老後が人生の終末に思えるかもしれませんが、私は人生の本番に思っています。
ちなみに若い時にしでかした諸々がしっぺ返しとなって老後で味わうのですが、
それが心身の病気になって病院通いや薬漬けの日々や要介護生活や自分のウンチの後始末さえも他力頼みとなる寝たきり老人となるかもしれません。
また世間から見放されたような孤独感を味わったり、
また肉体の老化からして思うように動けなくなったり、
そんな老体の惨めさからして・恥さらしにも思えて世間に出たくなくなったり、部屋に閉じこもったり、テレビが友達が如くになったり、会話する人もいなくなったり、あの世に先だった人が多くなったり、マイナス的な孤独三昧を味わうことにもなります。
ところが私は60にして精神世界に仕組まれご縁があり、
然るに…金銭物質じゃないよ心だよ…となり、
それが縁からして愛を説く霊能者とご縁があり、それが縁からして欲張ることから卒業したが如くの過疎地暮らしとなり、また嫁いだ娘が縁からして良い悪いで判断しない完全真理とつながり、その内に素朴謙虚にして生きる自己縮小が説かれ始めたのですが、もうすでに自己縮小となっていたことからして水を得た魚・鬼に金棒となった経緯があります。
然るに成り行きの結果の後付けながらも自己縮小の先取りしたことになります。
そして孤独からして思うがままの自由が味わえ、それが常識や伝統風習に拘り執着することからも卒業することになり、それがまた人間関係の諸々から解放されることとなり、
然るに食って寝て糞をしながらにして・ただ生きているが如くが生活が精神安定になっていることに気付き、
しかも自然界に囲まれた過疎地だけに、その自然界を相手に暮らしていることがいつの間にやら馴染み、
然るに…習うよりも慣れろ…からして確り定着しました。
だから生きていくための仕事から解放された老後(車などの諸経費を含め月5万円以下)の贅沢三昧を味わっているところです。
そして日々着慣れたボロをまとい・なに気兼ねなく軽やかに野良仕事をすることもできるし、また食事に限らず何でも定番が如くに簡単に済ませますから、それら諸々の迷い選択する煩わしさからも解放され、
また寝る時間も起床する時間にも束縛制限されないし、
また夏真っ盛りの時でも自然に囲まれていることや大木の陰で涼しく過ごせることからして扇風機要らずにして過ごせるし、
また冬場となればダルマストーブを抱えて暖を取りながらブログを書き、また寝室の温度が凍り付くような時でも・ただ床にはいって寝るだけですから電気毛布があれば十分です。
然るに石油ストーブは使っていません。
ちなみに台所に置いている牛乳がシャーベット状に凍りますから、その凍らせないために逆に冷蔵庫に入れていること事態が愉快な話になります。
そして何よりも過去の家庭常備薬から解放された現在があります。
あれこれ書けばキリがありませんが、日々の諸々が苦ではなく・暇つぶしになっているし・それが創意工夫にもつながり・それが変化刺激となって銭要らずの楽しさにもなっています。
そして電話があっても電話を使うことがないから、一か月故障していても気付かなかった事例もあります。
然るに家族から掛かってくることもないから・押し付け的な電話に煩わされることもない生活をしています。
然るに来客の煩わしさからも解放されています。
然るに世間から見れば…逆は真なりの老後生活になっているのです。
然るにそれも…あれこれと欲張っていない精神からして味わっていることなのです。
だから逆に言えば…欲張っている精神からして…私が如くの老後を味わえないでいるのです。
然るに…金銭物質じゃないよ・名誉名声権威権力や財力じゃないよと・思いながらも…結果的には大小さまざまに欲張り続けているのです。
となれば当然ながら世間一般的に見られる諸々の老後となって当たり前なのです。
然るに…東西南北の老若男女の誰もが公平にして実践できる自己縮小の…欲張らない生き方からして健全健康な老後となるのです。
また…数に限りがある有限の世界でもって…此れまで欲張ってきたことのしっぺ返しが軽減されることにもなるのです。
