孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

誰も皆が…思い込み妄信の自己陶酔やすり込みによる自己洗脳にさらされています。

2017年01月23日 | Weblog
私は簡単即決が好きなタイプですから…それだけに思い悩むことは苦手です。

だから自分では判断決断しかねないことは…成り行きに任せてほっときます。

だから思い悩むこともないわけです。

また簡単即決が好きなだけに…あまり意味のないのをダラダラと見せる映画ドラマ(ネット無料配信の動画)になると飽きが来て途中でスイッチを切ります。

ちなみに30秒や60秒で魅せ切るテレビCM制作技術となれば相当な能力感性が必要だと思っています。

ところで相当古い投稿になりますが「ハウスシチューのCMの中に至福を見た…」なる投稿文があります。
何なら暇つぶしにyahoo検索して読めば…特別ではない至福…が理解納得できるかもしれませんので…お勧めします。

またCMではありませんがNHK報道特集「多摩川の猫とおじさん」の投稿文を見ればホームレスが度々登場することの理解に結び付くかもしれません。

しかも私が気にいったのは…登場するのは捨て猫や犬やホームレスのおじさんだけでして、手持ちカメラを持ったカメラマンが写す実写映像と音声だけで終わっていることです。

然るに何の評価解説もありませんから・見た人の判断に任すことになります。

だから同じドキュメンタリー番組であっても民放は視聴率を上げるために美化したところがあると違和感が出てきます。
しかも人気のあるタレントや有名人のコメントが耳障りにもなります。

然るにそれだけ洗脳・思い込み・妄信になる危険性があります。

ちなみに…CMは勿論のことですが…暇つぶしにダラダラとみている映像の中にも一種の洗脳が隠れていることを知る人はごく少ないと思われます。

だから私の中の…なんか変に思う…その違和感が洗脳につながっていることだと気付いたのが…人為人工的な諸々から離れた自然界の中での自己縮小の形になってからです。

然るに自己陶酔や自己洗脳から解放され目覚めて・古今東西の名だたる者たちをボロカスに書くことにもつながったのです。

そして読み書きソロバン以外は思い込み妄信の自己陶酔やすり込みによる自己洗脳につながるとしています。

しかも巷の情報を知る必要もないとしています。
何たって知ったことからしてそれが気になるのが人間だからです。
また知ったところで私にはどうすることもできないからです。

しかも思い出記憶にも残らないような空白の時が長く続くことが精神の安定・心の余裕となるのです。

だからその分だけ小さなことに意識が使われ気付くことにもなるのです。

然るに小に気付くことからして大に至らないで・執着しないで終われるのです。

だから心も身も軽くなるのです。

なんで「逃げるが勝ち」VS「逃げるは恥じ」となるのでしょう…その真実は…

2017年01月23日 | Weblog
「逃げるが勝ち」と「逃げるは恥じ」の言葉があります。
概ねにして弱い人は逃げますが、強がる人は闘います。

また弱いながらも見栄からして闘う人もいます。
然るに…逃げるは恥じ…なわけです。

また強がる人は私が正しいをしっかりと持っています。
だから…逃げるは恥じ…の見栄からしても闘うことになるのです。

然るに逃げずに闘う人は見栄があるのです。
そして己の命さえも惜しまない正義の味方にもなれるわけです。

然るに見栄からして勇者にもなり、無残に死しても勇者扱いされます。

また逃げるが勝ちの人の中に恐れからして逃げる人も多いと思います。
然るに弱虫の弱者扱いされるわけです。

しかし守り闘うことの愚かさを知って逃げる人はそれだけの自信と自力の精神力がある賢明な人になり、命を粗末にしない、また被害者にも加害者にもならない…逃げるが勝ち…になるのです。

然るに世間から見下されようが・弱者呼ばわりされようが・自力自信の精神力からして平然と暮らしていきます。

また…逃げるからには…不要なものを多くを持っていない素朴で謙虚な心意識を持っているはずです。

ところが…逃げるが恥じの人は…守り戦うべきものを多く持っているはずです。

然るに持っているものが多すぎて逃げ出すにも逃げ出せないから・致し方なく・守り闘うことにもなるのです。

しかも…どうせ守り闘うのならと…更に見栄や名誉や資産を増やす思惑目論見まで持って闘う強者・強欲な人かもしれません。
だから大勢の人を殺した戦果やその戦利品を誇らしそうに自慢する人がいます。

そして逃げればよかったのに・よわ腰からして闘うことになった人が・その自力自信不足からして言われるままになって・強者や強欲な人の使い捨て・捨て駒となって・哀れな犠牲被害者にもなったりするのです。

ちなみに映画ドラマでも描かれていますが…空き巣狙いで入った窃盗犯が帰宅した家人に見つかり、その家人が逃げだせば窃盗未遂で終わるのに、
ところが家人の守り闘う勇気からして抵抗されれば、それが原因で窃盗犯が家人を殺傷することになったり、また家人が誤って窃盗犯を殺傷することにもなるのです。
またその窃盗犯も家人に見つかればすぐに逃げればいいのに、己を守りたいがために家人と闘えば強盗殺傷犯にもなるのです。
然るに両者ともに逃げだせば大事にならずに済むのに、その両者が守り闘うことになれば、その両者ともに被害者になったり加害者にもなったりするのです。

