鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

岳、ベストイレブン受賞

2014年12月09日 | Weblog
柴崎選手 ベストイレブン受賞のお知らせ
2014年12月09日(火)

本日(12/9)、横浜アリーナにて2014Jリーグアウォーズが開催され、柴崎選手がベストイレブンを受賞しました。

柴崎選手コメント:
「家族、アントラーズにかかわる全ての人たちに感謝しています。ありがとうございます」




ベストイレブンに選出された岳である。
当たり障りの無いコメントは、鹿島の成績を反映してのことか。
もっともっと、鹿島の選手たちは出来たはず、そしてもっと多くの選手が選出されたはずと思う。
来季は鹿島一色で埋め尽くせるよう、より多くの勝利を記録していこうではないか。
その中心には柴崎岳がおるはず。
来季も期待しておる。

カイオ、ベストヤングプレイヤー賞受賞

2014年12月09日 | Weblog
カイオ選手 ベストヤングプレーヤー賞受賞のお知らせ
2014年12月09日(火)

本日(12/9)、横浜アリーナにて2014Jリーグアウォーズが開催され、カイオ選手がベストヤングプレーヤー賞を受賞しました。

カイオ選手コメント:
「まず、このような賞をいただき本当に感謝しています。チームメートに感謝したいですし、トニーニョ セレーゾ監督にプロとしてのチャンスを与えてもらったことに感謝したいです。また、クラブに関係するすべての皆様に感謝したいです。今回、ノミネートされた選手を見ていくと自分が彼らと同等、あるいはそれ以上のものを示したのかなという疑問もありましたが、賞をいただいたことに感謝したいです。アントラーズという素晴らしいクラブで僕は賞をもらいました。しかしこれは一歩前に踏み出しただけであって、これ以上のものを出せるように、献身的に忠実にこれからも頑張っていきたいです。そして頂点に立ちたいので、それを目指して献身的にやっていきたいと思います」

ベストヤングプレイヤー賞は鹿島MFカイオ、外国籍選手で初受賞
14/12/9 20:00



 Jリーグは9日、横浜アリーナで「2014 Jリーグアウォーズ」を開催した。ベストヤングプレイヤー賞は鹿島アントラーズのMFカイオが受賞。外国籍選手の同賞受賞は初となった。

 ブラジル出身のカイオは11年4月に留学で千葉国際高に入学。今季から鹿島に入団し、4月6日のG大阪戦でプロ初ゴールを決めるなど、ルーキーイヤーで30試合に出場し、8得点を記録した。

 ポルトガル語でスピーチしたカイトは「このような賞をいただき、感謝しています」と述べると、「ノミネートされた他の選手を見ていくと、彼らと同等、あるいはそれ以上のものを示したのかなと疑問もありますが、この賞をいただいたことは感謝したい」と語った。

 新人王を含めると、鹿島からのベストヤングプレイヤー賞選出は97年のFW柳沢敦(現仙台)、12年のMF柴崎岳に続いて3人目。名誉ある受賞となったが、「これは一歩、前に踏み出しただけで、僕はこれ以上のものを望んで、今後も貪欲に、献身的に、忠実にがんばっていきたい。一番トップ、頂点に立ちたいと思っていますし、それを目指して今後も献身的にやっていきたい」と、来季以降のさらなる活躍を誓っていた。

(取材・文 西山紘平)




ベストヤングプレイヤー賞を受賞したカイオである。
謙虚なコメントが彼の内面を良く表しておる。
カイオは荒削りなルーキーとしてデビューしたが、めきめき頭角を現し、グングン成長していった。
こうした様を観られるのも鹿島というクラブを応援しているからこそ。
来年は助っ人としてもう一皮剥けてくれるであろう。
楽しみなヤングプレイヤーである。

西、最優秀ゴール賞受賞

2014年12月09日 | Weblog
西選手 最優秀ゴール賞受賞のお知らせ
2014年12月09日(火)

本日(12/9)、横浜アリーナにて2014Jリーグアウォーズが開催され、西選手が最優秀ゴール賞を受賞しました。

西選手コメント:
「チームメートはもちろん、今まで関わってくださった方々、サポーター、ファンの皆さんに感謝しています。ありがとうございます」

鮮やかボレーで最優秀ゴール賞の鹿島DF西「8割は小笠原選手のゴール」
14/12/9 19:53



 Jリーグは9日、横浜アリーナで「2014 Jリーグアウォーズ」を開催した。最優秀ゴール賞には鹿島アントラーズのDF西大伍が第18節広島戦でCKを右足ダイレクトで合わせた華麗なボレーシュートが選出された。

「あまりイメージはしてませんでしたが、すごく良いボールが来ました」とゴールを振り返った西は、「(CKを蹴った)小笠原(満男)選手から『俺がお前に当てて決めたゴール』『8割は俺のゴールだ』と言われました」と語り、会場の笑いを誘った。

 最後に「チームメイトはもちろん、関わって下さった方々、ファン・サポーターの皆さんに本当に感謝しています。ありがとうございました」とあいさつした。

(取材・文 折戸岳彦)




最優秀ゴール賞を受賞した西のボレーである。
これは美しく素晴らしいゴールであった。
一生のうちに幾度観られるかわからぬゴラッソであったことは紛れもない事実。
決めた西だけでなく、アシストした満男の技術も素晴らしい。
「8割は俺のゴール」も戯れ言ではない。
チーム一丸となって勝利を目指す鹿島のサッカーが体現された瞬間であった。
受賞おめでとう。

