孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

欲張らないことで(誰もが自覚していない)究極の至福≒幸せを味わっています。

2020年06月22日 | Weblog
数に限りがある有限の世界で欲張ることは弱者を虐める結果になります。

ちなみに此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして何か事を成すことは欲張りになります。

またその結果には矛盾や弊害副作用があります。

また自分さえ良ければの個人意識を持っているのに世のため人のために尽くすと思うことは偽善であり、見栄・世間体・プライドなど虚栄心からして欲張っていることになります。

然るに欲張っている人が幸せを味わえるはずは絶対にありません。

なのに欲張っている人が多いのは、欲張ることで幸せになれると錯覚勘違いしているからです。

だから豊かな衣食住や伝統風習や世間に目立つ肩書や名誉名声や権威権力や財力に手を出すのです。

しかしながら自慢することができてもそれで幸せになれるはずもありません。

となれば結果的に喜怒哀楽を味わうだけです。

ちなみに幸せの青い鳥を探すのも欲なのです。

また大勢の人が集まるからに…何かいいことがあるはずだからと…己も一緒に参加することは欲張っている証拠です。

然るに人が集まるところには何某の欲が渦巻いているのです。

ところが欲が無ければ人は集まりません。集まる必要が無いのです。

そして個人の自由・孤独の自由でもって思うがままに過ごすのです。

ちなみに私は宇宙・神・愛の仕組みの必然のご縁からして思いもよらなかった孤独の自由にしての過疎地暮らしとなり20年近くなりました。

だから親密な家族関係さえも疎遠になりここ数か月ほど家族関係の誰とも会っていませんし電話での会話さえしていません。

それを裏返せば…私にすれば特別な何事もなく普通の平穏無事に過ごしていることになりますから…ありがたいことになります。

ちなみに妻や子や孫たちと親身に関わっていた過去を省みれば…それぞれの立場からして意見の違い否定反発があったり束縛制限し合っていたり欲張り合っていた事実があり、私が原因でもないのに何かと問題に巻き込まれて精神的な影響を受けていました。

なのに疎遠はダメとばかりに新な事を始めたり特別なことを取り入れたりして「欲張る」と此れまで静かだった親子家族間に隙間風やひびが入り波風が立つようになりその苦楽の喜怒哀楽が開幕することになるのです。

然るに「亭主元気で留守がいい」と言う事例のように…人間関係が疎遠な方が精神穏やかなのです。

ただそれでは変化刺激が無いから面白くないと思い違いしているのです。

また家族関係とは異なる集落の人間関係さえも疎遠ですから時おり出会ったときの簡単な挨拶で終わっています。

しかしながら10年ほど前に宇宙・神・愛の仕組みの必然ご縁からして私が望んだわけでも無いのに仕組まれて一時間から二時間ほどの牛舎の給餌のパートに従事することになり現在も続いています。

ちなみに従事していることで牛舎のオーナーから喜ばれることがあっても文句を言われたことがありませんから居心地のいい関係になっています。

だから親密な人間関係となれば牛舎のオーナーだけです。

そんな孤独の自由にして欲張らない生活環境の中で夜の八時ころには寝床につき午前の四時ころに目覚めるもブログに関わることがなければ七時ころまで寝床でごろごろしながらブログのネタを考えています。

ところがその就寝する時も目覚めた時も心身や身辺に何ら異常も問題もなく・悩みや気になることなく・何ら予定や思い思惑や目的や期待もなく・平然と普通に時が過ぎていくだけです。

だから問題があるならば…暇な時間を如何にして過ごすかだけですから…その大部分は自然界の中や敷地で草刈りしたり周りの景色を見ながら昼休みをしたり、また冬場のダルマストーブの燃料作りとなっているからここ数年分は溜まっています。

ちなみに自然界の四季折々のドラマの中で接し触れ合いながらグーたらな生活を過ごしていることが(縄文杉や仙人が如くの何の変哲もない生き方が)究極の至福・幸せに思えているのです。

それを簡単に言えば…不満と欲と矛盾でもって間違い狂っているだけに…問題が有ることが不幸で、問題が無いことが幸せなのです。

またそれを言い換えれば…不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている人間関係にして…この世人間界が問題だらけだけに…
たとえ肩書や財産を手にして・その豊かな衣食住に恵まれ・家族円満・夫婦円満・セックス円満・仕事円満に見せ掛けていても…
その内心では不満や苛立ちや憎しみ嫉妬を隠し持っている偽善者や不幸者となるのです。

ちなみに私の場合は…欲張らないからその問題もなく、問題が無ければその喜怒哀楽やストレスもなく、ただ生きてさえいればそれでいいとして、自分に出来る簡単なことを普通にしながら日々を安らかに過ごすことになるのです。

しかしながら…欲張らなければ幸せになれないとばかりに…その人間関係を維持し頑張り見栄張り無理し努力している精神未熟な人たちが多いのが事実です。

だから不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている中で個人の自由・孤独の自由にして・素朴謙虚にして・欲張らずに生きていくしか・他に幸せが味わえないのです。

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