然るに…守り闘わずにして…逃げるが勝ち…なのです。

ちなみに人類史上一番長く続いた縄文時代は闘う武器を持たない・守り闘う必要がなかった時代と考古学的に言われています。

一度味わえば二度と戻りません、何たって宇宙・神・愛の本物の精神世界に触れているからです。

2017年01月22日 | Weblog
皆さんの先行き将来は目の前に見えている周りの人と同じです。

然るに幼子が学童児童となり・青年となり・中年のおじさんおばさんになり・そして老後と死が待っています。
此れは東西南北の老若男女の誰もが通る公平なる道筋です。

そしてドングリの背比べが如くの比較競争の世界でもって成るようになって…
政治経済のトップに位置する人よりもその配下の手下になるのが殆どの人です。
然るに社長ならぬその社員や・店主店長ならぬ店員や・師匠親方ならぬ弟子や従業員や作業員や運転手で終わります。

然るにそれが気に入らなくて転職するも結果は同じです。
また役所や先生となるも大かた同じようなものです。
また中には神社仏閣や信仰宗教に係わる人もいるでしょうが、見せ掛けや言動が変われども中身の意識は不完全なままですから、その組織教団に貢いだり布教宣伝活動するくらいで、とどのつまりは大したことなく終わるでしょう。

そして結果的には…あなた方の上に立つ者からうまい具合に操られ踊らされているだけなのです。
しかも己が操っている立場であっても、もっと上の者から操られている立場は皆同じです。

そして老後となると…大方の人がテレビが友達が如くになったり、パチンコ通いや病院通いになったり、中には自分のウンコの後始末もできない寝たきり老人になったり、自分のウンコをそこら中に振りまき擦り付けるような認知症にもなるかもしれません。

それを私に言わせれば…お先真っ暗な中で手探りして掴めども同じ闇ですから…どうしようもないのです。

然るに何をやってもダメなものはダメなのです。
それが不完全意識が原因にして矛盾偽善のあるこの世人間界なのです。

だったら逆は真なりにして…他力依存の他力活用にして我先駆けて前に進むのをやめにして・ドングリの背比べをやめにして…今度は我先にして後戻りする自己縮小の実践でもって素朴謙虚に生きて…衣食住に恵まれた地上の天国を味わえるような自力自信のある心精神になるほうが賢い生き方になるのです。

然るにお先真っ暗な人生から早く卒業して…暗闇を照らす・先行きが明るい・他力依存ではない・己の心精神でもって自問自答しながらの・自力自信の精神力で生きることになればいいのです。

然るに肉体や感情体から卒業して精神体で生きることになるのです。

そして自分さえ良ければの個人意識丸出しながらも我先に見栄プライドを捨てることですべてがうまい具合に事が進むのです。

然るに見栄が消えれば欲も消えるのです。
そして私が正しいの清潔感・潔癖症も消え正義感もなくなります。

然るに否定反発束縛制限支配することのない本物の自由が味わえるのです。

その自由が味わえるようになれば貧乏も気になりません。
何たって銭金や見栄でもって自縛していたことに気付くからです。

また己の自力ではどうすることもできない不完全意識の人様の動向も気にならなくなりますから、
結果的には世間離れした己一人の独自独歩の自力自信の精神力でもって生きることになります。

何たって闇に覆われた世間の中で・皆と一緒ならば安心に思って・皆して赤信号を渡る数々の所業から卒業するからです。

然るに己が先駆けるからには孤独になるのも仕方がないことなのです。

かといって過去の生き方に戻るような愚かなことは絶対にありません。

すなわち一度味わえば二度と過去の過ちを犯しません。

何たって宇宙・神・愛の仕組みの本物の精神世界に触れているからです。

肉体的苦痛や精神的苦痛と認知症の関係

2017年01月21日 | Weblog
人間として生きていることが苦痛となれば死にたくもなります。

然るに頂点に立って粋がり強がっていても苦痛には弱いのです。

また感情的激怒となって…その憎き相手への見せしめ仕返し懲らしめの執着心からして…怖いもの知らずになって・やけくそになって…いっきに崖から飛び降りて自殺しかねません。

ちなみに死体を切り刻んでバラバラにできるのも…怖さが消えているから・見てはいるが何も見えていない一目散だから・何でも壊したがるやけくそ意識だからできることなのです。

ちなみに皆さんは此れまで死にたいと思ったことはありませんか、
また今は死にたくないと思っていませんか、
だから長生きしたいと思っていませんか、

然るに好きな夫や妻や我が子や孫たちと楽しくしていたいでしょう…
また好きな趣味嗜好娯楽に興じることで楽しく過ごしたいでしょう…
また好き勝手にして悠々自適の老後をしていたいでしょう…

ところが思うようにいかないのがこの世の矛盾です。

ところで私には好きな人はいません。
また私が気にしている人は現在老若男女あわせて10人以下です。
その中に妻や子や孫や姉がいます。
然るに特別な感情はありませんで普通です。

しかも私は特別なことをしていませんから・特別なこともありません。
然るに特別なものを持っていません。

然るに見栄・世間体・自尊心も持っていません。
然るに欲が出ても欲張ることにはなりません。

だから自分にできる当たり前のことをしてそれで十分なのです。

然るに特別な衣食住もありません。
しかも一般世間と比べれば貧乏丸出しのようなものです。

然るに拘り執着していることもありません。

然るになんの未練もありません。

だからいつ死んでもOKです。

だから死とは闘いません。

だから病気とは闘いません。

然るに守り闘うことがありません。

しかし私の場合は精神的苦痛を味わうことがなくても・生きているからには肉体的苦痛を味わうことになるかもしれません。

ところが精神的な苦痛・ストレスがなければ肉体的苦痛にも至らないことが私なりにわかってきました。

何たって肉体を持つ人間にはその肉体的ストレスに対する抵抗力や自然治癒力回復力があるからです。

ところが精神的ストレスを癒すには精神安定にして心穏やに静かにしているしかありません。

しかし私は常に平常心ですから精神的ストレスにはなりません。

ところが日々忙しく動き回っている人は肉体的ストレスと合わせて精神的ストレスをも抱え溜め込んでいます。
だから肉体的健康を害することになったり精神的な症状を患うことにもなります。

