自己中心の個人意識は皆が持っていますから、平気で裏切ることができます。
例えば離婚は夫婦の裏切りになりますが、その離婚の増加や熟年離婚が多く表面化しているけれど、昔も今も裏切り関係はぜんぜん変わっていません。 ただ昔は離婚せずに互いが我慢していたから離婚率が低かっただけです。
特に女性側にとっては一昔前までは離婚したくても経済的理由やしがらみ世間体から離婚し難い流がありましたが、経済発展などで次第に離婚率も高くなって世間ではそう珍しくなくなっているし、国の生活支援策もあることから、あまり抵抗や障害も無くなり、わりと簡単に離婚できる時代になったからです。
結婚にいたる前の恋愛も既に裏切り関係にあります。
自分をカッコよく見せ掛けるのも、恋敵と競い合い奪い合うのも、何とかして自分のものにしたがる欲、すなわち相手を束縛制限支配したがる偽善であり既に裏切っているのです。
束縛支配したがる。自分のものとして「持ち」たがる・自分のものとして所有したがる。
夫や妻は自分のもの、家庭も子供も自分のもの、そして自分のものだから自分の思い通りにできる錯覚勘違い。 しかしそれほど簡単に束縛制限支配できない。 そこで家庭内暴力やいじめや虐待になるのです。 それは今も昔も同じです、現在は少し形を変えて表面化しているだけです。 原因は皆同じです。 だから現れる形や方法が違っていても皆同じような裏切りの結果が表に出ているのです。
自らが裏切る結果となる偽善を持っていながら、それでもって子供を守り家庭を守ろうとするのも儀善になるから、その守り意識が過ぎると「手放せない欲」となり、何とかして見せると自分と戦ったり敵と思えるものと戦ったりしながら試行錯誤・自己拡大を繰り返し、それでも思い通りにならないから更に迷い苦悩することになり、それが過ぎてノイローゼやうつ症状が出たり自殺願望が出るようになるのです。
戦わなければ持たなくなり、持たなければ「ある」だけになります。
「ある」のを執着して「持つ」ことになるから、守り戦うことになるのです。
持つ、守る、戦う、この連鎖を避けるには手放す・離れるのが一番です。
持ち過ぎる自己拡大に偽善愛・裏切りがあっても、真実の愛はありません。
外面的にも内面的にも持ち過ぎたものを手放して普通になる、それが自己縮小です。
そのためには何より先に原因である「良い悪い」善悪優劣損得の判断(裏表を比較して、自分に都合が悪い裏を自分から切り離そうとするから裏切りになる)をしないで現れた表だけの事実を「あるがまま」に見て、その裏表のない真実の愛に気付き学んでいけるようになればいいのです。
例えば離婚は夫婦の裏切りになりますが、その離婚の増加や熟年離婚が多く表面化しているけれど、昔も今も裏切り関係はぜんぜん変わっていません。 ただ昔は離婚せずに互いが我慢していたから離婚率が低かっただけです。
特に女性側にとっては一昔前までは離婚したくても経済的理由やしがらみ世間体から離婚し難い流がありましたが、経済発展などで次第に離婚率も高くなって世間ではそう珍しくなくなっているし、国の生活支援策もあることから、あまり抵抗や障害も無くなり、わりと簡単に離婚できる時代になったからです。
結婚にいたる前の恋愛も既に裏切り関係にあります。
自分をカッコよく見せ掛けるのも、恋敵と競い合い奪い合うのも、何とかして自分のものにしたがる欲、すなわち相手を束縛制限支配したがる偽善であり既に裏切っているのです。
束縛支配したがる。自分のものとして「持ち」たがる・自分のものとして所有したがる。
夫や妻は自分のもの、家庭も子供も自分のもの、そして自分のものだから自分の思い通りにできる錯覚勘違い。 しかしそれほど簡単に束縛制限支配できない。 そこで家庭内暴力やいじめや虐待になるのです。 それは今も昔も同じです、現在は少し形を変えて表面化しているだけです。 原因は皆同じです。 だから現れる形や方法が違っていても皆同じような裏切りの結果が表に出ているのです。
自らが裏切る結果となる偽善を持っていながら、それでもって子供を守り家庭を守ろうとするのも儀善になるから、その守り意識が過ぎると「手放せない欲」となり、何とかして見せると自分と戦ったり敵と思えるものと戦ったりしながら試行錯誤・自己拡大を繰り返し、それでも思い通りにならないから更に迷い苦悩することになり、それが過ぎてノイローゼやうつ症状が出たり自殺願望が出るようになるのです。
戦わなければ持たなくなり、持たなければ「ある」だけになります。
「ある」のを執着して「持つ」ことになるから、守り戦うことになるのです。
持つ、守る、戦う、この連鎖を避けるには手放す・離れるのが一番です。
持ち過ぎる自己拡大に偽善愛・裏切りがあっても、真実の愛はありません。
外面的にも内面的にも持ち過ぎたものを手放して普通になる、それが自己縮小です。
そのためには何より先に原因である「良い悪い」善悪優劣損得の判断(裏表を比較して、自分に都合が悪い裏を自分から切り離そうとするから裏切りになる)をしないで現れた表だけの事実を「あるがまま」に見て、その裏表のない真実の愛に気付き学んでいけるようになればいいのです。