36歳の大ベテランとなる2015年シーズンの小笠原、そして鹿島という常勝軍団の進化に期待したい

2014年12月09日 | Weblog
中田浩二と柳沢敦の引退。“常勝鹿島”復活へ小笠原満男に託された使命

「浩二の前で情けない試合をしてしまった」と鳥栖戦に涙を流した小笠原 [写真]=浦正弘

文/元川悦子

 12月6日の2014年J1最終節。1試合残して首位に立ったガンバ大阪が徳島ヴォルティスに引き分け、2位・浦和レッズが名古屋グランパスに苦杯を喫した。3位の鹿島アントラーズはサガン鳥栖に2点差以上で勝っていれば、2007年の奇跡的なJ1逆転優勝の再現を果たせていた。だが、その肝心な試合で、彼らは開始早々、鳥栖の高橋義希に不意打ちのシュートを浴び、それを最後まで跳ね返せないまま、0-1で完敗。G大阪にタイトルを持っていかれてしまった。

 試合後に行われた中田浩二の引退セレモニーで、キャプテンの小笠原満男は終始うつむき、涙をこらえるのに必死だった。1998年から同じ釜の飯を食ってきた盟友が胴上げされている時も動けない。何事にも厳しい彼は、国内16冠を獲得してきた常勝軍団らしくない不甲斐ない戦いぶりが、どうしても許せなかったのだろう。

「言葉に表せないくらい悔しい。結果もそうだし、浩二の最後っていうのもあって。俺としては、あいつが安心して『このチームなら任せられる』っていう試合を見せて、いい最後にしてあげたかったけど…。あれだけ貢献してきた偉大な浩二の前で情けない試合をしてしまったっていうのが一番悔しいです」と、腫れた目をした小笠原は言葉を絞り出すようにこう言った。

 確かに、この日の鹿島は集中力の切れる時間帯が目につき、勝利に徹しきれない脆さと甘さを随所に垣間見せた。今シーズン、大胆な若返りを断行した鈴木満常務取締役強化部長も「サッカー選手は負けて成長することなんかない。こういう勝負のかかった時こそ、勝たなきゃ意味がない。鹿島というチームはそうやって強くなってきたし、数々の修羅場を潜り抜けてきた満男たちの世代は勝ち方をよく知っている。3位という結果はまずまずだったとは思うけど、今の若手にはまだ彼らほどの力がないということだ」と苦言を呈していた。

 発展途上のチームだからこそ、同じ志を持って長年、戦い続けてきた仲間の存在感と影響力がこの先も必要だと小笠原は感じていた。けれども、その意向に反して、中田浩二のみならず、柳沢敦(仙台)までもが今季限りでユニフォームを脱ぐ決断をしてしまった。その衝撃はあまりにも大きかったようだ。

「日本のサッカーに必要なのは、ヤナギさんや浩二みたいな選手。ユース世代の頃から世界を見て、ワールドカップに出て、海外行って、戻ってきてチームに貢献してきたんだから。2人は俺より海外生活も長いし、代表の貢献度もずっと上。そういう選手と一緒にプレーできるのはホントに大きな財産だし、お金じゃ買えないことだからね」

「この試合(鳥栖戦)だって、もし浩二が出ていれば、後ろから厳しいことを言ってくれただろうし、何をすればうまくいくか、勝てるかを考えながら動いてくれたはず。そういう一番大事な選手を失わなきゃいけないのはホントに残念で仕方ないよ……」

 そんな小笠原の落胆ぶりを、鹿島の若い世代はどう見ていただろう。中田浩二が担っていたDFラインを引き継いだ1人である昌子源は「勝って優勝したかった。来季は3冠を獲るつもりでやりたい」と決意を新たにしていたが、彼らはそれを本当にやり抜く強い意志と実行力を身に着けなければいけない。中田浩二が名前を出して期待を示した柴崎岳もそう。彼らが安心してチームをリードできるような存在になるまで、小笠原は叱咤激励を続け、メンタリティを伝えていく必要がある。

 鳥栖戦は悔しいことに後半18分でベンチに下がることになったが、今季も累積警告で出場停止となった1試合を除く33試合に先発出場しており、彼自身は全く衰えを知らない。同じ79年組の遠藤保仁(G大阪)を筆頭に、モンテディオ山形の2度目のJ1昇格と原動力となった石川竜也など第一線で活躍している同世代も少なくないだけに、負けるつもりはない。中田浩二は「自分が先に引退するのはしゃくだけど」とコメントしていたが、一足先にピッチを離れることになった仲間の分も小笠原はタフに逞しく戦い続けていくはずだ。

 多くの人々が見守る中、流した大粒の涙を彼はどう今後の糧にしていくのか……。36歳の大ベテランとなる2015年シーズンの小笠原、そして鹿島という常勝軍団の進化に期待したい。




中田浩二・柳沢敦の引退に対してコメントを発した小笠原満男について記す元川女史である。
一つの時代を彩ってきた選手がピッチを去るのは寂しい。
同世代のものとしては更なる想いがあろう。
とはいえ、ユニフォームを着続ける決意をしている以上、来季もまた主将としてチームを鼓舞していくのだ。
満男と共にタイトルを積み重ねるのだ。
頼もしいキャプテンの更なる活躍を楽しみにしておる。

悪天候により延期された最終戦 鹿島アントラーズが差し伸べたファミリーの手

2014年12月09日 | Weblog
【アルビレックス新潟】 悪天候により延期された最終戦 鹿島アントラーズが差し伸べたファミリーの手 【J1最終節】
2014/12/09 13:02配信
Tomoko Iimori

12月6日にすべての日程が終了するはずだったJリーグ。
毎年最終節は同じ日、同時刻で行われるのが通常ながら、今年の12月6日は一部地域で大雪という天候となってしまい、新潟ビッグスワンで行われるはずだったアルビレックス新潟×柏レイソルの試合が中止となった。
その結果、Jリーグ初の最終節順延となり、アルビレックス新潟×柏レイソルの試合の代替試合を8日に行うことを決定、発表した。
新潟は寒波が続き、天候が難しいため新潟やその周辺での試合開催を断念。
柏及び、関東周辺などのスタジアムと調整をした結果、カシマスタジアムでの開催が決定した。