しかもその治癒を不完全な人為人工的な医術薬剤に頼ったり、溺れる者わらをもつかむが如くにして神がかり的なところへ頼ることにもなりますから、たとえ結果がよくなったように見えても原因の意識はそのままですから、また同じことが繰り返されることにもなります。

然るに心身の苦痛から卒業できずに味わい続けることにもなります。

だから何ごとも高望みの他力依存にならずにして・当たり前の自前・自力にして生きていけば・それが心身の安定にもつながるのです。

そんな分かり切ったことが実行できないのも・それなりの見栄があるからです。

だからその見栄を張らないようにすれば欲も出てこなくなるのです。

然るに…見栄に何の価値があるのか…自問自答すれば答えが出てきます。

とにかく見栄で生きていることの虚しさを実感できるのも老後なのです。

ちなみに高齢者の認知症が増えているのも見栄に関係があるようです。

すなわち記憶がなくなっていくことが認知症ですから、その裏を返せば原因に辿り着きます。

然るに…忘れたくない特別な思い記憶を多く持っていることになります。

それが大きな自己満足自惚れ慢心だったり、また悲しみ怒り憎悪だったりして、その大きな悲喜こもごもを忘れないために後生大事に抱え込んで持っていたい強い思いがあったのです。

然るにそれが長い間の心精神の負担ストレスとなって積み重なっていて・その裏目が出て・潜在的自己防衛本能からして・どんどん記憶をなくしていって・気楽になりたかったのです。

然るに人間本能のままに生きていれば精神的ストレスにはならずに済むのです。

だから個人意識丸出しながらも人様の迷惑にならない素朴謙虚にして生きていくことで心身のストレスから解放されるのです。

しかも孤独の自由となれば周りに気兼ねすることもなくなり尚更に解放されます。

然るに私は何も持たない空っぽの・記憶に残ることもない空白が如くの生き様からして・特別な意識も特別な思い出の記憶もありません。

ただあるのは思い思惑の先付ではない・此れまでに必然ご縁からして仕組まれ続けた後付けの奇跡が如くの事実本物があるだけです。

汚い・怖い・危険の3Kなる忌み嫌う意識が己の命さえも危うい羽目にする事実があります。

2017年01月20日 | Weblog
何事も小から始まり大になっていくのがこの世の仕組みです。
だから物事が小さなうちに気付き悟り修正することで大に至らずに終わります。

ところが大方が…そんな小さなことで…と気にしない人が多いようですが、そんな小さなことが次第に大きくなって自分を苦しめる・自縛して・墓穴を掘ることになっているのです。

その小さなことが不平不満なのです。
然るに…アリの穴から堤防が崩れるが如くに…諸悪の根源が不平不満から始まっていることに気付いていないのです。

ちなみに…私が自己拡大の真っ最中に見たドキュメンタリー報道ですが…命の大切さを学んでいることからして…皆が歩く農道や自分ちの畑の中のアリや昆虫を踏みつけないようにと…畑作業で歩く道筋に板を橋渡しにしている小さな国の貧しい民人がいました。

然るに小さなことにも気配りできる人たちなら・むやみやたらと敵視敵対して争うことにはなりません。
またそれだけに貧しい国での貧しい暮らしにもなっているのですが、その心根にはやさしさが十分あるはずです。

ところが命の大切さを学んでいながらにして・言うだけ聞くだけにして・平然と自然汚染や破壊を当たり前が如くに繰り返しているのが文明国家の私たちです。

ちなみに牛舎のパートをしているときに…牛を見せるために美人の若い母親に連れられた可愛い着せ替え人形が如くの幼い子がきたとき、その通り道を横切る小さなカニを見てその子供がカニを触りに行くかと思いや、何と意識的に踏みつける有り様を見たときはショックでした。

ちなみに山の中のあちこちに獣道があるのも、他の生命の草木や昆虫類の領域をやたらと荒らし踏みつけないための本能習性なのです。
またそれが獣たちが生きていける道筋だと本能的に自覚しているのです。
ちなみに私んちの敷地にワイヤーメッシュを張り巡らし、その中でヤギを放牧して雑草対策にしていた時もまったく同じでした。

何はともあれ・私たちは小さなことを意識しないでそれを見過ごしていることからしてそれが大となっているのです。

だからこのブログで微生物バイ菌が度々登場しています。

そして自然界の草木や犬猫畜生にも劣る人間意識とも書いています。

ちなみに今どきの若者や子供たちは…汚い・怖い・危険に近寄らないの3Kなる忌み嫌うのが当たり前になっていますが、それが己を自縛して墓穴を掘ることになるとは気付いていません。

