孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人生が…有終の美…となるには

2018年10月11日 | Weblog
自己縮小だの欲張らないだのと言っても縄文時代や徳川時代に戻るわけではありません。

せめて私が10歳の頃…1950年代後半…白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が「三種の神器」と言われていた頃に戻れれば人類終末エネルギーの原子力発電が無くても生活できます。

それを一気に進めるとなれば無理がありますが…
少なくともこれ以上原子力発電を増やさないで満足できる意識・生活状態になれば…
今以上に欲張らなくなり…
それに慣れることで意識変わりとなり…

その欲張らないで生きることを味わうことでもって自己縮小が進んでいくのです。

然るに一旦とどまれば…過去の自己拡大から自己縮小に転換することになり…その自己拡大で生きることの諸々の過ちが自覚認識できるようになるのです。

ちなみに白黒テレビが見れるようになっただけで大喜びしていた時代があったのです。
また冷蔵庫や洗濯機が普及したことで日々の生活が一気に向上して喜んでいたのです。
また電気コタツで暖を取りながら家族そろって食事をしたり正月にテレビを見ながらミカンを食べることが喜びだったのです。
また小川にはきれいな水が流れていて魚が群れをなして泳いでいたりトンボや蝶々やホタルが身近にいたのです。

何はともあれ…一旦止まれば…欲張っていたことの愚かさに気付くことができるのが…人間が持つ意識体なのです。

しかし残念なことに人それぞれの思いが異なっていますから皆と一緒になるには無理があるのです。

だから己から先んじて実践するしか他に道はないのです。

またその気構え意識からして(見栄・世間体・プライドを捨てることで)自分の心身が救われることにもなるのです。

そして独自独歩の孤独の自由を味わうことになれば不完全な人間関係に束縛制限されたり否定反発されることも無くなり(人様を気にすることもなくなり)己の性格個性や感性を十分に発揮できるのです。

然るに生きる喜び・生きている喜びが味わえるのです。

となれば不満と欲が出てこなくなり心穏やかな生活人生となって・思い残すことのない・拘り執着未練のない・穏やかな老後と死に様の有終の美となるのです。

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