●唯一全面強力を申し出た鹿島アントラーズ

各スタジアムはJリーグ以外の予定が入っていたり、自治体へ向けた申請書類を出すのは試合開催の3日前までとなっているといった規則的な壁があったりとなかなか急にスタジアムを借りるということはできなかった。
東京、神奈川、千葉などの関東地方を中心に東北までにもスタジアムの確保に奮闘したが、なかなか開催場所は見つからず、だった。
しかし、唯一全面協力を申し出たチームがあった。
それが鹿島アントラーズだ。
カシマスタジアムだけでなく、雪で練習施設が真っ白になってしまっているアルビレックス新潟に対し、練習場の貸し出しも申し出た。
クラブハウスの使用、グラウンドの使用、そしてスタジアムの使用すべてをアルビレックス新潟に快く使ってくださいと手を差し伸べた。
新潟からは距離もあり、ホーム開催として難しい場所ではあるものの、それでも近日中に行わなくてはいけないという条件の中で、早急に対応をしてくれるだけでなく練習場の心配などもしてくれたのは鹿島アントラーズだけだった。
スタジアムを貸し出すだけでなく、一部のカシマスタジアムで人気のあるスタジアムグルメの出店も約束。
Jリーグ最終戦が中止と発表されたのが6日の午前。
試合開催が8日の夜と時間がない中で、鹿島アントラーズはさまざまな手続きを経て、準備してくれたのだ。
アルビレックス新潟だけではなく柏レイソル、そしてJリーグが無事に最終節を迎えることができることとなった。
鹿島アントラーズは以前、東日本大震災時にクラブハウスやカシマスタジアムが一部震災被害にあった。
大きな地震でありショッキングな現実が身の周りに起きた中で、Jリーグの中断が決まり、大きな余震も考えられるため、鹿島アントラーズは一旦活動を休止。
その休止していた期間、選手たちは地元である各地に避難の意味を含めて帰る選手たちが多く、選手たちが以前所属していたチームなどでトレーニングをさせてもらえたという機会があった。
当時在籍していた新井場(現セレッソ大阪)や梅鉢はガンバ大阪で、西大伍はコンサドーレ札幌で、など選手たちが各地のクラブでお世話になった経緯があった。
受け入れてくれたクラブに感謝の意を鹿島アントラーズは何度も発信し、その時にJリーグファミリーとしての絆も深く感じたことだろう。
その時のことがリンクしたかはわからないが、困っているクラブに自分たちの最大限で手を差し伸べることができるというところが
いかにも鹿島のファミリー理念の結果だと感じてならない。
結果、急遽開催の試合、平日のナイター試合ということもあり、集まった観客は約2100人。
Jリーグ最終節としては寂しい数字だが、鹿島アントラーズのサポーターや対戦2クラブのサポーターではないサポーターも駆けつけ、Jリーグ最終戦に少しでも貢献しようとするサッカーファンも多かった。
これが「Jリーグ」なのだ。
結果は柏レイソルが古巣アルビレックス新潟を相手に試合終了間際ゴールを決めた鈴木大輔の活躍などで2-0で勝利。
アルビレックス新潟の最終順位は12位。
柏レイソルは終盤の怒涛の追い上げ、ネルシーニョ監督最後の試合を勝利で飾ったこともあり、4位へと浮上。
ガンバ大阪が天皇杯も優勝となった場合にはACL出場という権利を得ることができる位置につけた。

●問われる日本の気候と日程の組み方

雪によって毎回叫ばれることとなるのがやはり秋春制問題だ。
今回は12月の雪ということで、秋春制の在り方として12月から2月は中断期間と言われているが、それでも3月にも積雪する地域も多く、
試合だけに焦点を置きがちだが、練習場の確保や寒い中でトレーニングをすることになることで各クラブの条件に格差が生まれること(選手獲得時の条件などでマイナスであるかもしれないこと)、寒い中で練習を行うことで選手の怪我をする可能性が高くなりえること、雪に対応する除雪費やヒーティング設備、電気使用などで雪国クラブの冬にかかる費用が莫大な予算が必要となってしまうことなど、問題点はたくさんある。
12月の1週目という冬時期に新潟でのホーム開催で雪が降る可能性としての予測は今回まったくなかったのだと思われるようなバタバタさだったが、どの地域でも天候に関しては自然の問題なので、どこの地域でも同じことが起きる可能性はあった。
しかし、雪が降る地域ではそれ以上に可能性として高いと認識することはできなかったのか。
そして前日から降り続く雪だったが、中止と決めるタイミングをもっと早くできなかったのか…など今回のことで問題点が浮き上がったことは確かだ。
Jリーグ最終節なだけに柏から向かっていたサポーターも多く、全国からその試合を観ようと駆けつけていた。
柏の選手たちも当然現地入りをしていた。しかし、試合が中止、そして延期試合が二日後の鹿島というのはとても大変な大移動をこなさなくてはいけないため、かなり大変だったことだろう。
両チームが早めの開催を希望したためとなっているが、Jリーグアウォーズが今日9日に控え、その前に試合を行わなくてはというJリーグとしての事情も当然あったことだろう。
毎年起きることではないし、Jリーグもさまざまなことを想定してそして各クラブも想定して最良な状態で最終戦を開催するために毎年準備をしている中で起きてしまった自然のなすトラブルであったが、
これを受けて、どう教訓とし今後に繋げるか Jリーグにはどうにか開催できたという感謝だけでなく検証と対策を願いたい。




