孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

偽善の社会・家庭を守り維持する偽善者

2008年06月25日 | Weblog
私たち人間は意識体ですから、すべて意識で表現し行動しています、だから結果的には自分の思い通りに生きているのです。 そして自分の思い通りに生きるのが個性なのです。

自分にやれそうも無い事をやるのも、それを途中で諦めるのも自分ですから、自分の思い通りになっているのです。
立派な目標や理想を掲げて大いに意識していても、行為行動表現は自分に出来ることしかやれません。 すなわち、いくら目標や理想を掲げても、やっているのが本人だから、やれることはやれるが、やれないことはやれないのです。
だから目標や理想を持っていても持たなくても同じ結果になるのです。
だから目標や理想は必要なく、成るものはなる、ならないものは成らないのです。

自分が意識した通りに自分が動いているのですから、すべて自分の思い通りに生きているのになぜ不平不満が出るの? それは現れた結果を良い悪い・善悪損得優劣で分離判断しているからです。 そして人を責めたり自分を責めているから、それが不平不満の原因になるのです。
同じように、自分に出来ない事を専門家や身近な人に頼ることもあるが(夫婦・家庭関係でよくあるが)、人様に頼んでいながら結果的に自分の思い通りにならなければ不平不満を持つ場合があります。
自分に出来なかった事を頼んだことを忘れてしまって、そのお蔭様の成果・価値・結果を見て不平不満に思うのです。 自分に出来ない事を人様に期待した依存心と、結果を良い悪いで評価判断した意識に原因があるのです。

自分の思い通りにしたくて人様を巻き込むことがあります。
素晴らしい自分の能力や主義主張を公表して賛同者・協力者・仲間を自分のもとに集めたがります。 すなわち、自分に出来ない事を人様に応援してもらって成し遂げようとしているのです。
それ自体が間違っているとは思いませんが(必然だから)、ところが主催者である自分が主人公でいたがる特別意識を持つと、皆様のお蔭様の感謝がなくなり、自分の力で成したと錯覚勘違いして特別意識を持つことになる場合があります。
すなわち、お蔭様の意識が無ければ特別意識の偽善者になるのです。

お蔭様は人間関係だけではありません。
お蔭様として過去の神仏や先祖代々を尊ぶ伝統風習・宗教もありますが、本当のお蔭様は元々の宇宙であり地球であり自然界なのです。すなわち万物全てがお蔭様なのです、分け隔てることは出来ないのです、それを分け隔てるから特別意識の偽善になるのです。

私達は皆偽善者なのです。偽善者同士が裏切り裏切られたりしながら偽善の社会・家庭を守り維持しているのです。どうしようもない人間同士の集まりが現在です。
その原因が「意識」=良い悪いで判断する意識にあるのだから、その意識を改革・価値の転換をしなければ何をやっても矛盾妥協の中途半端な偽善にしかなりません。

そこで、現実に良い悪で判断する意識が人間に「ある」のだから仕方がないが、「ある」ものを「持」たなければ執着にならないのです。
持って執着すると、ああでもないこうでもないと試行錯誤・喜怒哀楽・迷い苦悩・後悔未練を持って、いつまでも過去の事を引きずり持ち続けることになりますが、執着が無ければ現れ出た結果である過去が意識から消えて「あるがまま」に生きることができるようになるのです。

早くこのことに皆が気付く事を意識して書かせて頂いております。 



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