ピンピン君について

2010年03月31日 08時38分08秒 | 業界のかけら

先日亡くなったピンピン君について
検索されている方が多いようなので、
覚えていることを一つ二つ。

初来日した時は、
歯があまり丈夫でないため固いものは食べられない、
そういう触れ込みだったピンピン君。
しかし、2回目に来た時はもりもり焼肉を食べていた。
最初の触れ込みはなんだったんだ?

見た目は子どものようだが、
中身は意外と歳相応。
女性たちはその外見から、
まるで赤ちゃんのように抱き上げていたけど、
その油断に乗じてさりげなく女性にタッチしていたとかいないとか。

映画鑑賞:『噂のモーガン夫妻』

2010年03月29日 22時37分05秒 | エンタメのかけら
飛行機の中で見たい。
そんな映画だった。

あ、別の金を払ってみるのが嫌というわけではなく、
それぐらい肩の凝らない映画、という意味で。

それにしても、
この手のロマンティックコメディって、
邦画ではほとんど見かけない。
どうしてなんだろう?
適役がいないのだろうか。

たとえば、
同じくロマンティックコメディの『ノッティングヒルの恋人』
主人公の二人を日本の役者が演じるとしたら、
誰が適役なのだろうか。
うまくやらないとギャグのすべてが、
コント風になってしまうしなあ。

と考えるのはとても楽しい。



VTRを見ている時の顔

2010年03月27日 09時09分03秒 | 業界のかけら

ある特番の収録に行けなかったら、
オンエアに向けて会議をするから、
それまでに見てくるようにと、
スタジオ収録のVTRが送られてきた。

メインのカメラ、「本線」の映像だ。

こんなことは異例である。
僕も初めてに経験だった。

そもそも編集前のスタジオの映像なんて、
さしておもしろいものではない。

特に今回の特番は、
いわゆる「映像モノ」なので、
送られてきたVTRの大半は、
サブ出しの映像を見ているゲストたちの姿だ。

まあ、この映像がオンエアでは、
ワイプの中に使われるのだが、
それだけをアップで見ていても、
おもしろいわけがない、
そう思って斜め見しはじめた。

ところが。

これが意外とおもしろいのだ。

タレントの百面相。
顔芸を見ているようだった。

やはり一番表情豊かだったのは、
勝俣州和さんだ。
作り手の気持ちをよくわかってくれている、
リアクションだ。

一方、最悪だったのは某女性タレントだ。

ずっとつまらなそうな顔をしている。
時には半眼で眠そうな顔をしている。
あんな顔ではワイプにも使えない。
というか、人前で見せてはいけないブサイクな顔だ。

でも、VTRが終わって、
スタジオトークが始まった途端、
打って変わって笑顔になり、
さも楽しそうに話し始める。

ある意味、プロではあるが、
VTR中にリアクションをするのも仕事なんだから、
そこはちゃんとやってくれよとも思う。

スタジオ本線の映像を見るめったにない機会だからこそ、
気づいたことだった。

まあ、いつも見ているディレクターは、
とっくにわかっていることだろうけれど。

タレントのみなさん、
VTRを観ているその姿も、
しっかり見られていますよ。

オーガニックの過剰さ

2010年03月20日 08時36分01秒 | コメディのかけら

某所にある、
オーガニックで、
マクロビオティックな、
そんな居酒屋につれて行ってもらった。

野菜メインの料理は、
たしかにどれも美味しかった。

だがしかし。

なんだこのうるさい感じは。

メニューに、
あるいは卓上に、
あるいはトイレに、
あるいは店員の説明に、
とにかくいたるところに、
「有機野菜」を使っているとか、
「動物性のもの」は使っていないとか、
「玄米」は体にいいとか。