中止、そして延期となった新潟vs.柏の試合に手を差し伸べた鹿島アントラーズである。
ここは「ファミリー」である鹿島の良さが打ち出された。
広義に受け取れば、Jリーグのそれぞれのクラブも共にサッカーという競技をプレイする仲間なのである。
助けあうのは当然と言えよう。
それをいの一番に実践する鹿島というクラブの素晴らしさを改めて感じた。
また、今回の件で冬季の開催にはおきな問題があるということが改めて浮き彫りにされた。
当日の開催だけではない、練習や観客の足や安全面、これらすべてを考慮すれば、日本という国において秋-春制は不可能である。
人間は自然にはかなわないのである。

中田浩二、若手へ継承する黄金世代17年間の財産

2014年12月09日 | Weblog
偉大なキャリアを持つ中田浩二が現役引退
若手へ継承する黄金世代17年間の財産

元川悦子
2014年12月9日 12:00


葛藤の末プロキャリアにピリオド


今季限りで現役を引退する中田。鹿島や日本代表で多くのタイトルを獲得してきたユーティリティープレーヤーの足跡を振り返る【写真は共同】

「正直、この決断をするまでにさまざまな葛藤がありました。チームに貢献できないもどかしさもあったし、チャンスがあればまだやれるという自信もあり、悩み、迷いました。でも、最終的にアントラーズ以外のユニホームを着てプレーしている姿が想像できなくて、引退を決断しました。

 (小笠原)満男、モト(本山雅志)、ソガ(曽ヶ端準)。この3人は本当に素晴らしい友であり、ライバルだった。彼ら3人がいたから今まで頑張れたし、このような経験ができた。一番最初に引退するのはちょっとしゃくだけれど、今まで本当にありがとう」

 12月6日のカシマスタジアム。サガン鳥栖に0−1で敗れ、最終的に3位で2014年のJ1リーグ戦を終えた名門・鹿島アントラーズから、1人の名選手が去ることになった。1998年から今季まで17年間プロキャリアを歩んできた中田浩二だ。彼が引退セレモニーでこうあいさつする間、小笠原はうつむいたまま顔を上げることができず、胴上げにも加わらずにじっと涙をこらえていた。ともにプロになり、99年ワールドユース(ナイジェリア)準優勝を経験し、02年日韓ワールドカップ(W杯)、06年ドイツW杯に出場し、鹿島でも10を超えるタイトルを獲得してきた戦友がピッチを去ることに、何とも言えない複雑な感情を抱いたからだ。

「浩二が安心して(チームを)任せられるっていう試合を見せて、良い最後にしてあげたかったけれど、情けない試合をしてしまった。今日だって、あいつが出てたら厳しいことを言ってくれたし、何をすればうまくいくか、勝てるかを考えてやってくれたと思う。こんな試合の後に一番大事な選手を失わなきゃいけないのが本当に残念です」と小笠原は声を絞り出すように語っていた。それだけ中田の引退というのは、鹿島にとって、日本サッカー界にとって大きな衝撃に他ならなかった。

ユーティリティープレーヤーの先駆者


02年の日韓W杯では“フラット3”の一角として、初の決勝トーナメント進出に貢献【写真:ロイター/アフロ】

 帝京高校時代から左利きの大型ボランチとして名を馳せていた彼が、その名を大きく知らしめる契機となったのが、98年1月8日の高校サッカー選手権決勝だった。本山擁する東福岡との雪の決勝(2−1で東福岡の勝利)は、多くのサッカーファンの脳裏に深く刻まれている。そんな中田も、98年の鹿島入り当初はプロの壁にぶつかった。1年目はリーグ戦5試合出場、2年目が同17試合出場となかなか定位置を確保しきれなかったのだ。当時の鹿島には本田泰人や熊谷浩二ら好選手が中盤に多く、同期の小笠原や本山らもいたため、彼は熾烈(しれつ)な競争を余儀なくされた。00年に看板選手の1人になるまで、多少なりとも下積み生活を送ることになった。

 ルーキー時代の重要な転機となったのが、U−20日本代表でのフィリップ・トルシエ監督との出会いである。フランス人指揮官は中田の高さと左足の精度の高いキック力を買ってフラット3の左DFにコンバート。インテリジェンスと適応力の高い彼はそのコンセプトを瞬く間に把握し、ワールドユースで見事に実践。世界2位という快挙に大きく貢献する。小野伸二、高原直泰、稲本潤一らとともに黄金世代の軸を担った中田は、今では当たり前になったユーティリティープレーヤーの先駆者だったとも言えるだろう。

 ナイジェリアでの働きが高く評価され、00年シドニー五輪、02年日韓W杯と一気に階段を駆け上がっていく。12年1月の松田直樹の追悼試合でトルシエが久しぶりに来日した際も「森岡(隆三)、中田、宮本(恒靖)、直樹がいなければフラット3はできなかった」と断言したように絶対的信頼を勝ち取った。「フィリップは僕の人生を変えてくれた」と本人も深く感謝していたが、そういう指導者と出会えたことは幸運だった。鹿島での00年の3冠達成、00、01年のリーグ連覇などを含め、20代前半の中田は勢いに乗っていた。

 ジーコジャパン時代も順当に代表入りしたが、03年8月には大分トリニータ戦で左ひざ靱帯(じんたい)断裂の重傷を負い、1年近く戦線離脱する。それでも辛く苦しいリハビリを乗り越え、04年5月には復帰を果たし、04年アジアカップ(中国)に出場。準決勝・バーレーン戦と決勝・中国戦の連続ゴールでアジア連覇にも尽力する。

「ヤット(遠藤保仁)が退場して0−1で負けている中、(中村)俊輔のCKをヘディングで合わせたバーレーン戦の1点は一番印象的なゴール。自分にとっての代表初ゴールだったしね」と本人も引退会見でしみじみ語っていたが、これも輝かしい戦績の1つに違いない。

