみんなで素晴らしい時間を過ごせた。友人であり、みんなで切磋琢磨した結果こうなったと思う」と話し、「バン(播戸竜二)も満男たちと話していたら来てくれて涙を流してくてたのは嬉しかった」と感謝の言葉を述べた。

 鹿島の若手選手に対しては、「若手は頑張ってくれて僕たちの言うことを素直に聞いてくれた。アントラーズの魂を受け継いで行って欲しい」とコメント。中田は、「特に1人をあげるとすると、柴崎(岳)選手はこれからのアントラーズを継いでいく選手。代表だしもっと上を目指していってほしい」と期待を寄せた。

 今後の去就に関しては、「クラブと話し合うことになります。(トニーニョ・)セレーゾ監督からは現場でもという話をしてもらったが、まずは自分で整理をつけたい。今すぐには同期が3人もいるので指導者は難しいかな(笑)。狭い世界にいたと思うので、広い視野をもっていろいろなことに関わって、自分の道を見つけていけたらいいなと思う」と語っている。

中田浩二引退記者会見
2014年12月07日(日)

2014年12月6日(土)J1第34節鳥栖戦後に、2014シーズン限りで現役を引退する中田浩二選手の引退記者会見が行われました。ここにそのコメント全文を掲載いたします。



今日は来ていただきありがとうございます。自分が他のチームのユニフォームを着てプレーするって想像ができなかった時点で、今年はチームに貢献できなかったという悔しさもありましたし、言い方はおかしいですけど、引退することを決断しました。(マスコミの方にも)今まで本当にありがとうございました。

(引退を決断した経緯について)チームと11月に入ってから、いろいろ話もしました。最初は出場機会がなく、チームの方針というか、世代交代を行っているなかで、自分がいつまでも居座って邪魔をするというのがありまして、チームが本当にいい状況のなか、自分が練習だけをしているというのも本当に苦しくどうするかということを考えたときに、移籍ということも選択肢にあったのですが、そのへんを含めてずっとチームとは話し合ってきました。ミツオとかソガにも怒られたんですけど、本当は彼らに相談に乗ってもらおうと思っていたんですけど、彼らも本当に大事な時期というのもありましたし、最終的にはチームメイトには誰にも相談せずに、唯一、それをチームから聞いた小沼先生(註:小沼貞雄先生。中田選手の帝京高校時代の恩師)からいろいろな言葉をいただき、引退することを決断しました。

(印象に残っている試合、タイトルについて)本当にすばらしい時間を過ごさせていただいたと思います。1つ挙げろと言われてもなかなか難しいですね。本当に鹿島でたくさんのタイトルを獲ることができましたけど、その1つ1つの状況が違いますし、シチュエーションも違いますし、すべての優勝が本当に印象深かったので、今でも思い出すことができます。また日本代表でも、ワールドカップのベルギー戦、入場したときの興奮というものは一生忘れないと思います。どれがと言われても、本当にいい思い出ばかりで、すばらしいサッカー生活、キャリアをおくることができました。

(一番印象に残っているゴールは)そうですね…、これは鹿島じゃなく代表になってしまうのですが、アジアカップのゴール(註:2004年アジアカップ vsバーレーン代表)。あの俊輔のコーナーキックをヘディングであわせたっていうのは、たぶん初ゴールだと思いますし、ヤットが退場して、そういう状況だったので、まあ0-1で負けているなかで、自分にとっても、チームにとっても、それでアジアカップもとれたと思いますし、まあゴールと言われれば、それかなと思います。

(鹿島では)まあ、きれいとは言えないんですけど、やっぱりチャンピオンシップ(註:2000年チャンピオンシップ第2戦 vs横浜F・マリノス)でとったゴールというのは、うれしかったですし、あとナビスコの決勝(註:2000年ヤマザキナビスコカップ決勝)で川崎Fとやったときに決めた1点目というのも、きれいにボレーで決めることができたので、あれは印象的だったなと、自分のなかでもいいゴールだったなと思っています。

(アントラーズは)僕のすべてだったと思います。まあ、途中、海外移籍しましたけど、その海外移籍ができたというのも、鹿島での自分があったからだと思いますし、あれだけ日本代表でできたというのも、鹿島に加入して、すばらしい、すごい選手と一緒にプレーできたということが今の自分を作ってくれたと思います。鹿島というチームには感謝していますし、自分のすべてだと思います。

(セレモニーでは曽ヶ端選手、小笠原選手、本山選手)3人の名前を挙げましたが、79年組というくくりにされて、本当に僕らはチームの枠を超えて仲がよかったので、本当にみんなですばらしい時間を過ごせたと思うし、本当にいい友であるとは思うのですが、お互いが負けないように切磋琢磨して、築いてきた結果がこうなったのかなと思います。だから、さっき播戸も試合が終わって、4人でしゃべっていたら播戸も来てくれて、まあ泣いてくれたので、それは本当にうれしかったですし、チームは違いましたけど、1つの集団というか、そのなかでやれたなとすごく思います。当然、イナだったり、シンジだったり、高原だったり、(下部の)そういうカテゴリーでやっているというのは、本当に、僕はものすごくすばらしい、すごいことだと思います。僕は今回決断しましたけど、それだけのパワーがなかったのも1つの理由でもあると思います。やっぱり、カテゴリーを変えたりチームを変えたりすることは、なかなか難しいことで、自分の思い通りにいかないことがあると思うのですが、あえてこの歳でそこにチャレンジするのは尊敬するし、すごいなと思います。ただ、やっぱり、僕のなかでは鹿島で終わるということが1つだと思ったので、これも(小沼)先生から言われたことですが、うまくいくことも、いかないこともあるだろうけど、今ここでやめて他の選手より先にスタートをきっても、また新たな道が拓けるということを言われたので、それは本当にもっともだと思ったので、引退することにしましたし、彼らより先にいくことによって、また彼らと立場は違いますけど、彼らと競い合いながら、お互いを意識しながらやっていければいいなと思っています。

