yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

Hadorian's Wall Reports-4  いざダーラムへの条

2007-04-01 02:11:15 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 正確には昨日の朝9時40分にアムステルダム経由で帰ってきました。

 
(イギリスには夏時間というのがあるそうです。ちょうどこの日、3月26日から始まるそうですが、さすがにお城の時計は普通時間でした。正確にはこれより一時間進められています。ロンドンから4時間かかってやってきました。夏時間の設定の仕方は9時間の時差を8時間にするということです。つまり1時間普通の時よりも早くなります。ということは1時間早く起きないといけないことになってしまい、とても眠かったです。)

 時差が9時間(厳密には今は夏時間ですから8時間)もあるので、とても眠たくて、帰って居眠りばかりして今頃目が覚めてきました。そこで忘れないうちにHadorian's Wall Reportsを始めることにしました。


(私達の宿泊したキャッスルの一角。とても荘厳な感じの「ホテル」でした。トイレや風呂はもちろん別にあり、ほとんど誰も泊まっていない暗闇の中の夜の風呂やトイレはなかなかスリル満点でした。こわがりのYYさんはどうしたのかな・・・)

 これからしばらく、主に写真でつづるHadorian's Wall Reports をお届けします。


(城と大聖堂のある丘を取り囲む川の対岸から見るととっても綺麗な建物群です。16時までなら見学できたのですが、残念ながら間に合わず、塔の上から町全体を見ることはできませんでしたが、とにかく街中が美しい歴史遺産の固まりで、平地にあったヨークの町とはひと味も二味も違うとても素敵な所でした。あ、そうそう、この川岸の瀟洒な建物がダーラム大学の考古学資料館です。)

 まずはその出発点となったダーラムの町からご紹介することにしましょう。

 もちろん私も今回の旅で始めて知った町です。私の大学の同僚のMさんが現在訪問研究者として地理学では有名なダーラム大学で研究中なので、彼を頼って、Hadorian's Wallの研究調査では一番のこの大学のツテを使って見学しようと考えた遺跡探訪の旅だったのですが、果たしてどんな珍道中となったことでしょう・・・


(ダーラム大学のHadorian's Wall関係資料を展示する施設だそうですが、訪れたときには既に開館時間を過ぎていました。イギリスで注意しなければならないのは開館時間と開館曜日です。今回も何回も「休館」のため時間を無駄に使いました。要注意!!日曜日なんてほとんどお店は開いていませんからね。)


(大聖堂の中は撮影禁止!毎朝のミサは7:30からあるとか、同行者の一人は元気よく??見学に行って怪しがられたそうです。)

 ダーラム大学の専門の方に案内をお願いしようと、Mさんに事前に頼んで連絡をお願いしたのですが、残念なことに3月後半から春休みに入り、大学にはほとんど誰も残っていないとか、事前に説明をお願いしてうまく連絡が取れたのは後日レポートするヴィットランダのAndrew さんだけでした。


(町は急な坂道の両側に広がっていました。これら建物の左側は本来城壁のあったところです。その一部も利用して建物が建築されているのです。)


(この両側の壁がかつての城壁の名残です。この急坂を見てもいかに城壁が防御性に優れたのものであったかが判ります。)

 さて。3月24日に日本を発ち、お金も時間もないので、安いKLMのアムステルダム周りで、ロンドンに同日入りました。2時間近くよけいにかかってしまいます。私達は、翌日希望者毎に分かれてロンドンウオールと大英博物館の見学に回りました。もちろん私はロンドンウオールへの再挑戦です。その一部は既に簡単にご紹介しましたが、詳細は後日お話しするとして、しばらくはHadorian's Wallに堪能していただきましょう。

 まずは私達の旅の拠点となったダーラムの町からです。

 26日月曜日の朝にロンドwんを発ったのですが、タッチの差でダーラムに向かう特急に乗り遅れてしまいました。ダーラムはヨークとニューカッスルの間の町なのですが、うかつなことに、どんな列車でも止まるものだと信じ切っていた私のミスで、一番いい列車に乗り遅れてしまったのでした。何とか、次の列車でとりあえずヨークに向かい、そこで乗り換えることにしました。

 旅慣れた方はご存じでしょうが、イギリスは大変鉄道網の発達したところですから、ロンドン以外の所へ行くには予め滞在期間と相談して、「ブリットレール(Brit Rail)」というチケットを日本で購入し、これ2を使うと、大変便利です。今回は4日間限定でしたから余りあちこちへは行けなかったのですが、それでも万が一の変更も自由になりますし、乗り遅れても心配がいりません。但し用心しなければならないのは、予めチケットセンターに行って出発日のスタンプをもらわないと行けないのです。今回もこの時間に手間取って、乗り遅れてしまいました。列車は基本的に全車指定席ですが、日本のように満席になることはありません。ブリットレールですと、「指定」料金も含まれていますから、事前に予約すればいいのですが、たいてい何処かの席が空いていますから、そこを確保してしまえば大丈夫!!

 さて話を元に戻して、こんなことならヨークで降りて少し見学してもよかったのですが、急には動けませんので、しばらく乗り換えの列車を待ってダーラムへ向かいました。

 着いてびっくり!!とても綺麗な町でした。それもそのはず、ハリーポッター第1作のロケもここだったとか・・(ちなみに私はハリーポッターに興味がないと言ったら同行者からブーイングを受けました。そんなに変ですかね?)。
 宿泊所は普通は学生達が利用している「寮」!お城をそのまま利用した宿泊施設でした。学生達は春になると追い出され、観光客が迎え入れられるという変わった制度の「ホテル」でした。

 観光客にも有料で見学場所として開放される歴史遺産に泊まるというのはとても気分のいいものです。但し、問題が一つ、こうした歴史遺産ですから、当然エレベーターはありません。宿泊を許可されたのが最上階に近い見晴らしのいい4階の奥でしたから、そこまで重い荷物を運びあげるのが大変でした。今でも腕が筋肉痛で痛いのです。


(Mさんの案内で川向こうにある丘にも登りました。丘から見た大聖堂と城です。私達はこの右の建物に泊まりました。)
 宿泊所の部屋で参加者一同集まって、しばらくこの後の行動を話し合っているとMさんが駆けつけてくれました。直ぐに彼に案内されてダーラム探訪です。

 現在丘の最頂部に建っているのは大聖堂と城なのですが、その周りを川が取り囲み、まさに軍事的要塞の体をなしていました。


(城壁の下まではかなりの高低差があり、そこには川が流れています。橋脚の一部を利用して設けられていたのが、現在はパブとなっている牢獄跡でした。)
 丘の南西部にはかなりきつい坂道の周辺にこざっぱりした商店街が並んでいました。その一部は城の外周をなす城壁の一部を利用して形成されており、歴史を生に感じさせてくれる町でもありました。

 夜にはMさんの行きつけのパブに行ってとてもおいしい地ビールとギネスを堪能しました。但し食事は予想通り、さほど褒められたものでないことは言うまでもありません。


(ギネスビールは最高でしたが、食べ物は・・・。普通の家かと思ってしまうとても簡素なパブ。でも中はなかなか凝った造りで、とてもくつろげました。)

 深酒は翌日の運転に差し障りますので、ほどほどにして切り上げました。
 なんといっても、日本と同じ右ハンドルながら、初めてのイギリスでの国際免許による運転ということで、とても緊張して床につきました。


(料理によって若干のうまい、まずいはあるのですが・・・)
 果たして無事に帰ってこれることやら?


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