強行突破での海外移籍


海外移籍も経験。マルセイユでは苦汁をなめたが、バーゼルではカップ戦優勝を果たすなど、選手として一回り大きく成長した【写真:FAR EAST PRESS/アフロ】

 そして翌05年、トルシエが率いていたフランスの名門、オリンピック・マルセイユへの移籍に踏み切る。ゼロ円移籍が一般的でなかったこの時代に、契約満了を待って海外へ赴くというのは極めて大胆な行動で、日本サッカー界でも大いに物議を醸した。それだけのリスクを冒しても、中田は厳しい環境で戦うことを強く求めた。結果的にこの果敢なチャレンジが後輩たちの海外移籍の道を切り開くことにつながったのは確かだ。

「03年に左ひざのけがをして自分を客観視した時、サッカー選手はいつ大けがをするか分からない。ならば、自分の夢や目標を追いかけた方がいいと強く思った。ワールドユースで頂点に近づき、その後もギリギリの戦いをいろんな相手とやったけれど、Jリーグにいると外国と戦う機会が極端に少ないし、23〜24歳で個人よりチームを重視しなければいけなくなる。海外移籍の話が来た時、『自分はこのまま終わりたくない。もっと切磋琢磨(せっさたくま)してギリギリの戦いをもう一度、やりたい』と感じたんです」と彼はキャリアを左右した選択の理由をこう吐露したことがある。

 とはいえ、フランス時代は順風満帆とはいかなかった。トルシエは瞬く間に解任されてしまい、中田は差別的な扱いを受ける。一時はトップチームの練習にさえ参加させてもらえないほど冷遇された。身体能力重視のフランスサッカーにも戸惑い、1年近く試合から遠ざかる事態に陥った。それでも06年1月にスイスのバーゼルに新天地を見いだし、センターバック(CB)や左サイドバック(SB)としてコンスタントに出場。06年ドイツW杯にも参戦した。自身2度目のW杯は惨敗という結果に終わり、「自分たちのメンタル的な弱さを痛感させられた」と不完全燃焼感をあらわにしたが、その屈辱をバネに欧州カップも経験。選手としてまた一回り大きく成長することができた。

「欧州のサッカーは前に出てどんどん守備をしないといけない。ボールを奪うというより、先に体をぶつけてくる。球際の重要性を痛感しました。自分は最終ラインに入っていたので、最終的な1対1がものすごく大事だった。182センチの自分は向こうでは高さがない方だけれど、絶対に競り負けちゃいけない。駆け引きやタイミングで勝負していました。言葉の面も英語を勉強して周りとコミュニケーションを積極的に取るようにしていたけれど、チームメートもよく自分の特徴を理解して合わせてくれました」と、彼はスイスで大きな手ごたえと自信をつかんだようだった。

 だからこそ、08−09シーズンも残留してチャンピオンズリーグに出場してほしかった。そのチャンスは実際にあったし、バーゼル側も契約延長を申し出てくれた。だが、本人は古巣・鹿島復帰を決断する。ゼロ円移籍という強行突破をしたことに対し、中田自身の中では申し訳ない気持ちがあり、いつか恩返しをしたいと考えていたはず。自分自身がきちんと仕事のできるうちに日本に戻りたかったのだろう。

日本サッカー界に還元できるもの


「夢のような17年間だった」と中田自身も語ったように、400試合を超える公式戦出場など、そのキャリアは偉大なものだ【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 鹿島復帰後は代表や欧州で積み重ねてきた経験を生かして、ボランチ、左SB、CBでマルチな活躍をしようともくろんでいたが、バーゼル時代の右ひざ半月板負傷の影響が大きく、復帰してすぐの08年夏に再手術に踏み切った。09年には実戦でプレーできる状態には戻ったが、岩政大樹や伊野波雅彦らCB陣、左サイドのパク・チュホの台頭などでレギュラー奪回に苦しむことになった。それでも最終的には鹿島のリーグ3連覇に貢献。そして10年の天皇杯、11年のヤマザキナビスコカップ制覇の原動力にもなる。オズワルド・オリヴェイラ監督体制では重要な役割を担い続けたのだ。ジョルジーニョ監督が率いた12年は出場機会が激減し、本人も苦悩したが、かつての恩師であるトニーニョ・セレーゾ監督が戻ることが決まった13年は「もう一度、勝負をかけたい」とチャレンジを決意。今季までの2シーズン戦い続けて、最終的に17年間の現役生活に幕を下ろすことになった。

「夢のような17年間だった」と中田浩二は改めて満足感を口にした。通算400試合を超える公式戦出場、そして国際Aマッチ57試合出場2得点という数字を見ても、彼のキャリアは偉大だった。小笠原ら同期の仲間、柴崎岳のような若い世代が自分の築いたものを受け継いでいってくれるという確信を持てたから、35歳の今、1つの区切りをつける決心がついたのではないか。小笠原は「ヤナギさん(柳沢敦)もそうだけれど、浩二はユースの頃からいろんな大会に出て、世界を見て、W杯に出て、お金じゃ買えない経験をしてきた。そういう選手と一緒にやれたのは若いやつにとっても大きな財産」と話したが、次世代の選手たちにはそのメンタリティーやハイレベルの経験をしっかりと継承していく責務がある。

 帝京高校時代の監督であり、恩師でもある古沼貞雄氏から「今、ここでやめて、他の選手より先に新たなスタートを切ることで、また違う道が開ける」と激励された通り、中田浩二には第2の人生が待っている。鹿島側は将来的に指導者やクラブスタッフとして働いてほしい意向を持っているが、当面はアンバサダーなどの役割を託して、彼自身が視野を広げる協力をするという。本人も指導者ライセンスを取得しつつ、今後の方向性を模索するつもりだ。

 いずれにしても、中田浩二には日本サッカー界に還元できるものが数多くある。新たなステージでの活躍に期待したい。




中田浩二の引退について筆を執った元川女史である。
高校時代、鹿島での成長、代表での軌跡、海外移籍と紆余曲折あった彼のサッカー人生が語られておる。
当時を振り返って、思うこと、悲しんだことが浮かんでくる。
ここに来てまた引退が惜しまれる。
これまで、本当にありがとう。

