若い頃からして成り行き任せなところがあったから感情的になることがありませんでした。
また見合い結婚でしたから、結婚できることに対する感激とか感動とかなくて恥ずかしさがあるだけで概ね平常心でしたから、儀礼儀式の結婚式も何やら面倒くさく感じていたし、何よりもこの先の新婚旅行や結婚生活をうまくやっていけるのか、そのほうを大いに気にしていました。
また出産のときも平常心でしたし、また我が子が産まれたと言う感覚よりも、ただ産まれたばかりの赤ちゃんを静かに見ているだけでした。
また夜泣きが苦になることも無く、そこで妻がてこずっていれば深夜のドライブで寝付かせるのが定例になりました。
そして子育て教育指導・しつけにも全く関心が無く成り行きに任せていましたが、妻は何かと口出し手出ししていましたから、その妻に一任することにしてその協力をするだけでした。
また娘が中学生の時の仲良しグループで集団万引きらしき行為をした時も妻は動揺するも私は平常心でした。
また高専の時に授業をさぼって夜遅くまでディスコに行っていたこともありますが、妻は相当動揺していても、私はそんなに気になりませんでした。
またイギリスに留学しているときにアルバイトが原因で強制出国することになり、妻がやきもきするなか無事に帰国するも、その数日後イギリス人の彼氏が日本に来たので妻は二度びっくり仰天しましたが、それが国際結婚にならずに終わりました。
また娘は絶対に早婚しないと言い張り、まして公務員や農家や長男とは結婚しないと宣言していましたが、二十歳で結婚し相手は国家公務員で農家の長男でした。
そして現在は妻が居残る住居を娘夫婦が立て直した二世帯完全独立型住居で娘夫婦と孫の三人が生活していますから、然るに娘婿殿は本家本元を離れて「入り婿」同然になっています。
然るに自由気ままな娘を妻が心配しようがしまいが成るようになるのです。
また妻が気にしているスポーツ好きの長男も早くから独立して金欠貧乏ながらも自由気ままで、悩みと言えば金くらいですが、それでも宅配しながら人に優しく元気にやっているようです。
また親や夫のすねかじり・他力のお蔭でもって自由気ままにしている娘の方はその裏・しっぺ返しなのか、現在は子供の不登校に平常心をよそいながらもいろいろと悩んでいるようです。
しかしそれも成るようになるだけですから私は心配していません。
ごちゃごちゃと書きましたが…
とにかく=生きているからには=自由で好き勝手にできることは見栄や銭金よりも重要なことなのです。
だから息子も娘も私には此れまで何の悔やみの文句も言っていませんし、
私も妻や子に何の注文・文句を付けることなくやってきました。
そして私が感情的にならないのが(愛情不足・薄情ではなくして)それが自分にも人様に対しても精神を乱すことにならない原点なのです。
然るに幸せはごつい感情体ではなくて柔らかな精神体で味わうものなのです。
とにかく変化刺激の苦楽のないプラスにもマイナスにもならない当たり前の普通のほうが居心地がいいのは確かです。
然るに暇で退屈していることは感情的にも精神的にも肉体的にも安定していることなのです。
然るに特別に良いことも無く、また特別に悪いことも無く、そのプラスもマイナスも無い「普通」を味わっているのが現在なのです。
また見合い結婚でしたから、結婚できることに対する感激とか感動とかなくて恥ずかしさがあるだけで概ね平常心でしたから、儀礼儀式の結婚式も何やら面倒くさく感じていたし、何よりもこの先の新婚旅行や結婚生活をうまくやっていけるのか、そのほうを大いに気にしていました。
また出産のときも平常心でしたし、また我が子が産まれたと言う感覚よりも、ただ産まれたばかりの赤ちゃんを静かに見ているだけでした。
また夜泣きが苦になることも無く、そこで妻がてこずっていれば深夜のドライブで寝付かせるのが定例になりました。
そして子育て教育指導・しつけにも全く関心が無く成り行きに任せていましたが、妻は何かと口出し手出ししていましたから、その妻に一任することにしてその協力をするだけでした。
また娘が中学生の時の仲良しグループで集団万引きらしき行為をした時も妻は動揺するも私は平常心でした。
また高専の時に授業をさぼって夜遅くまでディスコに行っていたこともありますが、妻は相当動揺していても、私はそんなに気になりませんでした。
またイギリスに留学しているときにアルバイトが原因で強制出国することになり、妻がやきもきするなか無事に帰国するも、その数日後イギリス人の彼氏が日本に来たので妻は二度びっくり仰天しましたが、それが国際結婚にならずに終わりました。
また娘は絶対に早婚しないと言い張り、まして公務員や農家や長男とは結婚しないと宣言していましたが、二十歳で結婚し相手は国家公務員で農家の長男でした。
そして現在は妻が居残る住居を娘夫婦が立て直した二世帯完全独立型住居で娘夫婦と孫の三人が生活していますから、然るに娘婿殿は本家本元を離れて「入り婿」同然になっています。
然るに自由気ままな娘を妻が心配しようがしまいが成るようになるのです。
また妻が気にしているスポーツ好きの長男も早くから独立して金欠貧乏ながらも自由気ままで、悩みと言えば金くらいですが、それでも宅配しながら人に優しく元気にやっているようです。
また親や夫のすねかじり・他力のお蔭でもって自由気ままにしている娘の方はその裏・しっぺ返しなのか、現在は子供の不登校に平常心をよそいながらもいろいろと悩んでいるようです。
しかしそれも成るようになるだけですから私は心配していません。
ごちゃごちゃと書きましたが…
とにかく=生きているからには=自由で好き勝手にできることは見栄や銭金よりも重要なことなのです。
だから息子も娘も私には此れまで何の悔やみの文句も言っていませんし、
私も妻や子に何の注文・文句を付けることなくやってきました。
そして私が感情的にならないのが(愛情不足・薄情ではなくして)それが自分にも人様に対しても精神を乱すことにならない原点なのです。
然るに幸せはごつい感情体ではなくて柔らかな精神体で味わうものなのです。
とにかく変化刺激の苦楽のないプラスにもマイナスにもならない当たり前の普通のほうが居心地がいいのは確かです。
然るに暇で退屈していることは感情的にも精神的にも肉体的にも安定していることなのです。
然るに特別に良いことも無く、また特別に悪いことも無く、そのプラスもマイナスも無い「普通」を味わっているのが現在なのです。