yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

Hadorian’s Wall Reports-5 ダーラム出発いざ!ヴィンドランダへの条

2007-04-02 06:01:21 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
ここをクリックしてランキング登録にご協力下さいよろしくお願いします。 

今回の旅の大きな目的の一つが木簡の出土で知られるヴィンドランダ(Vindolanda)へ行くことでした。しかし、彼の地に行くには車で行く以外にありません。誰か案内してくれる人がいればいいのですが、残念ながら、先に記しましたようにこの時期は春休みで、みんな何処かにバカンスに出かけているそうです。イギリスの人達はとてもヴァカンスを大切にするそうです(これは本来当たり前のことで、日本人が働きすぎるのです!!お店が日曜日休みになるのも、わずか四半世紀程前の日本でも当たり前でした。ところがこの頃は年中開いている、それどころか24時間年中開いている店がざらにある異常さ!いつからこんなせわしない日本になったのでしょうね。どこぞの大企業の偉いさんが何でもかんでも効率、効率!そしてその後ろ盾の政治家も効率、効率!そのくせ、その人達こそ最も効率が悪い!!!変な国。)。だから御案内を頼むことができず。自ら運転する羽目に。アー恐ろしや!


(レンタカーに乗ること自体が2回目というのに、まさか異国の地で乗るなんて、誰が考えたのでしょうね・・・))
 車はクライスラーのディーゼル、7人乗り。レンタカー代は2日間で35000円。ガソリン代など諸々入れて40000円くらいかかりました。でも、一人頭5000円ですからイギリスでは安い方でしょう。おそるおそる出発!何せ、ウインカーの位置が反対。もっと問題は交差点!「高速道路」にまで交差点があり、右折するのにサークルをぐるぐる回らなければならない。アー恐ろしい!!


(Corbridgeはお休みでした。地図を見ながら道順を親切に教えてくれました。有り難うございました。基本的にイギリス人は親切です。)
 まず最初の目的地は、Corbridge というローマ時代の町とfort(要塞)の一つ。案内はVindolandaまではMさん。これに我が同行者山口大学の橋本さんのナビ。

 ところがこれがまたよくわからない!橋本さんの名ナビのお陰で村の中の細い道を進んで、やっとの思いでゲートに到着。と、ところが・・・!本日休館日!柵の前で記念撮影したり、周辺の風景を撮っていると、奥から女性が出てきてくれた。
 今日はここは休みで誰もいないからChester に行ったらどうかと勧めてくれる。Mさんも行ったことがあるというので、急遽そちらへ見学地を変更。ところがこれまた、よくわからない道をあっちへ行き、こっちへ曲がり・・・。またまたやっとの思いで到着。


(Chesterの北門。門の下にはちゃんと排水溝もありました。これも私の興味の対象。)
 でも、Chesterはなかなか素晴らしいfort跡!!後で調べると、Corbridgeも他とは異なる面白い遺跡だと判ったのだが、Chester も劣らない素晴らしいものだった。ケガの功名。


(遺跡の直ぐ横を川が流れる。この川の流れは遙かニューカッスルまで及ぶ)
 ここはHadorian’s Wallが川を渡るので橋の遺構がある。きっとそうだからこの地名Corbridge(ChesterとCorbridgeは直ぐ近く)ができたのだろう。残念ながら橋脚は川向こうにあり、次の訪問地での時間を約束していた私達は橋脚を直接見ることはできなかった。悲しい!!(なぜなら私の研究テーマの一つが「橋」)
 しかし、神は見捨てず。私の遺跡探訪で必ずチェックする「風呂・トイレ」があったのです。それも何と、fortの城壁の外にあり、川に面しているのです。誰が入ったのか、司令官はもちろんのこと、兵士達も入れたのでしょうね、川のせせらぎを聞きながら・・・(決してそんな優雅なものではなかったとは思うが)、ローマ人達の生活の一端を忍ぶことのできる遺構を見学することができたのはラッキーでした。