(次を担う選手について)そうですね…、今年はみんな本当に頑張ってくれたと思うし、僕らがいう言葉を素直に受け入れて、そういうなかで自分のなかで消化してやってくれていたので、これから誰がというより、みんなにアントラーズというチームの魂というか、そういうものを引き継いでいってほしいなと思います。そのなかで誰か1人と言われれば、柴崎選手が日本代表でも活躍しているし、これからのアントラーズを担う選手だと思うので、現状で満足せず、もっともっと上を目指して、やっていってほしいなと思います。彼にはそれだけの力があると思います。

(アントラーズスピリットと今後について)アントラーズ魂ですが、まあ、ジーコの教えでもあると思うのですが、結果がすべて、個人というよりもチームのために全員が働くというか、チームのために自分がやるべきことをやるということをすごく言われたし、怒られたし、そういうものをこれからも受け継いでいってほしいなと思います。やっぱり内容がよくない試合でも、勝ちきるっていうのがアントラーズだと思いますし、にくいなとか、試合巧者だなとか、そういうふうに言われていくのがアントラーズだと思うので、やっぱりタイトルを常に意識して、獲らなくてはいけないと思います。常に勝つということを意識したクラブだと思うので、これからもそういうクラブであってほしいなと思っています。

今後につきましては、セレーゾ監督からは現場でもという話は頂いたのですが、まず自分のなかで整理をつけなくてはいけないと思いますし、同期があと3人いるなかで指導者としてやるというのは、なかなか難しいと思いますので、これからチームと話してどういう方向性になるかはわかりませんが、まあいろいろ狭いなかでやってきたというのもあるので、視野を広げて、いろいろなことに関わって、自分の道というのを見つけていければいいなと思っています。

(サポーターへのメッセージは)本当にサポーターの皆さんの力は僕にとって支えでしたし、力になりました。本当に今日は急に決まったことでもあったので、来られなかった人、いろいろ声をかけてくれた人もいましたけど、本当に1人1人に感謝を伝えたいと思うのですが、なかなかそうはいかないので、本当に彼らのおかげでアントラーズができていると思うし、僕もこういう幸せなサッカー人生を送れたと思っているので、感謝しています。僕は終わりましたけど、これからのアントラーズも彼らに背負っていってもらわなくてはいけないと思うので、選手に愛情をもってやっていってほしい、応援していってほしい、ともに戦っていってほしいと思います。




中田浩二の引退セレモニーを報じる各紙である。
新卒にて鹿島のユニフォームに袖を通し、鹿島にて脱いでくれることを決断した中田浩二に敬意を表したい。
また、多くの苦楽を共にした同期の曽ケ端、満男、本山への言葉も胸に突き刺さった。
このような関係をサッカー界で作れるクラブはそうはなかろう。
改めて鹿島の素晴らしさを感じさせられた。
ありがとう。

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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-12-07 10:50:15
『寒かっただけ』、『サッカーをやめただけ』と強がるコメントが絆の深さを物語っていますね。仮に勝ちゲームでも、4人が笑顔で写真撮影、イメージできません(笑)

中田の背中を見て、若手達のさらなる飛躍が楽しみです。
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Unknown (Unknown)
2014-12-07 12:05:04
中田からはプロスポーツ選手を感じます。試合中は鬼神でも普段は紳士。これがカッコいい。宇佐美のピアス見るとガッカリする。来年はガンバを撃沈しましょう。パトリックは源が削る!
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Unknown (ランス)
2014-12-07 12:38:30
数か月前、試合後スタジアムから自家用車で帰る中田コ(奥さん同乗)に、手を振ったとき、運転中ながらも、手を振りかえしてくれた。ありがとう。

「時には厳しい言葉をかけながら選手を後押ししてください」はい、そうします、鹿島愛。
でも優勝を逃したからって毎年ホーム最終節でスタジアム全体でブーイングするのは、違うよね。中田コージ。

隣りで応援していたあどけない少年の
「中田がコーチになったら、中田コーチになっちゃうね」というコメントに一晩中癒されました。
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Unknown (Unknown)
2014-12-08 13:34:41
引退セレモニー後に中田などと抱き合っていた播戸選手が、ご自身のブログで
「同い年でプロになり、同じチームでずっとやるっていうのは、
本当に特別で、特別以外の何物でもない。」と
書かれてましたが、本当にその通りだと思います。
私たちは、そんな特別な4人を応援出来てきたのは、本当に幸せでした。
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