だから3Kなる子供を育てた親にも必ずやその類が及びます。

然るに己がまいた種を己が刈り取らなければならない羽目になるのです。

しかし大方の人は…私は大丈夫とばかりに思っているようですが…それが空振りになる時が近づいているようです。

ちなみにこのブログで認知症なる言葉が度々出てくるようになったのも事実だけに大勢の人が巻き込まれることになるでしょう。

その認知症も…私は正しいとして守り続けて…結果的に逃げ場がなくなり、逃げることができなければ・すでに時遅しにして・己から破滅する・自傷行為・自殺などの自己破壊ややけくそになって暴れまくる・腹いせに人を巻き込み道ずれとする他者破壊にもなっていきます。

ところが人間には過去を忘れることができます。

ちなみに小さなことならすぐに忘れます。

然るに忘れることが習慣性にもなるのです。

然るにそれが認知症にもつながるわけです。

ところが私の場合は成り行き任せなことからして大きなこともなく、だから忘れても当たり前な小さなことばかりが記憶に残っています。
その全てを書き出せば分厚い本では足りないかもしれません。

ちなみに妻や子供や身近な人やご縁あった人たちとの思い出・記憶を話しあっても・つい最近のことさえも忘れられていて会話が進まないことも多々あります。

どうやら真面目さ真剣さにかけるところがあると記憶に残りにくいようです。

だから小さなことの記憶が消えて・忘れられない大きなことだけが記憶に残ることにもなります。

また大きなことばかり意識することからして小さなことが気にならなくなり、その分だけ小さな記憶が消えていくのかもしれません。

何はともあれ…欲や見栄からして築き上げて持っているものを守り続けるのもしんどいことです。

ということからして…潜在的な防衛本能・自己防衛のために…逃げるが勝ちの道を選ぶ人が増えているのかもしれません。

何はともあれ…特別な能力自力を持たない人ほど多くを持っていませんから・捨てることも多くありませんから、あとは見栄を捨てるだけです。

その見栄を捨てることができなければ当然ながら苦労することが続きます。

だから私に言わせれば…大したことができるわけでもない人同士がドングリの背比べをするのをやめにして…素朴謙虚にして生きていくほうが己のためになるしそれが人様のためにもなるとして書いています。

然るに持っている不要なもの・見栄を気軽に捨てることができるのか、それとも後生大事に持ち続けるのか、その選択でもって己の人生か決まったも同然になります。

然るに見栄が捨てられれば欲も捨てたようなものです。

だから不平不満にもなりません。

そして衣食住に恵まれた地上の天国を味わえるようにもなるのです。

医科学の対抗菌や新型ウイルスと、精神世界の釈迦やイエスとの類似性

2017年01月19日 | Weblog
袖すりあうも多少の縁といわれるように…赤の他人だったのがご縁でつながることは…互いが必要とする必然あってのご縁になるのです。

しかし自分に都合がいい場合と悪い場合があると、それを選択する場合がありますが、都合が悪そうだからと先付の思惑でご縁を断れば、そのご縁なく赤の他人同士になります。

またそうなると必然のご縁を否定反発したことにもなります。

ちなみに度々登場する愛の霊能者が(宇宙エネルギーの水に関する)必然のご縁にして我が家に訪ねてくることになった経緯の中にも…私がそれを受けるか否かの選択がありました。

そこで私が気になったのが相手が(水に縁が深い竜神の流れを持つ)霊能者だっただけに(生まれて初めてのことだけに)なんや不可思議な空恐ろしさがありました。

しかしそれでも私には成り行き任せなところがありますから、来るなら来ればいいとして受け入れました。

然るにそのご縁を私が断っていたならば現在の私でありません。

然るに皆さんは…あなたの性格個性・感性からして選んで…このブログに縁あって来られたわけですが…そのご縁必然がいつまで続くかはあなたの意識次第なのです。

そしてあなたが精神世界を選んでその精神世界の中で生きていくことを選ぶことになれば…己の中の不満や欲や見栄を捨てなければ中途半端なままに推移してその人生を終えることになるは確かなことです。

然るに…二兎追うものは一兎も得ず…となります。
だから…あっちでウロウロ・こっちでウロウロするだけです。
また…木の根っこにぶつかるウサギを寝て待つ人もいることでしょう。

何はともあれ…過去の釈迦やイエスの類やその他諸々諸氏も学びの途中の精神未熟なままにして不満と欲と見栄から卒業できなかったのは事実です。

何たって人集め金集めからして世間に目立つ存在になっていたからです。

然るにそれが…邪な意識に惑わされることであり…
例えば釈迦が瞑想中に邪な意識に惑わされそうになった時に…己の中から立ち去れと…念じた如くです。

またイエスの場合であれば…サタンを恐れずに・私の中に入ってきてもいいよと認めて・守り戦わなければ…相反する敵対組織が生まれることにもならなかったのですが…それを滅ぼしたために敵視敵対する霊魂の者が負けないために…仲間をどんどんと増えていったのも事実です。

ちなみにバイ菌を敵視敵対することからして…そのバイ菌が殺されてなるものかと…より強力な対抗菌となったり・新型ウイルスとなる事例と同じなのです。

ゆえに医科学でいうところの突然変異があてはまります。

それを私に言わせれば…必然にして生まれた新たなご縁なのです。

とにかく3次元の人間界に生まれ出ていることは不完全意識にしてその矛盾偽善を持っていますから、人様を自らが指導するなんてことは俗に言う百年も早いことだからして…
先ずは己が先になって真の精神世界を見極め歩んでいかなければ、持っている能力精神力の単なる自惚れ慢心で終わり・そこで止まります。