どうしてこの手の店は、
こう過剰になりがちなのだろう。
もう少し控えめにすることはできないのだろうか。

いかにくつろいで食事をしてもらうか、
という肝心な視点が抜け落ちている気がする。

だから体にいいものを食べたはずなのに、
店を出た後でちょっとうんざりしてしまう。

まあ、そう思うのは、
僕が汚染された人間だからかもしれないが。


ピンピン君、亡くなる

2010年03月19日 14時18分22秒 | 業界のかけら

僕もネットのニュースで知ったのだが、
世界一小さい男性のピンピン君が、
テレビ番組出演のため訪れたイタリアで亡くなった。

ピンピン君には、
かつて何度か特番に出演してもらった。

亡くなった背景を関係者に聞いたのだが、
マネージャーをやっている義理の兄が、
ピンピン君をかなり酷使したようだ。

イタリアでも、
ピンピン君の体調を番組スタッフは心配したが、
義兄が「大丈夫だ」と無理やり働かせたらしい。

義兄の妻、つまりピンピン君の実の姉は今、
どんな気持ちでいるのだろうか。

無茶なスケジュール確保

2010年03月17日 09時13分43秒 | 業界のかけら

時どき、「なんだよその聞き方は」と思う
スケジュール確保のためのメールが来る。

「19日から28日までの間で、
 ダメなところはどこですか。
 教えてください」

普通は「空いているところはどこですか」
と尋ねるべきだろ。

非常識というか、
傲慢というか、
なんとも不愉快な気分になるのだった。

献血の行方

2010年03月14日 23時07分00秒 | その他のかけら

先日、『FNSアワード』の授賞式に参加した。

そこで「FNSドキュメンタリー大賞」参加作品の概要と評が載った冊子をもらったのだが、
その中にとても興味深い情報を見つけた。

テレビ新広島が制作した『ありがとう!っていっぱい言わせて』という作品。

難病の子どもを通して、
「献血」についてスポットを当てたこの番組、
僕は観ていないのだが、
審査員が記したこの一文だけでも十分衝撃を受けた。

「(献血された血液のうち)
 事故や手術などの際に使われるのは全体の1割程度で、
 大半はガンなどの難病と格闘している人のために役立てられている」

セカンドオピニオン

2010年03月13日 11時15分39秒 | アイデアのかけら

最近は深刻な病の場合、
セカンドオピニオンをとることが、
よく勧められている。

先日、僕も初めてセカンドオピニオンを経験した。

まず思うのは「高い」ということだ。
保険が効かないので31500円。
30分、医師と話すだけで31500円。
この金額を見てひるむ患者や家族も多いのではないか。

しかも思いのほか淡白。
僕の場合は主治医に言われていたこととほぼ同じ。
同じ話を聞いて31500円。

セカンドオピニオンには、
主治医の方針を別の医師に裏打ちしてもらう、
という意味合いもあるわけで、
今回の場合、主治医が妥当なことを言っていたということになるのだが、
それでも「なんだかなあ」という気持ちにはなるのは否めない。

あと、これは僕のケースだけかもしれないが、
主治医と比べると、
セカンドオピニオンの医師の方が事務的で、
なんというか、とても冷たい感じがした。
自分の患者じゃないからそうなるのも当然かもしれないが。
おかげでいよいよ31500円が高いが気がしてきたのだ。

セカンドオピニオンを本当に推奨するならば、
料金の件やそれをやる医師の姿勢とか、
そういうものをもう少し整備してもいいのではないか。

だってセカンドオピニオンを聞きに行く時、
患者にしろ家族にしろかなり悩んでいるわけなのだから。

読書:『サはサイエンスのサ/鹿野司』

2010年03月11日 02時00分21秒 | エンタメのかけら

本のジャンルとしては、科学エッセイである。

だから最新科学に関する情報はふんだんに入っているが、
それよりもこの本は、
科学を題材にした「モノの見方」を教えてくれる本だ。

発想法やアイデア術といったビジネス書には、
よく「新しいモノの見方」「新しい視点」といったワードが出てくるが、
そんな本を読むよりも、
本書を読んだほうがずっと「新しいモノの見方」が身につくと思う。

