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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

滋賀県の西浅井町に雪を観に行って来ました: 第二弾

2010-01-31 15:45:03 | 四季、思い出に残る風景写真と話題

                     

           冬の風景:西浅井町

 
滋賀県の北部、琵琶湖の北端、西浅井町へ冬の風景を観に行って来ました。
通称湖北地方、豪雪地帯として昔から有名です。ところが最近では雪は少なく
なりました。実は私はこの地で生まれ育ちましてその変化を最も実感する一人
ではと思っています。しかし冬のどんよりした毎日は変らないですね。
その冬景色をお伝えしたいと思います。

               
                     集福寺集落

写真は集福寺と言う集落で後に見える山の更に左上方向が行市山。そうです、
賤ヶ岳の合戦で佐久間盛政の砦が有ったあの山です。合戦の火蓋が切られた
日の未明佐久間勢は行市山からこの集福寺集落に降り、更に塩津街道を南下
して権現坂を経て
余呉湖に向かい、大岩山砦で中川清秀を討ったその集福寺です。

  
     早朝、小雪がちらついたようです                    以前と違いもう堤からは草木が顔を覗かせています

訪ねたのは1月28日です。私がいた40数年前は根雪(常に積もっている雪)が1m以上
はあり、このような景色は3月半ばです。勿論温暖化の影響ですが、今はこの程度の雪で
も多い方ではないでしょうか。 


                
   国道近くに車庫を持ち雪対策を。雪の少ない今はもう要りません。             その日、野原を歩いてみました

この小屋は車庫です。ここから30mのところが国道8号線です。通勤に使う車を少しでも
国道に近い(国道は除雪が行きとどいている)場所に止める必要がありました。今は物置
代わりに使われているのでしょうね。

  
 その昔、この時期(1月)は1m以上の積雪でした                   雪国特有のどんよりした毎日です

雪国特有のどんよりした景色です。これは今も変わりません。つまり雪が雨に変わった
だけということです。冬はほぼ連日と言ってもいいほどこのような日が続きます。
その日
野洲市は晴天でした。


   
      40数年前には猿は住んでいなかったが・・                         JR近江塩津駅

昔はお猿さんはいませんでした。今では住民の嫌われ者としての存在です。特に畑は家の
周りで耕す以外にはて手立てがなく、そうでないと
お猿さんの餌つくりとなります。 こんな張
り紙が珍しかったです。

    
      駅前の国道8号線                駅舎のうどん屋さん、JRで琵琶湖一周の途中にちょっと

JR近江塩津(おうみしおつ)駅です。北陸線と湖西線(終点)の分岐駅です。このところ
JR線で琵琶湖一周を楽しむお客様が増えており、この駅が表に出るようになりました。
その寂しかった駅になんとうどん屋さんが出来たのです。聞いてはおりましたが・・・。
一周の途中にちょっと一福やそうです。 「遠くから来てきてくれやんしたんやね」に 
「ええ、でも私ここに18歳まで・・・」、「あらー、どこどこのKさんですんかいなー」、
 
と会話が弾みました。

 

余談に代えて:

1.町の名前:
伊香郡西浅井町は今年1月日を持って長浜市と合併し、伊香郡の名称が使われなくなりました。それから塩津
という地名も半世紀前に隣りの永原村と合併して西浅井町となっております。幸い伊香郡4町はその名前が残り、
村を離れた者にとってほっとしております。先にこのブログに書いた余呉町の名前も残りました。やはり懐かしさ
の一つくらいは有ってくれないとと思います。豪雪はもう見られないので・・・。

2.除雪:
国道の路面には常に雪がありません。最近西浅井町の雪の状況がネットのライブカメラで見ることが出来ます。
ところが国道8号線にはいつも雪が積もっておりません。それは融雪装置(スプリンクラー)が雪を融かしていた
のです。それから各集落内の生活道路も自治体が除雪をします。 とっくの前に登校前の学童達の重労働は
免除されています。 いい時代やなーーー、感謝かんしゃ! ( 2月4日 Kenny)

 

 

コメント (7)
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