然るに私と縁あった愛を説く霊能者も、また良い悪いで判断しない完全真理を説いた山田耕栄さんも、それ以上に進化することもなく、途中で欲と見栄からして止まることになり…
結果的には人様に言って聞かせて能力を見せるだけのお役だけで終わり、己自身は物売りの世界で止まることに相成ったわけです。
…しかしそれも途中結果ですから…この先どうなるかは本人の意識次第です。

とにかく神・宇宙・愛意識になることを目指す…精神世界に係わるからには…此れではダメだ何とかしなければの…不満と欲と見栄から卒業しない限り道先なかばの中途半端なままに止まることになるのは間違いありません。
然るに何度も生まれ変わることにもなるのです。

ちなみに私の場合は…霊能者や耕栄さんから精神世界を学び、またその両者が成すことを身近に見て新たな学び気付きがあり、更にそのご縁が切れる成りの果てまで見届けてきましたから…

然るに同じてつを踏まずにして・同じ間違いを起こさないで・何とか今日に至っています。

ところが私は暇することが苦手からして毎日四苦八苦していますが…
その暇を創意工夫しながら色々と味わっていることからして、他ごとに惑わされ執着することにもならずにして16年間続いています。

然るにその暇つぶしの中にこのブログがあることで大いに助かっています。
だから続けるだけ続けていきたいとも思っています。

バイ菌嫌いと極悪非道との関係

2017年01月18日 | Weblog
私は正しいとして守り戦う意識が強い人ほど恐怖感に満ちているようです。
然るに釈迦が邪な霊を立ち去れと排除したのも、モーセが追手の兵士を海割れ現象で滅ぼしたのも、イエスがサタンと戦ったのも、部族民族同士が戦うのも、人が人と戦うのも…相手を恐れているからです。
そして己を守りたがるからです。

ちなみに私は正しいが無ければ敵対する者もいません。
然るに己を守りたがることにもなりません。
だから怖いものなしです。
だから成り行き任せにもなります。

然るに古今東西の名だたるものの中に…私は正しいからして守り戦うことになり、それがうまい具合に勝利すれば…勝てば官軍からして…敵対する者を大勢殺し、また味方からも多くの犠牲を出しながらも、矛盾偽善意識ながらも、正義の味方・私は正しいからして・罪のない人を殺したり巻き添えにして死んだ人がいても・勇者呼ばわりされ有名にもなったのです。

ちなみにそれが宗教絡みになると…島原の乱のように…事が成せなくても・勝ち組でなくても・犠牲者を出しながらも・偽善者ながらも・神を信じる信仰心からして・私は正しいことをしたとして・有名になる場合もあります。
ちなみに明治維新が如くに成功すれば乱ならぬ宗教侵略・宗教国家にもなっていたかもしれません。

また地下活動・反体制活動・テロも勝てば官軍にもなるし、負けたとしても同じ仲間からは英雄や正義聖戦になることもあります。

然るに立場が変われば・見方が変われば・善にも悪にもなるのです。

だからどっちつかずの真ん中・普通がいいのです。

然るにこの世で特別な人ほど極悪非道なことを繰り返しているのです。

だから凡人ほど罪が少ないといえるのです。

だから世間に馴染めない人の引きこもりが悪いことでもないのです。
ところがどうも潔癖・完璧からして自縛して世間に馴染めていない人も多いかもしれません。

ちなみに…怖い・汚い・危険の…俗に言う3Kを持っているのも…私は正しいからして守り意識が強くなったからです。

だからバイ菌は殺してもよい、悪い奴は殺してもよい、然るに磔獄門・ギロチン・首をくくってぶら下げさらし者にして・処刑してもよい、パチンコ暴れんぼ将軍のように悪を成敗すれば世のため人のためになるとして・お構いなしになるのです。
ちなみに人情に厚い水戸黄門ならば…懲らしめなさい…で終わります。

ちなみにバイ菌は悪だとするのも恐れているからです。

だから清潔感も強く、それが潔癖症にもなり、汚いところが怖くなる、危ないところに近づかない、陰気で薄暗い所へ行けない、そしてあれはダメ此れはダメと否定反発することも多くなります。

やがてそれが私は正しいの思い正義感からして何でもできるようにもなるのです。

ちなみに私は怖いものなしからしてバイ菌とは闘いません。
然るに切り傷すり傷も消毒したりクスリを塗ることもありません。
そのままほっといて・成り行きに任せて・自然治癒や回復に心がけます。
ちなみに数針縫うほどの切り傷をほっといても症状が悪化したことはありません。

また数年前のことですが…痛みを感じる程度の腰痛でしたが、それが半年以上も続いたことからして気になり、やっとこさ接骨院に行く気になって山を下りるも、財布を持っていないことに気付き自宅に帰った時には腰痛が消えていました。奇跡ですかね。

然るに山暮らしからしての虫刺されの皮膚科以外に医術や薬剤に頼ることにもなりません。
だから尚更に抵抗力や治癒力や回復力が高まっているようです。

反対にバイ菌嫌いの清潔な人ほど抵抗力が衰え風邪をひきやすく怪我や病気が長引くようです。

ちなみに何事も小から大になります。

その小で終わらせることができるのも守り戦うことのない・成り行き任せにありますが、その成り行き任せにできるのも恐れることがないからですが、その恐れることがないということは否定反発し敵対するものがないということですが…私にはそれだけの自信と自力からしての精神力にあると我ながらに思っています。

しかし私も同じ人間ですから己が気付かないうちに極悪非道に加担するかもしれません。

だから山奥で静かにしているほうが私には都合がいいし、ほかの人に迷惑を及ぼすことも少なくて済むのです。

今の若者を含めて・誰でもが認知症に係わる老後生活になるのは確かな事実です…

2017年01月17日 | Weblog
自分の人生の流れを変えるのに…此れではダメだ何とかしなければと不満と欲と見栄からして頑張り欲張り見栄張りしながら自己拡大するのと…

