誰しも愚痴小言や陰口を言われたりすると気分を害します。
それが私のことでなくして人様のことであってもそれを聞きたくないはずです。
だから私がイヤなことは人様も同じだと思っていますから、然るに私は愚痴小言や悪口を(内に持っていても)絶対的に言いませんでした。
ところが私の妻は、私が直接の原因ではなくても然るに人様が原因で苛立ち腹立てればそれを私にぶっつけてくることが多くありましたので、然るに妻の不機嫌に私が巻き込まれるわけです。
その人様の不平不満に私が巻き込まれるのがイヤだから、然るに私が不平不満を言うことも絶対的に控えていました。
然るに人様の不平不満に巻き込まれていることが潜在的ストレスになっていたと気付いたのは過疎地暮らしをはじめてからのことです。
そしてその愚痴小言や陰口を言いたがる人ほど依存心が強いようです。
しかもその依存心を誰もが持っているからそれが当たり前に思い込み、然るにそれが「私は正しい」となり、然るにその依存心を満足させないとその愚痴小言や悪口を精出し言いたがるようです。
然るに依存心⇔愚痴小言陰口⇔私は正しい⇔リンクしているのです。
然るに我が子に愚痴小言や悪を言うのも依存心&私は正しいがあるからです。
然るに夫や妻や家族のみならず人様に対しても同じです。
また己の自力自信からして私が正しいと自惚れている人は、その自力自信にしていることを人様に押し付け強要したがります。
しかし己の自力自信は己のものであって人様とはそれぞれに異なるのです。
然るにそれを勘違いしているからすれ違い行き違いの批評し合う主張し合うヘンテコな関係になるのです。
しかもそれが私が正しいのぶつかり合い(喧嘩抗争戦争)にもなるのです。
然るに私が正しいからして身近なところで起きている些細な言い争いや喧嘩がこれまた国家社会間や国際間の喧嘩抗争戦争とまったく同じなのです。
然るに小さなことに気付かなければそれが集り集合化して(集合意識からして)次第に大きく膨れ上がって有事や真坂の大惨事になるのです。
しかしその集合意識を私が止めることは不可能ですから、然るに私だけでもその集合意識&闇意識に加わらないままの、また巻き込まれないままの独自独歩にして穏やかな心持で生きていくしか他に道が無いのです。
然るに世のため人のためでは無くして先ずは自分のためでもあり、それが人のためにも世のためにも繋がっていくのです。
然るに大を目指すのではなくして小から先んじて始まるわけです。
だから巻き込むことも巻き込まれることもなく、然るに押し付け強要無理強いされることもすることもなく、然るに依存することもされることもなく、小さな自由とちょこっとした欲に止めて生きていくことになります。
しかしその小から先んじることさえも人間関係からして何ともし難いのが私たちです。
然るに先行きは真っ暗な闇しかないのが事実なのです。
然るにその闇意識&集合意識に巻き込まれない孤独にしての独自独歩の生き方も必要になるのです。
それが私のことでなくして人様のことであってもそれを聞きたくないはずです。
だから私がイヤなことは人様も同じだと思っていますから、然るに私は愚痴小言や悪口を(内に持っていても)絶対的に言いませんでした。
ところが私の妻は、私が直接の原因ではなくても然るに人様が原因で苛立ち腹立てればそれを私にぶっつけてくることが多くありましたので、然るに妻の不機嫌に私が巻き込まれるわけです。
その人様の不平不満に私が巻き込まれるのがイヤだから、然るに私が不平不満を言うことも絶対的に控えていました。
然るに人様の不平不満に巻き込まれていることが潜在的ストレスになっていたと気付いたのは過疎地暮らしをはじめてからのことです。
そしてその愚痴小言や陰口を言いたがる人ほど依存心が強いようです。
しかもその依存心を誰もが持っているからそれが当たり前に思い込み、然るにそれが「私は正しい」となり、然るにその依存心を満足させないとその愚痴小言や悪口を精出し言いたがるようです。
然るに依存心⇔愚痴小言陰口⇔私は正しい⇔リンクしているのです。
然るに我が子に愚痴小言や悪を言うのも依存心&私は正しいがあるからです。
然るに夫や妻や家族のみならず人様に対しても同じです。
また己の自力自信からして私が正しいと自惚れている人は、その自力自信にしていることを人様に押し付け強要したがります。
しかし己の自力自信は己のものであって人様とはそれぞれに異なるのです。
然るにそれを勘違いしているからすれ違い行き違いの批評し合う主張し合うヘンテコな関係になるのです。
しかもそれが私が正しいのぶつかり合い(喧嘩抗争戦争)にもなるのです。
然るに私が正しいからして身近なところで起きている些細な言い争いや喧嘩がこれまた国家社会間や国際間の喧嘩抗争戦争とまったく同じなのです。
然るに小さなことに気付かなければそれが集り集合化して(集合意識からして)次第に大きく膨れ上がって有事や真坂の大惨事になるのです。
しかしその集合意識を私が止めることは不可能ですから、然るに私だけでもその集合意識&闇意識に加わらないままの、また巻き込まれないままの独自独歩にして穏やかな心持で生きていくしか他に道が無いのです。
然るに世のため人のためでは無くして先ずは自分のためでもあり、それが人のためにも世のためにも繋がっていくのです。
然るに大を目指すのではなくして小から先んじて始まるわけです。
だから巻き込むことも巻き込まれることもなく、然るに押し付け強要無理強いされることもすることもなく、然るに依存することもされることもなく、小さな自由とちょこっとした欲に止めて生きていくことになります。
しかしその小から先んじることさえも人間関係からして何ともし難いのが私たちです。
然るに先行きは真っ暗な闇しかないのが事実なのです。
然るにその闇意識&集合意識に巻き込まれない孤独にしての独自独歩の生き方も必要になるのです。