サッカーダイジェスト 鳥栖戦寸評

2014年12月09日 | Weblog
【2014 J1寸評・採点|34節】鹿島対鳥栖
週刊サッカーダイジェスト編集部
2014年12月09日

鹿島対鳥栖



選手・監督 寸評/採点
※週刊サッカーダイジェスト12.23号(12月9日発売)より

【鹿島】
[GK]
21 曽ヶ端 準 5.5 
失点シーンは、シュートコースが甘かっただけに弾き出したかった。
[DF]
22 西 大伍 5.5 
タイトマークやファウルで潰され、高い位置への侵入を阻まれていた。
23 植田直通 5 
ビルドアップでミスが散見。効果的なフィードは、わずかだった。
15 昌子 源 5 
植田とのマークの受け渡しに失敗し、ラインの裏を取られて失点。
16 山本脩斗 5.5 
後半は高めにポジションを取るも、攻撃に厚みを加えられなかった。
[MF]
20 柴崎 岳 5 
厳しくマークされ配球役をまっとうできず。局面の守備も軽かった。
40 小笠原満男 5 
柴崎と同じくプレスに苦しむ。下がってボールに触るのが精一杯。
25 遠藤 康 5.5 
サイドで起点になれなかったが、中央に進出した際は決定機に絡んだ。
19 豊川雄太 5 
時折、ドリブルで仕掛けるも失敗。裏への飛び出しも見られなかった。
28 土居聖真 5 
バイタルのスペースを消されて沈黙。攻撃に変化をつけられなかった。
[FW]
18 赤秀平 5 
動き出しが常に単発で、ボールを受ける回数が極端に少なかった。
[交代出場]
13 中村充孝(MF) 5.5 
自在にポジションを変えてボールを引き出すも、シュートは打てず。
8 ルイス・アルベルト(MF) 5.5 
競り合いで存在感。攻撃意識が高く、勝利への執念は感じさせた。
10 本山雅志(MF) 5.5 
中盤でボールを受けても前線との距離が遠く、持ち味を出せなかった。

[監督]
トニーニョ・セレーゾ 5 
逆転勝利を狙って次々と攻撃の札を切ったものの、いずれも不発に終わる。

【鳥栖】
[GK]
33 林 彰洋 6 
万全のクロス対応。枠内シュートが少なく、危なげなく完封した。
[DF]
16 チェ・ソングン 6 
献身的に守備に貢献。スタミナが切れた後半途中に足を攣って交代。
4 小林久晃 6 
ラインを上げてコンパクトな陣形を保つ。ハイボールも撥ね返した。
2 キム・ミンヒョク 6 
ボランチや小林と適正な距離を保ち、中央に基点を作らせなかった。
13 安田理大 6.5 
池田の動き出しを見逃さずに好パスを送り、先制点の起点になった。
[MF]
8 水沼宏太 6.5 
最後まで運動量を保ち、堅守からのカウンターでチャンスを作った。
28 高橋義希 6.5 
思い切りよく放ったボレーがネットを揺らす。今季初得点が決勝点に。
35 金井貢史 6.5 
鋭い読みで縦パスをカット。鹿島に攻撃のきっかけを作らせなかった。
10 キム・ミヌ 6.5 
ゴールに直結する仕事はできなかったが、ドリブル突破で脅威に。
[FW]
22 池田 圭 6.5 
巧みにラインの裏に抜け出し、正確な落としで高橋のゴールを演出。
11 豊田陽平 6 
プレスをかけるタイミングが秀逸。守備の貢献度は極めて高かった。
[交代出場]
29 谷口博之(MF) 6 
アンカーに入ってカウンターをケア。こぼれ球を徹底的に拾った。
25 早坂良太(MF) 6 
対面の左SBをケアしつつ、素早い攻守の切り替えでスペースに進出。
3 磯崎敬太(DF) 6 
左SBに入って堅実な守備を披露し、逃げ切りに大きく貢献した。
[監督]
吉田 恵 6.5 
出場停止の主力の穴を絶妙な選手起用でカバー。勝利に結びつけた。

[試合内容]
最初の決定機で先制点を奪われた鹿島はリズムを崩し、攻撃が機能しないまま時間だけが経過。後半の早い時間帯から交代のカードを切って打開を狙ったが、最後まで集中を保った鳥栖の守備を崩せず、ホームでの最終節を落とした。




サッカーダイジェストによる鳥栖戦の寸評である。
惜敗におしなべて低い。
強いてここで挙げるならば、途中出場の三人がそこそこの評価であることは悪くはない。
アツが入ってボールに流動性がもたらせられたし、ルイス・アルベルトの縦への推進力は勝利への信念を感じさせた。
そして本山である。
やはり、本山がボールを持つとワクワクさせられる。
この試合では少々、後ろで持たされた格好となったが、それでもチャンスを作っていたように見受けられた。
と、続々と切り札が投入されたが得点には至らなかったことを無念に思う。
来季はこのような試合でも勝ち切る強さを持ちたい。
そのように新化することを信じておる。

大胆な若返りを断行

2014年12月09日 | Weblog
大胆な世代交代のシーズンに最終的に3位。常勝軍団・鹿島アントラーズの前進と課題
Text by 元川 悦子

2014年J1は最終的にガンバ大阪が2005年以来、9年ぶりのリーグ制覇を達成した。開幕から快進撃を見せていた浦和レッズはJ1制覇に王手をかけていた11月22日のG大阪との直接対決に敗れ、29日のサガン鳥栖戦でも後半ロスタイム弾でドローに持ち込まれ、ラストの名古屋グランパス戦でも逆転負けという最悪の結果を余儀なくされた。G大阪の逆タイトル獲得はもちろん遠藤保仁や今野泰幸ら軸となる選手たちの活躍によるところが大だが、浦和の大失速によってもたらされた部分も大だったと言っていいだろう。