己の人生を省みて・立ち止まり、頑張り欲張り見栄張りすることをやめにして、あとは山となれ谷となれ草原となれども、その成り行きに任せて呑気に暮らすことを選択する道があります。

ちなみに自己拡大の道を選んだとしても…己の自力能力からして先が見えていますから、同じような仲間が集まりせいぜいドングリの背比べをしながらその苦楽・喜怒哀楽を味わことになるだけです。
しかもその先行きには誰もが公平にして迎える老後が待っています。

ということは誰もが味わうことになる老後こそが人生の集大成になります。

しかも体力的にも能力的にも衰えていますからあまり無理はできません。

更にこれまでの肉体的ストレスや精神的なストレスからして健康を害して医者や薬に依存することになっているかもしれませんし、その医術や薬剤の弊害副作用でさらに深刻な症状になるかもしれません。

それどころか高齢者の三人に一人が認知症になる確率が高まっているからには他人ごとではありません。

だからあなたが今どきの若者であってもその先行きには認知症が待っていることになります。

ちなみに己が認知症を患うことにならなくても身近な誰かが認知症の患者になっていることは間違いないでしょう。

ということは誰もが認知症と関係なく平穏に暮らせるには無理があります。

となると…誰でもが認知症に係わる老後生活になるということです。

しかも若年層にも広がる可能性がありますからさらに深刻になります。

ちなみに認知症は肉体的症状ではありませんで精神科の症例になります。

ちなみに現代医学では此れまで精神科に重点を置いていませんでしたから、その精神科に良い効果・結果が出る手立ては初歩的な素人同然の模索中の様な有り様ではないでしょうか…

何だか先行きが闇に覆われているような気がしませんか?
しかし信じるか否かではなくて…すでに始まっている確かな事実です。

さてさて…この先どんなことになっていくのでしょうか…自問自答する値打ちがありそうですね。

霊力や超能力の人為で成して見せる不完全な奇跡と・必然ご縁のお仕組からして奇跡となる本物があります。

2017年01月16日 | Weblog
霊能者超能力者などが奇跡を…起こして…見せる先付の奇跡と、
自然体の成り行きからして…宇宙・神・愛の仕組みの必然ご縁の仕組みからしての奇跡が…起こる…後付けの奇跡があります。

然るに霊能者超能力者が…奇跡を起こして見せるのは…矛盾偽善のある不完全な人為人工的な奇跡になりますが、
必然ご縁の…成り行きからして起こる…後付けの奇跡は宇宙の仕組みによる愛の奇跡ですから、何の矛盾も偽善もなく、その起きた事実だけになります。

ちなみに私には霊力霊感や超能力はありませんが、
成り行き任せからして成るようになる、その宇宙・神・愛の必然ご縁の仕組みの奇跡的なことが…まるでSF映画ドラマで企画演出されたような見事なストーリ展開によって…現在の私があるのは確かな事実です。

然るに再現ドラマが製作できるくらい幾多のお仕組みがあり、しかも横道や回り道もない一直線の一本道でした。

そこで今回は長文になりますが…一つ一つ詳しく書きます。
先ずは自然体の愛を説いていた霊能者がわざわざ東京から我が家に訪れることになった宇宙エネルギー浄水器から説明すると…

日本初のネットワークビジネスのスワイプ商法を先駆けたきっかけからして様々なネットワークビジネスに係わってきましたが…そんな諸々のビジネスを集めたガリ版印刷で、しかも初版でありそれ切りで終わった一回こっきりの奇跡的な情報誌に「波動水」なる摩訶不思議な奇跡が起こる水という三行ほどの情報に「仕組まれ」たことからして…何でも知りたがりやりたがる性格からして…魅せられ早速取り組んだのが宇宙エネルギー浄水器であり、
その浄水器の水が一升瓶六本に詰められ回り回って…縄文時代のムー大陸のお姫様の過去性を持ち・月信仰と竜神の流れ=月と水の自然現象が如くの関係からして=その月と水意識が強いことからして…奇跡的な必然ご縁が仕組まれたのです。

ちなみに水は生命の起源であり・命の水であり、汚れを落とすことができるし、燃え盛る火を消すことができる貴重な存在でもあります。

何はともあれ縄文時代の月信仰は…月と水の関係からもわかるように…静寂にして・流れに逆らわない・心静かな意識・守り戦わない意識を持った人たちでした。

だから愛の霊能者は水に意識を込めて振りまくことで・手かざしするが如くに・乱れた磁場・霊魂の想念を清め整えていました。

然るに邪な霊魂を立ち去れと釈迦の如くに排除するのではなくして・またイエスがサタンを滅ぼすが如くもしないで、相対する邪神的な霊魂を恐れずにして・認めた上で心静かに語り清め修正するお役を果たしていたのです。

ちなみに伊勢白山道なるものが天照大神の太陽信仰からして…太陽は善だが月は悪としています。
だから何事かあれば火を消すことができる・収めることができる・汚れを清めることができる清水を使うよりも…マッチ一本火事の元が如くにして燃え広がる線香やロウソクの火のように自己拡大することが大好きなようです。

ところがやがて宇宙エネルギーの浄水器の主催者の偽善からして愛の霊能者との親密な関係がこじれ・それに私が巻き込まれ・次第に両者とのご縁が薄れ・結果的に私が自主的に離れることにもなりました。

