此れまでの私の生き様は・・・主に必然(お仕組み・ご縁)に恵まれてきたことが一番にありますが・・・
その原因ともなる直感・思い付き・感性によって気づいたことを意識しながらにいて(その思いを巡らし想像するだけではなくて)、意識していたからこそ来るその時そのチャンスをとにかく一度は試してみることにしていました。
それが仕事であれ趣味嗜好娯楽であれ精神世界や宇宙エネルギーであれ・・・その「お試しの連続」が結果的には・・・成る様になって・・・苦悩することも少なく無難に無理なくやってこれたようです。
そして性格的には・・・喜怒哀楽や生老病死やその冠婚葬祭に冷静すぎて・・・薄情者に思っていました。
だから・・・我が子の誕生から両親や身内の死に対しても同じでしたし、家族・身内に対しても、また私自身のことでも喜怒哀楽はあまりありませんでした。
だから・・・世間では常識となっている生老病死やその喜怒哀楽の中にある、その伝統・風習・道徳にある冠婚葬祭やお祝い事や病気見舞いに対しては・・・何か無駄なことをしていると違和感を持っていながらも、仕方なく世間に合わせてやっていたようなものです。
しかも世間的な話題から、自分の力が及ばない国家政治経済の世情にも無関心だから・・・尚のことに・・・新物・目新しいことや今まで知らなかったことに意識がいったようです。
そして幼い頃から楽しく遊ぶことが第一だったから無学歴・無教養の生き方を自分で選んだようですし、また世間の神仏・仏壇・お墓などの宗教的事柄は否定的でしたから儀礼で手を合わす事さえ違和感がありましたのと、生老病死・冠婚葬祭・風習の儀礼・作法に無関心だから、自分の恥をさらすことにもなるその儀礼・作法・挨拶さえも出来ずにいましたから・・・能無し・薄情・無作法な人物に思われていたかもしれません。
その原因が・・・「自分が意識」していることや自分が直接関わりあっていること意外にはあまり関心興味が無いことから(自己中心だから)、(学業成績を含めて)その関係ない他ごとに意識を向けられない性格・タイプになっていたのです。
・・・自分が意識している事には精一杯やるが(その反面)意識していないことは・・・どうでもよかったのです。
だから意識が遠のくと当然ながら関心も薄れますが・・・その時にはもうすでに次の新たな事が必然で始まりつつありました。
その繰り返しが幾度となく続いて今日がありますが・・・今の完全真理とファバラでそれも完結となる自信確信が有ります。
だから此れからも同じですから・・・ちなみに私の身の回りで起きる事件や事故や怪我や病気や死に対してもまったく同じですから・・・それら今後のことは家族親戚や親しい人に前もって伝えています。
その一つに、私の死後の葬儀やお墓や仏壇や法要回忌をしなくてよいと家族に伝えていますが・・・その意味からも大学病院に献体登録を済ませています。
そして・・・今回新たに思いついたのは・・・死につながる病気やガンになったときに・・・その死が迫っているからこそ私に出来ることがありました。
それは・・・入院手術や抗がん剤に頼らないこと(守り闘わないこと)・・・そして毎回の食事は気軽に食べたれる牛乳と卵とパンとご飯だけにして、果物はバナナやミカンで十分として・・・
そして科学や医学で言われているような栄養・成分とはまた違った・・・「生命体」であることを支えている原因エネルギーとも言える宇宙意識エネルギー・常温核融合から新たに創造されたファバラ製品を使うだけにして・・・他のものは不要として、余命・寿命が尽きるまで続けてみることです。
そして特に未練・思い残していることや執着していることもないので、死ぬ前に・・・誰彼に一目でも会いたいとか、一度でも何々をしてみたいというような、今までと違う特別なことは必要ありませんから・・・普段道理で十分です。