最終節でG大阪と浦和が引き分け以下なら、3位の鹿島アントラーズにも逆転優勝のチャンスはあった。実際、鳥栖に2点差以上で勝っていたら、クラブとして17冠目を手に入れることができていた。しかし、大胆な若返りに打って出たばかりの彼らには、かつての老獪さやしたたかさが見られず、鳥栖に一瞬の隙を突かれて開始早々に失点してしまう。鳥栖の左サイドバック・安田理大のクロスを池田圭が落とし、高橋義希が右足ミドルで決めるという形だったが、クロスが入った瞬間から鹿島守備陣の反応が遅れ、池田や高橋への対応に後手を踏んだ。鳥栖は攻守の切り替えの速さや縦へのスピードを前面に押し出したチームだが、そういう相手の特徴は昌子源や植田直通ら若いDF陣も理解していたはず。それでもやられてしまったのは、勝負のかかった大舞台の経験不足によるところが大だったのだろう。

1点のビハインドを何とか跳ね返すために、トニーニョ・セレーゾ監督は中村充孝やルイス・アルベルト、本山雅志といった控え選手を次々と投入。最終的には植田を前線に上げてパワープレーに打って出た。90年代の頃なら秋田豊(現解説者)が、2007年から3連覇を果たした時代なら岩政大樹(BECテロ・サーサナ)がこういう状況で1点を取ってくれていたが、若い植田にそこまで求めるのは酷だったかもしれないが、新たな常勝軍団を築いていくためには、ここで一矢報いるゴールが欲しかった。0−1でタイムアップの笛を迎えた時、小笠原満男らベテラン勢は何とも言えない不完全燃焼感を強く覚えたに違いない。

「ここで2−0で勝っていれば、3連覇した時みたいなチーム力がつくと思うけど、こういうところで負けてたら成長はない。タイトルを取れば取るほど、プライドや自信、欲が出てきて、勝者のメンタリティが植え付けられていく。鹿島というチームはJリーグ発足当初、ジーコにそういうものを無理やり身に付けさせられて強くなり、満男や(中田)浩二、モト(本山)たちの世代が引き継いで行ってくれた。柴崎(岳)や源(昌子)たちは先輩の姿を見て、『勝たないといけない』とか『結束して戦わないといけない』と思うようになったし、責任感を口にするようになったけど、結果が伴わないと確固たる自信には繋がらない。そういう意味でも、鳥栖戦の負けは残念だった」と鈴木満常務取締役強化部長も繰り返し語っていたが、現在の鹿島は小笠原らが満足するレベルにはまだ達していないと言わざるを得ない。

それでも、これだけ大胆な若返りを断行した1年目で、最終節まで優勝争いに絡んだ事実は前向きに捉えていいはずだ。柴崎がアギーレジャパンにほぼ定着し、昌子も守備陣の一角に名乗りを挙げたのもその一例だろう。シーズン途中にエースFWダヴィが負傷離脱するアクシデントが発生しても、筑波大卒の新人である赤秀平がキッチリ穴を埋め、土居聖真や豊川雄太といった20歳前後の若いアタッカー陣も確実に目立った仕事ができるようになってきた。「シーズン開幕時は『アントラーズは降格争いをするんじゃないか』と言われていたけど、若い選手たちがガンバやレッズと対等にやれるレベルまでは来たのは確か。もともと10位台に低迷するチーム編成はしていないけどね」と鈴木強化部長は冗談交じりに笑っていたが、ポテンシャルのある選手を確実に見つけ、スカウティングし、短期間で大きく伸ばすというポリシーをクラブ一丸と遂行しているから、今がある。93年のJリーグ発足後、鹿島の最低順位は2012年の11位。降格争いに参戦したことは一度もない。この安定感は多くのクラブが参考にすべき点と言える。

第2の黄金時代を築いた中田浩二が去った2015年は、世代交代がより一層、進んでいくだろう。30代半ばの小笠原や曽ヶ端準らは一段と危機感を募らせるだろうし、彼らと同じピッチに立つ若手は勝利の厳しさをより深く学んでいくはず。そうやって第3の黄金期を築くことができれば、クラブとしては成功だ。来季の鹿島がそのシナリオ通りに進むか否かを慎重に見極めたいものである。




「大胆な若返りを断行した1年目で、最終節まで優勝争いに絡んだ事実は前向きに捉えていい」と述べる元川女史のコラムである。
若い選手を成長させつつ優勝争いをしたことは驚嘆に値する。
しかしながら、ホームで敗戦し優勝を逃したことは、世代交代ということを踏まえても悔しい出来事であった。
この経験を糧に若い世代は大きく成長してくれたはず。
来季はやる、その手応えは感じておる。
若き選手らと共にタイトル奪還、そしてアジア制覇を目指すのだ。
期待しておる。

鹿島、ジネイ獲得に乗り出す

2014年12月09日 | Weblog
鹿島、186cmブラジル人FW獲りへ
 3位に終わった鹿島が、ブラジル全国選手権1部ヴィトーリアのFWジネイ(31)の獲得に乗り出している。8日、同クラブ関係者が明らかにした。昨年の同リーグで得点ランキング2位の16得点。今季も20チーム中17位で2部降格が決まった劣勢の中、10位タイの9得点を挙げている。186センチの長身ながら足元の技術の評価も高い万能型だ。

 鹿島は1トップの補強が急務だ。今季チーム最多タイの10得点で、2年連続2ケタ得点のFWダビが、10月18日の柏戦で左膝前十字靱帯(じんたい)と外側半月板を損傷。復帰まで約8カ月と診断され、来季の第1ステージは計算できない。