次に…私が過疎地暮らしになるきっかけは…
嫁いだ娘が望む過疎地の廃屋探しが原因にあります。
ちなみにあちこちと物件を探すも気に入るものがなくて・必然のご縁がなくて・うろうろしていた矢先に私のビデオ撮影が縁の腐れ縁が如くに長くお付き合いしていた大学の準教授が田舎暮らしをしていることがわかり、わが娘のことを話すと早速親身になって協力してくれることとなり、その何軒目かの物件がこの地所でした。

そして准教授の先生と一緒に現地視察に出かける予定の日が先生の都合からして数日延期することになりましたが、その予定日だった日は土砂降りの大雨でしたが、日延べされた日は雲一つない晴天が仕組まれたのです。
然るに予想だにしない奇跡が起こったのです。

そして目線の高さから日の出・月の出が観られる見晴らしのいい・広くも狭くもない頃合の地所からして・即座に気に入り手付金を払って仮契約となった次第です。

そして興奮気味に帰宅したところ・その日がなんと・2000年の節目の年に開催されるオーストラリアのシドニー五輪の開催日だったのです。
しかも聖火台が…私には縁深い<水>の中から出てくるという…オマケまで仕組まれていました。

更に私が初めての海外旅行で・夫婦して初めてで最後となる海外旅行がオーストラリアだったのです。
しかも霊能者から…私が四国を収め整えるお役があると言われていました…その四国四県の主要道路が交差する四国のへそと言われる位置の物件だったのです。
またオーストラリアの地形と四国の地形が瓜二つなのは偶然ではなくして意識が通う合う・以心伝心・テレパシーが如くの仕組みからしての形だそうです。
然るに私がオーストラリアにご縁があるもの当たり前だったのです。
ちなみに娘家族も初めての海外旅行がオーストラリアですし、次女の修学旅行が二度めのオーストラリアになるそうです。

ところが仮契約したことを娘に言ったら…長らくご無沙汰していた・あきらめていた二人目の長女を妊娠したことからしてダメになり…そのお鉢が(仕組まれて)私にまわってきたのです。
然るに今思えば奇跡だったのです。

このような事例となれば…娘が「私の道先案内」として・お役を仕組まれて果たした関係となります。

またビデオ撮影がご縁で長く続いていた准教授さんも己が目指すフリースクールの設立が成せぬままに終わりましたが、しかし私が過疎地で暮らすことになる道先案内人のお役を果たすことになりました。

ということからして・仕組まれて・ビデオの仕事がない時の遊びと別荘感覚からして廃屋を自前で修理修繕しながら幽霊屋敷のようなところで寝泊まりするようになり、それが廃屋に愛着が出てきて尚更に宿泊する日が長くなり…
とどのつまり…個人の力量だけでは限界を感じていたビデオ事業を思い切って自主廃業にして…今日があるのです。
ちなみに先駆け築き上げてきたビデオをその欲と見栄からして続けていれば多額投資の繰り返しからして負債を抱えて倒産したことでしょう。

次に…完全真理の山田耕栄さんとのご縁は…これまた娘が縁からしてです。
ちなみに愛の霊能者との関係がしっくりしなくなって・想念の世界・精神世界を意識することが少なくなり・手持ちぶたさで・暇しているときに…
そんなに暇ならばと…耕栄さんの講演会の録音テープ100本以上も手渡され、それでもあまり聞く気もなかったのが、秋の夜長からして寝床に入って聞くことになり、それでも講演会という人集め金集めからして霊能者よりも耕栄さんの意識が劣るという感じでもって聞き及んでいましたが、
ところが霊能者が説く自然体の愛を…耕栄さんの完全真理では…良い悪いで判断しない愛意識・神意識・宇宙意識・完全意識として語っていることからして一段と解りやすくなり、霊能者が説く抽象的なことが全部明確になったことからして…此れしか無い…となった次第です。

しかし耕栄さんの超能力からして製作された摩訶不思議な結果が出るファバラシールを売り出すことになり、やがて完全真理の講演会ならぬファバラ講演会・ファバラ信仰が如くになり、
しかも良い悪いで判断しない完全真理の実践が絶対的に無理なことからして・素朴に生きる自己縮小の実践を説くことになったのに、
肝心な耕栄さんは自己縮小どころかファバラシール販売に精出すことになり、
挙句の果てに…取り巻き連中のスタッフが裏切りネコババしたことからして脱税容疑で逮捕される事と次第となったのです。

しかしそれでも完全真理は矛盾偽善がない完全だけに…耕栄さんに愛想をつかしながらも完全真理のブログを書き続けることになりました。

そして耕栄さんが自己縮小を説くようになった時には…上記に書いているように仕組まれ続けて…既に私は過疎地でもって自己縮小の実践をしている形になっていましたから、
然るに水を得た魚が如くになり、自己縮小一点張りのブログともなりました。

ちなみに娘が縁で完全真理にご縁が仕組まれたのですが、その娘は脱税事件後に耕栄さんに見切りをつけて一時的に伊勢白山道なる霊能者に係わるも物足りずにして足早に卒業しています…その時も単行本でもって私に勧めましたが…愛の霊能者を知っているだけにぜんぜん乗り気になれませんでした。

ちなみに娘が縁で完全真理にご縁があったものの、ところがその娘は完全真理から遠ざかりましたから、これまた私の道先案内のお役を果たしただけで終わっています。
然るに娘はこのブログもまったくの無関心です。

