孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

欲張ることが無くなって、然るに「食って寝て糞する」だけのその真価を再認識しています。

2014年01月29日 | Weblog
私も不完全意識丸出しで生きていますから一日2時間のパートに行っている中でオーナーの後片付けのお粗末さに時々不愉快な思いになるときがあります。
然るに私も人様が絡めば気にすることが出てくるのです。

ところが己一人で暮らしている中には心身ともに何の問題もありません。
然るに不満不足&不安心配も無くて平常心のままに時が経っているだけです。
そして寝不足だとか頭痛や足腰が痛むとか内臓の調子が悪いとかの病的症状が出たり、また気分が悪いとか体調が悪いとか憂鬱にはなりません。

然るに肉体的にも精神感情的にも「何事もなく時が過ぎていく」その感覚は誰もが味わえることでは無いと思っています。

然るに金銭物質の豊かさが味わえなくても精神的に満ち足りた感覚が味わえますから、然るにそれが精神的な贅沢を味わっている事にも思えます。

とにかく誰でもが人と出会えば何かと気になる事が増えてきます。
特に身近な家族ともなると持ち前の不信感からして余計なことが(過去現在未来までが)色々と蘇ったりまた思い考えることが(絶対的に)多くなります。

ところがそれはいつもの繰り返しだからいつの間にやら鈍感慣れっこになってしまって(潜在内心では気になっているのに)そんなに大したことでは無いと思いがちですが、しかし「何事無く時が過ぎていく」事を長く味わっていると(オーナーの件のように)それが結構気になっている(ストレスになっている)ことに気付きます。

ちなみに世間一般的であっても(気付かないうちに)ストレスが満杯になっていて「心が空っぽ」になっているといっても過言ではありません。

然るに虚しさが漂ったり蘇ったりしているはずです。
ただ日々の忙しさ(変化刺激)からして直ぐに忘れたりするのかもしれません。

然るに就眠前の孤独と静寂になった時に必ず出てくることでしょう。

然るに「寝付かれない」然るに深夜まで起きている、そして何事かをしていなければイライラして落ち着けない、それを翌朝までも持ち越すことになり、だから体調も悪く気分が憂鬱、然るに味気なく面白くない、そこで(味の強い)趣味嗜好娯楽で憂さ晴らしする、すると落ち着きがなくなりまた寝付かれない、そしてアルコールや睡眠剤に依存し頼る、その繰り返しをずーっとしながらの人生で終わるかもしれません。

然るに何事も無くそのままにして「タダ寝るだけ」「タダ食うだけ」「タダ糞するだけ」然るにそれで<十分に思える>のとは絶対的に異なるはずです。

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