孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間関係を守れば=精神・心・魂の自由=自由人間を放棄することになります。

2018年09月11日 | Weblog
ご縁あって私んちへ数回来られたことからして腐れ縁が如くに続いていたのが途切れて…もうご縁が切れたかのように思っていた人から…最近の豪雨や台風からして山暮らしをしている私のことが気になって…一週間前に40代の女性と昨日の50代の男性の二人から突然電話が掛かってきました。

ちなみに数年ぶりなのに二人が揃って電話をかけてくるという奇跡が如くになりました。

その両者ともに人間関係の矛盾をお勉強中ということで世間的な生活の中で、女性のほうは自分の性格の悪さ性根を思い知らされたと自己反省的な会話になり、また今年の猛暑で多くの人が歳寄せたと感じると言い、男性のほうは相対する人の良いところや悪いところが見えて、然るに人間の不完全さ矛盾を精出しお勉強しているとのことと人類の危機がどんどん早まっていると感じるそうですが…

両者ともに私のように人間関係を断ってまで孤独の自由を味わうのは無理だということでしたので…
(私のように)60歳になれば諸々の人間関係が嫌になり次第に卒業できるかもと締めくくり終わりました。

ちなみに人間関係の矛盾偽善をいくら学び続けて知識経験教養となってもその矛盾偽善から御身が卒業できなければ結果的には無駄なことになります。

その矛盾偽善から卒業するために自己縮小の実践が必要になるし欲に拘り執着しないその欲張らない実践が必要なのです。

然るに先ほどの両者は現状のままに暮らすことを選んでいるのですから…当然ながら矛盾の苦悩ストレスを味わい続けることになります。

となれば精神世界・内面を意識して暮らしていることよりも、日々の暮らしの外面に意識を多く使っているはずです。

ところがその両者ともに私と似通っていて…己の中の精神世界でもって独自独歩に歩み自問自答するタイプですから…このブログを含めて人様の書いた精神世界にはあまり関心がありません。

またそれだけに…人を見て我を見る鏡が如くにして…相対する人様の性格個性や感性が気になったり身近な周りが気になることが多いようです。

然るに自分の内面を見るよりも…外面が気になりよそ見することも多いはずです。

ちなみに私は人間関係に拘り執着しなくなってからは…人を気にしなくなり・外見やよそ見をしないで…御身の精神状態を常に見ています。

だから私のように60歳を過ぎた高齢者になって自己縮小となればいいのですが、
またその仕組みが起きなければ・仕組まれに気付かなければ、
現状の自己拡大の流れ・喜怒哀楽の流に流され続ける確率が高いかもしれません。

とにかくこの世人間界が矛盾偽善に満ちていることは事実ですから…特に学ばなくても…生きているからにはすでに十分学んでいるのです。

ちなみに只今お勉強中というのは言い訳正当化して現状の生活を味わっていたいのが本心・内心にあるはずです。

然るに今の御身を守っていたいのです…何らかの拘り執着未練があって捨てられないでいるのです。

それでも私が気になったということは…自己縮小の実践意識が片隅にあることですから…その意識的な腐れ縁が続けば仕組まれる可能性が高くもなります。

ちなみに田舎暮らし・過疎地暮らしだけが自己縮小ではありませんから、街中でいても実践は可能ですが、それを周りの人が認めてくれるかとなれば…やはり孤独の自由を選ぶことになるでしょう…

然るに自由から始まるのが自己縮小であり欲張らない実践となるのです。

だから人間関係に束縛制限や否定反発されていては思うがままの自由に生きていくことはできません。

然るに=精神・心・魂の自由=自由人間・個人の自由を放棄したのも同然なのです。

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