何はともあれ…嫁いだ娘が縁からして仕組まれ続けて現在があるのです。

然るに此れまで書いた中のどれか一つでもご縁が仕組まれなければ…絶対的に現在の私とはなっていません。

だから奇跡なのです。

とにかく…このブログを書くために仕組まれ続けたのは…明確なる事実です。

すなわち何の特別な能力もない私が仕組まれながらにしてこのブログを書くことで…私の中の矛盾偽善のない事実にしての精神世界をあますところなく…<お伝え>することが私に課せられたお役なのです。

然るに奇跡を成して見せる人為人工的な特別な能力・霊力霊感・超能力ではない…成り行き任せの自然体からして起こる…必然ご縁のお仕組みが宇宙・神の愛の奇跡ともなるのです。

だから特別を望むことなく、此れではダメだ何とかしなければの不満と欲と見栄から卒業して、生きていれば何とか成る・その成り行きの自然体にして上下左右のない普通にして生きていればいいのです。

だから人為人工的な特別意識に染まり・洗脳され陶酔することなく足早に卒業し、また人為人工的な諸々の趣味嗜好娯楽に興じることをなくすることが…必然ご縁の宇宙の愛の仕組みにもつながるのです。

ちなみに番外になりますが…謎の発光体が夏場の同じ時期に8年連続にして現れ…その正体が透明体であることまで見せてくれたのも…偶然ではなくして必然ご縁の仕組みですから、やがて自然界の摩訶不思議が摩訶不思議ではなくなる時が近づいているものと思います。

何はともあれ…このブログは皆様への道先案内なのは確かなことです。

然るに…宇宙の流れに沿うことできる・自然体の・成り行き任せにできるだけの・その自力と自信のある精神体となって・特別のない普通意識に戻ることを陰ながらお待ちしております。

病気入院や老後は一種の自己縮小になり、己の意識の有り様や自力自信の精神力を試されることになる。

2017年01月15日 | Weblog
私は自己縮小の実践中にして一日の大半は相当に暇しています。

だから時々思うのが…重病にしてベットに寝たきりであれば…食って寝て糞をしながらにして生きているだけになります。
 
然るに病気だから納得して暇していられます。

ところが此れまで病気入院らしき有り様になったことがなくて動き詰めにして暮らしてきただけに何かをしていなければ落ち着いてはいられません。

だからあれこれと用事・雑用・手間な作業を見つけては時間つぶしをしていますが、それが16年間も続くと、今度は何でもが大したことではないだけに面倒くさがるようになり、結果的にどんどん暇することになり現在があります。

それを言い換えれば…病気入院や老後は暇することからして一種の強制的な自己縮小にあたります。

然るに働きどうしの毎日から否応なしに解放されることになります。

しかもそれが重病にして寝たきりのままにでもなれば・ただ生きているだけの毎日になります。

それをまた言い換えると…寝たきりにでもならなければ静かに暮らせない…傲慢で強情で私が正しいとばかりに主張堅持することが多くて周りの意見を聞く耳も持たないような人からして…その裏が仕組まれて…寝たきりの自己縮小に相成った次第かもしれません。

そうなると周囲のことがよく見えるようになり・己を省みる余裕もあり・様々なことに気付くことも多くなることでしょう。

然るに人間らしさを見つける・見直す・その人生勉強になることでしょう…

そこでまだ死ぬ時が来ていなければ・そのままにして生き延びたり、また少しは動けるようになったり、また仮退院でもって自宅に帰ることもできるようになったり、そのうち独り歩きができることになったりと回復治癒が進むかもしれません。

ところが…のど元過ぎれば何とかやらで…過去の生き様に戻れば…元の木阿弥に戻ることにもなるかもしれませんし、さらに前よりも悲惨な状況に陥るかもしれません。

然るにそれも…己の意識が原因の結果ですから…己の心意識の有りかた・精神力に左右されます。

ちなみに老後も同じようなことですから…イケイケどんどんの自己拡大や団栗の背比べから離れた・心静かな生きざまになって…周りがよく見える精神状態でもって様々なことに気付けるだけの精神意識力になりたいものです。

とにかく暇しながらも毎日が元気で、しかも何事もなく・気になることもなく・心穏やかで静かにして暮らしていることは・まさに地上の天国が如くです。

ちなみに私も体調が悪い時がありますが、そうなると寝ても覚めても憂鬱な気分が続きます。

もしそれが長く続くようだと地上の天国どころか地獄に落ちた毎日になります。

然るに老若男女に関係なく…誰もが健康でなければ…生きていても面白くなくなるのです。

しかも身近な人にまで迷惑が及ぶことにもなるのです。

だから尚更に心身のストレスがない生き様にしていなければ…それが老後にも現れてくるのです。

とにかく暇つぶしが寝たきりや入院療養や病院通いとなる老後にならないように今からでもストレスのない生き方に方向転換しなければ…後悔しても絶対に取り返しができませんよ。

ちなみに他力依存となる医術薬剤は弊害副作用・肉体的負担が大きいから若い時から自然治癒力・回復力に任せてきました。

またそれだけに尚のこと治癒力・回復力が高まったと確信しています。

何はともあれ…後々後悔するようなことにならないために精神世界があるのです。

だから至極当たり前の様な事・普通のこと・毎日のことに意識が通うようになるのが真の精神世界なのです。

それを怠ると他力に依存しなければ生きづらい身の上にもなるのです。

それをしっかり肝に銘じていなければ後の祭りになりますよ。