 ダビの離脱後は、筑波大卒のルーキーFW赤崎が出場。10試合に先発して5得点と結果を出したが、周囲との連係で裏へ抜けるタイプのため、持ち味の異なるジネイが加われば編成のバランスも良くなる。選手層を厚くするため、188センチの徳島FW高崎寛之(28)の獲得も狙っている。

 ◆ジネイ(テルマリオ・アラウージョ・サクラメント) 1983年11月11日、バイーア州サントドミンゴ生まれ。02年ポルトゲーザを皮切りに、アトレチコ・パラナエンセ、ヴィトーリア、スペイン2部セルタなどを経て13年ヴィトーリア復帰。75キロ。利き足は右。
 [2014年12月9日7時9分 紙面から]




ヴィトーリアのFW・ジネイの獲得に乗り出しておる鹿島である。
ジネイは186センチの長身で足元の技術も持ち合わせておる。
代理人は中国、メキシコのクラブと競合しておると述べており、獲得が決定的というわけではない。
ここは争奪戦を制し、是非とも戦力となって欲しいところ。
来季のアジア制覇に向けて、大型補強である。

セレッソ、アウトゥオリ監督最有力

2014年12月09日 | Weblog
C大阪 新監督候補アウトゥオリ氏と近日中にも就任本格交渉

C大阪の新監督候補とされるパウロ・アウトゥオリ氏
Photo By スポニチ


 C大阪が来季新監督の最有力候補に挙げているブラジル人のパウロ・アウトゥオリ氏(58)と、近日中に本格交渉に臨むことが8日、分かった。来季の強化部長就任が内定している大熊清氏(50)が、9日にもブラジルへ出発することが判明。関係者によると、現地で本人や代理人と会う機会を設ける予定だという。

 コパ・リベルタドーレス杯を2度制覇し、クラブW杯優勝で世界一に輝いた経験もあるアウトゥオリ氏。豊富な実績を誇る指揮官招へいへ、来季からJ2で戦うC大阪が速攻をしかける。強化部トップの大熊氏が自ら足を運ぶことで、条件面だけでなくクラブの方向性などを伝えることも可能。熱意と誠意で就任を要請する。
[ 2014年12月9日 08:36 ]

【C大阪】新監督にアウトゥオリ氏浮上!強化本部長「最有力」
2014年12月9日6時0分 スポーツ報知

 来季J2のC大阪の新監督候補に、ブラジル人で元鹿島監督のパウロ・アウトゥオリ氏(58)が浮上したことが8日、分かった。「現時点で最有力」と宮本功強化本部長(44)。大熊清強化部長(50)がこの日、ブラジルへ出発し直接交渉に臨む。クラブは当初、同じブラジル人で元浦項監督のセルジオ・ファリアス氏(47)を候補リスト最上位としたが、急転していた。

 アウトゥオリ氏はサンパウロで05年クラブW杯優勝。ペルーやカタールで代表監督も務めた。ただ、現在の年俸相場は約3億円とされ、J2での指揮を引き受けるかも微妙という。

C大阪新監督にアウトゥオリ氏有力
2014年12月9日


 C大阪が来季新監督として筆頭候補に挙げているパウロ・アウトゥオリ氏

 J2に降格したC大阪が、来季新監督として、06年にJ1鹿島を指揮したブラジル人のパウロ・アウトゥオリ氏(58)を筆頭候補に挙げていることが8日、分かった。クラブ関係者によると、近日中にも来季の強化部長就任が内定している前大宮監督の大熊清氏(50)がブラジル入りし、正式オファーを提示して交渉に臨む予定だ。

 アウトゥオリ氏は南米王者を決めるリベルタドーレス杯を2度制し、05年にはサンパウロをクラブW杯優勝に導いた。鹿島ではリーグ戦6位などタイトルこそ獲得できなかったが、当時高卒新人だった日本代表DF内田(現シャルケ)を開幕スタメンに抜てきするなど、若手を積極的に起用。ペルーやカタールで代表監督も務めるなど実績は十分だ。

 今季2度の監督交代など迷走を繰り返したC大阪は、後任監督にJリーグ経験があり、若手を育て上げられる人材に絞り人選を進めてきた。去就が微妙な選手との契約交渉で来季以降の方向性を示す必要もあり、新監督決定が急務となっている。




昨日、スポニチが報じたセレッソの次期監督にアウトゥオリ監督であるが、スポニチの続報に加え報知とデイリーも報じてきた。
セレッソ側は最有力とコメントしておる。
しかしながら、アウトゥオリ監督の年俸・3億円、J2での指揮を引き受けるかの問題があるとのこと。
セレッソの指揮官問題であるが、どのようになるのであろうか。
暖かく見守りたい。

森岡、京都U-18監督就任

2014年12月09日 | Weblog
京都U-18監督に元日本代表DF森岡隆三氏就任

京都のU18監督に就任した森岡隆三氏。自身も京都でプレーしていた
Photo By スポニチ


 J2京都のU―18監督に、元日本代表DFの森岡隆三氏(39)が就任することが8日、分かった。

 現役引退後の09年から京都でコーチを務め、今季は派遣でJFLの佐川印刷SCのコーチを務めていた。森岡氏はコーチ時代から若手の居残り練習に付き合い、積極的にコミュニケーションを図るなど人望が厚かった。また、和田昌裕氏(49)の監督就任が決定的なトップチームには、クラブOBで前J2愛媛監督の石丸清隆氏(41)をコーチとして招へいすることも判明した。
[ 2014年12月9日 05:30 ]">




京都U-18の監督に就任した森岡である。
鹿島にてプロキャリアを始めた森岡が高校生年代を指揮するのは面白いこと。
森岡の指導した若き選手がどれだけトップ昇格していくのであろうか。
楽しみである。