(こんなひ弱な兵士はいなかったとは思うのですが、それにしても狭いですよね。) 
 さらに、私の学問的関心の一つも満足させてくれました。 
 長岡京左京第15次調査以来虜になっている「兵士駐屯地」です。12畳一間に5人が詰め込まれて住んでいたことが判るとても重要な遺跡です。その後、平城京の長屋王邸跡地(長屋王邸が取り壊されいろいろな人々が住んだ一番最後には彼の地は兵士・仕丁の駐屯地と化すのです)でも見つかり、さらに長岡京右京6条1坊では長岡京建設時の飯場跡としても発見されて、自説が補強されたものです(数年前のシンポで、これを市だと仰るお方がいらっしゃって、恥ずかしかった!遺跡の解釈は思いつきで、適当に言えばいいもんではないんですがね。あらゆる情報を総動員して解釈しなければ遺跡はなかなか語ってくれません!!どうも最近の方々、特に「発掘調査技師」はその辺を誤解なさっている。一生懸命知識を総動員して解釈した先人の結論を、論拠も示さず「こうだって言える」と簡単に否定なさる。そりゃーなんとでも言えますよ。文字でも出ない限り。しかし、目立ちたい一心で、「定説」化した見解に異を唱えて注目を浴びようとする。その根性が嫌ですね。考古学が嫌になる一因です。)。

 そんな思いのこもった遺跡に遙かイングランドの地でお目にかかれたのです。嬉しかった!
 もちろん、その遺構群は日本の宮都のそれらと基本構造は同じなのです。細かく仕切られた同一規模の部屋(この写真を見ても判るでしょう。きっと沢山の兵士が詰め込まれていたんですよ)が、真ん中に通路を挟んでずらっと並んでいるんです。ローマ兵達の厳しい生活の場こそこれだったのです。望郷の念に駆られながら、いつ戻ることができるかも判らない異国の地で、防衛に当たる兵士達の気持ちを思うと涙が出てきます。もちろん、長岡京に送られた兵士(仕丁)達の思いも同じだったに違いありません。軍隊なんて悲しいものです!!Hadorian’s Wallに思うことは結局、侵略者の横暴でしかありません。この長大な城壁を築くために一体どれだけの人々の涙が流されたのでしょう。

 そんな思いを抱きながら、この日の最大の目的地、Vindolanda へ向かいました。



(Chesterの風呂。川の直ぐ側にあった。春の入浴はよかったかもね。)

ランキング登録もよろしく

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (わさび)
2007-12-27 00:38:01
Hadorian's Wallで検索したら、ここに辿り着きました(笑)
Chesterも懐かしい場所です。
イギリス約一ヶ月の旅行中、何日かはぶっつけ本番で宿探しもいいかなと思って泊まった町。
ロンドンからの電車が、突然のストライキで、途中バスに変更になったりして、Chesterに着いたのがかなり遅く、それからタクシーに乗り、一軒一軒部屋を見ながら値段の交渉、かなりキツカッタなあ。
結局旅行中で一番安い宿に。シャワーも共通、誰かに開けられないかとビクビクした思い出が・・・まあそれも今となっては楽しい思い出ですが。

Chesterの街の観光は、次の日のタクシードライバーさんに少しだけ案内してもらっただけ。もっとゆっくりしたかったなあ。
返信する
もう一度行く計画があるのですが・・・ (yaasan)
2007-12-29 02:18:24
わさびさん!!

こんな所までご訪問いただき有り難うございます。

Hadorian's Wallとってもよかったですよ。この一年前にも行ったんですが、その時はニューカッスル周辺を友人と二人で珍道中しました。

3月末だったのでチェスターの博物館は休み、悪ガキに雪玉は投げられるは、散々でした。今度はもう一度じっくり行ってみようと思っています。

最高だったのはHadorian's Wallの真ん中辺りにある石切場でした。ここはお勧めの絶景です。

今度は季候のいい時期に歩いて横断してみたいですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。