それはさておき。

この本のタイトルの元ネタがわかるのは、
30代半ば以上のSFファンだけだろうなあ。

映画鑑賞:『インビクタス』

2010年03月09日 23時58分47秒 | エンタメのかけら

ネタばれを防ぐため、
ぼんやりとした感想のみ記す。

途中、明らかに伏線と思われるシーンがあった。
いわゆる「フリ」だ。
これをどう回収するか楽しみにしていた。

で、その回収の仕方に驚いた。
なんというあっさり感だ。
普通はこれをラスト付近の盛り上げどころに使いそうだが。
でも、『インビタス』ではそれをしなかった。

いい「フリ」をしたら、
普通はそれに見合った「ウケ」をしたくなる。

だけど、この映画では、
その部分が淡白に描かれている。
まるで、通常考えるだろう「ウケ」はあざといと言っているかのように。

ペットボトルの日

2010年03月08日 23時55分40秒 | コメディのかけら

世田谷は隔週月曜日が、
ペットボトル回収の日である。

だからこの日にそれ以外のゴミを出すと、
それを注意する青いシールがゴミに貼られる。

今日、あるゴミ捨て場で青いシールを見かけた。

シールを貼られていたのは、ワンカップの瓶。

小さな瓶に大きなシールが貼られている。
かなり異様な光景だ。

しかもどう考えてもその瓶は、
わざわざ出したというより、
通りがかりの者がポイ捨てしていった感じだ。

なのに律儀に違反者シール。

ルールを守るあまりにおかしなことになっている。

キューブを育てる

2010年03月07日 09時26分39秒 | チシキのかけら

ルービックキューブの達人たちは、
より滑らかに動かせるように、
油をさすなどして調整するのだという。

この行為を彼らは、
「キューブを育てる」
というらしい。

キューブを育てる。

いい響きの言葉だ。

読書:『最終定理』

2010年03月06日 14時46分40秒 | エンタメのかけら

アーサー・C・クラークとフレデリック・ポールの初めての合作にして、
クラークの遺作である。

ひと言でいうと、
ムチャクチャな長編である。

あとがきによれば、
クラークが4、50ページの原稿と同量のメモを書き、
それをもとにポールが書いたということだが・・・。

どんな原稿(おそらくプロット)を渡したんだろう?

そう不思議に思うぐらい、
なんというかムチャクチャな話なのだ。

この二大巨匠の合作でなければ、
こんなムチャクチャな作品が世に出ることはなかったのではないか。

そういう意味では貴重な作品だ。

「え~~!」という気分の連続になることは間違いない。

脱毛の喜劇

2010年03月05日 00時30分34秒 | コメディのかけら

知り合いの女性から聞いたのだが、
ビキニラインのレーザー脱毛というのは、
かなり痛いらしい。

その痛みを紛らわすためか、
脱毛をしているあいだ施術者はずっと、
彼女に対して口頭でじゃんけんをしてきたそうだ。

しかも、その時の体勢はブリッジだったという。

下半身丸出しで、
ブリッジしながら、
「じゃんけんグー」「じゃんけんパー」と言っている女。

かなりあやうい光景である。

と思って、別の女性に話したら、
そもそも脱毛の際にブリッジすることなどないという。

ん?

俺がからかわれたのか。

真実はどこだ。

Twitterによる奇妙な体験

2010年03月02日 21時31分00秒 | アイデアのかけら

Twitterの魅力はいろいろあるだろうが、
その一つに「つながる」ということがあるだろう。

事件は数日前の夜に起きた。

突然、フォローしている人たちのつぶやきが、
タイムラインに反映されなくなったのだ。

タイムラインに載るのは僕自身のつぶやきだけ。

これはかなり寂しい。

まるで世界から僕だけ隔絶されたようで、
なんともいえない孤独感が襲ってきた。

この孤独感は、
Twitterをやっていたからならではのものだ。

だが、こうして大きなつなりがりが途絶えたことで、
また別のつながりを感じることもできた。

幸い僕のつぶやきへのつぶやき(リツイート)は読むことができた。
そこには僕がタイムラインの異常を訴えて以来、
「こちらは大丈夫です」
「ちゃんと聞こえてますよ」
「同じような事態になっています」
など、情報や励ましの言葉がたくさん寄せられた。

またダイレクトメッセージで、
情報や現状を教えてくれる方もいた。

こんなふうに今までにない感覚を体験できる。
それもまたTwitterの楽しみかもしれない。