そして誰にでも起こる(当たり前の)病気や死に対して特別な感情・動揺の不安心配・恐れや悲しみを持つ必要もなければ・・・見舞いは不要としていますから・・・そのお見舞い感覚ではない遊び感覚で立ち寄ってくれれば・・・私がすでに孤独死・野垂れ死にしているかもしれないので第一発見者になる可能性があるが・・・ とにかくいつも通りに山へ遊びに来る感覚で来て・・・私に気遣うこともなく、そのままにゆっくりとすごしてから帰ることにして・・・
いずれ危篤状態で身内が集まることになっても・・・普段の会話をしながら・・・ただ私の死を待つだけにして・・・
やがて・・・孫などが気づいて・・・軽い口調で「じいちゃんが死んでいるよ」となり、それに合わせたかのように・・・そう、もう死んだのね・・・じゃ、遺体解剖の大学病院にあとは任せることにして・・・と、あっさりと後片付けをして帰ってもらえば・・・それで十分です。
そんな私が過疎地で暮らすようになった当初は・・・単なる自己逃避に思えるときがありましたが・・・逃避ではなくて「意識」変わりしていて、その生き方や考え方が違っていたのが原因でその結果が出ているだけなのです。
すなわち冠婚葬祭・慶事凶事を伝統風習化させたのは見栄や世間体ですから・・・どうでもよかったのです。
普通に楽しく生きていればいいものを・・・余計な生老病死や喜怒哀楽で大きく感情を揺り動かすことでもなかったのです。
そして仕事や趣味嗜好娯楽で自分の思い通りにして自己満足したり、それを主張や顕示・誇示することでもなかったのです。
そして・・・すべてに「大きい小さい」はなく・・・当然ながら大きな喜び満足も小さな喜び満足も「同じ」同等だったのです。
その大きな喜び満足を欲しがっていたのは・・・同等価値に差を付けて「価値観」で満足していたかったのと、自分の存在を「生きている実感」ではない「存在感」で自己満足を味わっていたり、それを(自分の存在感を)他に示して主張誇示・誇示するためだったのです。
すなわち・・・普通の当たり前に生きていれば十分なのに・・・特別に生きることで他と「差別」したがる欲で生きているのです。
その原因ともなる直感・思い付き・感性によって気づいたことを意識しながらにいて(その思いを巡らし想像するだけではなくて)、意識していたからこそ来るその時そのチャンスをとにかく一度は試してみることにしていました。
それが仕事であれ趣味嗜好娯楽であれ精神世界や宇宙エネルギーであれ・・・その「お試しの連続」が結果的には・・・成る様になって・・・苦悩することも少なく無難に無理なくやってこれたようです。
そして性格的には・・・喜怒哀楽や生老病死やその冠婚葬祭に冷静すぎて・・・薄情者に思っていました。
だから・・・我が子の誕生から両親や身内の死に対しても同じでしたし、家族・身内に対しても、また私自身のことでも喜怒哀楽はあまりありませんでした。
だから・・・世間では常識となっている生老病死やその喜怒哀楽の中にある、その伝統・風習・道徳にある冠婚葬祭やお祝い事や病気見舞いに対しては・・・何か無駄なことをしていると違和感を持っていながらも、仕方なく世間に合わせてやっていたようなものです。
しかも世間的な話題から、自分の力が及ばない国家政治経済の世情にも無関心だから・・・尚のことに・・・新物・目新しいことや今まで知らなかったことに意識がいったようです。
そして幼い頃から楽しく遊ぶことが第一だったから無学歴・無教養の生き方を自分で選んだようですし、また世間の神仏・仏壇・お墓などの宗教的事柄は否定的でしたから儀礼で手を合わす事さえ違和感がありましたのと、生老病死・冠婚葬祭・風習の儀礼・作法に無関心だから、自分の恥をさらすことにもなるその儀礼・作法・挨拶さえも出来ずにいましたから・・・能無し・薄情・無作法な人物に思われていたかもしれません。
その原因が・・・「自分が意識」していることや自分が直接関わりあっていること意外にはあまり関心興味が無いことから(自己中心だから)、(学業成績を含めて)その関係ない他ごとに意識を向けられない性格・タイプになっていたのです。