然るに…老後人生が精神世界の本番となる…重要なことです。
ちなみに若い時にしでかした諸々がしっぺ返しとなって老後で味わうのですが、
それが心身の病気になって病院通いや薬漬けの日々や要介護生活や自分のウンチの後始末さえも他力頼みとなる寝たきり老人となるかもしれません。
また世間から見放されたような孤独感を味わったり、
また肉体の老化からして思うように動けなくなったり、
そんな老体の惨めさからして・恥さらしにも思えて世間に出たくなくなったり、部屋に閉じこもったり、テレビが友達が如くになったり、会話する人もいなくなったり、あの世に先だった人が多くなったり、マイナス的な孤独三昧を味わうことにもなります。
ところが私は60にして精神世界に仕組まれご縁があり、
然るに…金銭物質じゃないよ心だよ…となり、
それが縁からして愛を説く霊能者とご縁があり、それが縁からして欲張ることから卒業したが如くの過疎地暮らしとなり、また嫁いだ娘が縁からして良い悪いで判断しない完全真理とつながり、その内に素朴謙虚にして生きる自己縮小が説かれ始めたのですが、もうすでに自己縮小となっていたことからして水を得た魚・鬼に金棒となった経緯があります。
然るに成り行きの結果の後付けながらも自己縮小の先取りしたことになります。
そして孤独からして思うがままの自由が味わえ、それが常識や伝統風習に拘り執着することからも卒業することになり、それがまた人間関係の諸々から解放されることとなり、
然るに食って寝て糞をしながらにして・ただ生きているが如くが生活が精神安定になっていることに気付き、
しかも自然界に囲まれた過疎地だけに、その自然界を相手に暮らしていることがいつの間にやら馴染み、
然るに…習うよりも慣れろ…からして確り定着しました。
だから生きていくための仕事から解放された老後(車などの諸経費を含め月5万円以下)の贅沢三昧を味わっているところです。
そして日々着慣れたボロをまとい・なに気兼ねなく軽やかに野良仕事をすることもできるし、また食事に限らず何でも定番が如くに簡単に済ませますから、それら諸々の迷い選択する煩わしさからも解放され、
また寝る時間も起床する時間にも束縛制限されないし、
また夏真っ盛りの時でも自然に囲まれていることや大木の陰で涼しく過ごせることからして扇風機要らずにして過ごせるし、
また冬場となればダルマストーブを抱えて暖を取りながらブログを書き、また寝室の温度が凍り付くような時でも・ただ床にはいって寝るだけですから電気毛布があれば十分です。
然るに石油ストーブは使っていません。
ちなみに台所に置いている牛乳がシャーベット状に凍りますから、その凍らせないために逆に冷蔵庫に入れていること事態が愉快な話になります。
そして何よりも過去の家庭常備薬から解放された現在があります。
あれこれ書けばキリがありませんが、日々の諸々が苦ではなく・暇つぶしになっているし・それが創意工夫にもつながり・それが変化刺激となって銭要らずの楽しさにもなっています。
そして電話があっても電話を使うことがないから、一か月故障していても気付かなかった事例もあります。
然るに家族から掛かってくることもないから・押し付け的な電話に煩わされることもない生活をしています。
然るに来客の煩わしさからも解放されています。
然るに世間から見れば…逆は真なりの老後生活になっているのです。
然るにそれも…あれこれと欲張っていない精神からして味わっていることなのです。
だから逆に言えば…欲張っている精神からして…私が如くの老後を味わえないでいるのです。
然るに…金銭物質じゃないよ・名誉名声権威権力や財力じゃないよと・思いながらも…結果的には大小さまざまに欲張り続けているのです。
となれば当然ながら世間一般的に見られる諸々の老後となって当たり前なのです。
然るに…東西南北の老若男女の誰もが公平にして実践できる自己縮小の…欲張らない生き方からして健全健康な老後となるのです。
また…数に限りがある有限の世界でもって…此れまで欲張ってきたことのしっぺ返しが軽減されることにもなるのです。
然るに…老後人生が精神世界の本番となる…重要なことです。