・・・自分が意識している事には精一杯やるが(その反面)意識していないことは・・・どうでもよかったのです。
だから意識が遠のくと当然ながら関心も薄れますが・・・その時にはもうすでに次の新たな事が必然で始まりつつありました。
その繰り返しが幾度となく続いて今日がありますが・・・今の完全真理とファバラでそれも完結となる自信確信が有ります。
だから此れからも同じですから・・・ちなみに私の身の回りで起きる事件や事故や怪我や病気や死に対してもまったく同じですから・・・それら今後のことは家族親戚や親しい人に前もって伝えています。
その一つに、私の死後の葬儀やお墓や仏壇や法要回忌をしなくてよいと家族に伝えていますが・・・その意味からも大学病院に献体登録を済ませています。
そして・・・今回新たに思いついたのは・・・死につながる病気やガンになったときに・・・その死が迫っているからこそ私に出来ることがありました。
それは・・・入院手術や抗がん剤に頼らないこと(守り闘わないこと)・・・そして毎回の食事は気軽に食べたれる牛乳と卵とパンとご飯だけにして、果物はバナナやミカンで十分として・・・
そして科学や医学で言われているような栄養・成分とはまた違った・・・「生命体」であることを支えている原因エネルギーとも言える宇宙意識エネルギー・常温核融合から新たに創造されたファバラ製品を使うだけにして・・・他のものは不要として、余命・寿命が尽きるまで続けてみることです。
そして特に未練・思い残していることや執着していることもないので、死ぬ前に・・・誰彼に一目でも会いたいとか、一度でも何々をしてみたいというような、今までと違う特別なことは必要ありませんから・・・普段道理で十分です。
そして誰にでも起こる(当たり前の)病気や死に対して特別な感情・動揺の不安心配・恐れや悲しみを持つ必要もなければ・・・見舞いは不要としていますから・・・そのお見舞い感覚ではない遊び感覚で立ち寄ってくれれば・・・私がすでに孤独死・野垂れ死にしているかもしれないので第一発見者になる可能性があるが・・・ とにかくいつも通りに山へ遊びに来る感覚で来て・・・私に気遣うこともなく、そのままにゆっくりとすごしてから帰ることにして・・・
いずれ危篤状態で身内が集まることになっても・・・普段の会話をしながら・・・ただ私の死を待つだけにして・・・
やがて・・・孫などが気づいて・・・軽い口調で「じいちゃんが死んでいるよ」となり、それに合わせたかのように・・・そう、もう死んだのね・・・じゃ、遺体解剖の大学病院にあとは任せることにして・・・と、あっさりと後片付けをして帰ってもらえば・・・それで十分です。
そんな私が過疎地で暮らすようになった当初は・・・単なる自己逃避に思えるときがありましたが・・・逃避ではなくて「意識」変わりしていて、その生き方や考え方が違っていたのが原因でその結果が出ているだけなのです。
すなわち冠婚葬祭・慶事凶事を伝統風習化させたのは見栄や世間体ですから・・・どうでもよかったのです。
普通に楽しく生きていればいいものを・・・余計な生老病死や喜怒哀楽で大きく感情を揺り動かすことでもなかったのです。
そして仕事や趣味嗜好娯楽で自分の思い通りにして自己満足したり、それを主張や顕示・誇示することでもなかったのです。
そして・・・すべてに「大きい小さい」はなく・・・当然ながら大きな喜び満足も小さな喜び満足も「同じ」同等だったのです。
その大きな喜び満足を欲しがっていたのは・・・同等価値に差を付けて「価値観」で満足していたかったのと、自分の存在を「生きている実感」ではない「存在感」で自己満足を味わっていたり、それを(自分の存在感を)他に示して主張誇示・誇示するためだったのです。
すなわち・・・普通の当たり前に生きていれば十分なのに・・・特別に生きることで他と「差別」したがる欲で生きているのです。